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第十二話

 賽ノ地の事を取り留めなく話した。

 でこぱちのこと、ジジィのこと、一緒に暮らす鬼の子、竹千代のこと。烏組の狐と狸。風月庵の息子、雷のこと。そこで飼われている猫の未亜が猫又だという事。賽ノ地を納める町奉行とその隠密のあやかしのこと。

 それから、時折現れる羅刹族の事。

 楽しい話ばかりではなかったが、此糸は静かに話を聞いていた。

 話しているのはほとんどきさらだ。小さい子に語りかけるように、時に大げさに、時にゆっくりと言い聞かせるように。

 これまで気にしていなかったが、江戸へ来て無族ばかりの文化を知ってから聞くと、賽ノ地の話はまるでお伽噺(トギバナシ)のようだった。ヒトとあやかしと羅刹族と。何もかもが混ざり合って生きている土地だったのだ。

「貴方たちは、とても不思議な土地に住んでいたのね」

 聞くのに熱心だったのは二人の禿の方で、猫のように吊り上がった目を大きく見開いて興味津々だった。話に引き込まれていくうち、緋色の着物の傍を離れ、きさらの近くへ寄って行った。

 春童はとうとう畳に頬杖をついてきさらの話に聞き入った。秋童は少し離れて俺の近くに寄り添ってきた。

 きさらの声の調子に合わせて、畳の上に置いた拳がぴくりと動く。

 尻尾がついていたら勢いよく振りそうな勢いだ。

「それでね、緋狐くんも狸休くんもよく草庵に遊びに来てくれるようになったの」

「緋狐という輩は何故、タヌキと一緒なのだ?」

「狸休という奴も何故、キツネと一緒におるのだ?」

 交互に聞く春童と秋童。

 きさらは楽しそうに笑った。

「キツネさんとタヌキさんが一緒にいたら、変かな?」

「変だよ」

「変」

 口々に言う二人。

「でも、二人は仲良しだったよ。とっても。いつも二人一緒にいたよ。寝る時も食べる時も、戦うときも……怪我をする時も」

 とうとう膝に乗り上げた春童の頭を撫でながら。

 きさらは優しい口調で繰り返した。

「違う種族でも喧嘩せずに一緒にいられるんだよ。うーん、でも、もしかしたら喧嘩くらいはしちゃうかもしれないけど、でも、大丈夫。また仲直りすればいいの。だからずっと一緒にいられるよ」

 種族が違っても。

 きさらが繰り返す言葉は、まるで俺に向かって囁かれているようだった。

「我らはおひいさまと違う」

「おひいさまは人間だ」

 春童と秋童がきさらに詰め寄った。

「でも、一緒にいられるか?」

「一緒にいてもいいのか?」

「いいのよ、大丈夫。貴方たちは此糸さんが大好き。此糸さんも貴方たちが大好き。だから、大丈夫」

 その言葉を聞いて、二人はぱっと顔をあげた。

「おひいさま!」

「おひいさま!」

 春童と秋童は嬉しそうに此糸に駆け寄って、抱き着いた。

「あらあら」

 困ったように二人を受け入れた此糸は、再び藤色の目を伏せた。

 その脳裏にいったいどんな感情が宿っているかは分からない。

 ただ、種族の違いを聞いた時の悲しそうな顔だけが印象づいた。

「きさらさん、貴方は随分と強い信念をお持ちなのね」

 此糸は唇の端に笑みを乗せた。幸福の笑みではなく、悲哀を含んだ微笑み。

 表情の少ないこの人は、いったいどんな過去を経たのだろう。

 俺に刃を向けたあの猩々緋色の刻を経て、いったい何があったのだろう。

 相変わらずその顔は美しかった。とても自分の母親の年齢とは思えない蜂蜜色の肌は今も少女のようで、その声も仕草も顔立ちも、非の打ちどころがない。完璧な位置に目鼻が配置されている。表情少なく、藤色の瞳も伏せがちで感情に乏しいようにも見えるが、それもまたこの人らしさであるのだった。

 しかし、最初から感情を麻痺させていたとは考え難い。少なくとも、儚い記憶の中に俺は彼女の笑顔を知っていると思う。

 表情を失くすほどに何かがあったのだろう。

 猩々緋色の記憶の最後、赤は嫌いと呟きかける少女の声が耳の奥にこびりついている。

 不意に胸の澱が騒ぎそうになって思考を止めた。


 と、ふいに、ちりぃん、と鈴の音がした。

 部屋の外に置いてある呼び鈴だ。

「何用だ」

 此糸が声を張ると、外から聞き覚えのある声がした。

「此糸さま、旦那様がお呼びです」

 烏組の頭だった。

 今度は黒船屋の小間使いのような事をしているようだ。

 本当にこいつの正体が一切、分からない。

「煩い、下がれ。お前の声など聴きたくもない」

「失礼いたしました」

 高圧的な態度で烏之介を追い払った此糸は、ふう、とため息をついた。

「仕方ない」

 此糸は立ち上がった。腰まで伸びた緩い烏羽色の髪が揺れる。

「春童、秋童。私は旦那様のところへ少し出るから、もう少し二人と遊んでおいで」

 襖を開けて出て行く此糸の後姿を見送る。

 先程から、母親を目の前にしているというのに、心落ち着かず、何かを話せる気もしない。

 江戸へ到着してから、若菜色の風に歓迎されてから麻痺してしまった心が、澱が舞いあがらぬよう固めてしまった記憶が、この人を受け入れることを拒んでいる気がする。

 猩々緋色の過去と、現在の状況がどうしても結びつかない。

 ぼんやりと襖の向こうに面影を追っていたせいだろうか。

「いいんだよ、青ちゃん」

 きさらが優しい声で言った。

「ちょっとずつ歩み寄ればいいんだよ。私だって、もし青ちゃんの立場だったら戸惑うと思うもん」

 相変わらず、きさらには俺の心情もお見通しなんだろうか。


 再び鈴の音が鳴った。

 きさらが、はい、と答える。

 襖がかたかたと揺れながら開き、その向こうには先ほど三味線の稽古をしていた繻子(しゅす)、という少女が座していた。

「お邪魔してよろしいかしら?」

「どうぞ」

 きさらが笑顔で迎え入れた。

 そして、畳に手をついて丁寧にお辞儀する。

「初めまして。此糸さんのご厚意でお邪魔しています。きさらと言います」

「繻子蘭です。よろしく」

 繻子は気もそぞろに頭を下げると、すぐにきさらから離れ、俺の方に飛びついた。

「青様っ」

 突然の出来事に、身を退く暇もなかった。

 春童と秋童は大きな声に驚いたのか、きさらの後ろにさっと隠れた。

「青様、此糸さまの息子だというのは本当なの?」

 にじり寄ってきた繻子からは甘ったるい匂いがした。きさらの優しい紅花とも、あの人の芥子の香りとも異なる、浮足立つような香り。思わず顔を逸らした。

 その香でこの少女が遊び女である事を思い出した。

 ぼんやりとして、繻子の言葉に返答するのを忘れていた。

 しかし、繻子の方は全く何も気にしていないようだった。矢継ぎ早に次の質問を浴びせてくる。

「ねえ青様、何処からいらしたの? いつまで此処にいらっしゃるの?」

 何一つ返答していないというのに、自分で質問をして聞いてもいないのに自分の事を喋り、延々と口が廻り続ける。

 あれか、客との歓談も仕事の一つだからか。

 繻子が身じろぎする度、甘い匂いが香り立つ。

 ああでも、きさらの匂いの方が落ち着くんだけどな。

 そう思って彼女の方を見ると、きさらは非常に微妙な表情でこちらを見ていた。

 春童と秋童は繻子を睨みつけている。最初に会った時と同じだ。警戒も顕わに毛を逆立てて眉をあげ、眉間に皺を寄せている。そうしていると、年の頃10にはとても見えない。

 と、ちょうど其処へでこぱちと玖音が騒がしく帰ってきた。

「ただいま! あっ、青ちゃんが起きてる!」

 玖音を放り出して俺の方へ駆け寄ってきた。

 自分よりも俺の方が優先されたことに玖音はお冠だ。でこぱちの背後から無言の敵意が漏れ出している。

 何故でこぱちは、この敵意に気付かないのか。

「あのね、あのね青ちゃん、もうすぐ夏祭りなんだって! おみこし(・・・・)が出て、屋台がたーっくさん並んで、夜には花火が上がるんだって!」

 でこぱちの次の言葉は分かっている。

「一緒に行こ……」

「俺はいい」

 皆まで言わずとも。

 めんどくせぇ。

「えー、行こうよ!」

 足をじたばたさせて我儘を言うでこぱち。

 牢破りしたこと忘れるなよ、と釘を刺す機会を逸してしまった。いったいどこへ行ってきたかは知らないが、江戸城から追手が出ている可能性もあるというのに。

 行こう行こう、と駄々をこねるでこぱち。

 と、気が付けば俺とでこぱちの間に繻子が手を広げていた。

「何よ、このでこすけ。青様は私と一緒にお祭りに行くんだからね」

「お前こそ何だよー! 青ちゃんから離れろ!」

 でこぱちが繻子の着物の袖を引っ張った。

 むっとした表情でその手を払いのける繻子。

「私の青様が嫌がってるじゃない」

 おい、いつお前のものになった。

「違うよ! 青ちゃんは俺のだもん!」

 お前のでもねえよ。

 そしてお前は、頼むから俺じゃなく後ろで唇を噛んでいる玖音と一緒に祭りに遊びに行ってやってくれ――玖音の理不尽な怒りが俺に向けられる前に。

 そんな俺の心の内にはお構いなく、繻子とでこぱちが俺の着物の右と左を引っ張って喧嘩を始めた。

 右に振られ、左に振られ。

 為されるがまま流されていたが、面倒くさくなってきた。

 いつものようにきさらが宥めて助けてくれないだろうかと思って見ると、こちらの事は知らんぷりで春秋猫と遊んでいた。何となく背中が怒ってないか?

 意味が分からない。

 両腕の二人を振り払う気力もなくなって、大きくため息をついた。



 黒船屋は遊女屋だ。夜の華やかさと対照的に、昼間は母屋も庭も静か。庭の手入れをする庭師が時折やってくるようだが、それ以外は芸の稽古をする禿達しかいない。

 離れに籠る日が一日二日重なるうち、退屈なでこぱちは天音や篝と庭で遊んでもらうようになった。殺されない程度に手加減されながら楽しそうにしている。でこぱちに構ってもらえず不機嫌そうな玖音はさておき、羅刹女たちも楽しそうなので放っておいている。

 暑い中よくやる、と思いながらも、自分もそろそろ体が鈍らないよう、動かしておかねばなるまい。

「青ちゃんも一緒に遊ぼうよ!」

 でこぱちに誘われたのを切っ掛けに、庭での遊びに俺も参加することにした。

 でこぱちが背中に背負っていた二本の刀は、地下牢に放り込まれた時に没収されてしまった。花街の店に刀がある筈もないので、基本的には徒手空拳。

 左前に構えたでこぱちと少し距離を置いて立った。

 飛び石、五つ分。

 少し遠目に間合いをとり、様子を伺う。

 刹那、沈黙。

 が、次の瞬間にはでこぱちが眼前に迫っていた。

 以前より格段に速くなっている――しかし、それは俺も同じ事。

 繰り出された左に拳を受け流し、そのまま手首を掴んで引きずり込んだ。

 が、でこぱちはそのまま地を蹴り、引き込まれる勢いそのままに飛び上がる。

 思わぬ方向へ引っ張られ、思わず手首を離した。

「やぁっ!」

 掛け声とともに、上から踵が降ってきた。

 ひょい、と避けると、地面に着地した相棒はにっと笑って足払い。

 よろめいたところに全体重をかけてぶつかってきた。

 やばい。

 馬乗りにされる前に横から蹴りあげた。

 でこぱちは間一髪、防御の体勢まま横へと吹っ飛んで行った。

 距離を置いている今のうちに立ち上がり、蜻蛉返りで飛び石を跳ねた。

 再度組もうとしたところへ、赤い影。

「私もまーぜてっ」

 突如、風が舞うように紅の髪が翻った。

 こちらが丸腰だからなのか、篝も武器を使う事はなく。それでも見た目にも重い手足の枷を軽々振り回した。見た目に寄らず、とんでもない怪力だ。しかし、その重さを感じさせず、舞うような動きで攻撃を仕掛けてくる。

 無論、あの速度で振り回される鉄枷に当たれば昏倒では済まない。

 と思った瞬間、鋭く蹴り込まれ後ろ向きに吹っ飛んだ。

 臓腑がつぶれる感覚。

 ぎりぎりで後ろに跳んで勢いを殺したが、息が止まり、せき込んだ。

「あっ! 青ちゃん!」

 追撃を仕掛けようとした篝に、でこぱちが飛びつく。

 さらにその後ろから天音が襲い掛かった。

 させるか。

 蹴られた腹に踏み切りの衝撃が堪えるが、四の五の言っている場合ではない。

 でこぱちと天音の間に飛び込んで、裏拳をお見舞いした。

 しかし天音は俺の攻撃をうまく滑らせて躱してく。

 でこぱちは篝を突き飛ばした。

 背後にいた俺の肩に手を突いて跳び上がり、そのまま天音の頭上から襲い掛かっていく。

 一瞬で相手を交換、天音の方をでこぱちに任せて篝の方に立ち向かう。

 つい今まで、でこぱちと俺が戦っていたのに、あっという間に俺たちと羅刹女との組試合となっていた。

 篝と天音は四方八方から息の合った攻撃を仕掛けてくる。

 いかに俺たちが強くなったとはいえ、相手は羅刹族。そもそもの身体能力が違い過ぎる。このままでは体力を削られてやられてしまう。

 遊びとは言え、負けるのは避けたいところだ。

 攻撃の合間に周囲を見渡し、庭で一番高い石灯籠に狙いをつけた。

「でこぱちっ」

 視線で示して、石灯籠の方向へ駆ける。

 何か仕掛けそうだというのは羅刹女の方も感づいたらしい。

 手数を増やして一気に攻め上がってきた。

 俺たちは燈籠を背に防戦一方になる。

 しかし、一瞬の隙をついて燈籠の裏に回り込んだ。羅刹女が追ってくる前に、左腕を足場に、でこぱちを上に押し飛ばす。

 羅刹女が回り込んできたときには、既に遅い。

 下に残った俺は囮だ。

 無茶を承知で篝と天音の間に飛び込んだ。

 ここぞとばかりに両側から攻撃が降ってくる。

 そうして俺に意識が集中したところで――

 上空から降ってくる、向日葵色の上着。

 それはふわりと舞い降りて、天音と篝の目隠しになった。

 今だ。

 視界を失った篝の足元を払い、顔のすぐそばを踏みつけた。本来ならそのまま頭蓋を踏み抜いているところだが、今は遊びだ。このくらいでいいだろう。

 隣ででこぱちが落ちる勢いそのままに天音を押し倒していた。

 悔しそうな篝の目が見上げている。

 二人ともすぐに立ち上がった。

「もう一戦!」

 望むところだ。

 天頂を過ぎた太陽の下、第二回戦が始まった。

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