月を食べる
鳴らない携帯を上から眺める
反応しない携帯を下から見つめてみる
投げてみたり、月に照らしてみたりする
待ち受け画面が光るだけ、うんともすんともいわない
携帯電話を握りしめたままどれぐらいの時間がたったんだろう。
太陽が沈んでしまったような気がするけど、そんなことはどうでもいい。
今の私に重要なのは着信音なだけで、溜まった洗濯物や山済みになった宿題なんて夏にマフラーなほどの無意味なもの。
「暇になったら電話するから。」
こんな言葉は嘘に決まっている。わかっているんだけど、信じちゃう。そんな自分が好きだったり、嫌いだったり。友達は皆言う。遊ばれているだけなんだから、あきらめなさいって。遊ばれて何が悪いの?遊ばれてもいいじゃない、好きなんだもん仕方ないじゃない。と反論したい気持ちをグッとこらえる。だって、やっぱ真実は遊ばれたくないから。
そして、私は猫のようにごろっと床に寝転がる。もちろん、手には大事な彼と私をつなぐ唯一の携帯電話を抱えたまま。
彼と会ったのはだいぶ前といっても2年ぐらい前。当時付き合っていた彼氏の友達だった。初対面はよく覚えていない。だって、元彼に夢中だったから、他の男なんてどうでも良かった。きっと、目の前にブラッド・ピットが来ても気づかないぐらい。でも、ジョニー・デップだったら、顔を上げてハグを求めていたかもしれない。新しい女ができて、私たちの関係はあっという間に終わってしまった。元彼の友達周りとも会うこともないだろうと思っていたんだけど、世の中って不思議なもの。少したって、コンパで知り合った社会人の友達が彼だった。久しぶりに再開した彼は前よりもスーツを着こなして、大人の雰囲気を醸し出していた。笑うと細くなる変わらない大きな目で見つめられただけで、借りてきた猫のように何も答えることができなくなってしまった。「こんなに、大人しい子だったっけ?」と彼は優しく笑う。私は真っ赤になった頬をチークのせいにして微笑み返す。
今でも忘れられない、彼への気持ちが確信になった日のことは。
友達の誕生日パーティーの日だった。夜の6時からそのパーティーは始まり、遅れて行った私が着いた頃にはほとんどの人ができあがっていて、つぶれてしまっていた。でも、彼だけはいつもと変わらない調子でベランダでビールを片手にタバコを吸っていた。
「もう、みんなできあがっているね。来るの遅すぎた?」
「まぁ、夜は長いしこれからだよ。そこらへんにお酒が残っているから、適当に飲んで。」
「ありがとう。あっ、お願い、ネックレスがさっき髪にからまっちゃったから直してくれない?」
「あぁ。いいよ。」
彼が後ろに回り、ネックレスにからまった髪を直し始めた瞬間、私の心臓は小学校のマラソン大会並みに打ち始めた。背中に彼を感じ、首に彼の手が触れ、私は今すぐその場から逃げ出したい気持ちに駆られた。「ありがとう」さえ、顔を見て言うことができなかったほど。たった、10秒の出来事、たったそれだけの刹那に彼は私を落とした。そして、私は彼のことしか考えられなくなってしまった。
鳴らない携帯を眺め始めてどれぐらいの日が過ぎていったんだろう。最後に彼に会った日がだんだん遠い記憶になっていき、彼が存在しているのか、彼への気持ちは夢だったんじゃないかと思うぐらい、携帯は本来の機能を忘れてしまっているのかと思うほど鳴らなかった。待ち受けに彼の番号を映し出して、そのまま携帯を閉じるという行動を何度したんだろう。馬鹿の一つ覚えのように毎日そればかりを繰り返していた。私から電話をすればいい、してしまえばいいじゃない、ともう一人の私が囁く。でも、それをしてはいけないということは知っている。彼には彼の生活があるから。
私はもう一つ知っている。彼は私のものにはならないことを。別に彼女がいるわけではないけど、私と彼が付き合うということは絶対に起こらない。元彼の友達だからとか、知り合って長過ぎて今更、どうのこうのという気持ちが起きないからとかそれらも一理あるけど、何かが違うのだ。でも、私は彼が大好きだ。もしも、彼が地球を征服しにきた宇宙人でも、昔AV男優だったとしても、二次元の女の子にしか興味を示さなくても、なんでもいい。‘彼’が好きなのだ。だけど、付き合うとかそういうのではない。もしも、彼女ができたら、私は手をたたいて喜んで、昔流行った幸せの木をどこからか探し出してプレゼントしちゃうだろう。言い換えれば、私はそれほど彼が大好きなのだ。彼の幸せだけを願っている。付き合ったとしても、彼は私を幸せにしてくれるだろうけど、私が彼を幸せにしてあげられるか自信がない。怒らせたくないし、悲しませるなんてもってのほか。別れる日なんかがきてしまったら、私はきっと全ての五感を閉じてしまうだろう。付き合うのが怖いほど私は彼が大好きなのだ。遊ばれている程度の方がいい。だって、本気じゃないから別れることがないし、今の友達のままいればずっと一緒にいることができる。友達は言う。そんなのはきれい過ぎる、ただの臆病者。そんなことは分かっている。そんなことは分かっている。臆病者の遠吠えだということぐらい。
彼に最後に会ったのは、3週間前の水曜日。偶然バイト帰りに地下鉄の駅で会った。
「久しぶり、といっても先週の土曜日、飲んだよね一緒に。」
「今会社帰り?残業でもしていたの?」
「明日までに提出のものがあって、少し遅くまでやっていたんだ。」
「暇だったら、少しどこかでお茶でもお酒でも軽くやりません?」
私たちは駅の出口からすぐのバーに入ることにした。ジャズは静かに流れる大人の雰囲気の店。彼にぴったりだ。彼はいつものようにビールを頼み、私はウイスキーのコーラ割りを頼む。
「彼氏はあいつと別れてからいないの?」
ビールを半分一気にのみほしてから彼は聞いた。
「いませんよ。好きな人はいるけど。」
お酒のせいなのか、彼のせいなのかわからない、真っ赤な顔で答える。うつむかないように大きな目をじっと見つめながら。
「そっか。」
残りのビールを飲み干してからそうつぶやいた。彼はそれっきり、何も答えることなく最近観た映画の話をし始めた。
それから、1時間ぐらい私たちはたわいもない会話をして別れた。一番聞きたかったことはうまい具合にすり抜けて確信だけじゃなく、周りでさえかすめることはなかった。
ワタシノコトドウオモッテイマスカ?
鳴らない携帯を上から眺める
携帯が機能しているのか、友達に電話をかけてみる。
さっきまで会っていた友達の声がはっきりとうるさいぐらいに聞こえてくる。
私は思う。月を食べてしまえば良かったのだと。3週間前のあの日。夜空に輝いていた月を食べてしまえば、あの日がずっと私の中にいたかもしれない。時をとめることができたかもしれない。たわいもない会話が永遠続くかもしれない、でも、目の前に彼がいることは変わらない。聞きたいことは結局聞けないかもしれない、だけど、彼の声、彼の大きな目、彼の大きな手は私のものだ。私のものになるのだ。
キャスターマイルドを引き出し奥底から取り出し、窓を開け夏の涼しい風を肌に感じながら、ライターに火をつける。
そして、悔しいまでにきれいな夜空を見上げて鳴らない携帯で月の写真を撮ってみる。
携帯が月を吸い取ってしまうのではないかというほど写真をとりまくる。気がついたら、私は泣いていた。
久しぶりに書きました。半年ぶりぐらい?イメージ的にはミスチルの「LOVE」のようなことを書きたかったんですけど、結局、恋愛いっぱい!!っていう感じになってしまいました。こんなんでも楽しんでいただけたら幸いです。