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第十話

 地下牢を出てすぐ、曲がり角の向こうに黒猫の尻尾が見えた。まるで俺たちを呼び寄せるかのようにくいくいと揺れている。

 道案内だろうか。

 その角を曲がると、尻尾は既に次の曲がり角まで飛んでいる。

 そうして幾度か道を曲がり幾つかの階段を下り、上り、幾つ薄暗く湿っぽい空の地下牢を通り過ぎただろう。

 最後の角を曲がると、黒猫ではなく黒髪金目の男が立っていた。目つきは猫の時のまま、軽く猫背気味のようだが上背があり、近づくと見上げねばならない程度。表情は無に近く、考えは読み取れなかった。

「よお、黒猫」

「来たか」

 人の姿をしたあやかしの黒猫は、足元の錆びついた鉄扉を開いた。

 長く使われていなかったらしく、中からは温い腐臭が漏れ出した。生臭い匂いは、海の匂いだ。

「この地下道を行け。東の海岸へ続いているはずだ」

「おっさん、ありがとよ!」

「オッサンじゃない」

 黒猫の言い分を無視して、天音が真っ先に飛び込んだ。篝も奏に促されてそれに続き、最後にでこぱちが飛び込んだ。

 俺も続こうとして、ふと足を止めた。

 この黒猫の逝く先が気になった。

「いくつか聞いていいか?」

「時間を獲らぬなら」

 一瞬考え、質問を3つにまとめた。

「なぜ俺たちを助けてくれた?」

「先ほど、話を聞いた。あの羅刹女を妹とと同じ立場にするのが憚られるからだ」

 この黒猫は、将軍からの情報と別に研究所の内実を知っているらしい。『研究所のために動いているから』なのか、それとも『コイツ自身が実験体としてそこにいたか』は分からないが。体に刻まれた大小様々な傷を見て思う。

 妹と同じ立場に、と言う言葉はまるで、自分と同じ目に、という言葉にも聞こえた。

 音もなく肢体を雁字搦めとする見えない鎖が黒猫を縛っているようにも見えた。

「じゃあ二つ目。お前は将軍の味方か?」

 その質問に、黒猫は目を閉じた。

 答えられない。

 そういう事か。

「じゃあ、これが最後の質問だ」

 俺は鉄扉に足をかけながら黒猫に問う。

「お前は一緒に行かないのか?」

 この黒猫は俺たちを勝手に逃がしたのだ。将軍側にいようと、研究者側にいようと、おそらくこいつの立場は危うい。江戸城に残ればどうなるか、火を見るより明らかだった。

 だから、この黒猫も城を出るべきだろうと思った。

 しかし、人の姿をした黒猫は首を傾げた。

「どこへだ?」

 静かに問い返され、俺は返す言葉を持たない。

「青ちゃん! 行こうよ!」

 下からでこぱちの呼ぶ声がした。

 黒猫が行け、と目で促した。

 未だ残る心を江戸城に捨て置き、俺は地下道に飛び降りた。


 生温い空気が満たす地下道は、灯り一つない。壁に手を当てたまま、ゆっくりと先へ歩いて行った。羅刹たちはこの暗闇の中で目が見えているのだろうか。足音に不安がなく、すたすたと歩いているようだ。

 壁は湿り気を帯び妙な植物が繁茂しているようだが、光がなくとも育つ植物を今のところ俺は知らない。植物でなく動物なのか、それとも菌糸の類なのか。

 いずれにせよ、気持ちのいいものではない。が、道を辿るのに手を離すわけにもいかない。

 しかしながら、手触りより何より、湿っぽい壁から蟲の這うかさかさと乾いた音がするのが気色悪い。別に蟲は苦手ではないが、音から推測するに目にすれば吐き気を覚える程度には相当数いるはずだ。

「あ、出口かな?」

 でこぱちが声を上げた。

 成程、少し先に明かりの漏れる天井が見える。

「いっちばん乗りい~」

 天音が突然、駆けだした。

「あっ、待ってよ!」

 続いて篝。そして最後にでこぱちが続いた。

 足音が遠ざかっていき、すぐに道の先の方から茜色の光が溢れだした。江戸城に入ったのが昼ごろだったから、そうか、今は夕刻か。

 先導した彼らから少し遅れて、地下道の出口へ辿り着いた。


 突き当りの垂直の壁を上り、地下道を出た瞬間に強い西日が目を刺した。

 右手の海に日が沈むところだった。砂が広がり、松林が横たわる海岸沿いだが、周囲に人影は見当たらなかった。離れた場所に江戸城が海に浮かんでいる。

 砂浜に埋もれた鉄扉は、閉じると完全に砂に覆われ見えなくなった。

 内部の様子といい、長らく使われていないものらしい。

 さてと。

 これからどうするか。

 まさか浅葱の屋敷に戻るわけにはいくまい。江戸城で羅刹と戦闘して地下牢に放り込まれた挙句の牢破り。

 さしもの俺も、これであの屋敷へ戻れるほどには神経が図太くはない。

 かといって江戸に伝手はなく、浅葱家にも江戸城に戻る訳に行かないのであれば、賽ノ地へ戻るしかないのだが。

 ふっと懐に入れた狼煙玉のことが頭を過ったが、羅刹族が何体もいるこの場所に狼士組が集まれば大混乱に陥るのは間違いない。

「お前らはこれからどうするんだ?」

 隣にいた奏に聞いてみる。

「迦羅様があの場所を離れるまでここで待つわよ。勝手に賽ノ地には帰れないし」

 肩を竦めた奏は、保護者のように天音と篝の名を呼び、集めた。

 そこについでにでこぱちが混じっているのはどういう事か。

 しかし、今はここに人影がないとはいえ、羅刹族が何人も江戸の海岸に屯しているのはいいことではないだろう。それこそ、見回り途中の狼士組が通らないとも限らないのだ。狼士組に限らず、江戸の住人に知られるのはまずい気がする。

 羅刹族がこれまで幾度も現れてきた賽ノ地でさえ、羅刹検分の日は外に出ないようにとのお触れが出るくらいだ。羅刹族に耐性のない江戸の住人が大騒ぎするのは目に見えている。

 何かいい案はないかと首を捻っていると、松林の向こうに人の気配を感じた。

 全員が一斉に気配の方向を見た。

 実力が拮抗している、とは思わない。が、戦闘能力はともかく、探知能力はここにいる全員がほぼ同等と見ていいだろう。

「お前ら、隠れてろ」

 今、見つかるわけにはいかないだろ。

「はあ? 何でアンタの言う事聞かなきゃなんないわけ?」

「江戸の住人に見つかって困るのは迦羅とかいうあの羅刹じゃないのか?」

 天音が黙った。

 迦羅という羅刹の名前は効果絶大らしいな。

 ぶつぶつ文句を言いながら先ほど出てきたばかりの鉄扉を開いて下に入っていった。

 最後に奏が入っていったが、閉じたはずの蓋が拳一つ分ほどの隙間が開いている。

 そこから覗く目が6個。

 ……まあ、許容範囲だ。

 でこぱちと並んで、向こうの人影が松林を抜けて砂浜へ出てくるのを待った。

 しかしながら、ゆっくりと松林を抜けて現れた人影を見て、俺は息を呑んだ。そして羅刹女たちと一緒に隠れなかった事を後悔した。

 でこぱちの眉間に皺が寄る。

 胡散臭い笑み、目元にぽちりと泣き黒子。

 最も会いたくなかった相手。

 そのうえ、何故かは分からないが、あの時、花街で俺に昼寝場所を提供してくれた白髪の禿の手を引いている。

 烏之介と共に現れた禿は大きな目をさらに大きくし、向日葵色の上着を捕えた。

「でこぱちー!」

「あっ、つむぎ!」

 烏之介の手を解き駆け寄ってきたつむぎは、でこぱちの一歩手前でぴょんと跳んだ。

 勢いよく飛び込んでいた少女をうまく受け止めたでこぱちがそのまま両手を繋いでぐるぐると振り回す。

 楽しそうで何よりだ。

 烏之介は、相変わらずにこにこと笑いながら言った。

「やれやれ、探しましたよ。あの時、急に黒船屋から逃げてしまうんですから」

 黒船屋の奥座敷、濃厚に香が焚き染められたあの部屋で出会った絶世の美しさを持つ女性。

 目の前に緋色の紗幕がかかりそうになり、軽く頭を振った。

「ですから、今日もお迎えに来たんですよ。もしかすると……困っているのではないかと思いまして」

 烏組の長は、視線をちらりと俺の背後にやり、くすくすと笑った。

「あの方たちがこの場所にいるのは、あまり嬉しくないのでしょう?」

 ぱっと振り向いてみると、天音が上半身を完全に顕わにしてこちらを見ていた。扉を完全にあけて砂浜に頬杖をついており、その後ろから篝が様子を伺っている。

 ……あいつら、隠れてろって言ったのに。



 烏之介、あいつはいったい何者なのだろう。

 賽ノ地の盗賊狩り集団『烏組』の頭を務めていたと思ったのだが、気が付けば江戸へやってきており、俺を実の母親と引き合わせた。近松景元の命令かと思いきや、どうやら個人的な事情らしい。

 元羅刹狩りというのだから羅刹が嫌いなのかと思わせて、羅刹女を保護しようとしている。

 何を目的として、何の為、誰の為に動いているのか一切不明だ。

 そしてこの黒船屋との繋がりも。

 俺とでこぱち、そして3体の羅刹は烏之介に保護され、花街へと匿われた。

 堂々と門を潜って侵入したのだが、羅刹女たちの艶やかな風体も痣さえ見せなければ花街では特に気にもされず、俺たちの極彩色の上着もほとんど目立たなかった。

 羅刹女たちは無族の文化に興味があるようで、終始辺りを見渡していたが。

 得体も知れず、目的も分からない烏之介の言葉に乗ってしまう自分が不思議でならない。それも、向かう先に猩々緋色の過去が待っていると分かっているというのに――

 しかし、猩々緋を覚悟して開いた離れの襖の向こうにいたのは、過去ではなかった。

「青ちゃん!」

 ほんの十日ほどしか離れていないのにひどく懐かしい声。

 江戸では絶対に聞くはずがないと思っていた声。

「あっ、きさら! 玖音も!」

 先にでこぱちが部屋に飛び込んだ。

 何故、彼女らがここにいる?

 俺は動揺して、部屋の手前から動けなかった。

 驚いたせいか、ひどく息が苦しい。霞色(かすみいろ)の瞳がまともに見られない。何一つ変わっていないはずなのに、紅掛花色(べにかけはないろ)の髪を初めて見るような気分になった。

 眉尻を下げ、まるで泣きそうな顔できさらは言った。

「青ちゃん、大丈夫だった? 怪我してない? ちゃんとご飯食べてる?」

「……きさら、何でお前が江戸にいるんだよ」

 きさらの問いかけには一つも答えられず。

 辛うじてそう問い返すと、きさらはさっと表情を曇らせた。

 でこぱちの隣の玖音も唇を噛んだ。

 何か大変な自体が起きたに違いない。

「何があったの?」

 でこぱちが聞くと、玖音はかなり迷った挙句、小さな声で告げた。

「……羅刹族が出たのよ」

「羅刹族?」

 玖音はそこで口を噤んだ。

 きさらは何か言いかけて、一度やめ、それでも決心したようにもう一度唇を引き結んだ。

「青ちゃんとハチが出て行ってすぐ、羅刹族が賽ノ地の街を襲ったの。あの羅刹の人は、私も玖音も見たことあったわ。何か月か前、青ちゃんが大怪我した時にいた一人だった」

 霞色(かすみいろ)の瞳が俺を真っ直ぐに見上げている。

 その言葉で、すぅっと背筋が冷えた。

 俺が大怪我をしたのは、きさらが化け狐の緋狐(ひこ)と化け狸の狸休(りきゅう)を東山へ放しに行った時の事だ。

 怪我を負ったケモノらを山へ帰すため、きさらは山へ分け入り、そこで羅刹族と遭遇した。助けに駆け付けた俺たちは羅刹と戦闘になり、大怪我をした挙句に近松景元配下の隠密であるあやかしの朋香に助けられ、逃げ帰る事となったのだった。

 あの場所にいた羅刹族は4体だった。

 殺してしまった(ツギ)(ハギ)の二人、現在一緒に行動をしている天音、そして、最後の一人。

「その人は、同じ羅刹族の先輩の仇をとるんだって言ってた……その先輩を殺したヤツらを探してるんだって」

 きさらの声が震えている。

「それって、青ちゃんとハチの事?」

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