お買い得だよ? 5
「……ヴァイオレット様でしたら、この時間は応接室で来客対応中ですが」
いつものように、ダイアナはヴァイオレットのスケジュールを報告したが、ディルニアスは頷くだけで動こうとしなかった。
「……何かご伝言がお有りでしたら承りますが」
ディルニアスは首を横に振ったが動こうとしなかった。
「……申し訳ございません。喧しかったでしょうか」
ディルニアスは大きく頷いたが、動こうとはしなかった。
ダイアナは、ディルニアスが何をしたいのか、何を望んでいるのか理解出来なかった。頭の片隅で、ライアンお兄様凄いわね、と感心した。
ディルニアスは、庭に降りる為の数段の階段に腰を下ろした。低い階段なので、少し見上げる程度の目線の高さになり、ダイアナは先ほどよりも楽に視線を合わせることが出来た。
と言っても、ディルニアスはまっすぐ前を見ていて、ダイアナを見てはいなかった。自分はここを去った方が良いのだろうかと腰を浮かしかけた時。
「私は、君が嫌いだ。ヴィが君のことをたいそう気に入っているからね」
ダイアナの方を見ないまま、ディルニアスは断言した。
「ありがとうございます!」
ダイアナは満面の笑みを浮かべた。ヴァイオレットに気に入られている者は等しくディルニアスに嫌われているのは周知の事実であるから傷つくこともない。そうか殿下から見てもヴィオラ様はわたしのことが好きに見えるのか、とダイアナは嬉しくなった。
「だけど、私の機嫌を伺うこともなく、媚びることのないその態度は気に入っているよ。流石はライアンの妹だ」
それは、自分ではなく兄を褒めているということだろうか? とダイアナは悩んだ。何と返事をして良いのか分からない。
「しかし、君たち一族の共通の美点であり欠点だね。ブルーム子爵家は皆、自分なんか居ても居なくても変わらないだろうと言うんだ」
自分なんか、と言われてダイアナはぎくりとした。まさに、自分もそう思っている。
「この私に信頼されている、ということにもっと自信を持ってもらいたいし、後ろ盾としての私の立場を使ってくれても良いのに、直ぐに辞めようとするんだよね。謙虚すぎるのも困りものだよ」
それは謙虚だから辞めようとしているのではないと思う、と思ったが、ダイアナは声には出さなかった。
「君も、ヴィに好かれているのだから、全世界に胸を張って良いんだぞ?」
じっとダイアナを見つめるディルニアスの視線には、揶揄いや蔑みなどは含まれていなかった。ヴァイオレットに気に入られていながらどうして「自分なんか」と思っているのか、と心底不思議そうな視線であった。
「それは、もちろんよく分かっていますし、そう思っています。ヴァイオレット様の傍を離れる気はありません。ただ……」
ダイアナには常に不安があった。可愛くない自分がヴァイオレットの傍に居て良いのかという不安があった。ヴァイオレットの輝きを、自分が傍にいることで損ねてしまっていないだろうか、と。
過去に「わたくしの傍にいてくれる大切なお友達」と言ってくれたことが嬉しくて、その想いに応えたい、とダイアナは常に努力をしてきた。だけど、容姿については努力をしようとしたことはなかった。「自分なんか」努力をしても仕方がない、と最初から諦めていた。
だから、ディルニアスの言葉に、視線に、ダイアナはぎくりとした。
何故、自分を卑下しているのかと、問われているような気がした。
「……こんなことを王太子殿下にお伺いして良いのか分かりませんが」
「許す。何でも訊くが良い」
ダイアナは、もう疲れてしまったので、ここで引導を渡されよう、渡して欲しいと思い、口にした。
「わたしは、ヴァイオレット様の傍に仕えるに相応しい容姿でしょうか?」
ディルニアスは、決して嘘をつかないということを、ダイアナはよく理解していた。社交辞令も言わない、お世辞も言わない、思いやることもしない。普段は、そこはもうちょっとこう……と思うところではあるのだが、今のダイアナにとっては絶対に本当のことを言ってくれる信頼できる人であった。
「……ヴィの傍に仕えるのに、容姿が関係あるのか?」
ディルニアスは、珍しくきょとんと金色の目を丸くした。
「え? いや、ありますよね? 醜い人間を王族の、外交を担う方の傍に置くのは駄目と言いますか、恥ずかしいと言いますかありますよね?」
「駄目とか恥と言うのが分からないのだが? その理屈で言うと、容姿が良くても中身が空っぽの人間を置く方が駄目だし、恥ずかしいのでは?」
確かにそれはそうなのだろうが、それは理想論な気がした。
「王族の傍に侍る特別な護衛を家柄と容姿で選ぶ国もあったようだが、これを聞いた時は笑ってしまったね。いざと言う時の最後の砦の筈なのに、藁で囲っているだけなことに、本人たちは気が付いていないのだから。実際にその砦はよく燃えたしすぐに飛んでいなくなったよ」
ディルニアスの言い方に、何年か前に国民の反乱によって潰れた国があったな、と思い出したが、ダイアナはそれ以上考えるのは止めた。
「ヴィがこの人間が傍にいるのは疲れる、と言うのなら、どんなに容姿が素晴らしくても傍に置くことはない。逆に傍に居て楽しいのなら容姿には拘らない。私は、ヴィの周囲はヴィが心地良いと思うものだけで囲っているつもりだ。万一、ヴィのお気に入りの人間や品物を醜いと蔑む輩が居るのなら、たとえその者が外国の王族であっても、報復するだけの国力を備えるために頑張っているのだから」
「なる……ほど」
国力ってそういう時の為のものなのか、とダイアナは頷くしかなかった。
「と言うわけで、ヴィが君を気に入っているのだから、君の容姿は関係ない。後、言っておくと、私とヴィは人の容姿の美醜と言うのがよく分からない」
「え?」
意外な言葉に、ダイアナは首を傾げた。
「私に限って言えば、ヴィが美しいことは分かる。この世で一番彼女は美しく可憐であり、女神の気品と深淵なる慧眼を持ち、輝きを纏ったその姿から目を離すことが出来ず、私はヴィ以外の人間の判別がつかない。なので、他の人間の美醜などどうでも良い」
そうして、少し考えるようにしてから言葉を付け足した。
「判別はつかない。だが、区別はつく。大丈夫だ」
判別と区別の違いがよく分からなかったし、何が大丈夫なのかも分からなかったが、ダイアナはこくこくと頷いた。
「ヴィは私よりももっと単純に、美醜に興味がないんだ。審美眼は確かだから、ヴィの感性は信じても良い。彼女は私の顔を見ているととても落ち着くので好きらしい」
何処か得意げなディルニアスに、惚気なのかなと思いつつ、このきらびやかな顔を見て落ち着くって、ヴィオラ様の感性も素直に信じちゃ駄目だな、とダイアナは思った。
「ヴィが君を気に入っているから、ヴィの傍で仕えるべきだと私は思う。だが恐らく、ヴィの傍に仕えるような容姿ではない、と君は私に言って欲しかったのだろうが、容姿の美醜に関しては私には分からない」
ディルニアスに全てばれてしまっていることに、ダイアナは顔を赤くした。
ダイアナは「可愛くない」と断言されたかったのだ。自分を思い込みで卑下していたわけではなく、「可愛くない」ことは事実なのだと思いたかった。ディルニアスなら歯に衣着せず、ずばりと言ってくれるだろうと期待した。
「取り敢えずは、全くの赤の他人の第三者のあの男に訊いてみると良いんじゃないか?」
すっと腕を上げてディルニアスが指差す先に視線を動かせば、レイモンドが困ったような表情で、小さな黄色い薔薇のアーチから顔を覗かせていた。
いつから居たのか? 気が付かなかった、とダイアナが立ち上がろうとすると、ディルニアスは前に伸ばしていた腕をそのまま横に伸ばし、ぐっとダイアナの頭を押さえつけた。
「え? いや、あの、殿下?」
立てないのだがどう抗議をするべきかと足掻いていると、レイモンドが苦笑を浮かべながら近づいてきた。
「足止めをありがとうございます、兄上」
足止めされていたの? とダイアナがディルニアスに顔を向けるのと、ディルニアスが頭から手を離してくれたのは同時だった。
「何のことだ? 偶々通りかかったらライアンの妹が一人で叫んでいたから不思議に思っただけだ」
その通りなのだが、もう少しこう、言い方っ! と思いながらもダイアナは黙って唇を噛みしめた。一人で叫んでいた姿を見られていたなど、恥ずかしさの倍増で再び叫びだしそうになる。
「え? そうなのですか?」
見損ねた、と言うように残念そうな表情をレイモンドに向けられ、この兄弟は……! とダイアナは内心で呆れた。今日の僅かな時間で、レイモンドに対する印象がどんどんと変わっていく。
ディルニアスは座っていた階段から立ち上がり、廊下に戻る前にまだ座り込んでいるダイアナを思い出したように見下ろした。
「そう言えば、ヴィの子供の乳母になりたいのだったか?」
「…………はい」
ダイアナは、顔を覆いたくなるのをぐっと堪えた。寧ろ、足元の地面を掘って穴に埋まりたい衝動を必死に堪えた。
「その願いは一生叶わない」
「どうしてですか!」
一生とまで言われては、ダイアナは叫ばずにはいられなかった。
「ヴィの子供と言うことは、私の子供だ」
それはそうだと、ダイアナは頷いた。
「私は、ヴィとの間に子供を作る気はない」
「えっ!」
ダイアナではなく、レイモンドが叫んだ。初耳であったらしく、心底驚いた顔をしていた。いつもにこやかに笑っているレイモンドでも驚くんだな、と逆にダイアナは冷静になった。
「兄上、それはどういうおつもりですか! 後継はどうするのです!」
「お前がいるだろうが」
「僕だって年を取るんですよ!」
「当たり前だ。私だって年を取る」
取るんだ、とダイアナは何となく驚いた。何しろ、ヴァイオレットと知り合って十年以上経つが、ディルニアスは出会った頃から何も変わっていない印象を持っていた。実は年を取らないと言われたほうが、すんなりと納得できた。
「お前が駄目なら、お前の子供が継げば良いし、それも駄目なら血筋的にはヴィの弟でも良いんじゃないか? ということは、ヴィの弟の子供でも良いだろう」
「兄上、どうして……」
「どうしてって」
ディルニアスは何故分からないのだ、と驚いたように、視線をレイモンドに移した。
「お前はお産を知っているか?」
レイモンドは目を見開き、そして何故かダイアナに視線を移し、ディルニアスに視線を戻して、戸惑ったように首を傾げた。
「私は、公爵夫人の陣痛が始まってからヴィが産まれるまで、部屋の前で待機した」
噂は本当だったのか、とレイモンドとダイアナは何も返事が出来なかった。
「ヴィが産まれるまで、丸一日かかった。あの淑女の鑑と言われる公爵夫人が叫び声を上げ続け、ようやくヴィが産まれたが、それでも、安産だったと言われている」
「それで安産ですって?」
ダイアナは青褪めた。八人兄姉の末っ子であるが、ダイアナ自身はお産に関係したことはない。姉のお産は、生まれたという連絡しか貰っていなかった。
「そうだ。お産は、命懸けだ。それに、産むまでの間の十月十日の間だって母体は危険が伴う」
「確かに、色々と気を付けなければならないとは聞きますね」
頷くダイアナに、ディルニアスは重々しく頷いた。
そして。
「私がヴィをそんな危険な目に遭わせると思うか?」
「思わないですね」
「確かに」
ダイアナもレイモンドも反射的に返事をして、納得してしまった。
「そう言う訳だ。跡継ぎなんて誰でも良い。私もヴィもいずれ死ぬ。その後の国がどうなろうとどうでも良い。王が消えても民は生きていける。共和国になった国が良い例だ」
ダイアナとレイモンドは視線を交わしたが、お互いに何もディルニアスに反論することは出来なかった。
「ああ、でも」
ディルニアスは何かを思いついたように、レイモンドとダイアナの二人に交互に視線を向けた。
「お前たちが結婚して、その子供が王になるということは、ライアンと血の繋がった子供が王になるということか。さぞかし、世話焼きな良き王になるだろうな」
ディルニアスは金色の目を細め、楽しそうに笑いながら去って行った。
何を言ってるんだこの人は、そんなあり得ないことを、と心底呆れながらダイアナはその背中を見送った。
ディルニアスは余程ライアンを信用しているのか、ライアンに対する嫌がらせを好んでいるのかどちらだろう、と想像して、胃を押さえて蹲る兄を思い浮かべた。
その隣で、レイモンドが薄っすらと顔を赤くしていることに、ダイアナは気が付かなかった。
ディルニアスは、人の姿形とか地位とかを「知識」として周囲の人を判別しています。両親や弟やライアンなどはその人たちとは別と「区別」しています。ダイアナのことは今は「判別」と「区別」の中間なので「ライアンの妹」という認識で名前は覚えていませんが、認識しているだけ凄いです。そのうち、ダイアナをきちんと「区別」出来るだろうから「大丈夫」という意味でダイアナに言いました。
ここまで来たのであと少しだと思います! 分かりませんが多分! 次は11/4(火)投稿予定です。よろしくお願いします。




