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第九話

 自分以外の赤目の人間を見るのは初めてだった。淡い肌色の中に異質な色だ。これは目を遣らざるを得ない。そして、赤い瞳が夜叉族の証だと言うのならば、目の前の女は確かに、間違いなく夜叉族なのだろう。

 袖から伸びる右腕は義手なのか、重い鉛の色をしている。

 龍の刺繍が施された江戸紫の着物を翻し、赤目の女は吊り上った目を細めてこの惨状を見た。

「これは何事だ」

「いえ、羅刹族が暴れていたので取り押さえたまでです。将軍がお気になさるような事では」

 将軍?

 俺は耳を疑った。

 この赤目の女が将軍だというのか。

 なるほど。

 この瞬間に、多くの事に合点がいった。

 現在の将軍に関する情報は、この北倶盧洲(ほっくるしゅう)においてほとんど公開されていない。数年前に今の将軍になってからは人前に出る事もなかったため、江戸の住人でさえ誰もその容姿を知らなかった。賽ノ地では、羅刹族の女の子が可愛かったから将軍が羅刹族と和平を結んだとかなんとかいう噂が流れてさえもいたくらいだ。

 通りで妙な噂ばかりが先行して、将軍に関する情報が公開されないわけだ。

 まさか、赤目の女将軍とは。

 公開されない訳ではない。江戸政府は将軍に関する情報を公開『できない』のだ。無族を束ねる長が夜叉族だとは。

 全くもって巫山戯(フザケ)た真実だ。たかが隠密に任命するだけの俺たちをここまで招いたってのはそう言う理由か。

 めんどくせぇ。

 自分自身と同じ境遇の少年を一目見ようと辺境の地から呼び寄せるような、将軍の気まぐれに付き合ってやるほど暇じゃねぇんだよ。

 さらに、将軍の背後に控える面々を見て息を呑んだ。

 あの野郎、将軍配下だったのか。

 初日に腰掛けに化けてやがったヤロウだ。見間違えるはずのない瑠璃紺色の上着。口元に笑みを湛えているのが腹立たしい。あれのせいで身に覚えのない不名誉な濡れ衣を被ったのだ――結果的に嫌疑を晴らすことが出来たからよかったが。

 その隣に佇む背の高い、物静かな黒髪の男は、姿に見覚えがなくともすぐに分かった。獣の匂いがする。それに、姿に覚えがなくともあの金色の瞳を知っている。数日前、爽亭の軒先で出会った猫又だ。俺の赤目が珍しくて寄ってきたのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 最後に偉そうな顔をして立っているハゲは知らないが。

 どうやら将軍配下の者がここ数日で代わる代わる俺に接触を謀ってきていた事は分かった。

 配下を従えた将軍は額に手を当て、ため息をついた。

「……迦羅殿、お連れの方が城を存分に破壊してくださったようだが?」

 廊下の奥から姿を現したのは、白磁の羅刹女だった。

 前回は、夜闇の中で燐光のような美を放っていたが、白昼、江戸城の中にあっても際立つ色香は全く損なわれてなどいなかった。むしろ、白光を浴びますます際立っている。

 迦羅は、玲瓏な美貌に薄く笑みを張り付けた。

「まあ、そういう事もあろう。無族の城は脆いからな」

 迦羅の言い分に眉をあげた将軍だったが、それ以上は何も言わず唇を引き結んだ。

 そして、床に伏せられた俺たちを一瞥し、吐き捨てるように言った。

「とりあえず、全員、牢に放り込んでおけ」

 武士たちの間でおろおろしている浅葱の親父に謝る暇もないまま、俺達は地下牢送りとなった。



「この扱いは酷いんじゃない?」

 (かがり)が頬を膨らませた。問答無用で地下牢に投げ込まれた事に不服があるようだ。

 周囲が海であるからだろうか、牢を充たす空気は冷淡であるが肌に触れると湿り気が多い。壁はむき出しの石垣。外壁と同じように堅牢に組まれた石には些かの隙間もなさそうだ。一面が頑丈な木の格子になっており、何か怪しげな行動をしようとすればすぐ外から見つかってしまう。

 逃走は難しそうだな。

 俺は木枠に寄りかかり、腰を落ち着けた。

「迦羅様に迷惑をかけてしまった……」

 奏が一人、顔を覆っている。

 天音があまり悪びれていない口調で謝った。

「悪かったよ、奏。ちょっと退屈でさあ。ガキんちょ共と遊べば時間つぶせると思って」

「だからってあんなみえみえの挑発に乗ることないじゃない」

「いいじゃん。だってさ、江戸城にもアタシ達を追い出したい輩がいるってことじゃん。面白いと思わない~?」

「もうっ」

「……分かっててでこぱちを攻撃したのかよ」

 思わず奏と天音の会話に割り込んでいた。

 あの時、天井から殺気が降ってきた。誰かわからないが、ヤツは真下にいた俺たちではなく羅刹女たちに攻撃した。

 おそらく、『俺たちが攻撃したと見せかけて羅刹族と争わせるために』、だ。

「まあね~。あれだけアタシに向かって殺気漏らしてちゃ、まる分かりじゃん」

「えっ、じゃあおれじゃないって分かってたのに何で攻撃してきたんだよ!」

 でこぱちが広いでこに皺を寄せる。

 それを見た天音は肥大した右手の指ででこぱちの額を突きながら言った。

「アンタと喧嘩したら楽しいと思ったからさ。実際、アンタも楽しかったろ?」

「うん」

「素直な良い子だねえ」

 天音はそのまま大きな掌ででこぱちの頭を撫でくり回した。

 そうやって羅刹女と楽しそうに話し出した相棒の心配はしていない。

 さて。

 江戸城に羅刹との和平をよく思っていない集団がいることは確かだ。俺たちは巻き込まれたにすぎないが、将軍の居る江戸城で羅刹が暴れた、となれば大事になりかねない。和平に力を入れている将軍の反勢力が動き出しているのは間違いない。

 先程見た江戸城の二つの天守閣を思い出した。

 将軍が問答無用で俺たちを地下牢に放り込んだのも、反勢力に知られて面倒な事になる前に当事者を遠ざけ、とりあえず事態の収拾を図るために違いない。

 世話になった浅葱の親父に対する処分が下されないかだけを心配していた。あとは居待……は、それこそ俺たちが心配するまでもない気がする。

 しかし、もし無事に浅葱親子に会えたなら、次こそは正面切って尋ねるべきだろう。江戸内の勢力図と、将軍の立ち位置、そしてどの陣営に所属させる為に俺を連れてきたのかを。知らねばこちらの身が危うい。

 そして、二重間者として俺たちを江戸へ送り込んだ近松景元が知りたいのも、その辺りの詳細な情報なのだろう。

 ああもう、めんどくせぇ。

 江戸城に入って早々、これだ。江戸の町に着いた時と同じ、ひと時の休む暇も与えてはくれないらしい。

 頑丈な木枠に寄りかかり、さらにため息。

 隣の奏も同じくため息をついていた。

 その向こうで、篝が膝に顔を埋めている。

 そんな篝に、奏が心配そうに声をかけた。

「篝、大丈夫?」

「うん、平気。ただ、このままじゃ(ともしび)に会えないなあって」

(ともしび)って、江戸城に捕えられてるって言う貴方の妹よね」

「うん、もう何年も会ってないから……今回、迦羅さまと一緒に江戸に来たら会えるかもって思ってたんだよね」

 悲しそうな表情をした篝に、奏も言葉を失った。

 江戸城に捕えられた妹。会いに来た。

 不穏な単語だが、これも聞いておくべきだろうな。

「羅刹族が江戸城に捕えられてるって、どういう事だ?」

「……言葉の通りよ。貴方は無族に紛れて暮らしているくせに知らないのね」

 奏が静かに告げた。その声には、怒りではなく嘲りが含められていた。

「無族は羅刹族を捕えて、その強さを得ようとしているのよ。まあ、そんな事をしたって無駄だと思うけれど」

 無族に対する嘲り。

 その自然な誹りで、奏に対する見方を変えざるを得なかった。この女は、いかにそれらしからぬと言えど羅刹族の誇りを持つ羅刹女だ。俺やでこぱちに危害を加えようとしないのは、その強さに絶対の自信を持っているからにすぎない。

「和平を結ぼうと思っている将軍がそんな事を赦すのか?」

「あら、さっき言ったじゃない。江戸城には私たちを追い出したい輩もいるのよ?」

「ああ、成程な」

 江戸城内も一枚岩ではない。

 そう納得したのは先程の事だ。

「しかし、そもそも江戸の奴らが羅刹を捕えられるのかよ」

「無族は羅刹の子供を狙うのよ。まだ強くなっていない、戦闘の不得手な子をね」

「ええっ、そんなの卑怯だ!」

 いつの間にかこちらの話を聞いていたらしいでこぱちが叫んだ。

「そう? 弱い者の合理的な考え方だと思うわよ。研究するなら、子供から大人までいろんな個体が欲しいでしょう。子供を捕まえて育てれば、一度で解決よ」

「でも、そんなの……可哀そうじゃん。だって篝の妹も、おんなじように捕まえられちゃったんだよね?」

 まるできさらの言葉を聞いているようだ。賽ノ地での教育の賜物だろうか。世の不条理に、それでも情を持って立ち向かおうとする強い心。

 でこぱちの言葉に、篝は目を伏せて頷いた。

「うん、そう。実は私もそうだったの。(ともしび)と一緒に捕まえられて。偶々運よく私だけ逃れられたんだけど、(ともしび)はそのまま……」

 両手足に嵌められた枷をがしゃりと鳴らした。この枷はその時の名残なのだろうか。

 沈鬱な表情で視線を落とした篝を見て、でこぱちは再び額に皺を寄せた。

「羅刹は捕まってる仲間を助けようとしないの?」

 そう問うと、奏は微笑した。

「貴方まるで、無族のような事を言うのね。覚えておきなさい。例え子供でも、無族などに捕まるような弱いものに価値はないわ。羅刹族にとっては強さがすべてよ」

 でこぱちがびくりと肩を震わせた。

 弱い、という言葉に敏感になっている所為だ。

 その様子を見て奏は笑う。

「とは言っても、篝の妹を放っておくわけにもいかないでしょう?」

 肩を竦めた奏は再び、俺たちと似た考え方を持っているように見えた。それが錯覚だというのは、先ほどのやり取りで重々理解してはいるのだが。

 羅刹族は自由だ。

 強くなる事をすべての目的の中心に据え、弱いものに対しては非常に厳しい。

 しかしそれと対照的に、身内には甘い。こうやって篝の妹を気にかけているのもそうだし、弾次とかいう羅刹でさえ、衝剥(ツギハギ)の仇を討とうと俺たちを探しているほどだ。

 完全に個人の感情で動いているのが分かる。

 無族との和平とて、羅刹の王が気まぐれに結んだ条約なのだろう。いつ破棄されてもおかしくない。そのうえ、無族は羅刹族に対する抵抗の術を持たない。

 なんと危うい平定だ。これが、将軍の望んだ和平の世なのか? この危うい和平の為に賽ノ地に羅刹城を誘致しようとしているのか?

 今まで漠然と抱いていた不安が、現実のものとして手元に舞い戻ってきた。

 俺はきさらのように、無条件に未来を信じたりすることは出来ないから。

 同時に、自分の無力を悟る。俺は自分が何も知らない事を知る。でこぱちが、自分は弱いと卑下するように。

 賽ノ地の為に二重間者を続けていく意味さえ分からず、江戸政府が求めている未来も見えず、俺自身が何を求めているかさえ分かっていない。

 このままでは、俺は何一つ決められない。

 このままでは、俺は何一つ守れやしない。



 その時、檻の外からにゃあ、と猫の鳴く声がした。

 見覚えのある金目の黒猫が俺の背中を突いている。

「よお、猫又」

 撫でようと手を伸ばすと、金目の黒猫は俺の掌の上にさびた鍵をぽん、と置いた。

 これ、牢屋の鍵じゃねえか。

「どういう事だ?」

「早く逃げろ。お前たちも研究所送りになるぞ」

「はあ?」

「大人の羅刹族を数体手に入れる絶好の機会だ、姫様より先に研究所が動いた。実験材料になるつもりがないのであれば、今のうちに逃げるといい」

 研究所、というのは篝の妹が捕えられている場所だと思っていいだろうか。姫様と言うのが将軍の事であれば、奏から聞いた話との整合性も取れる。

 しかし、研究所の動きをこの黒猫が知っているのは何故だ?

「これはあの将軍の意志か?」

 黒猫は、そこで押し黙った。

 否定の沈黙。

 という事は、将軍はまだ研究所の動きを知らない。

 しかし、この黒猫は知っている。不思議な事だ。

「お前はどこの味方だ?」

 返答がない。

 振り向くと、黒猫はもういなかった。

 あの黒猫が何かしたのか、牢番の姿も消えている。掌に残った鍵を見つめる。猫の瞳と同じ、鈍い金色の鍵。

 逡巡は一時で、俺はすぐに立ち上がった。

「おい、ここから出るぞ」

 全員に声をかける。

「何言ってんだ、夜叉族のガキ」

「そこで今、鍵を貰った。このままだと俺達まで研究所に放り込まれるらしいから、逃げろって話だ」

 訝しげな表情の奏。

 どうでもよさそうな天音。

 研究所と言う言葉で顔色を変えた篝。

「誰がそんな事を言ったの?」

「誰でもいいだろ」

 鍵をでこぱちに渡し、内側から手を伸ばして開けさせる。

「だったら私、残って(ともしび)のところに」

「二人捕まったら何もできねぇよ。助けたいなら今は逃げるべきだろ」

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