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第一話

 峠を下り、江戸の町の手前に横たわった多摩川(たまがわ)を渡し船で越えた。

 この多摩川が江戸の西側を、もう一つの荒川(あらかわ)が東側を流れ、二本の河川が作り出す扇状地が広い平野を形成している。これらの河川は支流も多いため、町には水路が非常に多い。その水運を利用しているのが江戸町発展の特徴なのだと道中、立待(たちまち)が教えてくれた。

 多摩川(たまがわ)はかなり川幅が広い。とはいえ、賽ノ地と隣の西牛貨洲(さいごけしゅう)とを隔てる賀茂川には及びもつかない。江戸の技術を以てすれば橋を渡せない距離ではないと思うのだが。

「……西には敵がいる、ってか?」

 敢えて多摩川に橋を渡さないのは防衛のためだろう。

 いったい何の軍勢が攻めてくる想定なのかは知らないし、知りたくもない。

 お偉いさん方の羅刹云々の騒ぎに巻き込まれてここまで来た俺の言えた義理じゃないと思うが、こればっかりは性分だ。

 由無し事に心砕くくらいなら、自分たちの心配をした方がいいのだろうが。

 俺たちはこれから、『表向き』江戸政府の隠密として雇われることになるのだから。

 その原因は、半年前に締結された羅刹との和平にある。

 長い間、羅刹族との和解をめざしてきた将軍の尽力が実り、羅刹の王と将軍との間で和平の取り決めがなされた。提示されたその複雑な条項は、羅刹がヒトを傷つけず、ヒトも羅刹を傷つけない事を指針とするものだった。

 こうして、ヒトと羅刹の長年の争いが集結しました、めでたし、めでたし。と、なるならば、どれほど簡単だっただろう。

 無論、そうは問屋が卸さない。

 羅刹の王はその和平に一つ、条件をつけた――それは、羅刹の拠点をヒトの世に誘致する事。羅刹城の建設だ。

 その拠点を置く場所として白羽の矢が立ったのが、よりによって俺とでこぱちが住んでいる賽ノ地だった。中央都江戸から遠く、また、隣の西牛貨洲(さいごけしゅう)と接している賽ノ地は、羅刹の城を誘致するには絶好の場所だったのだ。

 しかしながら、もともと羅刹族が多く現れ、被害も大きかった賽ノ地が江戸政府からの要求をすんなりと呑むはずがなかった。

 特に、現在賽ノ地の町奉行を務める近松景元(ちかまつかげもと)がそれを赦すはずもない。

 江戸政府と賽ノ地町奉行所は対立し、今現在、牽制しあっている状態なのだ。

 其処へ巻き込まれたのが俺たちだった。

 大昔、江戸政府で隠密として活動していたくそジジィの伝手で、どういう理屈か、江戸政府は俺とでこぱちを賽ノ地町奉行所を見張るお耳役として雇うつもりらしいのだ。

 まったく、俺たちのような盗賊が何の役に立つと思ったのか知らないが。

 迎えに来た浅葱親子に連れられ、とうとう江戸まで足を運んでしまった。

 相当な手練れであると思われる親父の浅葱鷺之丞(あさぎさぎのじょう)、その息子で同じく剣士の浅葱立待(たちまち)、娘で隠密と思われる浅葱居待(いまち)

 江戸からわざわざ賽ノ地へ足を運んだこの親子について、実は俺もよく知らない。浅葱家が江戸政府、ひいては将軍直属の旗本または御家人であることは間違いないだろうが、それ以上の事は全く知らなかった。

 よく知らないままに江戸まで付いて来た事を恥じるべきか。

 今さら尋ねることもできず、かといって、そこまでしてこの浅葱家について知りたいかと聞かれればそういうわけでもない。

「如何なされました? 青殿」

 躑躅色(つつじいろ)の着物を翻し、娘の居待が振り向く。

 背後の視線を読むんじゃねぇよ。

「……なんでもねぇ」

 油断の出来ない相手だ。

 めんどくせぇ。

 いつもの台詞を心の中で吐いて、江戸の町に一つ目のため息を落とした。

 夕刻に近づき、街道脇の店にも灯りが燈り始める。道を往く人々も江戸の住人ばかりになってきている。さらに、其処は彼となく食べ物の匂いが立ち込め、相棒の気を惹いてくる。

 確かに、腹はかなり減っている。

「あれ、立待? と……居待」

 と、ふいに道端から声をかけられた。

 振り向くと、長柄の外箒を手にした少年がこちらを見ていた。

 立待が駆け寄って十字を切った。

「押忍! 優月さん、お久しぶりです」

「最近見なかったけど、どっか行ってたの?」

 淡藤色(あわふじいろ)の髪を揺らした少年は、箒をくるりと背にしまい、立待の方へと駆けてきた。

 彼がつい今、前を掃いていた店を見ると『爽亭』という大きな看板が掲げられていた。提灯に火を入れ、夜店の準備を整えているところのようだ。

 いい匂いにつられ、ふらりと店に入っていきそうになるでこぱちの襟首に刀の柄を差し込んで、捕まえておいた。

「はい、父上と共に少し遠出しておりました」

「そうだったんだね。どこに行ってたの?」

 少年の問いに、立待は困ったように後ろの居待を振り向いた。

 居待は一呼吸、間をおいてにっこりと笑った。

 分かりやすい作り笑顔。人差し指を唇に当てて。

「それは秘密です」

「意地悪だね、居待は」

 爽やかに笑った少年は、照れくさそうに頭をかいた。

「だーれ? 立待の友達?」

 襟首を捕まえていたはずなのに。

 いつの間にか抜け出していた、でこぱちが二人の間に割り込んだ。

「友達……っていうより、お客さん? うちは父が定食屋をやっているんだけど、立待や居待もたまに来てくれるんだよ。ところで、きみは?」

「おれは耶八、あっちが青ちゃん。おれたちは、さっき江戸に着いたばっかりだよ」

「わたしは爽 優月(さやか ゆづき)。耶八、と、青くん? また食べにおいでよ。江戸に来た記念で、オマケしてあげるから」

「やった! ありがと、優月(ゆづき)!」

 盛大に喜ぶでこぱち。

 こいつの無意味に人と仲良くなる能力は、江戸に来ても健在のようだ。

「おい、腹減ってんだから行くぞ」

 嬉しそうに笑うでこぱちの襟首を再び刀の柄で引っ掛け、ずるずると引きはがした時、ふっと優月と目が合った。

 赤目に気付き、はっとした顔の優月。

 ああ、そう言えばこの反応は久しぶりだな。

 賽ノ地ではもう、俺たちが見た目で驚かれることなどなくなっていたから。

 こちらからふい、と目を逸らした。

「また来るよ! 明日来るよー!」

 大きく手を振るでこぱちを引きずり、ずるずると歩き出した。


 しかし、まだ優月(ゆづき)の姿が雑踏の向こうに消えぬうち、進行方向から悲鳴が上がった。

「何事だ?」

 のんびりと構えていた浅葱の親父が、一瞬、ぴりりとした空気を纏った。

 居待も、まるで弟の立待を守るかのようにすっと立ち位置を変えた。

 その空気を感じ、でこぱちも周囲を警戒する。

 すぐ傍の茶屋が悲鳴の元だったようだ。茶屋の前で、女性がへたり込んでいる。

「茶屋の腰掛けが、急に人に変わってっ……!」

 と、悲鳴を聞きつけて集まり始めた人ごみを縫うようにするりするりと男が一人、こちらに向かって駆けてきた。

 現場から逃げるのは犯人だけだろ。

 進行方向にひょい、と足を出して転ばせてやろうとしたが、その男は足に引っかかるどころか、俺の方に向かって突進した。

 咄嗟に刀の峰を向けると、白羽取りの要領でうまく躱され、逆に転ばされた。

 こちらが完全に油断していたとはいえ、恐ろしい手際だ。とても素人の動きとは思えない。

「青ちゃん!」

 でこぱちが背後から捕まえようとしたが、その手からもするりと抜けた。

 男は、海と同じ瑠璃紺色の上着を翻し、緋色を閃かせて。

 駆け抜ける瞬間、耳元に囁いていった。

「遠路はるばるようこそ、夜叉族の少年。江戸城で姫将軍がお待ちだよ」

 はっと見ると、瑠璃紺の上着は既に雑踏へと消え行くところだった。

「何者……?」

 そして、立ち上がる間もなく、喉元に金属棒が突きつけられる。

 これは刺又?

 動きを封じられ、起き上がれない。

「動くな、この不届き(もん)が」

 揃いの紺碧の羽織を着た集団が、俺とでこぱちを取り囲んでいた。


 空の色と同じ、紺碧の羽織。その袖には皆、同じ金色と朱色の紋章を縫いつけている。

 俺を刺又で押さえつけた女も、揃いの羽織を着ていた。蜜柑色(みかんいろ)の髪を結いあげ、長い鉢巻で留めている。短く切った前髪の下、気の強そうな目をきりりと吊り上げた。

「動くな、言うてるやん」

「よぉやった、(けい)。そんまま抑えとけ」

 でこぱちの上着のように鮮やかな向日葵色の髪をした男が武骨な(まさかり)を担いで俺を見下ろした。この男も、揃いの上着を羽織っている。

「タケ、うちに命令せんとって」

 しかし女はそちらを見もせずに切り捨てた。

 女は目を細めて俺を見、吐き捨てるように言った。

「……夜叉族やん」

 違えよ。

「青ちゃんを離せ!」

 と、次の瞬間にでこぱちの刀が刺又を弾き飛ばしていた。

「何しよんねんっ」

 女は刺又を構え、俺たちの前に立ちはだかった。

 でこぱちと並んで刀を構える。

「不埒な振る舞いを、わしらが見過ごすわけにゃいかんけえの」

 黒髪の男が聞き慣れない訛りの言葉を使った。

 ついでに言うと、刺又の女を先頭に、(まさかり)を持った金髪男と黒髪男というどこぞの盗賊狩りを思い出させる編成に、嫌な予感しかしない。

「観念しぃや。茶屋の腰掛に化けて女人の尻を触ろうなどと不埒な悪行を働くヤツは、江戸町自警団『狼士組』が許さへん」

 『狼士組』という言葉にも聞き覚えはない……似た名前の盗賊狩りには嫌と言うほど覚えがあるが。

 喧嘩の座視が日常なのも賽ノ地の住人も江戸の人々も変わらないようだ。町中だというのに、啖呵を切った女を中心に、見守る人の輪が出来ている。

 観客の中には、先程別れたばかりの優月が箒を抱えたままおろおろしている姿が見えた。

 ったく、めんどくせぇな。

 江戸まで来ても、喧嘩を売られる日常は賽ノ地と変わらないらしい。

 売られた喧嘩をこのまま買ってもいいのだが、後で立待あたりに説教を食らうのではなかろうか。

 無駄だと思うが、念のため保身を試みよう。

「最初に言っとくけどな、人違いだ。俺たちは今しがた江戸に着いたばっかりで、茶屋の腰掛に化けてなんかない。さっき逃げてったヤツがいたから、そっちじゃないのか?」

「やかましい! 誤魔化そうったってそうはいかん!」

 こういう輩は、得てして人の話を聞かないと相場が決まっている。

 茶屋の腰掛には、全くいい思い出がない。確か、『烏組』の化け狐と最初に喧嘩をした時も、それが原因だったような気がする。

 柄にもなく思い出に浸ってしまった自分自身に苦笑する。

 仕方ない。

 すでに隣でうずうずしているでこぱちのためにも、江戸町自警団とやらに知らしめるためにも、この喧嘩を買っておいて損はない筈だ。


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