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「貴方との婚約を、今、解消させていただく!」

 婚約とは家と家との契約となる。

 だが、ウィンダリア国の婚約式は、教会の教主の前で婚約する二人が今後二人は助け合い、寄り添い合い、添い遂げる覚悟があるかを問われ、婚約証明書に署名するという流れになっている。


「はい、もちろんです! 死が二人を分つとも、ヴィとは死んでも一緒です! 死んでも絶対に逃がしません!」


 既に王太子となっている十三歳のディルニアス・ギア・ウィンダリアは、白磁のような肌の頬を染めてキラキラとした笑顔で答えた。健気なように聞こえて不穏な宣誓である。

 教会のステンドグラスから降り注ぐ陽射しを受けて光を反射させている金色の髪に金色の瞳。まだ少年としてのあどけなさが残る中性的な顔立ちで、愛しそうに腕に抱く赤子に頬ずりする様は、聖母像が具現化したかの如く尊い姿であった。

 しかし、その場に立ち会っている人々は、複雑だ。

 

 王太子が抱いている赤子が、彼の婚約者なのである。


 ヴァイオレット・オルトニー。生後五ヶ月の赤ん坊だ。祖父は現国王の弟、父は公爵家嫡男であり王太子の従兄である。母は侯爵家の娘で実家の父は宰相、という正統派の血筋を持っているのだが。


「ヴィオラ……力の無い父を許しておくれ……」


 本来なら、赤子のヴァイオレットは公爵家の誰かが抱き、娘の代わりに両親のいずれかが署名をするのだが、赤子を絶対に渡そうとしない王太子により、ヴァイオレットの父親であるマクシミリアンは署名をするまで手持ち無沙汰に立っているだけであった。

 「人形のように完璧な」と余り表情を動かすことがなかった王太子が、始終にこにこと上機嫌で赤子に笑いかけ、「往生際が悪い。さっさと署名しろ」とせっつき、父親である公爵家嫡男のマクシミリアンは半泣きになりながら署名をして無事に婚約式は終わった。


 婚約式はごく身内だけで行われる。教会は秘密を洩らさない。

 なので、王家と公爵家の婚約式については、「赤子と婚約をさせられた気の毒な王太子」という噂が広がった。()()()()()()()()()()()()()()()()、まるで道具扱いだ、陛下たちはひどすぎると平民の間でも王太子に同情が集まった。

 公爵家が王家の弱みを握って無理矢理婚約を結んだのではないか、王族派が貴族派を牽制するためにまとめ上げたのではないかと、人々は口にした。

 これには王家も公爵家も頭を抱えた。


「父も俺も王位継承権を放棄してるのに、今更王家を牛耳ろうとか王位に返り咲こうとか思ってる訳がないだろうがっっ!」


 マクシミリアン・オルトニーは自分の屋敷の居間で叫んだ。

 王弟である父親も自分も、第二王子のレイモンドが産まれた時に継承権は放棄した。ウィンダリア国は女性には継承権がないので娘のヴァイオレットには継承権はない。


「本当の事を言うしかないのかしら……」


 マクシミリアンの妻のマリーベルが困ったように眉を寄せて首を傾げた。銀の髪がさらりと零れる。


「本当の事を言っても誰も信じてくれないだろう……。王太子自らがこの婚約を熱望しているなんて。しかも()()()()()()だ!」


 そう、誰が信じるだろう。

 まだ子供が産まれる前から、マリーベルとマクシミリアンが出会う前から、王太子はこの婚約を望んでいたのだと。


                 ◇ ◇ ◇


 ディルニアスが四歳の時、マリーベルは十歳で婚約者候補の一人となった。

 しかし、他には婚約者候補はいなかったので、周囲からはマリーベルが婚約者だと見られていた。これも、ディルニアス自身が熱望したらしい。子供が年上の少女に憧れた初恋、と両陛下が微笑ましく思い親馬鹿で候補にしたのか、ディルニアスに説得されたのかは分からない。

 マリーベルは「政略結婚はこんなものだろう。こんなに年上で王子も気の毒に」と思いながら、ディルニアス王子と顔合わせのお茶会をした。

 城の庭に用意されたテーブルに着き、そっと向かいの王子に視線を向ける。

 きらきらと輝く黄金色の髪に金の瞳を縁取る睫毛も金色で、ふっくらとした白い頬は陶器のようにツヤがあり、紅を塗ったように赤い唇はぷっくらとしている。まるで精巧な人形のようだ、とマリーベルは凝視してしまった。

 マリーベルはこの国では珍しい銀の髪に菫色の瞳であるが、色が珍しいだけで自分はこの方に見合う容姿ではない、と居た堪れなくなった。


「マリーベル・グランドリア侯爵令嬢、今日はお茶会の招待を受けてくれてありがとう」

「……いえ、とんでもないことでございます」


 余りにもしっかりとした言葉が四歳の王子の口から出てきて、マリーベルは理解するのに時間を要した。いや、理解しただけ素晴らしいと言えるだろう。大体は、人形が話すわけがないから聞き間違えたかな、という様に、四歳児がこんなにしっかりと話すわけがないから聞き間違えたかな、と理解できない者が多かった。


「さて、二人だけの内緒の話をしよう。この婚約は正式には結ばれない。私との婚約は、君は候補のままで終わる。だから、自由に恋愛をしてくれて良い」


 理解してくれたかな? と口角だけを少しあげて微笑まれても、マリーベルには意味が分からない。まだ彼女は十歳なのだ。

 だが、王子の目が、金色の瞳にじっと見つめられて、マリーベルは笑っていない王子の目が怖くて、必死に理解しようと言葉を反芻して頷いた。


「さすがは私の将来の────だ。理解が早くて助かるよ。申し訳ないけれども、婚約者のフリはよろしくね」


 マリーベルは意味が分からなかった。だが、二人だけの秘密と言われてしまったので、親に相談することも出来なかった。親は分かっているのかいないのか、「王子が希望した婚約だから、成長して違う好きな人が出来たら婚約解消できるだろう」と慰められたが、王子が希望したのに何故「正式に婚約をすることはない」と言われるのだろう? と益々訳が分からない。

 自分が王子の将来の何だと言うのだろう。怖くてとても訊き返せなかった。

 王族に入る勉強の為に定期的に登城し、王子とお茶をしなければならなかったが、マリーベルは苦痛であった。王子の微笑んでいるのに笑っていない目が怖かった。

 婚約を結ぶつもりはないというのに、どうして王子とお茶をしなければならないのか、どうして勉強をしなければならないのか、どうして他の令嬢たちに意地悪を言われなければならないのか。

 マリーベルからは、段々と笑顔が消えていった。

 それから何年か経った時。


「マリーベル嬢、紹介しよう。私の従兄のマクシミリアン・オルトニー公爵家嫡男だ。ここ何年か外国に行っていてね、ようやく帰ってきたんだ。暫くは騎士見習いとして城に通うから、ついでに私の護衛も兼ねてもらうことになった。仲良くしてくれ」


 黒髪をポニーテールのように括った琥珀色の瞳の少年が、にこりと笑って挨拶をしてくれた。

 後年、ディルニアスは二人を意図的に会わせたのだろうな、とマクシミリアンは確信していた。気配りなど出来ない従弟が、わざわざ引き合わせたのが怪しすぎる。

 長く国を離れていたマクシミリアンに最近の状況を教えるような形で、マリーベルとマクシミリアンは話をする機会が増えていった。

 マクシミリアンにしてみれば、マリーベルは第一王子の婚約者だ。マリーベルにしてみれば、自分は例え「仮」であっても第一王子の婚約者だ。そう親しくは出来ないと思いつつも、マクシミリアンは笑顔が少ないマリーベルが気になったし、マリーベルは何かと気にかけてくれるマクシミリアンに救われた。

 二人が惹かれ合っていくのは、自然なことであった。


「あの、殿下……。仮の婚約が終わるのはいつ頃でしょうか?」

「おや、好きな人でも出来たかい?」

「いえ、あの」


 何もかも見透かされている気はしたが、マリーベルは頷きづらかった。


「殿下も王太子になられましたので、わたくしが王太子妃教育を受けるわけにもまいりませんし」

「それはこちらで止めているから心配しなくて良いよ」


 そんなことも出来るのか、とマリーベルは驚いたが、いやこの方なら出来るだろうと納得してしまう。


「そうだね。マリーベル嬢に瑕疵が付かないように、時期や場所など色々と考えておくから任せて欲しい」


 場所? と思ったがマリーベルは任せるしか仕方がない。

 学園を卒業すると成人になるから、それまでには何とかしようと言われて、マリーベルは安堵した。この緊張した日々が終わるのかと思うとじわじわと嬉しさが込み上げてくる。

 しかし、婚約を解消した後はどうなるのか、という不安も湧きあがる。

 マクシミリアンには惹かれている。だが、彼から何かを言われた訳ではない。彼には婚約者が居ないから期待しても良いのかと思いもするが、仮であっても婚約者がいた自分が期待するのは烏滸がましいのでは、と気持ちが沈んでしまう。

 やはり先ほど、殿下にマクシミリアンのことを相談するべきだったかと思うが、解消するなら紹介してくださいと言うのも厚かまし過ぎる話ではないか、と唸ってしまう。

 殿下に任せるしかない、とマリーベルは小さく息を吐いた。

 最初は怖いと思っていたディルニアス王子であったが、年月が経つにつれて、少しずつ表情はマシになっていった。ここ最近は、うきうきとした様子もあり、陛下たちも驚いている。


「わたくしとの婚約解消が待ち遠しいのかしら……?」


 では、何故、婚約したのだと不思議で仕方がない。

 しかしマリーベルも、やはり婚約解消の日を楽しみに待っていた。


 楽しみに待っていたが。


「さて、マリーベル・グランドリア侯爵令嬢、貴方との婚約を、今、解消させていただく!」


 マリーベルは茫然とした。

 茫然としたまま、壇上のディルニアス王太子殿下を見上げていた。

 学園の卒業パーティーでの王家からの祝辞として、濃紺の正装姿で壇上に上がり、祝いの言葉を述べた後の発言であった。


「な、何故……」


 何故、卒業式のパーティーでそんなことをおっしゃるの?

 マリーベルは言葉が続かない。

 周囲のどよめきが大きくなり、マリーベルの言葉は小さくかき消えた。

 だが。


「何故、と訊かれますか。その答えは、貴方の胸の内にあるでしょう?」


 胸の内……? 何かの謎かけ……? というか、この殿下の言葉だと、わたくしが他に好きな人がいるような言い方じゃないかしら? いえ、そうなんですけど、殿下だってわたくしのことが好きじゃないのに?


「ディルニアス! 何を考えてるんだ! こんな場所で……」


 マクシミリアンが人垣の中から飛び出してきて、マリーベルの傍らに寄り添った。


「こんな場所? そうだね、マリーベル嬢が婚約解消したことは、ここに居る全員が知るところとなった。王太子からの婚約解消だ。今後嫁ぎ先があるだろうか?」


「なっ……!」


 マリーベルは息を呑んだ。

 わたくしは、何かを間違えたのだろうか? 殿下に憎まれてしまったのだろうかと考えて、眩暈を覚えてふらついた。


「馬鹿を言うな!」


 壇上に向かって怒鳴り、ふらついたマリーベルの腰を支えた後、マクシミリアンは膝をついた。


「マリーベル・グランドリア侯爵令嬢、初めてお会いした時に、なんて美しい令嬢かと目を奪われました。その後はあなたの優しさ、思慮深さ、謙虚さに惹かれていきましたが、殿下の婚約者であるあなたに想いを告げることは出来ませんでした。今、貴方の心身が自由になったのならば、どうか私が隣に侍る栄誉を頂きたい」


 マリーベルは驚いた。まさか今この時に、求婚されるとは思わない。頭の片隅に、王太子殿下と血が繋がっているのね、としみじみと感じてしまった。

 しかし。 

 

 この手を、取っても良いのだろうか?


 マリーベルは戸惑った。

 婚約とは、家と家との契約だ。だが、王太子殿下から婚約解消された女の自分が、マクシミリアンの両親、オルトニー公爵家が許してくれるのだろうか?


「大丈夫です。私の両親は恋愛結婚ですので、息子の私に政略結婚をさせるような人たちではありません。私は貴方を愛しています。好きです。お慕いしております。もし、あなたが少しでも私に好感を持ってくださっているのなら、私の家格目当てでも良い、この場を凌ぐためでも良い。私の手を取ってください」


 マリーベルは悲しくなった。

 マクシミリアンには、自分の気持ちは少しも通じていなかったのだと知り、打算でこの手を取るような人間だと思われているのだろうかと。

 だから、はっきりと言った。


「マクシミリアン様、わたくしもあなたをお慕いしております。ずっと好きでした。愛しております」


 令嬢は、ここまではっきりと返事をすることはない。「お慕いしている」と返事をする程度だ。

 だけどマリーベルは、自分の気持ちを知ってもらいたかったので、マクシミリアンから言われた言葉をそのまま繰り返した。自分も、同じ気持ちなのだと。

 マクシミリアンは驚いたように目を見開いた後、目元を赤く染めて、嬉しそうに笑い、そっとマリーベルの手の甲に唇をつけた。


 パンパンパン、と拍手が鳴り響く。


「おめでとう、我が従兄殿。初恋が叶って良かったね。ここで出てこなかったらどうしようかと内心冷や冷やしたよ」


 壇上の上で、王太子がゆったりと拍手をしている。見守っていた周囲がざわざわと騒がしくなってきた。


「ディルニアス! どういうことだ!」


 怒っているのか、恥ずかしくなっているのか分からないが、顔を赤くしてマクシミリアンは壇上の王太子に呼びかけた。


「八年間。八年経ったからか、誤解している者が多いようだが、私とマリーベル嬢は婚約していない。彼女は私の婚約者ではない。そうだよね、マリーベル嬢?」

「……おっしゃる通りです。私は、殿下の婚約者候補の一人にしかすぎません」


 そうだったの? いやでも、他に婚約者候補がいないのなら……、正式な婚約者だと思っていた、とあちらこちらから囁きが広がっていく。


「いや、でも、城に勉強に来ていた……ではないですか」


 マクシミリアンが今更気が付いたように、王太子への言葉を改めた。


「婚約者候補が何人もいれば、その全員が受ける程度の勉強だ。寧ろ、費用はこちら持ちで最高の教師から淑女の勉強が出来るのだから、外国の王族へも嫁げる教養を身につけられてお得だと思うけど?」


 確かに、マリーベルは対外的なマナーや知識などは厳しく教えられたが、王族の中のしきたりや教養に関しては何も教えられなかった。ディルニアス王太子殿下が最初の顔合わせで言っていたように、マリーベルと婚約を結ぶ気は本当になかったのだ、と確信した。


「先ほど、『婚約解消』と言ったが、正しくは『婚約者候補の解消』だ。訂正させていただこう。彼女はいつでも『婚約者候補』を辞退をすれば自由の身であったが、私の都合で今日まで『婚約者候補』の務めを全うしてくれた。マリーベル嬢に深く感謝を」


 公の場で王族が頭を下げることはできない。目礼ではあったが、マリーベルは深く礼をして感謝を受け取った。


「さあ、皆! この二人の門出に祝福を! 王太子として私はこの二人の婚姻に責任を取らせてもらおう! そして、今日この良き日に学園を飛び立つ皆にも祝福を! 今日は自由に遊べる最後の日だ。思いっきり楽しんでくれたまえ!」


 釣られたように(多分、仕込まれていたのだろうが)皆が拍手をし、喝采の声を上げた。

 マリーベルとマクシミリアンは、騎士に案内されてこっそりと(は無理であったが)会場を後にした。



「やあやあ、お疲れ様だね二人とも」


 学園で用意されていた王太子の控室で、二人に向かってにこにことディルニアスは手を振った。

 こんなに分かりやすい笑顔は初めて見た、とマリーベルもマクシミリアンも驚いて、問い詰めようと思っていた言葉が出てこなかった。


「驚いたかい? 女性たちの間で流行っている小説を真似してみたんだ。一応、元々決まっていた二人の婚約の発表の為に王太子自らが企画した余興、と噂を流すように言ってるから」

「先にこっちに言っとけよ!」

「君が全然告白しないからだろうが」


 呆れたようなディルニアスの言葉に、マクシミリアンは気まずそうに頭をかいた。


「だって、婚約者だと思っていたし……」

「少し調べれば分かることだろう。こんなのが次期公爵で大丈夫なのかね? まあ、マリーベル嬢がしっかりしているから大丈夫だろうけど」


 椅子を勧められて座ったマリーベルは、十二歳と十八歳の会話を聞きながらこめかみを押さえた。殿下を子供扱いしてはいけないと分かっていても、やはり違和感を感じてしまう。


「君が出てこずにいられないように、『今後嫁ぎ先があるだろうか』と煽ったけれど、他の正義感溢れる青年が出てきたらどうしようかと冷や冷やしたよ」

「だから、あんなことを仰ったんですね……」

「……世話になった、とは素直に言いにくいのだが」


 ディルニアスはにっこりと笑った。


「そうだね。二人には感謝して欲しい。いや、私に感謝をするべきだよね? 大体、知ってた? マリーベルには外国の王子との縁談も持ち上がっていたんだよ? 私が婚約者候補に選んでなかったら、君たち二人は知り合わなかったかもしれないし、知り合っていても相手は外国の王族だから婚約解消なんて難しかっただろうね」

「……そう言えば、お父様が外国に行かれるよりも、って婚約者候補になる時に呟かれてるのを聞いたことがありますが」


 マリーベルは、自分にそのような縁談が上がっていたということに驚いた。


「……いや、待て。まだ俺たちが出会っていない頃なのに、お前は俺の為にマリーベルの外国の王族との婚約を阻止したって言うのか?」


 意味が分からない、とマクシミリアンは首を振る。


「偶然だよ。結果的に君たちが出会ったというだけだ。いくら私だって、人の心までは操れない」


 何ということはない、と言うようにディルニアスは肩を竦めた。それはそうだ、と二人はどこか釈然としないまま、納得せざるを得なかった。


「だけどまあ、結果的に君たちは結ばれるんだ。私に感謝して欲しいよね」

「それはそうだが、俺たちに出来ることなんてあるか?」

「あるさ!」


 ディルニアスは目を輝かせた。いつも怖かった金色の目が、キラキラと期待に光らせている。


「今回で、私は婚約者候補もいなくなってしまった。これから私に国内、国外問わずに縁談が殺到するだろう。考えただけでぞっとする。分かるだろう?」


 それはそうだろう、と二人は頷いた。何しろ、「完璧な王太子」と言われているのだ。マリーベルという婚約者候補がいても、同じような年頃の令嬢を持つ当主たちは、必死で自分の娘を売り込もうとしていたし、国外からも釣り書きが届いていたのだから。


「なので、『二人が結婚して娘が産まれたらディルニアス王太子と婚約させる』と一筆書いてくれないかな? そうすれば、私には将来の婚約者がいる、という予防線を張ることができる」


 マクシミリアンとマリーベルはお互いに顔を見合わせて赤くなった。まだ婚約もしていない、つい先ほどにお互いの想いを確認したばかりで、将来の自分たちの娘と言われてもピンと来るはずがない。


「そう深く考えなくても良いんだよ? だって、二人の間に必ず娘が産まれるという保証はないだろう? これは、あくまでも少しの間、私が逃げられるように時間稼ぎをしたいんだ。それに協力して欲しいというだけさ」


 困ったように眉を寄せられると、まだ十二歳の少年が困っているということで、こちらも庇護欲が湧き上がる。それに、今後のディルニアスに降り注ぐ縁談話は容易に想像がついたので、結局、二人は頷いた。


「ありがとう! 助かるよ! では、婚約者候補解消の手続きから進めようか。こちらにグランドリア侯爵と王家の署名は貰っているから、ここにマリーベル嬢が名前を書いて。こちらは二人の婚姻申請書だ。こちらもオルトニー公爵とグランドリア侯爵の署名は貰っているから、二人の名前を書いてくれ。私が持って帰って陛下の許諾証を貰うようにしよう。ついでにこれは、婚約式の婚約証明書だ。これは当日に教主の署名が必要になるけど、前もって準備をしておくのは良いだろうから渡しておく。そしてこちらが『娘が産まれたらディルニアス王太子殿下と婚約させ、将来は結婚を許す』という契約書だ。ここに二人の署名をしてくれ。今すぐ。早く。まずはこの書類から」


 さあ、と次々と書類を出されて、二人はとにかく言われるがままに名前を書いていった。

 契約書に名前を書くのはよく考えないといけない、ということは理解していた。しかし、自分の親が既に署名しているのだから大丈夫だろうという安心感もあり、言われるがままに名前を書いていく中に、『娘が産まれたらディルニアス王太子殿下と婚約させ、将来は結婚を許す』という契約書があったが、これこそ特に何も問題はないと思ったのだ。産まれてくるかも分からない赤子との婚約を、本気で熱心に望んでいるとは思わないではないか。だから『結婚を許す』という言葉が増えていることに「ん?」と思ったが、その場では流され、急かされるままに二人は名前を書いてしまった。


 貴族は早くから婚約者を持つと言っても、四歳ぐらいから婚約を結ぶことが多い。まさか、マリーベルが陣痛の間中ずっと廊下で待機し、産まれた瞬間に不在であった父親のマクシミリアンより早く抱っこをして、名前が付けられる前に「私の愛しい婚約者!」と叫ばれるとは思わないではないか。


「どうして男は母乳が出ないんだろう……」


 天使のようなと言われる顔を曇らせながら、母乳以外はディルニアスが甲斐甲斐しく赤ん坊の世話をしに公爵家に入り浸るほどであった。


「絶対に、俺を嵌めたよな? わざと産まれる時に俺に出張させたよな?」

「義父上、何を仰っているのか分かりませんが?」

「義父上って呼ぶな! まだ結婚してないだろう!」

「陛下、今すぐ王位を譲ってくれないかなあ。そうしたら、年齢問わずに結婚できるように法律を変えるんだけどな」


 陛下の周囲の護衛を厳しくしよう、とマクシミリアンは心に誓った。そうして、我が子の寝顔を見るたびに、「不甲斐ない父親ですまない……」と涙ぐむ日々を送るのであった。


 









 


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― 新着の感想 ―
産まれる前からがここまで前とは... 未来予知?精霊付きだから精霊のお告げ?なんにせよ他の人から見たら怖すぎる...
ここまで読んで、王太子だいぶ未来から死に戻りしてる?と思っちゃいました。 私の性癖にもめっちゃ刺さってます!! 続きを楽しみに読んでいます!
やべえな・・・王太子のイメージが360度変わっちまった
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