お買い得だよ? 【幕間】(ディーとヴィ)
「まあ、ディー。何だかご機嫌ね」
来客との応対が終わり、自室に戻ったヴァイオレットは、窓辺で頬杖をつきながら庭を眺めているディルニアスに話しかけた。
「機嫌が良いように見えるのかい?」
「見えるわね。鼻歌を歌いだしても不思議じゃないわ」
ヴァイオレットもゆっくりと窓辺に歩き、同じように外を眺めた。壁際に控える使用人たちは、何をもってヴァイオレットが「ディルニアスが機嫌が良い」と判断しているのかさっぱり分からなかった。
「ここからだと、レイモンド様とダイアナがお茶をしている庭は見えないでしょう?」
「興味ないよ。それに、二人にはさっき会ってきた」
ディルニアスは肩を竦め、ヴァイオレットを抱き上げて椅子に座った。にこにこと微笑いながら。楽し気にヴァイオレットの髪を弄っている。
「会った? どうして?」
ディルニアスが二人のお茶会を気にしていたとは思えない。そして、偶々会えるような場所ではないのだから、ヴァイオレットは不思議に思った。
「偶々通りかかったら、会った」
ヴァイオレットは、何処か楽しそうなディルニアスの金色の目をじっと見つめた。
「もう、どんな楽しいことがあったのか、教えてくれても良くなくて?」
「だって本当に心当たりはないんだよ?」
「じゃあ、ここに来るまでの出来事を順に話してちょうだい」
そう言われて、ディルニアスは少し考えるように首を傾げた。
「別に、普通に仕事をしていて……ああ、ヴィの庭で万一レイモンドが毒を盛られたら大変だろう? だから、ジェフリーに命じて、王家の影に念入りに二人のお茶会を見張らせていたんだ。その報告を受けて……」
それから、何かを思い出そうとするように、視線を天井に向けて、じっと目を瞑った。
「よく分からないが、レイモンドが色々とライアンの妹に意地悪を言っていたらしい。どうして好きな女性に意地悪を言うんだろうね?」
「レイモンド様は、ダイアナが初恋だから難しいのでしょう」
「そういうものなのか?」
ディルニアスは、不思議そうにヴァイオレットの顔を覗き込んだ。
「そういうものらしいわ」
ヴァイオレットだって、生まれてからこれまでディルニアスしか知らないのだから、恋愛に詳しいわけではない。だが、今まで読んで来た恋愛小説の知識を澄ました顔で披露した。
お茶とお菓子が運ばれてきたが、ヴァイオレットは人払いをしてディルニアスに続きをねだった。
「それで?」
「ああ。レイモンドは、僕がヴィに対しての愛情や執着が異常すぎる、世界を壊しかねないので、ヴィを大切にしなければならない。だから、レイモンドがヴィを大切にしても怒らない、兄に節度を持って踏み込まない、という自分の結婚相手の条件に当て嵌まる、と言ったらしい」
「あら、まあ」
ヴァイオレットは楽し気にくすくすと笑った。
「嫌だわ。そんな条件を満たせるのはダイアナしかいないじゃない。レイモンド様、素直じゃないわね」
ディルニアスもヴァイオレットも、レイモンドに「異常」「世界を壊す」と言われたことには、何も言及しなかった。
「それで、ライアンの妹が怒って、『目が笑っていないのに笑っている表情なんて、二人ともそっくりですよ!』と言い返して、ガゼボを飛び出したらしい」
それから、ディルニアスは考えるように、少しの間、口を閉ざした。
「そこまでの報告を聞いて、思わず部屋を飛び出していた」
「どうして?」
「どうしてだろう?」
不思議そうに呟いた後、そのまま黙り込んでしまったディルニアスを、ヴァイオレットは辛抱強く話し出すのを待った。
「……ああ、確認したかった、のかな?」
「確認? 何を?」
焦る必要はないのよ、と言うように、ヴァイオレットはゆっくりとディルニアスの背中を擦った。
「…………本当に、似ていると思うのか、と」
ライアンの妹に確認したかったのだ。
自分で驚いたように、ディルニアスは小さな声で呟いた。
「……それで、ダイアナに確認できたの?」
「いや。しゃがみ込んで、自分で自分の耳を塞ぎながら何か大声で叫んでいて、訊けるような雰囲気ではなかった」
ダイアナはどうしたのかしら? とヴァイオレットは内心で首を傾げた。
だが、今はそれよりも。
ヴァイオレットは紫水晶の目を輝かせた。
「うふふふ」
ヴァイオレットは口元に手を当てて、嬉しそうに微笑んだ。
「初めて『似ている』って言われたんじゃない? 二人とも『似ていない兄弟』って昔からずっと言われていたものね」
良かったわね、とヴァイオレットに頭を撫でられて、ディルニアスは微かに眉根を寄せた。
「似ている、と言われたことの何が良いのか分からないのだけど?」
「そう? じゃあ、レイモンド様と似ていると言われて、ディーはどう思ったの?」
ディルニアスは、再び考えるように少し俯いた。
「………………弟なのだな、と思った」
他人から見れば当たり前なことを、当たり前な事実として初めてディルニアスは痛感したのだ。
何度も、何度も。
生まれ変わってきたが、ディルニアスは家族から愛されたことがなかった。
いや、家族という枠組みに入れてもらえることがなかった。ディルニアスにとって家族とは、役職や地位や容姿で知識として判別している周囲の人間と同じ存在であった。
だが、今世では、父や母や弟が、自分を気遣ってくれていることを実感できた。前世でも散々言われてきた「異常」だとか「気味が悪い」という言葉をレイモンドが使っても、自分がヴィがいなければ生きていけないという事実を、理解してくれている、と思えた。
今世の家族は、家族なのだとディルニアスは今では思っている。
きちんと、家族として他者と「区別」出来ている。
しかし、まだ家族だと実感できていない頃から、周囲はディルニアスを「似ていない」と評していた。それが、「誰とも違っている」という彼らにとっては誉め言葉であっても、やはり自分は家族とは違う存在なのだという「疎外感」を彼らはディルニアスに植え付けていた。
だから。
初めて、レイモンドと似ていると言われて、「家族」なのだと、「弟」なのだと、そう思っても良いのだと、ディルニアスは心の底からそう思えたのだ。
それは、何だかくすぐったくて心が落ち着かず、自覚がないままに部屋を飛び出し、無意識に確認をしたいという思いでダイアナを探し出していた。
「…………そう。ようやく、実感できたのね」
ヴァイオレットはディルニアスに手を伸ばし、そっと頭を抱き寄せた。
「本当にあなたは、お馬鹿さんね」
ディルニアスに「馬鹿」と言えるのは、ヴァイオレットしかいないだろう。ディルニアスは何も答えようとせず、ヴァイオレットの首元にぐりぐりと頭を擦り付けた。
「きっと、レイモンド様も嬉しかったわね」
「……そう、だろうか」
「ええ、そうよ」
ヴァイオレットは、断言した。
「この話をしたら、陛下たちもお喜びになるでしょうね。ふふ、それに、ダイアナがレイモンド様と結婚をして、陛下たちとも家族になったら、きっと、ディーが陛下たちにも似ていると指摘すると思うわ」
国王陛下や、王妃が、わくわくとした顔で、何処が似ているだろうかとダイアナに質問する様が、ヴァイオレットは容易に想像できた。
「さすがは、ダイアナよね。ああ、早くダイアナと本当の義姉妹になりたいわ」
「ヴィがそう望むのなら、僕もレイモンドを応援しよう」
この瞬間、ダイアナはレイモンドとの結婚からの逃げ場はこの世の何処にもなくなった。
「だから、ディーの機嫌が良かったのね」
「よく分からないけれども、そう言われてみればそうなのかもしれない」
ヴァイオレットに対する感情以外、自分自身の感情をよく理解していないディルニアスは、ヴィが言うからそうなのだろうと頷いた。
そうして、思い出したというように、目を輝かせてヴィの顔を覗き込んだ。
「そうだ! 楽しいことを思いついたんだ」
「楽しいこと?」
「ああ。レイモンドとライアンの妹が結婚して、その子供が王になったら、きっとライアンに似た世話焼きな良き王が生まれるだろうなと、思ったんだ」
そう思わないか? と問われて、ヴァイオレットは、きょとんと目を瞬かせた。
「二人の子供が次期王になるの?」
「可能性の話だけどね。僕は、ヴィに子供を産ませる気はないから」
ヴァイオレットは、じっとディルニアスの顔を見つめた。
そうして。
「そうなのね」
そう、頷いた。
その静かな様子に、ディルニアスは首を傾げた。
「何か不満があるのかい?」
「いいえ? ないわ」
ヴァイオレットは、ゆっくりと首を振った。
「ただ、あなたと結婚をしたら、世継ぎを作るのはわたしの義務だと思っていたから」
「そんな義務はない。レイモンドたちにも宣言したけれども、僕はヴィを妊娠出産という危険な目に遭わせたくないし、世継ぎはレイモンドの子供でも、ヴィの弟でも、その弟の子供でも誰でも良いと思っている。ああ、それに、王など居なくても民は生きていけるだろう」
世継ぎなどどうでも良いのだ、と。寧ろ、世継ぎを産む必要はないと言い聞かせるようなディルニアスの態度に、ヴァイオレットはくすりと笑った。
「もし、わたしが産みたいって言ったら?」
それは、余りにも必死な様子のディルニアスに対して、ヴァイオレットの軽い悪戯心だった。
けれども。
「………………産みたい、のか?」
絶望、と言うよりも。
親に置いて行かれるような、今から捨てられる子供のような、この世の終わりのように途方に暮れたディルニアスの表情に、「ごめんなさい」とヴァイオレットは即座に謝った。
「……わたしは、ディーが望むなら産むわ。望まないなら、産まないわ。どちらでも良いの。だって、わたしは貴方を幸福にする為に生まれてきて、生きているのだから」
ごめんなさい、と再び謝るヴァイオレットを、ディルニアスは縋るように抱きしめた。
「………………お願いだ。何でもする。だから、どうか、命を大事にして欲しい。危険なことには、近寄らないでくれ。傷つけられないように、自分を大切にしてくれ。子供よりも世界よりも、ヴィが何よりも大切だ。ヴィがいなければ、自分が生きていることにも、世界にも意味はない」
────もう、僕を、置いて逝かないでくれ。
「──ええ、大丈夫よ。わたしは、ディーよりも十三歳も若いのよ? 絶対に、ディーよりも先に死なないわ」
「……本当に?」
「本当よ」
「……絶対に?」
「絶対よ」
「……ヴィと一緒に逝ければ良いのに」
「それは素敵ね」
「……本当にそう思っている?」
「思っているわよ」
「僕が逝く時は、手を握って」
「指を絡ませて強く握るわ」
「愛してる、って言ってくれる?」
「来世でも愛しているわ、って言うわ」
「来世も一緒になってくれるの?」
「まあ、勿論じゃない! ディーはそうじゃないの?」
「死んでも逃がさない、って言っただろう?」
「死んでも、逢いに行くわ」
────だから、わたしが逝くまで待っていてね。
ディルニアスとヴァイオレットはお互いに額をくっつけ、じゃれるようにくすくすと笑いあった。
「嫌だわ。わたしたち、なんて先のことを話しているのかしら?」
「いつかはやってくる、大事なことさ」
機嫌を直したディルニアスは、ヴィの頬に口付けた。
「そうだけど、そうじゃなくて。もっと、目の前のことを、『やりたいことリスト』を書かないといけないし、消していかないと!」
「ああ、そうだね。死ぬまでの大事な僕たちの約束事だ」
「わたしとディーの二人でやりたいことリスト、ですものね。まだ何処にも出かけていないわね。そうだわ、ダイアナとレイモンド様の結婚のお祝いを買いに行きましょう!」
「じゃあ、それもリストに書き加えよう」
ディルニアスとヴァイオレットが楽し気にダイアナとレイモンドの二人に贈る結婚祝いを何にしようかと話し合っている頃、ダイアナとレイモンドの攻防はまだ続いているのであった。
書きながら、ヴァイオレットの方が激重感情かもしれないなあと思いました。前世神様ですからね。あのディーの愛情を受けとめることが出来るのは、やはり激重感情だからですね。
次はダイアナとレイモンドの攻防のお話に戻ります。あと少しで終わる筈です。多分。11/17(月)更新予定です。よろしくお願いします。




