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ディルニアスが壊れた日

 レイモンドは「完璧な王太子」であるディルニアスの八歳下の弟であった。

 兄のディルニアスは賢君が持って生まれるという輝く金色の髪に金色の瞳、弟のレイモンドは名君が持って生まれるという琥珀色の瞳であった。賢君と名君が同じ世代に揃っていることを、めでたいことだと言いながらも勿体ないと残念がる諸侯が多かった。

 兄よりも落ち着いた金色の髪に琥珀の瞳という色合いのせいか、レイモンドは人々に柔和な印象を与えるようであった。しかしながら、ふわりと綻んだ花のような柔らかな華やかさも持っている。

 だが見た目と違い、レイモンドは冷静な人間だった。

 何事も平然とこなしていく兄は「特別」なのだと理解していた。自分を兄と比較して、落ち込むことは決してなかった。

 教師たちが「お兄様を目指してはいけません」と言っていたからか。両親が「あの子と自分を比べてはいけません」と言っていたからか。八歳も歳の差があるからか。

 兄は、「全てが違う人」だとレイモンドはずっと思っていた。

 廊下ですれ違っても見向きもされない。兄弟として遊ぶこともなく、偶に話すことがあっても、金色の瞳が怖いと思った。

 しかし、いつ頃からだろう。

 ディルニアスの雰囲気が柔らかくなっていった。それは本当に微かな、纏う空気の違いほどだったが。それから、ふとした拍子に口角を上げるようになった。口角が上がる角度が大きくなり、目を細めるようになり、そうして偶に、思い出したかのように微笑を浮かべるようになった。

 近しい者たちは驚いた。驚かなかった者は、貼り付けた笑みを本当の笑みだと思っているような、ディルニアスが相手にしていない人たちだ。


「やあ、元気?」


 ディルニアスに廊下で声をかけられて、四歳のレイモンドはどう返事をして良いか分からなくてそのまま硬直してしまったが、ディルニアスは気にすることもなくそのまま通り過ぎて行った。

 笑った顔で挨拶をされた、というだけで城の者たちは驚いた。その内、鼻歌を歌っているのを聞いた、と青褪める者も出てきた。

 どうしたんだ、何があったんだ、あれは本当にディルニアス王太子殿下なのか、と皆が戦々恐々としていた或る日。


 オルトニー公爵家の嫡男、マクシミリアンとマリーベル夫妻に第一子となる長女が産まれた。


 その時から、ディルニアスは完全に壊れた。


「産まれたよ! 産まれたんだ! やっと会えた! やっとこの世に来てくれた! 僕の何よりも大切な人が!」


 そう言って、偶々廊下で出会ったレイモンドを抱き上げ、くるくると回った。今まで挨拶もしてくれなかったような兄の豹変した態度に、レイモンドは訳が分からなかった。ただ、その兄の台詞と、嬉しそうに頬を紅潮させて、きらきらと輝かせた金色の瞳が強く印象に残った。

 ずっと怖いと思っていた金色の瞳を、とても綺麗だと初めて思った。


 そこからのディルニアスの動きは速かった。

 以前に書いて貰ったという『娘が産まれたらディルニアス王太子殿下と婚約させ、将来は結婚を許す』という契約書を元に、産まれた赤ん坊との婚約を自ら進めていった。

 十三歳の王太子殿下が、産まれたばかりの赤ん坊との婚約を、自ら進めている、ということが知れ渡ると、反対の声を上げる者が幾人か存在した。「完璧な王太子」と評判が広がっているのだから、諸外国の姫と婚姻を結び国力を強めるべきだ、という考えを持つ者や、王弟一家とは関係が良好なのだから、違う派閥の貴族の家の娘と婚姻を結び、国内の安寧を強固にするべきだ、という者たち。


 どうせ、陛下が許可する訳がない。


 そう思われたが、婚約はすんなりと許可された。ディルニアス王太子殿下が陛下を脅して許可を得た、というような噂も流れてきたが、どう脅したのかは不明であった。


 ディルニアスは公爵邸に入り浸った。書類などの仕事も公爵邸に持って行き、婚約者(赤ん坊)の世話をしながら仕事をしていたので、お付の者たちも強く言うことが出来なかった。従兄のマクシミリアンが夜には無理矢理城に送り返していたが、「ヴィが泣いている気がしたから」と夜中に公爵邸に忍び込んで、朝方に発見されることも多々あった。いくら屋敷の警備を強化しても、朝方に婚約者(赤ん坊)と共に眠っているディルニアスが発見されたので、マクシミリアンはディルニアスを追い出す事を泣いて諦めた。


 レイモンドにとって、オルトニー公爵家に生まれたヴァイオレットは、従姪(じゅうてつ)になるので出産祝いとして公爵邸を訪れた。勿論、そこには既に我が家のように寛いだ兄のディルニアスが居た。

 レイモンドが部屋に入ると、ディルニアスが赤ん坊を抱いていた。心地よい風がレースのカーテンを揺らし、部屋に差し込む柔らかな光を浴びながら、身体を揺らし、小さな声で子守歌を歌っているその姿は、絵画を見ているように美しかった。

 幸福そうな表情、嬉しそうに微笑む口元、愛しそうに見つめる瞳。

 一瞬後には、レイモンドも付き人たちも「あれ、誰?」と我が目を疑った。


「さあ、レイモンド様。どうぞヴァイオレットに挨拶をしてやってください」


 ヴァイオレットの母親のマリーベルは、にこにことレイモンドたちを部屋の中へと促した。レイモンドは誘われるがままに兄のディルニアスの前へと進んだ。

 ディルニアスはレイモンドをじろりと睨み下ろし、一歩後退った。


「ディルニアス王太子殿下?」


 マリーベルが笑顔で呼びかけると、ディルニアスが気まずそうに視線を逸らせた事にレイモンドたちは驚いた。


「わたくしが許可した方にはヴァイオレットを触らせる、とお約束されましたわよね?」

「い、いや、でも……」


 何かを言い返そうとしたようだが、マリーベルの笑顔の圧に、ディルニアスはそのまま黙り込んだ。相手が年配の貴族だろうが、宰相だろうが言い返すディルニアスである。付き人たちもレイモンドも、茫然とディルニアスを見つめた。


「……ちゃんと、よく、手を綺麗にしてから、優しく、少しだけ、なら」

「……はいっ!」


 控えていた公爵家の侍女が進み出て、濡れタオルでレイモンドの手を拭いてくれた。ディルニアスが膝をついて屈んでくれたので、レイモンドはようやくヴァイオレットの顔を見ることが出来た。

 レイモンドは赤ん坊というものを初めて見たのだが、


「なんてきれいな赤ちゃん!」

「そりゃあ、ヴィだからね!」


 驚いたように声を上げるレイモンドに、ディルニアスは得意気に答えた。


 紫水晶色の瞳がきらきらと輝いて、まるでガラス玉のように思えた。ぷっくらと膨らんだ白い頬も陶器ではないのか、という疑問が湧き、そっと指先を伸ばせば、ぎゅっと小さな手に握られた。


「うわあぁ」


 何て小さな手なんだと、レイモンドは思わず声を上げてしまう。


「あああっ! ヴィ、どうして他の男の手を掴んで笑っているんだい? 僕に何か不満があるなら直すから!」


 ディルニアスは真剣な表情で、ヴァイオレットを覗き込んでいた。ヴァイオレットはにこにことレイモンドに笑いかけている。しかし、それよりもレイモンドは、ディルニアスが「僕」と言っていることに驚いた。


「僕を見つめて? 僕に笑いかけて?」


 ディルニアスは家族しかいない場所でも、「私」と言っていたから、レイモンドはディルニアスが「僕」と言っているのを初めて聞いた。自分の腕の中のヴァイオレットに懇願するように話しかけているディルニアスを、ヴァイオレットが指を離すまでレイモンドは呆気にとられて見つめ続けた。


 それから年々、ディルニアスは壊れていった。最も大切な人の母親だからか、かろうじてマリーベルの言うことは聞いてくれる、というような状態であった。

 「完璧な王太子」であったのに、と嘆く臣下も多かったが、レイモンドは今の兄の方が好きだった。両親である陛下たちも、どこかほっとしたように喜んでいた。


「兄上! ヴァイオレット嬢はお元気ですか?」

「ああ、この間初めて歩いたんだよ! 僕の方に必死に歩いてくる姿がとても幼気で愛らしく、自分から迎えに行きそうになるのを堪えるのが大変だったよ!」

「へええ。是非、歩く姿を見たいです! 僕もまた公爵邸に行ってもいいですか?」


 以前とは違って、ヴァイオレットのことを話題にすれば、ディルニアスはにこにこと饒舌に話をしてくれた。でも、会いに行きたいというと、顔を顰める。駄目だと言いたいが、マリーベルとの約束もあるので言えなくて葛藤している様子を、レイモンドは面白く思った。

 ディルニアスが笑ったり、機嫌を悪くしたり、顔を顰めたり、そういった表情を出すようになったことが、兄として身近に感じることが出来て、レイモンドは嬉しかった。

 だが、そうではない人たちもいた。

 ディルニアスが困難な時も、楽しい時も、怒るべきな時も、どんな時でも表情を変えずに何事も淡々とこなす姿を「完璧な王太子」として心酔している者たちがいたのだ。


「どうぞ、元の貴方に戻ってください」


 そういった者たちが、十四歳のディルニアスに懇願したらしい。

 ディルニアスは当然取り合わなかった。彼らが勝手にディルニアスを信望しているだけで、ディルニアスが頼んだことではない。

 それから一、二年ほども経った頃だろうか。気が付けば、ディルニアスの信望者であった家の当主は皆交替していた。とても静かに、本当に気が付いたらそうなっていたらしい、とレイモンドは後に知った。


 レイモンドが十二歳になった時、王家の教育が始まった。

 例えば、いざという時の為の城の抜け道や宝物について、内密に引き継がれている書物や日記。そういった中に、「輝く金髪と金色の瞳を持つ」王についての記述があった。

 そもそも、このウィンダリアの国を創った始祖が「輝く金髪と金色の瞳」を持っていたそうだ。その後、代々、稀に現れては、よく国を治め、法を定め、蔓延る悪を刈り取り、国を豊かにする、と善政を行った。だから、一般的には「賢王」と呼ばれている。ただし、彼らは一様に感情を出すこともなく、黙々と仕事をこなし、そうして若くして発狂して死んだそうだ。

 レイモンドはその事実を学んだ時、色々と納得した。

 幼い頃から、誰も自分に「お兄様を見習いなさい」と言わなかったことに納得した。寧ろ、「見習うな」と言われていたことに合点がいった。ディルニアスが壊れたと言われてから、両親が何となく嬉しそうだった理由にも見当がついた。


 ディルニアス(兄上 )が壊れた日は、ヴァイオレットが生まれた日だ。


 ヴァイオレット嬢が生まれてこなければ、兄上はやはり狂い死んでいたのだろうか、とレイモンドは考えた。


 その学習を行った暫く後。

 レイモンドは珍しくディルニアスに執務室に呼び出された。


「レイモンド、王太子になる気ある?」

「…………は?」


 椅子に座り、足を組み、優雅にティーカップに口をつける兄をレイモンドは見つめたが、何も考えを読み取ることが出来ず、背後に立っている従者のライアンに視線を向けた。

 だがライアンは、残念な子を見る目で座っているディルニアスを見下ろしていた。彼も答えを知らないらしい、とレイモンドは考えた。


「なる気はありません」


 レイモンドは素直に自分の気持ちを伝えた。


「そうなの? 君は賢いし、思慮深い。良い王になると思うけどな?」

「いや、本当になりたくないです」


 何だろう? 謀反を唆されているのだろうか? とレイモンドは意図が分からず冷や汗をかいた。


「そうか。じゃあ、自分の周囲にこれから気をつけておきなさい。恐らく数年以内には、君を担ぎ上げて王太子にしようとする者たちが動くだろう」


 レイモンドは驚いた。自分自身では、特に「第二王子派」というような、近寄ってくる者がいるとは現時点では認識していないからだ。


「多分、これから出てくるよ。ほら、私も二十歳になっただろう? 既に大事な最愛の婚約者がいるというのに、縁談話が煩くてね。国外から国内からと湧き上がっているんだけど、私はこれらを片っ端から潰していくつもりだ。そうすると、恐らく、私を意のままに操るのは難しいと今更ながらに気付く愚か者たちが、そちらに向かうだろう。だから、王太子になる気がないのなら気を付けておきなさい」


 ディルニアスが語る理由に、レイモンドは呆れ、有り得ることだと納得した。


「それなら、兄上がついでにその『第二王子派』も潰しておいてくださいよ」

「君はやれば出来る子だ。出来る子の仕事を奪うつもりはないよ。私は忙しいからね」


 ライアンがげんなりとした目でディルニアスを見下ろしており、大変そうだな、とレイモンドはライアンに同情した。


「逆に言えば、このくらいのことも出来ずに担ぎ上げられる無能な弟なら、今後の私の邪魔になるからこちらも色々と考えないといけないしね」

「頑張ります! お任せください!」


 今度はライアンから同情の視線がレイモンドに注がれた。


「……でも、本気で王太子になりたいなら、いつでも言いなさい。私は、この国を豊かに、平和に出来る者になら、誰にでも王太子も王位も譲るつもりだ」


 「国を豊かに、平和に」と譲る条件にしていることに、レイモンドは驚いた。だが確かに、ディルニアスは外交も、治安も、経済も、注意深く采配しているからこそ、「完璧な王太子」と呼ばれているのだ。


「……僕は、兄上ほどこの国を愛している人は知りません」


 素直に、レイモンドはそう思ったことを口にした。


「そうだね。私以上にこの国を愛している者はいないと断言できるよ」


 ディルニアスはそう言って、微笑んだ。


「だけど、今はヴィがいるからね。ヴィとこの国なら、()()()()()()()()()


 ディルニアスの言葉に、纏う空気に、レイモンドは背筋がぞくりと粟立った。


「もしも、()とヴィを引き離すのなら、()は迷わずこの国を潰してヴィを連れて出て行くよ」


 ────本気だ。

 本気で、きっと、この国を破壊してもヴァイオレット嬢の手を取るのだろう、とレイモンドは直観的に悟った。


「まあ、そんな事をさせる気はないし、させないけどね? ヴィがいるんだから、彼女が心地よく住める国にしないとね」


 だから頑張るよ、というディルニアスに、レイモンドは立ち上がってディルニアスの傍で跪き、臣下としての礼をとった。


「不肖の身ながら、今後は、お二人の為に誠心誠意努力させて頂きたいと思います」


 レイモンドには、ディルニアスはもう、ぎりぎりな気がした。ヴァイオレットがこの世界からいなくなれば、きっとこの国だけではなく、世界が滅びるだろうとレイモンドは思った。

 

 ヴァイオレットが生まれた日から、ディルニアスは壊れた。


 そう言われているけれども、それはある意味とても正しい事だったのだ、とレイモンドは痛感した。

 感情表現が出てくるようになったのではなく、もしかしたら抑止力や理性が壊れたのではないだろうか。それが一番、正しい気がした。

 本能のままに求め、愛し、執着している今は良い。だけどもし、ヴァイオレット嬢と引き離されてしまったら? ヴァイオレット嬢がこの世界から消えてしまったら?

 想像しただけで、鳥肌が立った。

 だから。この二人を絶対に引き離してはいけない、とレイモンドは誓った。


「うん、よろしくね」


 ディルニアスは、にっこりと笑った。


 



 






 

 


ちょっとずつ完結に向けて書いております。しかしながら、次の更新が一週間後に出来たら良いな? 短い話ならいけるかな? という感じです。活動報告でまた報告します。

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>わたしさえいなければ、  それ、ダメ! 絶対! と今話でわたくしも解らせられました。  タイトル後半は「完璧な最終兵器です」と…  賢君ディルニアスさん、人生何周目? 過去世の記憶が全てあるのなら、…
レイモンドくん、お利口だね…!!とめいっぱいよしよししてあげたい気持ちに……!! 怖い思いして偉かったね〜〜強いね〜〜いいこだね〜〜!!みたいな。 聡い子はよくわかってしまうのだろうなぁ…頑張ってるよ…
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