12 不在の席
馬車の中は静かだった。
車輪が石畳を踏む音と、馬の息遣いだけが聞こえていた。
窓の外を流れる景色は、エルドラムを離れるにつれて少しずつ変わっていった。畑が減って、道が広くなって、行き交う人の数が増えていった。
俺はずっと外の風景を見ていた。
頭の中がうまく整理できていなかった。
ルーカスさんのことを考えないようにしようとすればするほど、逆に引っかかってくる。
食堂での笑顔。夜の訓練場での手合わせ、そして……
最後の一言。
全部が、まだそこにあった。
ふと視線を外した。
隣にギャッドゥが座っていた。
外を見ていた。俺と同じように、黙っていた。
この席はルーカスさんが本来座る席だった。
二人で並んで馬車に乗るはずだったのは、俺とルーカスさんだったはずだ。
ギャッドゥもそれをわかっている。だから黙っている。
俺も黙っている。
何か言うべきかと思ったが、言葉が出てこなかった。
こういう時に限って、口は役に立たない。
沈黙が続き、馬車は進む。おそらくもう昼を過ぎた頃だろうか、いつの間にか王都が見えてきた。
最初に目に入ったのは城壁だった。でかかった。エルドラムの城壁の比じゃなかった。その向こうに建物が密集していて、塔がいくつも空に向かって伸びていた。
「……でかいな」
気づいたら口に出ていた。
「ああ」
ギャッドゥが短く答えた。それだけだったが、久しぶりに声を交わした。
城門をくぐると、人と音と匂いが一気に押し寄せてきた。
馬車がゆっくりと進む中、俺は外を見ていた。
通りの両側に店が並んでいた。お金があれば楽しいんだろうな、と思った。
怒鳴り声と笑い声と荷車の音が混ざり合っていた。
西の市場に行くといい。ルーカスさんの声が頭の中で聞こえた気がした。
色々なものが売っている。珍しい武具も出回る。
「……おすすめの店聞けばよかったな」
小声で言った。誰にも聞こえない声で。
登剣礼の受付は王都の中央に近い場所にあった。石造りの大きな建物で、入口には戦律官の紋章が掲げられていた。
受付で名前を告げると、分厚い冊子を渡された。
「登剣礼の規則書です。熟読の上で明日の開会式に臨んでください」
担当の女性が事務的な口調で言った。
冊子をぱらぱらとめくった。点数制、と書いてあった。
武約戦に勝利するとポイントが入る。
負けても失格にはならない。
上位十名が登剣礼合格となる。
観客の人気投票でボーナスポイントが加算される。
次の対戦相手は観客の人気で決まることもある——
「観客の人気で相手が決まる?」
思わず声に出た。
「そうです。登剣礼は戦う者だけのものではありませんので」
担当の女性は表情を変えずに言った。どうやら剣より顔の方が重要らしい。
ん? よく見るとまだ何か書いてある。
なお、点数は参加者には一切開示されない。結果は最終日にまとめて発表される。
つまり、自分が今何位なのか、勝っているのか負けているのかすらわからないまま戦い続けるということだ。
なんだそれは。
建物の外に出ると、広場に人が集まっていた。
参加者らしき顔もいくつか見えた。みんな体格が良く、目つきが鋭かった。エルドラムとは空気が違った。
「田舎の騎士が迷い込んだか」
なぜだろうか懐かしい気分になる冷たい言葉の声がした。
振り返ると、男が立っていた。
俺と同じくらいの年齢だろうが、纏っている空気が違った。仕立ての良い服を着ていて、後ろに二人の取り巻きを侍らせていた。
目が細く、こちらを値踏みするような視線だった。
「ボロボロの鎧か察するに魔法に自信がなさそうだな。そんな者が登剣礼に来るとは、随分と場違いではないか」
兜は被ってなかったから、魔法が一切使えないことはバレてない。被ってたらもっと言われていたんだろうな。
「……あなたは」
「レイン・アルヴァス。名前くらいは覚えておけ。どうせすぐに消えるだろうが」
それだけ言って、レインは背を向けた。取り巻きが続いた。
あー、多分いじめっ子だろう。あの姿を見ているとギャッドゥは偉いな、取り巻きを付けずに俺をいじめてたんだらから。
その背中を見ていた。ここはそういう場所だという事実が静かに落ちてきた。エルドラムより遥かに魔法が使えないことが、最初から弱点として見られる。
「気にするな」
隣でギャッドゥが言った。
「あいつの言う通りかもしれないだろ」
「そうは思わない」
短く、はっきりと言った。ギャッドゥにしては珍しい言い方だった。それ以上は何も言わなかったが、俺も何も言わなかった。
それ以上は何も言わなかったが、俺も何も言わなかった。
広場のざわめきが耳に残ったまま、俺たちは宿へ向かった。
王都の宿はエルドラムのそれとは比べものにならなかった。広いというより、無駄に天井が高い。部屋に入って最初に思ったのは、落ち着かない、だった。
「……広いな」
思わず呟くと、ギャッドゥが荷物を床に置きながら言った。
「狭いよりいいだろ」
「落ち着かない」
「お前らしいな」
「俺のなにを知ってるんだ」
「野蛮人」
それだけ言って、ギャッドゥはベッドに腰を下ろした。軋み一つしない。無駄にいい作りをしている。
荷物を置いて、窓の方へ歩いた。
王都の景色が広がっていた。
夕焼けが豪華な王都の景色を照らし終えようとしている。
昼間見た時よりも、人の数が増えている気がした。灯りが点き始め、通りはさらに騒がしくなっている。どこかで音楽のようなものも聞こえた。
しばらく黙って眺めていると、後ろから声がした。
「行くのか」
「どこに」
「外だ。じっとしてるタイプじゃないだろ」
振り返ると、ギャッドゥがこちらを見ていた。
少し考えてから、首を振った。
「今日はいい」
「そうか」
それ以上は何も言わなかった。
しばらくして、ギャッドゥがベッドに横になった。
「明日からだ」
「ああ」
「負けるなよ」
「そっちこそ」
短いやり取りだった。
だが、不思議とさっきまでの沈黙とは違っていた。
剣を手に取った。
鞘から少しだけ抜く。刃が光を反射した。
王都。
登剣礼。
強い奴ら。
そして――ルーカスさん。
全部が混ざって、胸の奥で鈍く沈んでいる。
「……とりあえず」
小さく呟いた。
「初戦からボコボコにされないようにしないとな」
自分で言って、少しだけ口の端が上がった。
目標としては、低い気もするが——今はそれでいい。
剣を鞘に戻し、ベッドに腰を下ろした。
天井を見上げる。
やっぱり、無駄に高い。
「落ち着かないな」
「さっきも聞いた」
ギャッドゥが目を閉じたまま言った。
「二回言いたくなるくらいには落ち着かない」
「寝ろ」
「……そうする」
目を閉じた。
王都の音が、遠くで鳴り続けていた。
その音に紛れるようにして、意識がゆっくりと沈んでいく。
王都での最初の夜が、静かに更けていった。




