7 五つの殺意
夜明け前から雲が厚かった。
正門に着くと、副団長がすでに馬の傍に立っていた。
挨拶をする前に視線だけで「遅い」と言われた気がした。
いつもの朝の訓練の教訓で約束時間より1時間前に来たはずなのに……副団長の基準は未だにわからない。
「お、アーサー。来た来た」
隣でドルフさんが手を振っていた。革鎧の留め具が一箇所外れたままだった。
「先輩、留め具が外れてますよ」
「あ、ほんとだ。出がけに猫に引っ張られてさあ」
「猫を飼ってるんですか」
「野良だよ。でも毎朝来るんだよな。名前つけちゃったよ」
「出発するぞ」
副団長の一言で会話が終わった。ドルフさんは留め具を直しながら馬に乗った。俺もそれに続いた。
第3関所までは馬で半刻ほどの道のりだった。街道沿いに畑が続いて、朝霧がまだ低く漂っていた。
ドルフ先輩が馬上で欠伸をした。副団長は一言も喋らなかった。
俺は黙って馬を進めながら、昨夜のことを考えていた。ルーカスさんの夕食での顔。何も変わらない笑顔。
今日の武約戦に集中しろと自分に言い聞かせても、頭の端から消えてくれなかった。
石造りの関所が見えてきた頃、その前の広場に見慣れない連中が屯しているのが目に入った。
五人いた。全員革鎧に帯剣している。中央に立つ男が一番体格が良く、顎に無精髭を生やしていた。
こちらを見る目が値踏みするような色をしていた。傍らの四人も似たような目をしていて、場慣れした連中だということは、立ち姿だけでわかった。
「エルドラムの騎士か。話が早くて助かる」
無精髭の男が言った。声は落ち着いていたが、余裕があった。
武約戦の申し合わせはヴァルド副団長と髭の男の間で交わされた。
争点は傭兵集団の領内通行権と関所での違反行為への賠償。代表者は――
「こっちは当然5人全員が代表者として参加だ」
無精髭の男が言った。
「こちらはアーサー・グレイヴ。この1名のみが代表者だ」
え……俺1人なのは聞いてない。
てっきり副団長とドルフさんの補助的な数合わせの感じで呼ばれたと思ってた。
そうなると、ドルフさんは何のために来たんだ? ドルフさん自身も驚愕の表情を浮かべてるし……
「……舐められたもんだぜ、俺たち5人に対して1人、しかも若僧ときた」
怒りを浮かべながら、無精髭の男がそう言った。
「しかも、フルフェイス兜までつけてやがる」
無精髭の男のみならず、他4人も怒りの表情を浮かべている。
「戦律官が立ち会ってない武約戦だ……殺されても文句ねえよな」
いつの間にか俺と傭兵集団に誓印誓印の魔法がかけられている。俺は誓ってもいないし、許可もしていないのに……だが、やるしかない。
最初の相手は若い男だった。当然外殻を使っている。自分が魔法を使えない現実を武約戦をする度に突きつけられるようで悲しくなる。
だが、剣の構えを見た瞬間、勝てると思った。
踏み込みが浅い。重心が高い。3ヶ月前の俺ならわからなかったかもしれないが、今は見える。副団長に叩き込まれた目だ。
相手が大きく踏み込んできた。剣先が俺の喉元を狙っている。
流して身体を入れ替え、鳩尾に柄頭を叩き込むと男が息を詰まらせ膝をついた。
「次は俺だ」
中背の男がそう言いながら前に出てくる。
わざわざ1人1人出てきてくれるらしい。ありがたいね。
中背の男は、最初の相手より動きが読みにくかった。左手を微妙に使う癖があって、最初の一合で脇腹を狙われた。皮一枚で身体を捻って避けた。
二合目で重心の移し方の規則性を掴んだ。次の踏み込みに合わせて足を外側に払い、前のめりに崩れたところへ肩から体重をぶつけた。
地面に押さえ込んで剣を首に当てた。男は暫く動こうとしたが、やがて力を抜いた。
三人目は無言の大柄な男だった。構えた瞬間から殺気が違った。剣を振るたびに風が唸った。
一発受けると腕が痺れた。
二発目は受けずに流した。
力で勝てない相手に正面から当たるのは愚策だ。特に俺みたいな魔法が使えない奴は。
流して、流して、相手の振りが大きくなったところで内側に入り込んだ。至近距離では大柄な体格が逆に邪魔になる。肘で顎を打ち上げ、足を後ろから刈った。大きな体が地面に叩きつけられた。
立ち上がろうとする背中に膝で乗って、剣を首に当てた。男は低く唸ったが、動けなかった。
「やるじゃないですか」
というドルフさんの呑気な声が聞こえた。それに対し副団長は何も言わなかった。
四人目は細身の男で、今までで一番速かった。
剣先が小さく鋭く動いてくる。受けに回ると削られると判断して、最初から懐に入り込む動きで攻めた。体が接触する距離まで詰めると相手の剣が使いにくくなる。そこからは力の勝負だった。
押し倒して終わらせた。泥臭いが、これで四人目だ。文句は言えない。
息が上がっていた。圧勝とは言えなかったが、負ける気もしなかった。
最後が髭の男だった。
構えた瞬間、空気が変わった。さっきまでの四人とは違う。重心が低い。剣先が揺れていない。
こちらの出方を待っている目だ。経験を積んだ人間の佇まいだった。
俺は踏み込んだ。
最初の一合は互角だった。二合目で気づいた。相手は俺の喧嘩剣法に慣れている。崩しにいくと先に重心を逃される。副団長に教わった騎士の型で攻めると、今度は読まれている。どちらでも嵌まらない。
三合目で一瞬だけ判断が遅れた。喧嘩剣法で行くべきか、騎士の型で行くべきか。その迷いの隙を髭の男は見逃さなかった。剣が弾かれて、体勢が崩れた。
終わった、と思った瞬間、体が勝手に動いていた。
崩れた体勢のまま低く潜り込んで、肘で相手の剣を外側に押し出した。
型でも喧嘩剣法でもない、もっと泥臭い動きだった。そのまま体重ごとぶつかって相手を押し倒し、首筋に剣を当てた。
「……くそっ、降参だ」
髭の男が吐き捨てるように言った。
息を整えながら立ち上がった。勝った。でも綺麗じゃないし、騎士の剣も使えてない。
最後の動きは副団長に見せられたものじゃない。そう思いながらちらりと副団長の方を見た。
副団長は無言だった。何かを見ていた。俺を、ではなく、俺の剣を。その目が何を考えているのかは、やはり読めなかった。
「おー、勝った勝った」
ドルフさんが笑顔で近づいてきた。
そこに馬の蹄の音が聞こえた。
街道の方から伝令が一騎、速度を落とさずにこちらへ向かってきた。
夜明けの報せにしては急ぎ足すぎた。副団長が一歩前に出て伝令を受けた。
何かが囁かれた。俺には聞こえなかった。
副団長の背中が、わずかに変わった。肩の角度か、首の傾きか、うまく言えない。ただ変わった。
「戻るぞ」
それだけだった。説明はなかった。
帰路は誰も喋らなかった。ドルフさんでさえ黙っていた。勝った事実が、馬を走らせるうちにどこかへ消えていった。
嫌な予感だけが、夏の終わりを告げる風と一緒にずっとついてきた。




