23 輪郭が見える
夜の宿の廊下は静かだった。
明日の試合に備えて早く寝ようと思ったが、眠れなくて水を取りに出た。
廊下の角を曲がったところで、声が聞こえた。
「――あんな奴が勝ち残っているのは登剣礼の恥だ」
聞き覚えのある声だった。
角の向こう、窓際にレインが立っていた。取り巻きの2人と話し込んでいる。
「魔法も使えない騎士を名乗る資格すらない人間が、殴って蹴って勝ちを拾っている。観客はそれを面白がる。腐ってるのは制度だけじゃない、観客もだ」
取り巻きの片方が頷いていた。もう片方が口を開いた。
「明日の相手、そのエルドラムの騎士ですよ」
「知っている」
レインの声が低くなった。
「だからちょうどいい。騎士とは何かを教えてやる」
俺は角に立ったまま、聞いていた。
聞くつもりはなかった。だが足が動かなかった。
ザレルとは違う、と思った。
ザレルは俺の剣を見て笑った。弱いから笑った。あいつにとっては強さが全てで、それ以外はどうでもいい。
だがレインは違う。俺の剣を見てすらいない。魔法が使えない時点で、レインの中では騎士として終わっている。
俺がどれだけ強くなっても、レインには関係ない。俺は最初から、あの男の世界に入っていない。
怒りはなかった。ただ、胸の底に重いものが沈んだ。
静かに引き返した。部屋に戻って、ベッドに横になった。
天井を見ていた。
「寝ないのか」
ギャッドゥが暗闇の中で言った。
「……明日の相手がレインだった」
「知ってる。掲示板を見た」
「聞いてないけど」
「俺は、召使いじゃないからな」
「え、違うの?」
「同部屋で枕元に剣があるっていう状況なのわかってるよな?」
少し間があった。
「勝てるのか」
「わからない。けど、負ける気はない」
「いつもそう言ってザレルに負けたけどな」
「……それは言わないでくれ」
ギャッドゥが鼻を鳴らした。それから何も言わなかった。
目を閉じた。レインの言葉が頭に残っていた。
騎士とは何かを教えてやる。
俺にとって騎士とは何だろう。
魔法が使えないから、騎士じゃないのか。外殻が張れないから、騎士じゃないのか。
答えが出ないまま、いつの間にか眠っていた。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
闘技場の中央に立つ。兜を着装する。
対面にレインが立っていた。
仕立ての良い鎧。整った構え。剣に魔法の光が纏っている。外殻も完璧だった。隙がない。
何もかもが「正しい騎士」だった。
立会人が前に出た。今日はノアではなかった。別の戦律官だった。
「武約戦を執り行います。争点は王都登剣礼における点数のみ、よろしいですか」
「ああ」
「異議なし」
誓印が体に広がった。
「始め」
レインが踏み込んできた。速かった。
セルジとは質が違う速さだった。魔法の補助が全身に行き渡っている。加速、外殻、剣への付与。全てが一体になっている。
正統派の騎士の完成形だった。
受けた。レインの剣は重く、腕が痺れた。
力だけじゃない。魔法の分が上乗せされている。
2合目。横薙ぎが来た。避ける。間髪入れずに3合目。突きが来た。かろうじて流す。
だが4合目で崩された。レインの剣が俺の構えの隙間を的確に突いてきた。肩に一撃もらった。
魔法が付与されている剣は鎧を貫通し、直接肩を突き刺す。
すぐさま後退し、距離を離す。
肩に刺さった剣が離れ、ボタボタと血が石畳に落ちる。
「やはり外殻なしか。哀れだな」
レインが言った。初めて試合中に声を聞いた。
ザレルの「それが剣か?」とは違った。ザレルは俺の技術を笑った。レインは俺の存在を哀れんでいる。
どちらが腹立たしいかと言えば、こっちだ。
喧嘩剣法に切り替え――
いや。
切り替えるな。
ミラさんの言葉。型の軸はそのまま、崩しは腰で作る。
騎士の型で踏み込んだ。そのまま、腰を捻って喧嘩剣法の角度を乗せた。
中途半端になった。レインに受けられた。
「騎士もどきがすることは理解できないな」
レインが眉を動かす。読めない動きだったらしい。だが通用はしなかった。
もう一度。同じことを試した。
今度は少しだけ、腰の動きが繋がった。
剣がレインの外殻を擦った。浅い。だが当たった。
レインの目が変わった。侮りが消えた。
「……今のは何だ」
俺にもわからない。だが体が覚え始めている。騎士の型の真っ直ぐさと、喧嘩剣法の崩しの角度。二つが一つになる瞬間が、ほんの一瞬だけ見えた。
ミラさんが「方向は間違っていない」と言った意味が、初めて体でわかった。
レインが本気になった。魔法の出力が上がった。剣が光った。
速い。重い。無駄がない。
全部が正しい剣だった。
受けきれない。体が押されていく。膝が軋む。
だが、俺は笑っていた。兜の中で。
魔法はない。外殻もない。この人が言う「騎士」には、俺はなれない。
だが剣は振れる。
剣だけは、振れる。
レインの大振りが来た。正統派の、力を込めた一撃。
潜った。腰を落として、下から入った。
騎士の型の踏み込みで距離を詰めて、喧嘩剣法の角度で剣を振り上げた。
二つが、一瞬だけ繋がった。
レインの外殻を、剣が通った。
浅い。だが確実に通った。
レインの体勢が崩れた。そこへ肩からぶつかった。倒れたところへ剣を首に当てた。
「そこまで」
立会人の声が響いた。
観客席が沸いた。
「喧嘩騎士がレインを倒したぞ」
「あの名門の息子を?」
「今の最後の一撃、何だったんだ」
俺にもうまく説明できない。だが確かに、二つの剣が一つになった瞬間があった。
レインが立ち上がった。俺を見ていた。怒りではなかった。理解できないものを見る目だった。
「……お前のそれは、騎士の剣じゃない」
「ああ、知ってます」
「だが――」
レインは何かを言いかけて、止めた。背を向けて、歩いていった。取り巻きが慌てて後を追った。
俺は兜の中で息を吐いた。
騎士とは何か。
答えはまだ出ていない。
だが少なくとも、魔法が使えないことは、剣を振らない理由にはならない。
それだけは確かだった。
控え室に戻ると、ギャッドゥが壁にもたれていた。
「勝ったな」
「ああ」
「最後の一撃、今までと違った」
「……自分でもよくわかってない」
「でも出たんだろ。お前の剣が」
俺の剣。
まだ形になっていない。一瞬だけ見えたものが、次に出せるかもわからない。
だが確かに、あの一振りの中に、俺の全部があった。




