28 俺の剣
朝が来た。
よく眠れた。自分でも驚くほどに。
隣のベッドでギャッドゥがまだ寝ていた。起こさなかった。
静かに身支度を整えた。鎧を着け、剣帯を締めた。
剣を手に取った。
軽い。いつも通り、俺が握ると軽い。
「起きてたのか」
振り返ると、ギャッドゥが目を開けていた。
「ああ」
「よく寝てたな」
「ああ」
少し間があった。
「行ってこい」
「ああ」
部屋を出た。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
闘技場に向かう通路を歩いた。
前回この通路を歩いた時、ザレルとすれ違った。取り巻きを連れて笑っていた。
今日は誰ともすれ違わなかった。自分の足音だけが聞こえた。
闘技場の中央に立つ。兜を着装する。
観客席のざわめきが、今までで一番大きかった。
「喧嘩騎士とザレルの再戦だぞ」
「前は圧勝だったろ。今回もすぐ終わる」
「いや、あいつミラ・ヴェストを下がらせたんだぞ」
「賭けるか?」
「……迷うな」
前回は「賭ける意味がない」だった。少しだけ進歩した。
対面にザレルが立った。
笑っていた。あの時と同じ笑い方だった。
「また会ったな、喧嘩騎士」
「……ああ」
「前回は退屈な試合だった。今回はもう少し楽しませてくれるか?」
答えなかった。
立会人が前に出た。ノアだった。仕事の顔だった。
「武約戦を執り行います。争点は王都登剣礼における点数のみ、よろしいですか」
「ああ」
「もちろん」
誓印が体に広がった。
「始め」
ザレルが構えた。
左足を半歩引いて、剣を正眼に据えた。前回と同じだった。
あの時は、この構えだけで距離が変わった。遠くなった。届かないと感じた。
今日は、遠い。だが、届かないとは思わなかった。
俺は踏み込んだ。
切り替えなかった。最初から混ぜた。
騎士の型の軸で踏み込み、腰を捻って喧嘩剣法の角度を乗せた。
ザレルの剣が迎えた。前回と同じように、そこに剣があった。
だが、弾かれなかった。
剣と剣がぶつかった。金属音が闘技場に響いた。前回にはなかった音だった。
ザレルの笑みが、一瞬だけ消えた。すぐに戻った。だが俺は見た。
「少しはましになったか」
2合目。ザレルが攻めてきた。速い。正確。一手先にある剣。
前回はここで全部遅れた。
今日は、半分ついていけた。
3合、4合、5合と続いた。
前回は3合で終わっていた。すでに超えている。
「しぶといな」
まだ笑っていた。だが声に苛立ちが混じり始めていた。
俺は剣を振った。
騎士の型で正面から入って、喧嘩剣法の角度で抜ける。
ザレルが受けた。前回は全部避けていた。今日は受けている。
避けられなくなっている。
「……なるほど。前とは別物か」
ザレルの笑みが消えた。完全に。
初めて、ザレルが本気の顔をした。
ザレルの剣が加速した。前回の比じゃない。
受けた。腕が悲鳴を上げた。
2撃目。避けた。3撃目。流した。4撃目。受けきれなかった。剣が弾かれかけた。
剣が使えないなら体を使う。それは切り替えじゃない。今の俺にとっては同じ動きの続きだ。
ザレルに剣を弾かれた勢いのまま、肩からぶつかった。ザレルの体が一瞬だけ揺れた。
そこへ膝を叩き込む。距離は離されたが、ザレルの歪んだ顔が一瞬見れただけでも良しとしよう。
ザレルが距離を詰めながら5撃目を仕掛けてくる。
――ここだ。
体の奥に意識を向けた。ずれの感覚。
触れた。
ザレルの5撃目が、微かに軌道を逸れた。
ほんの数センチ。だがザレル相手の数センチは、致命的な隙になる。
ザレルの懐が、一瞬だけ空いた。
踏み込んだ。
騎士の型の軸。喧嘩剣法の角度。腰で作る崩し。
そこに、星脈が乗った。
剣が共鳴した。軽い剣が、さらに軽くなった。
振り抜いた。
ザレルの体に、剣が届いた。
浅くない。初めて、浅くない一撃が通った。
ザレルが後退した。2歩、3歩と下がった。
観客席がざわめいた。
「ザレルが下がったぞ」
「嘘だろ、一撃入れたのか」
ザレルが俺を見ていた。笑っていなかった。
「……何だ、今のは」
「俺の剣だ」
ザレルが踏み込んできた。全力だった。
全部が速い。全部が重い。全部が正確。
受けて、流して、返して、食らって。
体中が痛い。左腕が限界に近い。
だが、倒れない。
ザレルの剣が来るたびに、ずれの感覚に触れた。毎回じゃない。3回に1回。だがその1回が、致命傷を避けさせてくれた。
騎士の型と喧嘩剣法が、もう二つではなかった。
一つの剣だった。
ザレルの大振りが来た。
あの時は、この後に手首を打たれて剣が飛んだ。
今日は違う。
大振りの軌道に、ずれを乗せた。ザレルの剣が数センチ外れた。
ザレルの懐に潜る。
至近距離。ザレルの目が見えた。
剣を持たない左手でザレルの剣を持つ腕を掴んだ。
痛みが走った。構わなかった。
引き寄せながら、頭突きを叩き込んだ。兜越しの一撃がザレルの顔面に入った。
ザレルの体勢が崩れた。
その瞬間、掴んでいた腕を放し、剣を振り上げた。全部を込めて振り抜いた。
ザレルの剣が弾き飛ばされた。
石畳の上で乾いた音を立てた。あの時、俺の剣が落ちたのと同じ音だった。
ザレルの首に、剣先を当てた。
「そこまで」
ノアの声が響いた。
観客席が沸いた。歓声だった。
「喧嘩騎士がザレルに勝ったぞ!」
「賭けた奴いるか!?」
ザレルが膝をついていた。俺を見上げていた。
「……名前」
「は?」
「お前の名前、何だったか」
「……アーサー・グレイヴ」
「覚えておく」
それだけ言って、ザレルは立ち上がった。背を向けて、歩いていった。一人だった。
俺は兜を外した。汗が額を伝った。
風が当たった。それだけのことが、妙に気持ちよかった。
珍しいことにノアが立会人の位置にまだ立っていた。仕事の顔のまま、口角だけがほんの僅かに上がっていた。
「お疲れ様」
俺にしか聞こえない声でそう言うと、闘技場からスタスタと出ていく。
歓声を浴びながら俺も闘技場を後にする。
通路の奥に、白い髪が見えた。
ミラさんが壁にもたれて立っていた。腕を組んでいた。
目が合った。何も言わなかった。小さく頷いただけだった。
それで十分だった。
控え室に入ると、ギャッドゥが腕を組んで、待ち構えていた。
「勝ったな」
「ああ」
ギャッドゥの目が赤かった。
「泣いてたのか」
「汗だ」
「目から汗は出ないだろ」
「うるさい」
少し間があった。
「……悪かった」
短かった。飾りも言い訳もなかった。
エルドラムでのこと。3年間のこと。全部が、その一言に入っていた。
「……ああ」
それだけ返した。
それで、よかった。




