お買い得だよ?
番外編です。ダイアナのお話になります。
ブルーム子爵家の末っ子のダイアナは焦っていた。
早く結婚しなければ、と焦っていた。
結婚したいわけではない。好きな男性がいるわけでもない。でも、ダイアナの野望の為には、早く結婚しなければならないのだ。そして、子供を産まなければならないのだ。
ダイアナは八人兄姉の末っ子だった。兄が三人、双子の兄が一人、そして、姉が三人いる。幸い、姉三人は既に結婚をしてそれぞれ子供を産んでいた。だから、ダイアナは姉たちに尋ねた。
「母乳っていつまで出るものなの?」
「…………は?」
末の姉は、お茶を飲みかけていたので咽ていた。言葉を発したのは真ん中の姉である。奇妙なモノを見る目、というか、キャベツを取ってと頼んだのにレタスを意気揚々と取ってきた旦那を見ているような目であった。そんな目で見られていることは独身のダイアナは知る由もないのだが。
「突然、どうしてそんなことを訊くの?」
一番上の姉が冷静にダイアナに尋ねた。手に持っていたティーカップをそっとテーブルに戻し、彼女は真剣に話を聞く姿勢になり、真剣にお説教をする態勢となっていた。我が子に向かい合う態勢と同じである。自分は淑女だと思っているダイアナは、姉がそんな態勢をとっていると知る由もないのだが。
「ヴァイオレット様が無事式を挙げられたでしょう?」
「そうね。だから、実家の手伝いをするために、家を出たわたしたちが戻ってきたのよね」
ブルーム子爵家の次男が王太子の侍従となり、末っ子のダイアナが幼い頃から王太子の婚約者の遊び相手となり、今では王太子妃の女官となっている。これだけ王家に、しかも王太子に縁を持ってしまえば、他の家族もその派閥に組み入れられることになった。
王太子の敵対勢力に家族を取り込まれればややこしいことになる、というのはライアンもよく分かっていたので、渋々と頷くしかなかった。自分が辞めれば良いのではないか、と勿論考えたが、妹のダイアナが石にしがみついてもヴァイオレットの傍から離れないだろうことは明白だったので、ライアンは色々と諦めた。
そういった理由で、ブルーム子爵家はいつの間にか王家派、もとい王太子派となってしまった。どこの派閥にも属さずに、問題視されることもなく、権力者たちの眼中に入らずに生きてきたのに、一躍注目を集める家となっていた。
「ブルーム子爵家は人材の宝庫だね!」
勘弁してくださいとライアンは必死に頭を下げたが、ディルニアスは容赦なく役職を振り分けていった。「せめて目立たない役職に!」というライアンの頼みに、「本当に君は我儘だね」と呆れたように、渋々と了承してくれた。子爵家に拒否権などある筈がない。あったとしても、ディルニアス相手では行使できる筈もない。
つまり、今ではディルニアスはブルーム子爵家の上司である。上司の王太子の結婚式となれば、ブルーム子爵家も家族を動員して準備に駆り出されることになり、嫁に出て行っていた三人の姉たちも実家に戻ってきている状態であった。
「まさか、王族の方々とお話する日が来るとは思わなかったわ」
疲れたように呟く二番目の姉の言葉に、上と下の二人の姉も大きく頷いた。
「ああ、分かったわ。あんた、ヴァイオレット様の子供の乳母を狙っているわけね」
三番目の姉は、比較的最近まで実家にいたので、子供の頃からヴァイオレットへの賛辞や感想を散々聞かされてきた為、直ぐに見当をつけることが出来た。
「そうなの! わたしはいつ、子供を産めば良いのかしら?」
「結婚もしていないのに?」
「婚約者もいないのに?」
至極真っ当な指摘が二人の姉から続いた。
「今から探して、すぐに結婚すれば問題ないわ。式なんてどうでも良いもの。婚姻届けに署名させればこっちのものよ!」
姉たち三人は呆れたように顔を見合わせた。
「焦っているからって、うちに婚約を申し込んできたような人たちを選んじゃ駄目よ」
「もちろんよ!」
ダイアナは大きく頷いた。
王太子とお近づきになりたいが相手にされていない家の者たちから、自分や親戚の娘や息子の釣り書きが山のように送り付けられてきたし、隙あらば声をかけられて大変だったことがある。彼らの一番の狙いはライアンとダイアナであったが、他の独身の兄姉も標的にされて大変だった。
「大丈夫。条件をつけるから」
「どんな?」
真ん中の姉が何を言い出すのだろうと不安そうに尋ねた。
「まず、王太子に会わせろと言わない人。それから、わたしが仕事を続けるのを認めてくれる人、お城に詰めて家に帰らなくても文句を言わない人」
ダイアナは真面目に、自分の指を折りながら条件を声に出した。
「いないわね」
「無理でしょう」
「旦那様が気の毒ね」
三人の姉たちは揃って首を振った。
「ひどいわ! どうして妹の応援をしてくれないのよ!」
「あんたの考えがひどいからよ!」
三番目の姉と睨み合っている隣で、一番上の姉が静かに一口お茶を飲んだ後に声を発した。
「ダイアナ」
「はい!」
一番上の姉、二番目の姉はダイアナにとっては母親のようなものであった。普段は放任されているが、注意してくるのは二番目の姉、穏やかにこんこんと説教をするのは一番上の姉だった。そして声を大にして叱るのは母親である。
「確かに、婚姻届けに署名をして受理されれば結婚は成立します。でも、平民であっても結婚はそう簡単なものではありません。貴族なら尚更です。結婚というものは、他人の二人がお互いに尊重しながら生活を始めていくものです」
「逆に言えば、お互いに尊重しあえない相手とは、結婚しちゃ駄目」
「自分が大事にしたいと思う人、相手から大事にされて嬉しいと思える人じゃないと、続かないから」
三人の姉の結婚に何があったのだろうと思ったが、ダイアナは何も訊くことが出来ずに、ただこくこくと頷いた。
「まあ、あなたも二十歳なのだから、婚約者を探すのは良いことでしょう。わたしたちの方でも探しておきます」
「家として大っぴらに探し出すと、また釣り書きの山になるでしょうしね」
「夫や兄さんたちに探してもらった方が良いわね」
何だか大変なことになってきてる? とダイアナは内心慌てた。
「いや、わたしはヴァイオレット様の乳母になりたいだけであって」
姉たちに睨まれてダイアナは黙り込んだが、その夜、遅くまでダイアナは三人の姉たちから説教を受けることになった。
そもそも、ダイアナは恋愛ごとに疎かった。幼少の頃はヴァイオレットを楽しませることに一生懸命であったし、ヴァイオレットを癒せる存在になりたい、役に立ちたい、と決心してからは、城や侯爵家の侍女たちの立ち居振る舞いを観察し、ヴァイオレットの勉強に参加できるものは参加させてもらい、貴族の派閥や当主、各国の特色や王族の家系図など覚えなければならないことは多岐に渡っていた。
ダイアナがこれらを必死で勉強しようとしたのは、唯々、ヴァイオレットの話に的確に相槌を打つ為であった。知っていて打つ相槌と、知らずに打つ相槌は自ずと違ってくるものである。ヴァイオレットに、「理解できていない」と思われて、話を振られないのは絶対に嫌だったので、がむしゃらに勉強をした。ダイアナ本人は気が付いていないが、かなりの高水準の教養を身に付ける結果となっていた。
そんな猛勉強をしてきたダイアナに、恋愛ごとに現を抜かす時間は存在しなかった。また、働いている環境が悪かった。ヴァイオレットの婚約者のディルニアスは溺愛が当たり前である。普通の相手だったならば、ディルニアスからの愛に溺れて沈んで二度と浮かび上がれないほどの重い愛情である。
ダイアナが幼い最初の頃こそ驚いたが、スルーする技術を覚えてしまえば、二人の恋愛が無意識のうちに基準となってしまっていた。なので、ダイアナは普通に食事や買い物に誘われても、「忙しいので」と断っていた。どうして、よく知らない人が自分を誘うのだろう? と不思議に思うほどだった。デートだとは微塵も気づかない。
もしも、ダイアナが仕えるヴァイオレットが独身で婚約者のいない令嬢であれば。もしも、ヴァイオレットの婚約者が徹底的に婚約者を囲い込み、少しの危険の芽も摘み取るディルニアスでなければ。ヴァイオレットに対する他者からのアプローチを見て、ダイアナも「恋愛」というものを学べたかもしれなかったのだが。
とにかく、恋愛小説を読みながらも、それはヴァイオレットと話を合わせる為としか考えていない、単なる夢物語であるという現実主義者のダイアナであった。
「ロイ、お願い! ちょうど良い男性がいたら紹介して!」
「……ちょうど良い?」
騎士団に入っている双子の兄のロイは、ダイアナの言葉に首を傾げた。男女の双子なので瓜二つではないが、同じ焦げ茶色の髪に瞳、幼さの残る顔つき、と双子だと納得できる程には似ている兄妹であった。
「王太子に会わせろと言わない人、わたしが仕事を続けるのを認めてくれる人、お城に詰めて家に帰らなくても文句を言わない人」
「いないだろ」
ロイは反射的に即答した。
「どうして? 地位には拘らないわ! 平民でも大丈夫!」
「いや……何で急に?」
「ヴァイオレット様の乳母になりたいの!」
「なるほど」
よく分からん、と内心でロイは嘆息した。
「それを言う為に、こんな早朝から騎士団の待機所へ来たと?」
「だって、お姉さまたちが『あなたは結婚というものを理解していない』って、夕べも夜遅くまでお説教してくるし! こちらで相手を探すからあなたは動くなって言ってくるのよ? 結婚相手くらい、自分で見つけられるわ!」
「いや、姉三人が正しいだろう!」
「何よ、あんたまで偉そうに! 双子なのよ? もしかしたらあんたの方が弟かもしれないのに!」
「いーや! 絶対にお前が妹だね! 俺がお前より下だなんてあり得ない!」
「その言葉、そのまま返すわ!」
結局、いつの間にか「どちらが末っ子か?」という二人にとっての永遠の課題を決着がつかないままに話し終わり、そのままお互いの職場へと戻って行った。
「何よ、偉そうに。自分だって、まだ結婚してないじゃない」
ダイアナは、仕事場へと歩きながら呟いた。
結婚、なんて。ディルニアスとヴァイオレットを見ているのだから、ちゃんと理解しているつもりだ。ディルニアスはいつもいつも、ヴァイオレットと離れたくない、帰りたくない、帰したくない、と言っていた。結婚したら、ずっと一緒に居られるのに、と嘆いていた。つまり、結婚とはそういうことだろう。ずっと、一緒にいるということだ。
「……あら?」
そう考えて、ダイアナはようやく、自分が言っている結婚の条件では、相手と一緒に暮らさないことになると気が付いた。
結婚って何だろう?
今更ながら、ダイアナは疑問を抱いたのだった。
それから暫くした或る日。
「お邪魔しますね、義姉上」
「そう呼ばれるのも仕方ありませんわね」
第二王子のレイモンドが、ヴァイオレットの客間へと訪ねてきた。レイモンドの護衛として、ダイアナの双子の兄のロイの姿もあった。
余談であるが、「私からの贈り物だ」とディルニアスがレイモンドへとロイを紹介した。「人の弟を勝手に贈らないでください!」とライアンは怒っていたが、レイモンドは喜んでロイを護衛騎士にしようとした。しかし「まだ未熟な自分がそういう立場は頂けない」という本人の希望により、普段は騎士団で鍛錬をし、護衛としてレイモンドの傍に侍るのは偶にで、後は侍従のような手伝い、という立場であった。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」
「今日は、自分を売り込みに来ました」
椅子に座ることなく、レイモンドはヴァイオレットに微笑んだ。
そうして、売り込む? と内心首を傾げたダイアナの前に移動して、レイモンドは優雅に腰を折ってお辞儀をした。
「僕は、お買い得だよ?」
「……は?」
「王太子に会わせろなんて言わないし。……何しろ実の兄だからね! お城に詰めるのも大歓迎だ。ここが家になるのだから。それから、君には仕事をしてもらわないといけなくなる。王子妃という仕事だけれども」
「……はあ?」
「ああ、それに。僕と結婚したら」
レイモンドは、優し気に微笑みながら、上目遣いにダイアナを見上げた。
「君は、ヴァイオレット義姉上と義姉妹になるね」
「確かに!」
ダイアナは、思わず声を出した。部屋の隅に立っていたロイは、思わず天井を仰いだ。
「ね? お買い得でしょう?」
レイモンドは、満足気に背筋を伸ばした。
「じゃあ、よく考えてみてね!」
そう言って、レイモンドはあっさりと部屋を出て行った。
この部屋には、ヴァイオレットが本当に信頼する少数の侍女や女官しか在室していなかった。誰も声を発することはなく、じっとダイアナに視線が注がれた。
ダイアナは、何が起きたのか、何を言われたのか理解出来なかった。何を考えれば良いのだろうと、頭が混乱していた。
ただ。
「まあ、わたし、ダイと本当に姉妹になるのね!」
「ヴィオラ様、今、それを口にしてはいけません!」
慌てたようにジェインが止めたが、嬉しそうなヴァイオレットのその一言で、ダイアナは訳が分からないままも、今すぐに「喜んで!」と返事をしに行くべきかと、ぐらんぐらんに心が揺れたのだった。
ep8を書き終わった後に「僕、お買い得だよ? 僕と結婚すればヴィオラ嬢と本当の義姉妹になれるよ?」と囁くレイモンドの声が聞こえまして、「確かに! これはダイアナ絶対に堕ちるな」と思ったので書きたかったのですが、前世に向かっている途中でしたので完結したら書こうとずっと思ってました。ダイアナは別の人とくっつくと思っていたので、自分でもこの先どうなるのか分からないのですが(レイモンドが口説き落とすことしか分かりません(笑))とりあえず、続きます。来週月曜に更新予定です。よろしくお願いします。