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第4話 鮮血の三日月

「殺しの仕事だ」


 ドアが開き、アンリエットの『おかえり』の音を踏み潰すように、ギゼが言った。


 その夜、ギゼが持ち帰ったのは、安酒の匂いではなく、一通の黒い封筒と死の予感だった。


 ターゲットは、下層街の廃棄化学工場を根城に、違法薬物の精製と「型落ち」クローンの解体パーツ売買に関わっている三人の男たち。


 アンリエットが望んでいる『創造主クリエイターへの復讐』とは直接の関わりはない、ただの使い捨てられるべき端役エキストラだ。


「この人たちを殺すの?」


「そうだ。練習には持ってこいの相手だ」


「練習?」


「当たり前だ。銃の扱いに練習が必要なら、その先の殺しにも練習が必要だ。当たり前のことだ」


 ギゼは相変わらずタバコを吸いながら話したが、心なしか声音が苛立ちのような熱を帯びていた。


「……できないわ」


 アンリエットは、手入れを終えたばかりの四十五口径を握りしめたまま、微かに声を震わせた。


「私は、私を捨てた奴らに復讐するために、あなたに教えを請うたの。関係のない人間を殺すために、銃を覚えたわけじゃない」


 ギゼは、窓際に立って雨の街を見下ろしたまま、冷たく言い放った。


「なら、今すぐその鉄屑を捨てて、ここを出ていけ。アンリエット」


 彼は振り返り、彼女の瞳の奥を射抜くような視線を向けた。


「お前が求めているのは正義か? 復讐か? 安寧か? 復讐ってのはなにも生まない。行き先は、血の海の先にある掃き溜めだ。因縁のない標的一人殺せないような『不完全な殺人機械キリングマン』に、復讐を成し遂げる資格はない。甘い幻想を抱いたまま殺しに出れば、お前は引き金を引く前に、その因縁の相手に声も出ないまで性欲をぶちまけられてから、無惨に解体されるだけだ。……行くか、残るか。殺すか、やめるか。今すぐ決めろ」


 ギゼの言葉は、鋭いメスのように彼女のプライドを切り裂いた。アンリエットはその傷をふさぐように、低い声で答えた。


「……わかったわ。行くわ、ギゼ」







 現場は、酸性雨に洗われた廃工場の三階だった。


カビと錆、そして鼻を突くアンモニアの悪臭が充満する暗がりに、三人の影があった。男たちは、自分たちの余命が残り数分であることも知らず、剥き出しの電球の下で、カードを弄りながら下卑た笑い声を上げている。


「俺がまず一人やる。見ていろ」


 ギゼの合図とともに、静寂が暴力的に――猛禽の爪が獲物を裂くがごとく――引き裂かれた。『殺人』が始まった瞬間だった。


 最初の一人は、ギゼが仕留めた。


 迷いのない一撃。抜撃から発射までが一条の光のようだった。男は叫び声を上げる暇もなく、額の真ん中に新たな『穴』を開けて床に転がった。


 ギゼの動きにはプロの掃除屋としての冷徹な効率性があった。無駄な感情はゴミ箱に、美学は美術館に捨ててきたような、削ぎ落とされた動きだった。


「敵襲だ!」


 残りの二人がテーブルを蹴り倒し、陰に隠れる。一人が粗末なサブマシンガンを乱射した。火線が暗闇を走り、コンクリートの破片がアンリエットの頬をかすめる。


「右だ、アンリエット。詰めろ」ギゼが牽制の射撃を浴びせながら淡々とアンリエットに伝える。叫ぶことに意味はない。叫んでも声が届くときは届かない。生きるときは生き、死ぬときは死ぬ。


 アンリエットは、教わった通りに姿勢を低く保ち、機械的な歩法で側面へ回り込んだ。二人目の男が、マガジンを交換しようと手元を狂わせた瞬間――。


 アンリエットは遮蔽物から飛び出した。


 一発目の銃弾は、男の肩を抉った。男は悲鳴を上げ、手に持っていた武器を落とす。激昂し、獣のような形相でナイフを振りかざして突進してくる男。


 アンリエットの視界が、不自然なほどにクリアになった。


 男の筋肉の動き、飛び散る汗、剥き出しになった喉元。


 ギゼが横から男の側頭部を殴打し、体勢を崩させる。


「撃て」


 アンリエットは男の下腹部に銃身をめり込ませ、二度引き金を引いた。腹部を撃ち抜かれた男の身体が、衝撃で『くの字』に折れ曲がる。近すぎた。噴き出した生々しい血しぶきが、霧のようにアンリエットの顔と胸元を濡らした。


 男の身体から生気が泥のように抜け落ち、工場内に重苦しい沈黙が戻る。


 だが、最後の一人がいない。


 恐怖に駆られた三人目の男は、奥の解体室へと逃げ込んでいた。アンリエットはギゼの制止を待たず、吸い込まれるように闇の中へ踏み込んだ。


 暗い廊下の突き当たり。解体用の錆びたフックが並ぶ部屋で、男は震える手で旧式の拳銃を構えていた。


「来るな! このクソ人形が!」男が放った弾丸が、アンリエットの耳元をかすめて背後の壁を砕く。


 アンリエットは止まらなかった。


『考えるな。鈍る』


 訓練の記憶が脳内を駆け巡る。彼女の脳はとうとうぜんまいの切れてしまったオルゴールのように思考することを止め、かつん、かつん、と歩き続けた。


 ギゼの体温、安煙草の匂い、そして『その向こう側にある終わりを見ろ』という声。


 彼女は足を止めず、銃を構えた。


 四十五口径の重みが、今は自分の腕の一部のように感じられた。


 男が二の句を継ぐ前に、アンリエットの指が滑らかに動いた。


 一発。乾いた音が響き、弾丸は正確に男の股間を爆散させた。汚らわしい男どものそれで、捨てられる前もあとも、はけ口とされたたくさんのアンリエットがいたからだ。


 男は銃を落とし、自分の股座にあるそれがこぼれおちないよう、必死で自分の体に押し込みながら、床にのたうち回った。


 二発。今度は喉を撃ち抜いた。たくさんの、ゴミ捨て場に捨てられたアンリエットがいたからだ。


 ヒュウ、ヒュウと、かつてゴミ捨て場で死にかけていた彼女と同じ、破れたふいごのような音を立てて。アンリエットは、その音が止まるまで、じっと男を見下ろしていた。


 硝煙と、焦げた肉の匂い、そして立ち込める血の臭い。


 崩れ落ちた男の影に立つアンリエットの背中は、暗闇に溶け込み、その表情を読み取ることはできなかった。


 アパートに戻り、ギゼが壊れかけのスイッチを入れて、裸電球の明かりをつけた。


 安っぽい電球が数度瞬き、部屋を白茶けた、救いのない光で照らし出す。


「……アンリエット?」


 ギゼは、思わず息を呑んだ。


 扉の前に立ち尽くす彼女の顔は、返り血で赤黒く染まっていた。


 目の縁にこびりついた血が、部屋の暖気と彼女の体温で溶け、一筋の線を塗りつぶしている。それはまるで、彼女が流したことのない『血の涙』のように見えた。


 だが、ギゼを本当の意味で戦慄させたのは、その血の下にある口元だった。


 返り血を浴びたその唇は、わずかに、しかし明白に三日月の夜のように弧を描いていた。


 それは恐怖への逃避でも、勝利への歓喜でもない。


 自らの手で誰かの時間を止めたという、根源的で、呪わしいほどの充足感。


 帰宅までの道、ふたりは一言も話さなかった。


「……初めてにしては、上出来だ。アンリエット。シャワーを浴びてこい」


 無言でシャワー室に向かうアンリエットが、血の背中越しに聞いてきた。


「ギゼ」


「なんだ」











「わたし、うまくやれたかな?」






「ああ」


 会話はそれで終わり、しばらくしてアンリエットが、水音――血の混じった――を立てるのを聞いて、ギゼは古びた椅子に背中を預けた。


 ギゼは、震える指を隠すようにタバコを掴んだ。


「アンリエット。いや……ヘンリエッタ、と呼ぶべきか?」


 その質問に答えるべき彼女には聞こえていない独り言。


 仮にそれを聞いたとしても、彼女は何も答えず、ただ赤く染まった顔で、鏡の中の自分を見つめているだろう。


 そこに映っているのは、もう誰かの愛玩物でも、無機質な兵器でもない。一人の、醜くも気高い『復讐者』の産声だった。






(つづく)

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