お買い得だよ? 2
ダイアナとレイモンドのお話ですが、レイモンド出てきません。ディルニアスが何故かいます。
「ダイアナ、椅子に座りなさい。みんなも座るとよい。ああ、ライアン、お茶を淹れてくれるかい? さて、揃ったら皆で話し合おうじゃないか!」
いつの間にかヴァイオレットの隣に座っているディルニアスを、床に蹲って頭を抱えていたダイアナも、侍女たちも唖然と見つめた。
いつの間に?
何故このタイミングで?
「ディー、どうしてここに?」
「勿論、ヴィに会いたかったからさ!」
「お仕事は?」
「私は、お腹を壊したことになっている」
ヴァイオレットは、ライアンに視線を移した。
「……外務大臣との面談でしたので、代わりにパトリックに行かせました」
ライアンは、ディルニアスの側近の名前をあげた。とても頭が切れるがディルニアスに負けず劣らず我が道を進むタイプの人間なので、大臣は早々に面談を切り上げることになるだろう。彼は人を煙に巻くのが上手かった。
本来なら「わたしが」とお茶を淹れなければならない侍女のメアリーとエレノアも、ダイアナを椅子に座らせてから部屋の隅からスツールを自ら運んできてそのまま座った。ジェインももちろん座っている。
ライアンは全員にお茶を配った後に、妹のダイアナの隣に座った。
「あら、美味しい」
「そうだろう? 昔、何度か私のお茶に毒を入れられてから、ライアンが必死でお茶を淹れる練習をしたのだけれども、なかなかだろう?」
驚いたように呟くヴァイオレットに、ディルニアスが得意気に語った。
「ディーは毒が」
「しーっ」
ヴァイオレットの唇を人差し指で押さえて、ディルニアスは片目を瞑って笑った。「ディルニアスは毒が効かない」ということを、ライアンは知らないのだな、と侍女たちはお茶を美味しく飲みながら誰も口にはしなかった。
ライアンはそれどころではなく、味を確かめるようにお茶を一口飲んだ後に、頭を抱えた。
「意味が分からないんですが!」
「わたしもです!」
ダイアナも同じように声を上げて、頭を抱えた。
そしてそのまま暫くした後。
「分かった。分かりました。やだ、わたし勘違いしたんですね? レイモンド殿下が仰っていた意味を取り違えてしまって、混乱してしまったんだわ!」
もう、わたしのお馬鹿さん! と言いそうな勢いで顔を上げた。
「恥ずかしいですわ」
そう言いながら兄が淹れたお茶を口にするダイアナを、ディルニアスとヴァイオレットを除いて皆気の毒そうに眺めた。現実逃避をする気持ちが分かるので、誰もダイアナに訂正することは出来なかった。
だが。
「まあ、何を言うの? 勘違いなんかじゃないわよ。レイモンド様は間違いなく『僕と結婚したら、君は、ヴァイオレット義姉上と義姉妹になるね』と仰っていたじゃない。ダイアナに結婚を申し込んだのよ!」
「ぐふぉっ! ……っぐぅ」
ヴァイオレットの容赦のない無邪気な言葉に、ダイアナはお茶を吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「妹よ……。現実逃避をしたくなる気持ちは良く理解できるが、レイモンド殿下から『ダイアナ嬢に求婚したので、行って落ち着かせてあげなよ。混乱していると思うから』という伝言を貰ったから、俺はここに来たんだよ」
「私はそれを聞いて、ヴィに会う口実になるなと思って付いてきたんだ」
ディルニアスはどこまでもヴァイオレットが基準でぶれていないことに、咳き込みながらもダイアナは妙に納得した。
「無礼講で良いよ。何か私に訊きたいことがあるかい?」
ヴァイオレットに会いに来た、と言いながらも、自覚があるのか無自覚なのか、ディルニアスの金色の目は、いつもの無機質な色と違って面白そうに輝いていた。
「……レイモンド殿下、わたしのことが好きなんですか?」
ダイアナは遠慮も恥じらいもない、直球の質問を投げかけた。
「知らない」
ディルニアスは、あっさりと答えた。
「大体、彼とそういった私的な話をしたことはないしね」
じゃあ、何をあんたに訊けと言うんだ? とヴァイオレット以外の人間が心の中で疑問に思った。
「何かこう、打開策になるようなことを言えないんですか!」
色々と限界が近いライアンが叫んだ。
「打開策? 何の?」
「穏便に結婚を断る方法に決まっているでしょう!」
「断る? どうして?」
ディルニアスは不思議そうに訊き返した。
「うちは子爵家ですよ? 第二王子と結婚なんて無理ですよ!」
「無理? そんなことはどうとでもなるさ!」
「そうね。どうとでもなるわ」
ディルニアスの言葉にヴァイオレットが同調し、ライアンは絶望的な表情を浮かべた。
「打開策はそこじゃないと思うのよ? どうしてダイアナに結婚を申し込んだのか? ダイアナ、レイモンド様とお付き合いしているの?」
「まさか滅相もない!」
ぶんぶんと首を振りながら叫ぶダイアナに、皆はそりゃそうだろうなと納得していた。
「今まで二人で会ったりお話したりしたことは?」
ヴァイオレットに流行りの恋愛小説を勧める担当のメアリーが、恐る恐ると質問をした。何だか、嫌な予感がしてきたのだ。
「お話? ないですよ。ある訳ないじゃないですか。ヴァイオレット様への言伝を頼まれたりしたことは何度もありましたけど」
「言伝?」
首を傾げるヴァイオレットに、ダイアナはこくりと頷いた。
「一緒にお茶をしないか、と言われたり、庭の薔薇が綺麗に咲いているから見に行こうとか、何か困っていることはないかとか」
「……それで、あなたは何て答えたの?」
尋ねるメアリーの顔は引き攣っていた。
「ヴァイオレット様に伝えておきますね、って……」
はあーっと、部屋中にそれぞれの口から盛大な溜息が零れた。ディルニアスだけは、行儀悪く口笛をピューと吹いている。
「凄いね! そこまで無自覚に好意を無視できるなんて才能だね! その無神経さは是非見習わせて貰うよ!」
よりにもよってディルニアスに無神経と言われた! とダイアナは激しい衝撃を受けた。
「え……? わたしって、そんなことない、よね?」
救いを求めるように周囲を見回したが、皆にすっと目を逸らされた。兄のライアンに至っては、顔を両手で覆って俯いている。
ダイアナは、自分がかなり女として終わっているのだと気づかされた。
「いや、だって、まさかわたしとお茶をしたいだなんて思わないじゃないですか? わたしと庭を歩いて薔薇を見てどうするんです? 困ったことがあったら言ってねと言われても、ドレスの裾がほつれてきたな買い替え時かなお金ないなとか、寝癖が直らないとかを殿下に言ったってどうにもならないでしょう?」
「困ったことって、そういうことじゃないわね」
ヴァイオレットが真面目に訂正した。
「ほら、ダイアナってわたしと仲が良いから、上級貴族に妬まれて絡まれたり意地悪されたりしていたじゃない? 多分、そういったことを心配してくれていたのじゃないかと思うのだけど」
「あー、なるほど。そういうことですか」
「なるほど、じゃないだろう! 聞いてないが?」
「言ってないもの。ライアンお兄様にだって、よくある話でしょう?」
お互いに、王太子、王太子妃に子爵家のくせに気に入られている、と絡まれることは良くあることだった。そう言われれば、ライアンは何も言えない。
「もしかしてだけど」
ディルニアスが首を傾げてヴァイオレットに視線を向けた。
「レイモンドは以前から、ダイアナ嬢に好意を表していたのかな? それで、レイモンドを狙っている令嬢たちがダイアナ嬢に絡んでいたとか? そういった意味を含めての困ったことになるのかい?」
「嫌だわ、どうしてわたしに訊くの? ディーの弟なんですから、自分で本人に訊いたら良いじゃない?」
「ヴィならこれくらいのことは把握しているだろう?」
「信用があるのね、わたし」
ダイアナは、二人のやり取りを呆然と聞いていた。
「いや、あの」
「そうね。レイモンド殿下がダイアナに好意を表している、というのは聞こえていたわ。ねえ?」
他の三人の侍女たちも頷いた。
「は? 聞いてないんですけど?」
「そりゃ、言わないですよ」
「わたしたちに話さないってことは、言いたくないんだなと思って訊かなかったのよ」
「まさか、好意を示されていることに気が付いていなかったなんて、思わないじゃない」
そうか、気を遣ってくれていたのか、とダイアナはこんな時だが嬉しくなり、良い仕事場だなあと感動した。
「感動しているところに悪いんだけど、それでどうするの?」
「どうする、とは?」
メアリーに問いかけられた意味が分からず、ダイアナはこてんと首を倒して上目遣いに見上げた。メアリーは、ディルニアスに歳が近い、ダイアナにとっては頼りになるお姉さんであり先輩だ。
「レイモンド殿下からの求婚よ!」
「あ……」
「『あ』じゃない!」
ライアンの悲鳴に近い叫びに、ディルニアスは楽しそうに手を叩いて笑っている。
「いや、だって、王子様ですよ? 物語に出てくるような、完璧な王子様ですよ? 美男子で優しくて気配りも出来て、頭も良くて」
完璧な王太子と言われるディルニアスよりも、優しいレイモンドの方が王に向いているのではないか、という声もあるほどの第二王子である。さすがに、その辺りのことはダイアナは口にしなかったが、ディルニアスは分かっているというように、うっすらと冷笑を浮かべていた。
「そんな王子様が、何の権力も財力もない子爵家の娘に好意を持つなんて、あり得ないですよ」
「あら、物語ではよくあるわよ? 男爵令嬢との恋愛物語もあるじゃない」
「作り話です!」
「作り話ということは、人間の想像の範囲内ということだ。無い話ではない」
ヴァイオレットとディルニアスにまで畳みかけられて、ダイアナはそれ以上のあり得ない理由を思いつくことは出来なかった。助けを求めて兄を見れば、ライアンは首を振って肩を竦めた。ライアンも何も思い浮かばないようだ。
「屁理屈はどうでも良いよ」
ディルニアスは傍らのヴァイオレットを抱き寄せ、彼女の旋毛に口付けた。
「そうね。まずは、ダイアナはどう思うの? レイモンド様のことをどう思っている? 今まで、会話をして楽しかった? 嫌だった? 求婚をされて嬉しい? 困る? そこから考えてみれば良いのじゃないかしら?」
ヴァイオレットの言葉に、メアリーが頷いた。
「恋愛として、と言うよりも、人との関係を築く上での基礎の基礎ですね」
「そう、ですね」
ダイアナは頷いた。頷くしかなかった。自分は今まで、「第二王子」としてしか見ていなかったことに気が付いたのだ。同じ人間として見たことなどない。だって、雲の上の存在なのだから。
「ダイアナがどうしても、レイモンド様の性格が、為人が受け付けられない、嫌いだから何が何でもこの求婚は断る! と思うのなら、わたしとディーの権限を使って絶対に断ってあげるから安心しなさいな」
「その時は、ヴィが私のお願い事を聞いてくれることと交換条件だからね?」
「まあ、怖い。何をお願いされるのかしら?」
ディルニアスがヴァイオレットの手を握り、身体のあちこちに触れ、髪や頬に口付けをしながらの二人の会話は、今までのダイアナであればスルーして眺めることが出来ていた。平常心で微笑ましく聞き流すことが出来ていた。
しかし現在、ダイアナは恋愛について考えなければならない立場になってしまった。今までスルーしていた二人の通常を目の前にして、わたしも将来はこれをしなければならないのか? 無理じゃない? 無理だよ恥ずかしすぎる! と青褪めた。
「まだあなたはそのランクじゃないから! 初心者の位置にも立っていないんだから、あんな最上級者を見ない! 考えない!」
ダイアナの肩を揺らしながら、メアリーが意識を飛ばしかけていたダイアナを必死で呼び戻した。
「基本よ、基本。何事も基本が大事でしょう? 他人の評判ではなく、あなた自身が殿下をどう思うのか考えなさい!」
「はいっ!」
ダイアナは頷いた。先輩に対しての後輩としての脊髄反射である。
何としても王族と縁を持ちたくないライアンであったが、「うちの妹はそこまで恋愛能力が低いのか!」と頭を抱えたのであった。
昔のディルニアスなら、この部屋に来てないでしょうね。本人無自覚ながら変わってきております。この状況を面白がっている自覚はないんですけどね。面白がっているんですよ(笑)青褪めたライアンが面白くてついてきた感じです。ディルニアスはライアンにかなり懐いています。
来週月曜に投稿予定です。よろしくお願いします。