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第3話 硝煙の教室

 地下に潜れば、街の雨音もネオンの狂騒も届かない。


 そこにあるのは、湿ったコンクリートが吐き出す凍てついた冷気と、数十年にわたって蓄積され、壁の奥まで染み付いた火薬の焦げた匂いだけだ。


 かつては防空壕か、あるいは忘れ去られた地下鉄の遺構だったのだろう。


 今では、戸籍を持たない人間たちが誰にも知られずに銃声を響かせるための、非合法な射撃場と化していた。


 剥き出しの電球が、電圧の不安定さに耐えかねて時折ジジ、と不吉な音を立てて震えている。


「思い出せ。……いや、身体の隅々にまで叩き込め。これは銃だ。それ以外の何物でもない」


 ギゼの低い声が、地下の静寂に鋭く反響する。彼は油染みのついた作業台の上に、一挺の拳銃――四十五口径のガバメントを置いた。


「護身用の玩具じゃない。人殺しの道具だ。これを使って釘を打つことも、スープを作ることもできない。『人を殺す』、その一点のためだけに磨き上げられた鋼鉄の塊だ。これを持つということは、その結末をすべて引き受けるということだ。お前の指の先で、誰かの時間が永遠に止まる。その感覚を想像しろ」


 アンリエットは、震える指でその冷たいスライドの感触を確かめた。その手を、ギゼはまるで大型の獣が獲物の息の根を止めるかのように、強く、強すぎるほどに握りつぶした。


「痛っ……」


「ふざけるな。なぜ震えているんだ? なにが痛いだ?」


 ギゼの瞳は、感情を排した機械のように無機質だった。


「お前の復讐が成就すれば相手は死ぬ。お前が引き金を引けば、肉が裂け、骨が砕け、相手は物言わぬ肉の塊に変わる。お前がやろうとしていることは、そういうことだ。相手の痛みなど、お前の痛みなど、銃弾の前では何の意味も持たない。こんなところで震えているくらいなら、俺は今度こそ電話をかけてお前を売り飛ばす。痛みを知らん誰かの家で、一生微笑む人形ドールとして過ごせ」


「……わかった。離して、ギゼ。……もう、震えない」


 訓練は過酷を極めた。ギゼはかつて軍隊にいたであろう鬼教官のような――もっともギゼに公式な従軍経験などないが、その技術の出所は想像に難くない――冷徹なまでの容赦のなさで彼女を追い込んだ。


 重いスライドを何度も引かせ、狙いを定めさせたまま数十分も静止させる。筋力の戻っていない彼女の細い腕は、酸欠を起こしたように痙攣し始めた。手の皮がめくれ、そこから人間と寸分違わない濁ったピンク色の人工血液が滲んでも、ギゼは練習を辞めさせなかった。


「人の命を奪うのは大罪だ。……少なくとも、何十年か前まではそうだった。今はクローンが単なる資源として数えられる時代だが、罪であることに変わりはない。引き金を引く指には、常にその見えない重みが、何千人分もの命の重さがかかっていることを忘れるな。それを忘れた奴から、ただの壊れた掃除機と同じになる」


 そう吐き捨てながらも、ギゼは背後から彼女を包み込むようにして、その細い腕に自分の厚い手を重ねた。


 おぶさるような姿勢で、彼女の肩に顎を載せるようにして、視線をフロントサイトへと導く。ギゼの体温と、使い込まれたトレンチコートに染み付いた安煙草の匂いが、死の道具を握るアンリエットの緊張をわずかに和らげた。


「……標的の真ん中を見るな。その向こう側にある『終わり』を見ろ。お前が撃つのは紙の的じゃない。お前の仲間をゴミのように扱った、あの連中の心臓だ」


 彼の大きな指が、彼女の小さな指の上に重なる。


 乾いた破裂音が地下室を激しく揺らした。鋭い反動が彼女の細い腕を突き、鼓膜を執拗に震わせる。


「いいか、何も考えるな。そいつの思想、人生、家族、愛。何も考えなくていい。無駄極まりない。どうせ殺せば全てなくなる。お前がすべきことは、ただ無慈悲な結果を提供することだけだ」


 アンリエットの身体は、ギゼが想像していた以上の速さで「技術」を思い出していった。


 いや、それは思い出すというより、彼女の遺伝子に深く封印されていた殺戮の回路が、ギゼの手によって再び火を噴くような、悍ましくも美しい感覚だった。


 分解、清掃、組み立て。目隠しをされた状態でも、彼女の指先は滑らかに部品を躍らせる。整備を怠れば、そのわずかな砂粒一つが、自分の命を吸い取ってしまうことを、彼女の細胞は本能で知っていた。


 夜、部屋に戻ると、ギゼは無言で彼女の傷だらけの手を手に取った。


 救急箱から取り出した古い消毒液を浸し、丁寧に包帯を巻いていく。その手つきは、獲物を仕留める時の正確さと、ガラス細工を扱う時の危うい優しさが混ざり合っていた。


「……痛むか」


「いいえ。……これくらいでなければ、あの男たちに届かないから。痛いのは、生きている証拠だって、あなたが言ったわ」


「そうだったな」


 アンリエットの瞳には、かつての「無」ではなく、研ぎ澄まされた刃のような光が宿り始めていた。その光は、彼女を救ったはずのギゼの心さえも、容赦なく切り裂かんばかりに鋭い。


 ギゼはそれを見て、ポケットから取り出したタバコを口に咥えたが、火は点けなかった。代わりに、彼はそのフィルターを奥歯でギリリと噛み潰した。


「アンリエット」


「何?」


「後悔しても、もう遅いぞ。引き返せる橋はすべて落とした」


「しないわ」


 会話はそれで終わった。


 アンリエットに「人間としての心」を取り戻させたはずの自分が、今度は彼女に「死を与える技術」を、かつて自分を地獄に繋ぎ止めた呪いの鎖を叩き込んでいる。


 自分が生きている血生臭く汚物の塗られたこの世界に、心を持つべき銀髪の少女を再び引きずり戻しているという強烈な自己嫌悪。それが、噛み潰したタバコの苦い葉の味となって彼の口内に広がった。


 黙って電話をかければ、『アンリエット』としての運命は終わり、彼女は新しい存在になれる。しかしギゼには、それが、たったそれだけのことができなかった。受話器を握ろうとするたびに、自分の犯した罪の重さのように鉛色に重くなる右手が、それを拒ませた。


「明日からは、実戦に近い訓練に入る。……覚悟しておけ、アンリエット」


「……わかったわ」


 彼女は包帯の巻かれた手で、ギゼのコートの裾を小さく掴んだあと、吸い込まれるように寝室に入っていった。


 ギゼは、窓の外で止まない酸性雨を見つめながら、自らの手に残る少女の熱を、自分を縛る唯一の罰のように握りしめていた。






(つづく)

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