17 格の違い
4戦目の組み合わせは、朝の掲示板に貼り出されていた。
アーサー・グレイヴ対ザレル・クォード。
名前に見覚えはなかった。いつも通り、誰だそれはと思いながらギャッドゥに聞こうとしたら、先にギャッドゥが口を開いた。
「やめとけ」
「……は?」
「棄権しろ」
ギャッドゥの声が、今まで聞いたことのない温度だった。
壁にもたれたまま、こちらを見もせずに言った。
「三大都市の誓戦士だ。魔法も星脈も使わない。純粋な剣術だけで勝ち上がってきた男だ」
「……俺と同じ条件じゃないか」
「同じ、じゃない」
即答だった。
ギャッドゥが壁から背を離して、初めてこちらを見た。
「格が違う。お前がやってきた3戦とは次元が違う相手だ」
珍しかった。ギャッドゥがここまではっきりと止めてくるのは。
だが棄権する気はなかった。
「……まあ、やってみなきゃわからないだろ」
「わかるから言ってるんだ」
「じゃあ見届けてくれ」
ギャッドゥは何も言わなかった。鼻を鳴らして、壁に背をつけ直した。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
闘技場に向かう通路は薄暗かった。
松明の灯りが等間隔に揺れていて、足音が石壁に反響していた。
前方から笑い声が聞こえてきた。
三人組だった。中央の男を挟んで、取り巻きの二人が何かに笑っている。
中央の男は俺と同年代か、少し上。背はそこまで高くない。体格も特別大きくはない。仕立てのいい服を着ている。
レインとは違った。レインの傲慢さは身分から来ているものだったが、こいつからはもっと別のものを感じた。
自分の強さを疑っていない人間の空気だった。
男がこちらに気づいた。
足を止めた。俺を見た。上から下まで、ゆっくりと。
それから、笑った。
「お前がエルドラムの魔法なしか」
声が通路に響いた。明るい声だった。嘲りを隠す気すらない声だった。
「兜をつけて殴りかかるっていう面白い奴だろ。観客席でも話題になってるぞ。見世物としてはなかなかだってな」
取り巻きの片方が笑った。もう片方は腕を組んで俺を眺めていた。
「ザレル、こいつが次の相手かよ。組み合わせ決めた奴は何考えてんだ」
「いいじゃないか。観客が見たがってるんだろう。俺も気になってたしな」
ザレルが一歩近づいた。
「なあ、一つ聞いていいか」
「……なんだ」
「お前、何がしたいんだ? 魔法もない、星脈もまともに使えない、剣もあの程度。3勝したのは相手が弱かっただけだ。それぐらい自分でもわかってるだろ」
わかっている部分もある。だが、こいつにそれを言われたくはなかった。
「やってみなきゃわからないだろ」
「やる前からわかることもあるんだよ」
ザレルは笑ったまま俺の横を通り過ぎた。すれ違い際に、小さく言った。
「せめて立っていられるといいな」
取り巻きが後に続いた。笑い声が通路の奥に消えていった。
足が止まっていた。
怒りは、あった。だがそれ以上に体が感じていたのは別のものだった。
あの男の歩き方だ。
歩幅も速度も普通なのに、重心が全くぶれていない。あれだけ喋っていたのに、一歩ごとに地面を正確に踏んでいた。
口ではなく、足が本物だと言っていた。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
闘技場の中央に立つ。兜を着装する。
観客席がざわめいていた。いつもと質が違うざわめきだった。
「おい、エルドラムの魔法なしとザレルが当たるのか」
「誰だよこの組み合わせ選んだの、面白すぎるだろ」
「倍率どうなってる」
「話にならん。賭ける意味がない」
俺に賭けてくれる人間が、今日はいないらしい。少し悲しくなった。
対面にザレルが立った。
通路で見た時とは違う顔をしていた。
笑っていた。だが目だけが笑っていなかった。
立会人が前に出た。ノアだった。仕事顔だった。
「武約戦を執り行います。争点は王都登剣礼における点数のみ、よろしいですか」
「ああ」
「もちろん」
誓印が体に広がった。
「始め」
ザレルが構えた。
左足を半歩引いて、剣を正眼に据えた。ただそれだけの動作だった。
なのに、距離が変わった。
物理的な距離は同じはずなのに、遠くなった。剣が届く気がしなかった。
俺は踏み込んだ。
喧嘩剣法で崩しにいった。ゴード、セルジ、フェイ……
今まで通用してきたやり方で。
剣が空を切った。
ザレルの体が半歩だけ動いていた。それだけで俺の剣圏から消えていた。
「それが剣か?」
軽い声だった。息も乱れていなかった。
もう一度。今度は騎士の剣で正面から打ち込んだ。
受けられた。というより、そこに剣があった。最初からその位置に置いてあったかのように。
衝撃が腕に返ってきた。重い。力で押しているわけではない。のに、重い。
「形だけならそこそこだな」
三合目。喧嘩剣法と騎士の剣を混ぜた。傭兵戦で無意識に出た、型でもない泥臭い動きで攻めた。
ザレルの剣が、静かに俺の剣を弾いた。
何をやっても、一手遅い。
速くも重くもない。なのに全部が俺の一手先にある。
「混ぜれば読みにくくなると思ったか。残念だが、混ざってるだけで統合されてない。どっちも中途半端だ」
ザレルの剣が来た。横薙ぎだった。見えた。見えたのに、体が間に合わなかった。脇腹を打たれた。息が詰まった。
膝が折れそうになるのを堪えた。
まだだ。
俺にはまだ、あれがある。
あの瞬間に出た力。ノアが言った、面白い種類の星脈。
あれが出れば――
頭の中で手を伸ばした。あの感覚を探した。体の奥にあるはずの何かに触れようとした。
何もなかった。
手を伸ばした先に、何も掴めなかった。
あの時の感覚が遠かった。ルーカスさんが死んだあの瞬間の、胸の奥から何かが広がっていく感覚。思い出すことはできる。だが再現できない。
あれは、覚悟や意志で引き出したものじゃなかった。
もっと切実で、もっと取り返しのつかない何かで動いたものだった。
だから今の俺には出せない。
「何か考えてる顔だな。悪いが、考えてる暇はないぞ」
次の瞬間、ザレルの剣が俺の手首を打った。
剣が飛んだ。
昨日出会ったばかりの、運命の剣が、石畳の上で乾いた音を立てた。
膝をついた。
首に剣先が触れた。冷たかった。
「そこまで」
ノアの声が響いた。
ザレルが剣を引いた。俺を見下ろしていた。
「3連勝で調子に乗ったか。それとも最初から、こんなものだったか」
言葉が刺さった。言い返す言葉がなかった。
何も言い返せないことが、一番痛かった。
ザレルは背を向けた。取り巻きの二人が待っている出口に向かって歩いていった。
「まあ、頑張れよ。観客は楽しんでたぞ」
最後にそれだけ言い残して、通路に消えた。
観客席は静かだった。笑い声もなかった。拍手もなかった。
「やっぱりまぐれだったか」
静寂の中、観客席からそんな一言が聞こえた。
「あーあ、俺こいつに賭けてたのに」
「試合もザレルの圧勝すぎて、つまらないな」
段々とそんな声が聞こえ始める。
俺は石畳に転がった剣を拾い上げた。
昨日はあんなに軽かったのに。
立ち上がって、闘技場を出た。
控え室にギャッドゥがいた。壁にもたれていた。こちらを見た。
何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ、剣を握る手が震えていた。
ゴードの時は殴って勝った。セルジの時は切り替えて勝った。フェイの時は走って勝った。
全部、届いた。
今日は、何も届かなかった。
ルーカスさんの時とは違う。
あの時は間に合わなかった。
今日は、そもそも届かなかった。
剣が重かった。




