お前の命は勿論、このブルーム子爵家の存続は全てお前にかかっているからな (3-1)
「どうか、どうか御慈悲を! お願いします!」
ディルニアスの従者、ライアン・ブルームは、床に跪いて土下座をした。しようと思ってした訳ではない。頭を下げ続けていたら、そういうことになってしまった。さすが王宮の絨毯はフカフカだな、と頭の隅で思いながらも必死だった。
「慈悲? 慈悲ならかけているじゃないか」
分からないことを言うなあ、と面白そうに口角だけを上げるという笑顔を、ディルニアスは浮かべた。一人掛けの椅子に座り、足を組み、肘掛けに片肘をつけて人差し指で頬を支えながらライアンを見下ろしている姿は、「悪魔を人の形にしたらあんな感じだろうなと思った」と後に侍従のジェフリーは語った。
「妹はまだ幼いんです、勘弁してください」
ライアンは顔を上げて、ディルニアスを見つめた。目には涙が浮かんでいる。
「だから、良いんじゃないか」
確か六歳だよね? とディルニアスは意味ありげに笑った。
「礼儀作法もまだ勉強中の身です」
「実践を経験させるのに丁度良いね」
何を言ってもディルニアスは笑って答える。ああ、もう無理だと思いながらも、ライアンは叫んだ。
「うちの妹に、オルトニー公爵令嬢のお友達なんて無理です!」
ライアンがディルニアスの従者になって一年が経つ。
王太子としての判断力、決断力、応用力、公平性と頭の回転が全てにおいて飛び抜けていることを、ライアンは痛感した。そして、御年四歳の婚約者の事柄に関しては、人並外れて嫉妬深く、心が狭く、容赦なく、慈悲もないことを体感していた。
万が一にも、妹がオルトニー公爵令嬢の心を傷つけたり、爪の先ほどの傷を負わせたりしたならば、妹の将来はないだろうし、ブルーム子爵家も取り潰しにされてしまうだろうとライアンは容易に想像できた。
「無理じゃないよ、大丈夫だよ」
何で、あんたが、大丈夫だって断言してるんですか! と言いたかったが、王太子殿下なので言い返せなかった。
「というか、殿下、友達なんか要らないって仰いましたよね?」
「うん、要らない。ヴィには私さえいればいいだろう?」
そう思うんだけど、と憂いを帯びた表情で、ディルニアスは深く息を吐いた。殿下の性格や思考を知らなければ見惚れてしまう表情だよな、とライアンは冷静に思い、何を言い出すのかと身構えた。完全に、慣れである。
「ほら、この間のお茶会でヴィの髪を引っ張った少年がいただろ?」
「はい、貴方が再起不能にして領地に引っ込んでしまった気の毒な少年ですね」
表立っては王家としては何も出来ないが、裏から手を回して今後は色々と見守ることになった気の毒な少年だ。
「ああいう危険な事があってはいけないから、やはりヴィはお茶会に出るべきではない、と進言したんだけど、聞き入れられなくてね」
「そりゃあ、危険なのはお茶会ではなくて、貴方ですからね」
あ、と思ったが疲れていたライアンは素直な気持ちが口から出てしまった。もう、これで怒ってクビにしてくれたら妹の件も無くなって良いのではないか? と期待したのだが。
「そんなことで、君をクビにするわけないだろう?」
どこまでも見透かしている瞳で、にっこりと微笑みかけられた。
「私の代わりなんて、いくらでもいますよね?」
「君は自分を過小評価しすぎだよ」
ディルニアスは呆れたように、掌を上に向けて指を振った。立て、ということかと、ライアンは諦めて立ち上がった。
「オルトニー公爵夫人が君をとても信頼していてね。せめて君の妹をヴィの遊び相手にさせて、お茶会に出るのはもう少し大きくなってから、ということでお互いに妥協することになったんだ」
「は?」
どうして自分がオルトニー公爵夫人に気に入られるのか、ライアンは分からなかった。
「あの時、少年を殿下から助け出して公爵夫人に預けたからのようですよ」
傍に控えていたジェフリーが説明をした。
「相手が王太子殿下であっても阿らず、常識を持って判断をして少年を助け出した事を評価されたようです」
「そんな当たり前な事」
ライアンは呆れたが、
「その当たり前なことをせず、上の者の機嫌を取ることだけを考え、媚び諂う者が多いんだよ。主君を正しい道へと導こうとする臣下は、とても貴重な人材なんだ」
「……殿下」
ライアンは深く息を吐いた。
「分かっているなら、御自分でちゃんと正しい道へと進んでください」
「まあ、そういう訳だから」
ディルニアスはするりとライアンの言葉を聞き流して、パン、と手を叩いた。
「これは決定事項だ。ライアン、君の妹のダイアナ・ブルーム子爵令嬢を私の婚約者のヴァイオレット・オルトニー公爵令嬢と引き合わせるから」
にっこりと断言されて、これはもう断れないなとライアンは心の中で妹に詫びた。
「お前の命は勿論、このブルーム子爵家の存続は全てお前にかかっているからな」
そうライアンに言われて、ブルーム子爵家の末っ子のダイアナは、この国の王太子殿下の婚約者のヴァイオレット・オルトニー公爵令嬢と会うことになった。双子の兄のロイはお留守番で、父親も母親も不安そうな顔をして、兄はずっと謝ってくる。
六歳のダイアナは、何が起こっているんだろうと恐怖を感じながら、オルトニー公爵家に連れて行かれた。
しかし。
「ヴァイオレット・オルトニーです。四さいです」
ダイアナは、ぽかんと口を開けてしまった。
肩より下の長さの真っ直ぐな淡い金の髪は、少し顔を動かしただけでさらさらと輝き、窓から差し込む光を反射させていた。じっと見つめてくる紫水晶の瞳はどこまでも澄んでいて、ぷっくらと膨らんだ桃色の小さな口は、とても柔らかそうだった。薄い黄色のワンピースドレスは縁取りに使われた白いレースと、ウエストを絞った濃い黄色のリボンがアクセントになっている位のシンプルなものだが、それ故に幼いながらも整ったヴァイオレットの美しさを際立たせていた。
「天使さま?」
余りにも眩しく感じて、ダイアナは目の前のヴァイオレットに問いかけた。
「ダイアナ、名乗らないと駄目だろう。ほら、殿下、うちの妹はまだ礼儀作法がちゃんと出来ないんですよ。失礼をして申し訳ございません。我々はこれでお暇させていただきます」
「失礼? 公式ではなく身内の集まりなんだし気にすることはない。ねえ、義母上?」
「ほほほ。誰が義母上ですか。まだ法律的にも殿下の義母ではございません。どうぞ名前でお呼びください。それはともかく、殿下の仰る通り身内の集まりなんですから、気にすることはないですよ」
「ははは。手厳しいな。それにしてもさすがライアンの妹は見る目があるね! 私の婚約者が天使だとすぐに見破られてしまったよ」
逃げられないか……とライアンは肩を落とした。
「はじめまして。ダイアナ・ブルームです。六さいです」
ダイアナは慌てて挨拶をした。勢いよく頭を下げてしまって、自分の焦げ茶色の収まりの悪い髪がぴょこんと跳ねたのが視界の隅に入った。
「では、わたしの二つ上のおねえさまですね」
お姉さま!
ダイアナは、末っ子だった。八人兄姉の中での完全な末っ子だった。双子なのだから違いはないと抗議しても、ロイは男の子でダイアナは女の子だから、とダイアナにはよく分からない理屈でダイアナは末っ子だった。
だけど、今、こんなに綺麗で、可愛らしい少女から、お姉さまと呼ばれている。
「そう! わたしはお姉さまですわ!」
ダイアナは興奮した。隣で頭を抱えている兄のライアンの姿など目に入っていなかった。
自分はお姉さんなんだ。この可愛らしい少女を守ってあげないと。一緒に遊んで、色々と教えてあげるんだ!
そう考えて、ダイアナはワクワクとした。
月に一度か二度くらい、オルトニー公爵家から迎えの馬車が来てダイアナは招かれた。屋敷を訪ねれば必ずヴァイオレットの婚約者のディルニアスと兄のライアンがいた。
「どうしてお兄さまがいるの?」
不思議に思い訊ねると。
「ライアンは、君のことが心配で仕方ないらしい。優しいお兄さんだね」
「貴方の魂胆がようやく分かりました。私の不安を煽ってここでの様子を見る為にうちの妹を紹介しましたね?」
「考えすぎと言うものだよ」
ディルニアスとライアンが何を言っているのか、ダイアナにはよく分からなかった。
「ダイアナ」
ヴァイオレットは、はにかむような笑顔でいつもダイアナを迎えてくれた。一緒に本を読みたいのだと、おずおずと本を差し出してくることもあった。公爵家の庭の片隅で、花冠の作り方を教えて出来上がった冠を頭上に載せると、輝くような笑顔でダイアナに抱きついてきた。それを見たディルニアスは暫くは色々な花で冠を作ることに熱中していたことは、ダイアナは知らない。
芝生の上に座って寝転ぶことを教えれば、とても驚いた顔をした後に「きもちよいのね」と小さく声を出して笑っていた。天使さまは地面に座ることも知らなかったのか、とダイアナは驚いた。
ヴァイオレットの両親、公爵家の人がわざわざダイアナにお礼を言ってくれたりもして、ダイアナは戸惑った。だって、自分にとってはごく当たり前な事を一緒に遊んでいるだけなのだ。
やはり、天使さまと自分は違う人間なのだわ、と愚かではないダイアナは思うようになった。
ダイアナは子爵家の娘なので、本来なら公爵家と係わりになるような位の貴族ではない。なので、ヴァイオレットと遊ぶ用事がある時以外は、家同士が知り合いな同じ年頃の友達と遊んだりしていた。
「ねえ、あなたが王太子殿下の婚約者の遊び相手をしているって本当?」
或る日、母親のお茶会について行き、別室で同じ年頃の娘だけが集まっている部屋で、ダイアナはそう質問された。
「ええ、本当よ。まだ五歳だけど、とっても美しくて可愛らしい上に賢いの!」
別に口止めされている訳ではないので、ダイアナはここぞとばかりにヴァイオレットを褒めちぎった。自慢したかったのだ。だが。
「王太子殿下にもお会いしたことあるの?」
「ええ、あるわよ」
あるどころか、ヴァイオレットの屋敷に行くと必ず居るのだ。まめに婚約者に会いに行っているというのは、とても素敵ねと母は言っていたが、ダイアナは何となくディルニアスの視線が怖かった。睨まれているわけではないのだが、ずっと監視されているような不気味さがある。それを兄のライアンに伝えたところ「その勘を大事に生きていきなさい。きっとお前を助けるだろう」と予言者のようなことを言うだけで、詳しくは教えてくれなかった。
「お話をされたの?」
「したことはあるわ」
「やはり綺麗な方だった?」
「キラキラしてはいたわね」
ダイアナはヴァイオレットの話をしたいのに、皆、王太子殿下のことばかりを訊いてきた。
「殿下は、とても婚約者の方を大事にしていらっしゃるわよ?」
「いやだ、ダイアナったら」
クスクスと笑われた。
「相手は五歳の子供でしょう?」
そりゃあ、子供だから大事にするわよ、と笑っている。
いや、わたしたち、七歳よね? この中で一番上の子でも九歳よね?
ダイアナは目を丸くした。王太子殿下の婚約者なのに、公爵家の令嬢なのに、同じ子供なのに「五歳で物を分っていない幼児」だと決めつけて馬鹿にしていることに、驚いた。
いや、あんた達よりも余程賢いし大人だし美しい上に可愛いし!
言い返したかったが、ダイアナは我慢した。
「ねえ、良かったら今度その子の家に遊びに行くときはわたしも連れて行ってよ」
「あ、わたしも行きたい。王太子殿下に会えるかな?」
「お話できるかも」
出来る訳あるか! と叫びたかったが、
「は? 無理に決まっているでしょう」
何とか言葉を抑えたが、それでも色々と文句を言われた。
帰宅してから兄のライアンに怒りながらそういった事があったと報告すると、ライアンは「うーん」と眉を顰めて考え込んだ。
「俺が言うのもなんだけど、殿下って本当に人を見る目はあるんだな。だから、お前を友人に選んだわけか」
そう言って、ダイアナを見て苦笑した。
「お前は、恐らく今日のことで、同じ様な家格の、年頃が同じ令嬢たちの中で浮くことになったかもしれない。それが耐えられないのだったら、ヴァイオレット様の遊び相手を辞めれば、仲間に入ることは出来るだろう」
仲間に入りたいか、なんて、ダイアナは考えるまでもなかった。
だって、何にもあの子たちは分かっていない。王太子殿下の婚約者、公爵令嬢の屋敷に、子爵家のわたしの友達です、と連れて行ける筈もない。ディルニアスから紹介されたダイアナが遊びに行く時であっても、屋敷の中の護衛の人数は多いのだ。警備というものを、理解していない。
考え方が違う、とダイアナは思った。考え方が違う人と話をするのはとても疲れる、ということをダイアナは知った。
「お前は体験学習をしているってことだからな。体験していない子供にそれを分かれと言っても無理だろう」
兄のライアンにそう言われて、なるほど、とダイアナは思う。確かに、もしも、自分が遊び相手に選ばれていなければ、上流階級の家のことなど何も分からず、今日の令嬢たちと同じ様に考えていただろう。
色々といつの間にか勉強になっているのだな、とダイアナは気が付いた。勉強が出来る自分は運が良かったのだ。そう気が付くと、学べることは学んでおこう、と公爵家の侍女の仕草などをダイアナは観察するようになった。
長くなりましたので、二つに分けました。続きは明日投稿予定です。【追記】三分割になりました。