5 届かない剣
登剣礼まで、あと1ヶ月。
この3ヶ月は、ただひたすらに訓練をしていた。
ヴァルド副団長の訓練は相変わらず容赦がなかったが、気づけば体がついてくるようになり、感覚も段々と取り戻していった。
最初の頃は翌朝起き上がるのに気合いが要ったが、今はそれもない。
痛みに慣れたのか、それとも体が変わったのか。多分両方だ。
ギャッドゥとは副団長との訓練初日に会話した以降話していない、いじめられてもいない。
あの武約戦が遠い昔のことに思える。三ヶ月でずいぶん変わるものだと思う。
季節もそのあいだに変わっていた。
俺の運命を変えたあの武約戦を行った日は、日差しが出ていても肌寒かったが今は夜でも汗ばむくらいだ。
そしてその3ヶ月が経った頃に、騎士団の空気がじわじわと変わり始めた。
廊下を歩けば誰かが礼装の手入れをしているし、食堂では王都の話ばかり飛び交い、こちらをちらちら見てくる者や俺の名前を出しながら会話しているのを見聞きする。
他にも理由はあるが正直どこに居ても落ち着かない。
だがら俺は夜というこの時間に訓練所に行く。
夜の訓練場に人影はなかった。
松明が二本、夜風に揺れている。
その下で俺は一人、剣を振っていた。
昼間に試した踏み込みの角度が気に入らなかった。
副団長に叩き込まれた型と、もっと前から体に染みついたやり方が未だに上手く噛み合わない。
ただ、叩き込まれた型自体の理解は深めることはできたが、噛み合わせるというのは、考えれば、考えるほどわからなくなるし、動きが滅茶苦茶になる。
あと1ヶ月……果たして間に合うのか……
「随分と遅くまでやっているな」
声がした。
振り返ると、ルーカスさんが入口の柱にもたれて立っていた。いつから居たのだろうか。
「一体いつから見ていたのですか、声をかけてくださいよ」
「邪魔するのが惜しくてね」
そう言って笑う顔が、とてもかっこいい。
「1本付き合うか」
3ヶ月でわかったことがある。この人は強い。俺が思っていたよりも、ずっと。
だからこそこの人と剣を交わすのは自分にとって大きな成長に繋がることは間違いない。断る理由なんてどこにもない。
木剣を構える。
ルーカスさんは軽く肩を回してから、すっと剣先を向けてきた。それだけで、空気が変わる。普段の姿とは違う、別の何かになる。
ほぼ同時に飛び出す。
俺の振った剣がルーカスさんの剣に防がれる。
1合、2合、3合。
3ヶ月前なら、1合から防ぐための剣だった、俺は剣を攻撃のためには振れなかった。
そう考えると少しは喰らいつけるようになったかと思っていたら。段々と力の差が歴然になる。
俺が必死に喰らいついているのに対し、この人は余裕がある。
「遠慮しなくていいよ、今日は全力できてみな」
何度かルーカスさんとは手合わせしてるが未だにあれは使ってない。
ルーカスさん自身、俺がギャッドゥにぶん殴って勝ったというのは知っているはずだ。だが、直接見たことはない、見せたことはない。だから、もし、あんな野蛮な戦い方をして嫌われたらと考えるとできなかった。引かれるのも嫌だし。
だが本人そう言うなら、俺なりの全力でやるしかない。
俺は剣の軌道を崩した。
肩口で体重ごとぶつかりにいく。軸を崩し、次に繋げるために。
ルーカスさんは衝撃で一歩後退する。
ここまでは、騎士の体術。
ここからは、俺なりの染み付いたやり方。ギャッドゥには通じたやり方。
後退したところに一歩踏み込み、剣を持つ腕を掴もうとする。
ルーカスさんの目が、わずかに細くなった。
一瞬だけ、届くかと思った。
だが次の瞬間、俺の木剣は宙を切っていた。
気づけば体勢が崩れていて、首筋に剣先が静かに触れていた。
「……いつ動いたんですか」
「さあ」
涼しい顔で言う。様になっている。
息を整えながら改めてルーカスさんを見た。
乱れた様子が一切ない。呼吸も、服の裾も。まるで最初から動いていないみたいだった。
「本当に強いですね」
気づいたら口に出ていた。お世辞でも負け惜しみでもなく、ただの事実として。
「アーサーも強いよ」
ルーカスさんが続けて喋る。
「そのうち、追いつかれるかもしれない」
「追いつけますかね、果たして」
「追いつくよ、絶対ね」
微笑みをこぼす。
木剣を下ろしかけたとき、宿舎の方から早足の足音が聞こえた。
夜にあの急ぎ方をするのは、伝令だけだ。ルーカスさんがそちらへ目を向けた。
一瞬だけ、その顔が変わった。
笑みが消えたわけじゃない。ただ、何か別のものが混ざった気がした。一瞬で消えたから、見間違いかもしれない。俺には上手く言葉にできない表情だった。
「今日はここまでにしよう」
ルーカスさんはそれだけ言って、詰め所の方へ歩いていった。
俺は一人、訓練場に残った。
松明が揺れる。負けた、という事実だけがそこにある。なのに不思議と悔しくなかった。
いつかあの背中に追いつくという気持ちの方が、ずっと大きかった。
ただ、一つだけ引っかかっていた。
あの表情だ。
伝令の足音を聞いた瞬間の、ルーカス先輩の顔。笑みが消えたわけじゃなかった。
ただ、何かが混ざった。怒りでも驚きでもなく、もっと静かで、もっと重いもの。俺にはうまく言葉にできない。
知っている顔だ、とふと思った。
どこかで見たことがある。何かを覚悟するときの、人間の顔だ。
夜風が松明を揺らした。影が伸びて、また縮む。
俺はしばらく、その場を動けなかった。




