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はじまり

 長い峠を尾根まで上りきり、額の汗を拭った。

 夏へと向かう季節に否応なしに気付かされた理由は、日増し苛烈になっていく日差しにある。天頂を過ぎた日輪を見上げ、一息。見渡せば道端に座り込む遊子たちも多い。この暑さの中、あの峠を上りきれば疲労もするだろう。

 そのためか、峠の頂付近には腰を落ち着けることの出来る茶屋が多かった。もちろん、どこも満席のようだったが。

 周囲を見渡して何か言いたげな相棒(でこぱち)を見て、先導している浅葱の親父は優しげに笑った。

「屋敷までは僅かです。先を急ぎましょう」

 茶屋を幾つか通り過ぎ、峠頂上を越えればここからは下り坂だ。

 浅葱の親父は、開けた視界の先を指した。

「青殿、耶八殿。ご覧になれますかな」

 途端、広い裾野から吹き上げる風が出迎えてくれた。歓迎とも敬遠とも釈する事のできる強い向かい風に、思わず目を細める。

 隣の相棒は向日葵色(ひまわりいろ)の上着を盛大にはためかせ、手を翳して強風をやり過ごした。

 が、それは一瞬で。

 視界が開けるに、細めていた目がみるみる見開かれた。

「すっ……げ……賽ノ地よりずっとでっかいよ!」

 道端の茶屋の事は頭から消え去ったようだ。

「あれが北倶盧洲(ほっくるしゅう)中央都、江戸です」

 眼下に広がる平野が旅の終わりを告げた。

 北倶盧洲(ほっくるしゅう)中央都――その名は伊達でない。

 手前に大きな川を挟み、その向こうは果てる先まで平野が広がっていた。その平野を埋めているのは、比喩でなく、瓦の波だった。縦横整然と並ぶ町並みに一矢の乱れもない。

 ぎっしりと詰められたあの屋根の下にはいったい幾人が根付いているというのだろう。

 でこぱちはさらに町の先を指した。

「じゃあさ、それじゃさ、あれが『海』?」

「如何にも」

 町並みの向こう、太陽の光を受けて輝く瑠璃紺(るりこん)色の平面が広がっていた。賽ノ地を流れていた賀茂川も対岸が見えないほどの大河だったが、また違う。海を見るのは初めてだ。

 境界の曖昧な紺碧の空と瑠璃紺(るりこん)色の海。

 賽ノ地を離れてまだ何日もたっていないというのに、遥か遠くへ来てしまった気がする。それほどに江戸の雰囲気は賽ノ地とはまるで異なっていた。峠から見下ろしただけで、この場所に佇むだけで、押し寄せてくる熱気が賽ノ地とまるで違う。血気とも言うべき活力が町全体を覆っている。

 (ようよ)う感じた日輪のような活動力に背筋が震えた。

 これは畏れか、武者震いか。

 その二つしか選択肢がないというのなら、後者だと信じたいところだ。

「さあ、行きましょう。夕餉には間に合いそうだ」

 平野から吹き来る若菜色の風が再び俺たちの髪を煽る。

 駆け抜けた一陣には、何故だろう、懐かしい匂いが混じっている気がした。




 雲路の果て、浄土の果てより参るは誰か。

 日輪いただくこの地に眠るは往昔(おうせき)、現今、それとも行く末。

 此の糸辿り逝く先は、猩々緋色に染まる過去。


 賭けた命で何願う?

 失う『何か』にどう臨む?


 此処に救いなど在りはせぬ。

 個々の救いなど在りはせぬ。


 ここは、極楽浄土の成れの果て――


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