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「ようこそ欧州麦酒カフェへ」  作者: 城戸高嶺
3/5

グラス8 女主任登場

「本日よりうちの経理を担当することになった、本社経理課主任の片桐若葉君だ。よろしく頼む」

店長安倍の紹介を受け、傍らの女性はにこりともせず頭を下げた。

ウエーブのかかった髪はセミロングで、きりっとした顔立ちに黒いふちのメガネをかけている。

年は40を過ぎたくらい。薄い唇と高い鼻。一重まぶたの瞳から発せられる光は鋭く、女性にしては大柄で、長身の店長と並んでいても頭ひとつほども差がない。


「では片桐君、一言挨拶を」


店長に促されると、彼女はシェフの八嶋と私を交互にみすえてから、おもむろに口を開いた。

「入社して20年。5年前に本社の総務部に異動し、昨年より経理課の主任として勤務。私のことは片桐主任と呼ぶように」


店長安倍が大きく咳払いをした。

「えー彼女は小売や営業の経験も豊富だし、接客マナーも完璧だ。総務に移ってからは事務でも手腕を発揮している。まぁ、みんな仲良くやってくれ」


早速シェフ八嶋,

「なんだか、おっかなそうなおばさんだね、城戸ちゃん」

私の耳元に近づいて囁いた。


すると彼女の鋭い目が八嶋をにらみつけた。

「八嶋シェフ、何か?」


思わず心臓がドクンと大きく波打った。私はこういう状況が苦手だ。


なのに八嶋は

「いえ・・・本社の経理の方が来られていきなり偉そうに言われても、僕としては違和感感じますね。入社何年だか知りませんけど、うちの欧州麦酒カフェでは新参者なわけだし・・・。始めの挨拶くらいもっと謙虚にしたほうがいいんじゃないっすかね」

ビビッている私とは対象的にやけに毅然としている。


片桐主任は彼をにらみつけたままだ。


一触即発の空気。


主任の片桐、しばしの間まじまじと八嶋を見下ろしていたが、

「なるほど、あんたの言うこと筋通ってるわ、八島シェフ。大変失礼しました。これからよろしくお願いします」といって深々と頭を下げた。


毒気を抜かれた形の八嶋だが、すぐに気を取り直して「イエ、僕こそよろしく頼みます」

と頭を下げた。


(この展開って・・・?)


「あ、あのう・・・私城戸高嶺です。一応副店長やってます・・・ってかたちだけですけど」

恐る恐るいうと片桐主任、今度は私をにらんだ。


「ふん、そうみたいだね」

そして私の耳元に顔を近づけて

「まっ、女は女同士、仲良くやりましょ」

ささやくようにいうと、ニッと白い歯をのぞかせ初めて笑顔をみせた。


(うっ)

気持ちとは反対に精一杯の笑顔を作る私。

偉そうかと思えば謙虚、こわいかと思えばちょっとやさしい。

なんだかよくわからない人だ。


お店の開店と同時にランチタイムが始まった。

片桐主任ははじめ店長と事務室のパソコンで帳簿をチェックしていたが、店が混みだすとエプロンをして接客を始めた。


そして彼女は数分と立たぬうちに頭角を現した。

鮮やかな客さばき、電話の応対。メニューは全て頭に入っているし、ヨーロッパビールの知識も豊富だ。

私は彼女の仕事ぶりと勢いにただ圧倒されていた。


あわただしい時間が過ぎ、少し落ちついた。

洗うためのお皿をシンクの横に積み上げていると、片桐主任が一番上の皿に残ったパスタソースを指ですくい取ってぺろりと舐めた。


「・・・ふうん、御曹司が見込んだだけあって八嶋シェフ、腕はたしかみたいね」

(御曹司だなんて、このひと店長のことそう呼ぶんだ・・・)


「片桐主任てなんでもできちゃうんですね」と私。


「まあね」


そしてちらりと私を見ていった。


「あんたさぁ、本社のネット通販部から異動してきたんだって?入社何年目?」


「3年です・・・中途採用ですけど」


「っていうことは会社のホームページとかあんたも製作してたの?」


「いえ、私はネットで注文受けたり商品を梱包して発送したりするくらいで・・・ホームページの製作は平川係長に任せきりでした」


「ふうん・・・」

片桐主任は改めて私を値踏みするようにじろりと一瞥をくれた。

しかしすぐ興味を失ったのか視線をそらし、キッチン用具の収められた棚に手を伸ばして包丁をとった。


「ねえ八嶋シェフ、このたまねぎみじん切りにしておくよ」


「いいですよ、片桐主任。僕の仕事だし・・・だいたい素人に僕のキッチン道具使ってほしくないし」


「大丈夫、あたし調理師免許持ってんの、それに道具触らせたくないなら明日からはマイ包丁持ってくるから。それよりそっちの特性パスタソースはあんたしか出せない味でしょ。ただでさえ人手不足なんだから、効率よく動こうじゃない」

そういって片桐主任は鮮やかな手つきで瞬く間にたまねぎをみじん切りにしていった。


するとシェフ、あっさりと「じゃあ片桐主任にお願いしようかな」素直にいった。


驚きだ、私にはおたまひとつ触らせないのに。

「じ、じゃあ私お皿洗います」

なんだかあせってきた。このままじゃ私の居場所がなくなってしまいそうだ。


夕方。

店が忙しくなってくると片桐主任は接客だけではなく、厨房でもシェフ八嶋をフォローしたりして、私の3倍くらい働いた。

驚いたことに外国人観光客らしいグループが入ってきたときは、英語でぺらぺらサービスをしていた。

日本語以外まったく話せない私は、今までこういう状況の時にはシェフか店長に任せっぱなしだったのだ。二人とも海外生活の経験があるので英語は堪能だし、特にシェフはイタリア、フランス、スペイン語が話せるらしい。


「片桐主任も海外生活とか経験があるんですか?」

一息ついたとき思わず彼女に聞いてみた。


「ない。ただあたし英検準一級もってるの。あとトーイックはこの前680点とったから」

そして驚いている私の耳元でさらに囁くようにいった。

「朝の自己紹介のとき言うの忘れたんだけどさ、あたし趣味は韓流ドラマと資格取りだから」


「はい?」


数日後の昼下がり。カフェには店長安倍、シェフ八嶋、そして私の3人。


片桐主任はまだ来ていない。彼女はいつも誰よりも遅く出勤しそしていち早く早く帰る。店に立つこともあれば事務所にこもってパソコンしているだけのこともある。

そろそろランチタイムもピークになるがまだ姿を現していない。


店長によると、片桐主任は本社付けなので、毎朝本社に出勤してからこちらに来る。カフェを出るとまた社に戻ることもあるらしい。


彼女のカフェでの任務は、店の手伝いと売り上げ向上、そしてスタッフ教育の徹底らしい。

「給料も本社から出ているから、何時間働いても一切人件費はかからない。だからうちとしては大いに利用できる」と店長安倍はいう。


確かにあれだけの能力で人件費は本社もちなカフェとしてはおいしい話なのだろう。


「でも彼女、調理のセンスといい、味覚の鋭さといい、よく勉強しているのは確かだよ」

シェフ八嶋が珍しく冷静に人を褒めた。 


「英語もペラペラで外国のお客様のとき、今までは店長やシェフに頼っていたのに、すごく助かってます。」と私。


「あいつは昔から資格マニアで、そのほとんどを通信教育で取得しているんだ」と店長。


「海外旅行の経験無いのにあんなに流暢にしゃべれるのってすごいですね」と私。


するとシェフ八嶋、メガネの眉間の上辺りを軽く押さえ、

「まあ、彼女のはアメリカンイングリッシュとしてはパーフェクトだね」

と含みのあるいい方。


「どういうことですか?」


「僕や店長のはクイーンズイングリッシュだから、つばが飛ぶようなアメリカンと違って発音が上品なのさ」


「そういうもんですか・・・私にはさっぱりわかりません」


すると店長安倍が私に向かって

「オイ、お前は何か資格とか持ってないのか?」

と聞いてきた。


「すみません、小学校のとき通っていたソロバン教室で6級もらったくらいで、後は何も・・・」


ちょうどそのとき片桐主任が厨房にある裏口から入ってきた。


3人がいっせいに注目する。


「なに?」

首を傾げてから片桐主任はいつもの通勤用のバッグともうひとつ、紙袋を持って事務所に入っていった。入り際店長に向かって

「ちょっとみんなに話しておきたいことがあるので、あとで時間つくってくんない?」


午後3時50分。店内が一息ついた時、店長が集合をかけ私たちスタッフはカウンターの隅に集まった。


そこへ片桐主任が口火を切った。

「ここ数日、この欧州麦酒カフェで働かせてもらって、店の運営や経理の状況を見させてもらった。それで改善策をまとめてきたの」


「そうか、片桐。では報告してくれ」と店長。


「経費で節約できる点がいくつかある。反論もあるだろうけどとにかく聞いて。まずランチなどの材料費だけど仕入れコストをもう少し下げたいの。レシートを見るとほとんどの食材を伊勢屋スーパーで仕入れてるけど」


そう、シェフ八嶋が書き出したリストを持って、いつも私が買い物に行くスーパーだ。


「あそこは有機野菜を扱っているし、ほかの食材も安全でクオリティーが高い。少々値ははるけど、僕は料理人として食材だけは譲れないっすね」

シェフ八嶋、例のごとく鼻息が荒い。


すると片桐主任めがねの奥からシェフをにらんだ。

「有機野菜はいいとして、ほかはスーパーマルミヤでいいんじゃないの?調べたけど調味料などの品揃えはマルミヤのほうが豊富だし、全体的に1割近く安い」


するとシェフ腕を組みなおして、

「まあ、城戸ちゃんには買い物の負担がかかるけど、主任がそういうなら・・・」

としぶしぶうなづいた。


「あ、私ならぜんぜんかまわないです」


「それから光熱費をもっと抑えたいの。お皿を洗うとき流水の量に気をつけること。それから今月中に店の照明はすべてLEDに換える。エアコンと冷蔵庫の設定温度を一度上げる」などなど・・・片桐主任の支持が続いた。


どれも少し気をつければ実行できることばかりだったので、皆従うことにした。


「最後にあとひとつだけ」と片桐主任。


「いい加減にしてくださいよ、そろそろ夜の仕込みに入らないと」うんざりしたようにシェフがいった。


「Bランチでよく使ってるパン類のことなんだけど。あれベーカリーで買うのはもったいないからうちで焼いたらどう?」


するとシェフ八嶋

「それ無理っすよ、僕も世界中で食べ歩いてきたけど、あそこのマフィンはハンパ無いっすから」


「そのマフィンのことなんだけどさ」

といって片桐主任は持参した紙袋からごそごそと白い包みを出して見せた。

中から見覚えのあるマフィンがいくつも出てきた。


「みんなちょっと食べてみてよ」と主任。


「これってフロッケンベーカリーの[王様のマフィン]ですよね」

わたしにとっておなじみのアイテムだ。

シェフ八嶋も店長も大きくうなづく。


「これあたしが焼いたの」と片桐主任。


一同が「えーっ?」と驚くのをしっかり見届けてから主任は鼻を一瞬膨らませた。

「確かにあそこはおいしいけど、ちょっと高いでしょ?だから何回か買って家でもまねして作って見た。さすがに手ごわかったけど、やっと今日うまく行ったというわけ」


「さすがだな、片桐、これならうちの店に出せるぞ」と店長安倍。


「じゃあ、もうフロッケンベーカリーでは仕入れないんですか?」

いいながら私の視線は無意識にシェフ八嶋を追っている。


「まあとりあえず[王様のマフィン]に関してはそうだな、追々品数を増やしていずれは全部自前にしていこう」と店長。


「僕も新作メニュー考えてみよう」

シェフ八嶋、フロッケンベーカリーのバイトだった、伊藤まさみちゃんのことは吹っ切れているらしい。


3日後。閉店後のカフェで。

オリジナルマフィンを使ったシェフの、新作メニューの試食をすることになった。


スタッフは店長安倍、シェフ八嶋、片桐主任と私の4人。

ビールは店長の支持通り、あらかじめ5度に冷やしてある。パウエル クワック。ベルギービールだ。

深い琥珀色でアルコールは8.4度とやや高め。飲み口はやさしいがのど越しはガツンとくるおいしさ。

シェフが「皆さんお待ちどう様」といって登場したのはやや小ぶりのトーストしたマフィンのサンドイッチ。


「カンパーイ!頂きまーす」空腹の一同はいっせいにマフィンにかぶりつく。

その瞬間口いっぱいに広がるミラクル。異なるチーズの個性がカリカリにトーストしたマフィンの中で溶け合い、口中で渾然一体となってさらに奥深い味わいをかもし出している。


すでに涙目の私「熱々でカリカリのマフィンの中から2つの違った食感。たまりません」


八嶋のうんちくがはじまる。「ハードなチェダーと、なめらかなスティルトンという2つのチーズが決め手なんだ。特にスティルトンはエリザベス女王の好物というブルーチーズ、バターのようでしょう?

今日はアーモンドやピスタチオなどナッツ類を砕いて一緒にはさんでいるけど、ドライフルーツもいけるんじゃないかな、いかがっすか、店長?」


「早速ランチメニューにしていいぞ、八嶋」


「それならこのレシピのネーミング考えなくちゃ」と私。


「あ、それならもう決めてある」と片桐主任。


「え?何ですか?教えてください」


「[クイーンズマフィン]よ。店長とシェフの完璧なイギリス英語に敬意をこめてね」

片桐手主任は肩をすくめ、ニッと笑って見せた。

(うっ)


これにはシェフも苦笑いした。


店長が2本目のパウウェル クワックをもって立ち上がった。

「あらためて乾杯だ。片桐君の歓迎と新作メニューの完成を祝って乾杯!」

一同「乾杯」

そして「ようこそ欧州麦酒カフェへ、片桐主任!」


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