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魔法が使えなくても剣と素手と、あと何か得体の知れない力で俺は勝つ  作者: 佐木凛人
第2章

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20 ずれの感覚


「ついてきて」


 朝だった。宿の廊下で、ノアが立っていた。

 戦律官の制服ではなく、私服だった。仕事顔でもなかった。子供のような顔で、俺の腕を掴んで引っ張った。


「ちょっと、待って——」


「待たない。今日は休みでしょ。行くよ」


 ギャッドゥが部屋のドアから顔を出して、俺が引きずられていくのを見ていた。

 助けを求める目を向けたが、ギャッドゥは無言でドアを閉めた。見捨てられた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 気がつくと、王都の街中を歩いていた。

 ノアは俺の半歩前を歩いていた。歩幅が小さくて速い。ちょこちょこした歩き方だった。戦律官として闘技場に立っている時の姿とは全く結びつかない。


「どこに行くんですか」


「色々」


「色々ってなんですか」


「色々は色々。まず食べたいものがある」


 会話になっていなかった。

 露店が並ぶ通りに入った。朝から人が多い。ノアは迷いなく歩いて、焼き菓子の露店の前で止まった。


「二つ」


 店主にそう言って、焼き菓子を二つ買った。一つを俺に渡してきた。


「……ありがとうございます」


「お礼はいいから食べて」


 焼き菓子は甘かった。朝から甘いものを食べる習慣はないが、悪くない。

 ノアは歩きながら食べていた。こちらをちらちら見ていた。


「昨日の試合、見てたよ」


「立会人だったので当然では」


「そうじゃなくて。バーツ戦の後、あんた控え室で座り込んでたでしょ」


 図星だった。


「勝ったのに浮かない顔してた」


「……まあ」


「ザレルのことでしょ」


 直球だった。この人は仕事中は余計なことを一切言わないくせに、仕事外だと遠慮がない。


「ザレルに勝つために何が足りないのか、自分でわかってる?」


「……剣の統合。2つを1つにすること。あと、星脈の制御」


「誰に聞いたの」


「ミラ・ヴェストという人に」


「あー、ミラ先輩か。あの人にそこまで言わせたんだ。珍しいね」


 先輩と呼んだ。知り合いらしい。

 ノアが焼き菓子の最後の一欠片を口に入れて、指についた粉を払った。


「じゃあ、剣のことはミラ先輩に任せるとして。星脈の方、もうちょっと教えてあげる」


「……いいんですか」


「私が聞きたいこともあるから。交換条件」


 ノアが路地の一つに入っていった。人通りが減って、静かになった。

 古い石壁に囲まれた小さな広場に出た。誰もいなかった。


「ここならいい。座って」


 石段に腰を下ろした。ノアが隣に座った。近い。


「前に話したこと覚えてる? 星脈は内包的な力で、他者への感覚のズレを促すもの」


「覚えてます」


「じゃあ質問。あなたの星脈が発動した時、何が起きたと思う?」


 考えた。カリスとの戦いの記憶を引っ張り出す。


「……カリスの剣の軌道がずれた。俺が何かしたわけじゃなくて、向こうの剣が勝手に外れた」


「そう。あんたの星脈は、自分が動くんじゃなくて、相手の動きをずらす。だから干渉型」


「副団長にも同じことを言われました」


「でしょうね。で、ここからが大事。あんたは今、それを意識的に出そうとして出せなかった。昨日の素振りの時も、バーツ戦の時も」


 見られていたのか。

 いや、バーツ戦は立会人として見ていたからわかるとして、昨日の素振りは——


「闘技場の裏手、私もたまに使うから。遠くから見えてたよ」


 ミラと同じ場所を使っていたらしい。王都の練習場所事情はどうなっているんだ。


「星脈は感情で動く。特に覚醒直後は。あなたが覚醒したきっかけ、聞いてもいい?」


 少し迷った。だが隠す理由もなかった。


「……大切な人が、目の前で死んだ時です」


 ノアは黙った。ふざけた様子が消えていた。


「そう……つまり、喪失が引き金になっている」


 胸の奥が少し痛んだ。


「でも、毎回誰かを失うわけにはいかないでしょ? だから制御が必要になる」


「制御って、具体的にはどうするんですか」


「感情を再現する必要はない。感覚を再現すればいい」


「……違いがわかりません」


「うーん」


 ノアが空を見上げた。考えている顔だった。子供っぽい顔でも仕事顔でもない、三つ目の顔だった。


「あの瞬間、あなたの中で何が動いた? 悲しみとか怒りとか、そういう言葉じゃなくて。体の中で何が起きた?」


 目を閉じた。思い出す。

 あの人の体が、腕の中で重くなった瞬間。

 胸の奥から何かが広がっていく感覚。世界の見え方が変わっていく感覚。


「……体の芯から、何かが広がった。世界がずれた、みたいな」


「それ。その『ずれた』感覚。それが星脈の入口。悲しみじゃなくて、ずれの感覚。それを覚えておいて」


 ノアが立ち上がった。


「今日はここまで。すぐにできるようになるとは思わないでね」


「……ノアさんは、なんでそんなに星脈に詳しいんですか」


「戦律官だから。星脈を見極めるのも仕事のうち」


「それだけですか」


 ノアが振り返った。少し間があった。


「あんたの星脈、面白い種類だと思うって前に言ったでしょ」


「はい」


「本当に面白いんだよ。だから気になってる。それじゃ駄目?」


 駄目ではなかった。だが全部を話しているようにも見えなかった。


「さ、帰ろ。お腹空いた」


「さっき食べたばかりでは」


「あれは菓子。ごはんは別」


 ノアが先に歩き出した。仕事の時とは全く違う、ちょこちょこした歩き方で。

 俺はその後をついて歩いた。

 ずれの感覚。

 言葉としては掴んだ。だが体ではまだ何もわかっていない。

 それでも、昨日まで手がかりすらなかった場所に、小さな取っ掛かりができた気がした。

 王都の通りは相変わらず騒がしかった。その騒がしさの中を、戦律官の女の子の後をついて歩いている自分がなんだか不思議だった。

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