《プロポーズ編》
「……ばかぁっ!! 翔くんなんて嫌いっ!!」
「ごめんなさいっ!! 本当にやりすぎました~!!」
私は洗面所に籠城していた。
あんなに乱れた自分は、好きな人に見せたい姿じゃない。
顔も耳も真っ赤で、心臓はバクバクしている。
「香澄さぁん!! 出てきてよ!?……ケーキ、食べるんでしょう!」
「知らないっ!! 翔君が全部食べれば!?」
ケーキのことなんて、頭から吹っ飛んでいた。
翔くんの気配が洗面所の前から離れていく。
……もう少し粘ってくれてもいいのに。
そう思ってしまう自分が、余計に恥ずかしい。
別に翔くんと触れ合うのは嫌じゃない。
むしろ、いつも気持ちよくて翻弄されてばかりだ。
でも今日は……驚いたのだ。
雰囲気も、距離感も、いつもと違っていたから。
思い出すだけで胸が熱くなる。
「香澄さん? ドア、少しだけ開けて。水持ってきたから……喉乾いたでしょう?」
翔くんの声にハッとする。
確かに喉は乾いていた。
仕方なくドアを少し開けて、水を受け取る。
その瞬間──
ペットボトルのくぼみに、赤いリボンで何かが結ばれていた。
……指輪だ。
小さなダイヤがきらりと光るセットリング。
どう見ても、普段使いじゃない。
「それ、受け取ったよね? 了承したってことだよ?」
「……えぇっ!? ちょっと待って、なんで……こんなタイミングなの……?」
戸惑っていると、翔君がそっとドアを押して入ってきた。
「本当は……昨日渡すつもりだったんだ。 こんな強引にするつもりじゃなかった。……困るよね?」
泣きそうな顔で言う。
……ズルい。
私がその顔に弱いの、知ってるくせに。
「香澄さん、大好きだよ。 何度でも申し込むから、覚悟しておいて?」
「……もぅ……なんで……。 ズルいよ……。 これ以上、溺れるの怖いのに……」
「もっと溺れてよ。 一緒に底まで連れていくから」
翔くんがぎゅうっと抱きしめてくる。
その腕の温かさに、涙がこぼれた。
「……私を、離さないでくれる? ずっとだよ?」
「最初から離す気なんてないよ。 香澄さんこそ、猫みたいに急にどこか行かないで?」
そんなの、行けるわけない。
この指輪を受け取ったら、私は翔くんの“飼い猫”になるのだ。
「ねぇ、ケーキ食べよう? それから……この指輪、嵌めてくれる?」
「うん! もちろんだよ!! あっ……抱えていこうか?」
「それは反省して!!」
「はいっ、気を付けます!!」
翔君に支えられながらリビングへ戻る。
ケーキの箱を開けると──
「うわっ! このケーキ、美味しそうだね!?」
「でしょう? 特別なアレンジなんだから!」
「ふふっ。香澄さんは本当にスイーツに目がないね」
「否定しないけど……分かち合う人は、もっと特別だよ?」
「……香澄さんっ!? 俺がそういうのに弱いの知ってて言ってるよね!!」
もちろん知っている。
一緒に暮らしてるんだから、当たり前だ。
翔くんは、私が怖がるのを知っていて、それでもプロポーズしてくれた。
“何度でも申し込む”と言ってくれた。
その言葉だけで、私は自分を大切にしようと思えた。
翔くんに、胸を張って隣に立てるように。
「……嵌めてもいい?」
翔くんの指先が、私の左手にそっと触れた。
触れられただけで、胸がぎゅっとなる。
「うん……お願い」
小さく頷くと、翔くんは息を整えるように一度だけ瞬きをして、とても丁寧に、指輪を私の薬指へ滑らせた。
その温かさに、涙がまたこぼれた。
指輪が薬指に収まった瞬間、胸がじんわり熱くなった。
「……似合ってるよ」
翔くんがそう囁いて、そっと私の頬に触れた。
触れられただけで涙がこぼれそうになる。
「香澄さん……泣かないで」
優しく拭われた指先がそのまま頬をなぞり、気付けば、唇が触れていた。
深くじゃない。
確かめるみたいに、静かで温かいキス。
その一瞬で、心の奥まで満たされていくのが分かった。




