残念な王太子様
ライアン・ブルームは子爵家の次男である。子爵家としては中位で、金持ちではないが貧しくもない。ライアン自身も茶色の髪に茶色の瞳という、平凡な容姿である。勉強は中の上、或いは上の下。飛び抜けて勉強が出来る訳ではないが、ほどほどには出来る頭脳ではある。運動神経は良くはないが悪くもない。剣も学園での授業で習った程度。驚く程に平凡な人物だと、ライアンは自分を理解していた。
だから、学園で王太子であるディルニアス・ギア・ウィンダリアから声をかけられた時は、誰かと間違えているのではないかと思った。
「間違えていないよ。ブルーム子爵家の次男のライアンだろう? 私の従者になって欲しい」
真っ先に思った事は、「騙されているのではないか?」だった。
「ははは。私が君を騙して、何か得をすることはあるかい? 金をせびるほどの資産があるわけでもないし、私の後ろ盾につけというほどの権力もない家じゃないか」
「仰る通りです……」
言い方! と怒る気力も湧かない正しく正論だった。
殿下は今年入学したばかりの十五歳である筈だが、二歳年上の自分よりも貫禄も落ち着きもあり、さすが「完璧な王太子」と呼ばれているだけはある、とライアンは内心で感嘆した。
適当な空き教室に連れ込まれたと思ったのだが、そこにはテーブルと椅子とお茶とお菓子が用意されていた。侍従の制服を着た青年が、コポコポとお茶を注いでくれる。
「しかし、俺……私は、特に頭が良いという訳ではございませんし」
「私より頭が良い人間は、余りいないだろうね」
確かに、と頷くしかないライアンであった。
「武勇に優れているということもなく」
「護衛騎士を頼んでいるわけじゃないし、ある程度の護身術は習っている」
「単なる子爵家の次男です」
「家格は関係ない。私は能力があるならば、平民にも声をかけている。それに、君の家は中立派だろう? 私の婚約者の家は公爵家で王族派だから、派閥に関しても申し分ない」
そう言えば、殿下の婚約について貴族派からの反発が凄かったと聞いた覚えがあるような? と思ったが、はっきりとした経緯をライアンは思い浮かべることが出来なかった。王族のような雲の上の人達など、普通に生活を送る自分には関係がない。だから、王太子殿下には婚約者がいる、という程度の認識しかライアンは持ち合わせていなかった。
「いえ、あの、殿下の隣に立てるような容姿でもございませんし」
「面白いことを言うね? 私の隣に立てる容姿の者など、我が婚約者しかいないというのに。重ねて言うが、私が欲しいのは君の能力だ」
うわあ、殿下、婚約者を溺愛しているんだなあ、とライアンは驚いた。驚いたが、何かが心の隅に引っかかった。でもそれが何かは咄嗟に思い浮かばなかった。
「いえ、私には能力と言えるようなものは」
「謙遜することはない。だって君は、ブルーム子爵家の五男三女の第二子である次男だろう? 弟三人、妹三人の世話を一手に引き受けていると聞いている」
そう、特に特筆すべきもないブルーム子爵家であるが、子沢山で有名であった。というか、愛人が居なくてこれだけの兄弟姉妹がいる、というのが珍しく、夫婦仲の良い家ということで名が知られていた。
一番下の双子の弟妹はまだ四歳で母親の手を取られているので、その他の弟妹に気を配るのはライアンの役目になっていた。
「よく御存知で」
こんな下っ端子爵家の事情を何故知っているのかと、ライアンは純粋に驚いた。
「何、やたらと周囲への気配りが整っている生徒がいるなと気が付いてね。調べてみただけだよ」
そんな特別なことをした覚えはないが、やはり誰かと間違えているのではとライアンは疑問に思った。
「君にお願いしたいんだよ。私はね、自分のことは自分で出来るし、やりたいことは自分でやる。そのせいか、どうも周囲に対しての気配りが足りないようで反感を買いやすい。その辺りを君に補助してもらいたいんだ」
なるほど、つまりは雑用係のようなものか、とライアンは初めて納得した。
「殿下の卒業後から、ということでしょうか?」
「いや、君の卒業後すぐからお願いするよ。私はすでに学園の卒業までの学問は終わらせているから、学園には人材探しで偶に登校するくらいなんだ。他は既にいくつか公務を任されているし、そちらの補助も手伝ってもらいたい」
ライアンは次男なので家を継ぐ予定もなく、長男に万一があった時の為のスペアであるが、何しろまだ下に男が三人もいるのだ。スペアであることも考えたことはないし、両親も自由にしろという教育方針だった。そろそろ卒業後のことを考えなければならない身の上としては、信じられないほどにありがたい話である。
「ご期待に添えるように頑張りたいと思います」
ライアンは立ち上がり、ディルニアス王太子殿下に礼を執った。
「こちらこそありがたいよ。後で契約書を渡すので、そちらにサインをしてもらえるかな」
「はい、よろしくお願いします」
この時の返事を、ライアンは生涯にかけて何度も思い出しては溜息を吐くことになるのだった。
ライアンは下位貴族だ。嫡男でもないので貴族界隈の噂話にも興味はなく、王太子殿下に婚約者がいることは知っていても、相手のことはよく知らなかった。
卒業するまでの間にも、今から覚えて欲しいことはある、とライアンの学業を優先した上で登城して色々と覚えることになって初めて、ライアンは現在十五歳の王太子殿下の婚約者が御年二歳であることを知った。「歳が離れている」と聞いた覚えはあったが、ここまで幼いとは知らなかったのだ。
「政略結婚ですか……」
例えば殿下が二十九歳、令嬢が十六歳、という十三歳差の婚姻だと珍しくはない話と思えるが、婚約者が二歳というのは、違和感を覚えるし、そんな年齢から婚約をさせるのかと眉を顰めてしまう。
「いえ、恋愛結婚です」
殿下付きの侍従のジェフリーに訂正されて、ライアンは「はっ?」と無礼にも訊き返してしまった。
「失礼、まだ結婚していらっしゃいませんから、恋愛婚約? と言うのでしょうか。殿下がありとあらゆる策を弄して、両陛下と向こうの家を脅して、婚約に持ち込みました」
ジェフリーは真面目な顔で説明した。つまりは、殿下の希望で婚約したのだなとだけライアンは理解した。深くは考えられなかった。
「いや、相手の御令嬢が二歳でしたら、恋愛ではないですよね?」
そこだけは、突っ込んだ。
「しかし、ヴァイオレット様も殿下が抱っこされたら泣き止まれていましたし」
「抱っこ? 泣き止む? ということは赤ん坊の頃から婚約されているんですか?」
何処から突っ込もうかと思ったが、とりあえずそこを突っ込んだ。
「いえ、ヴァイオレット様が産まれる前からですね」
「……えーと、殿下の恋愛、なんですよね?」
産まれる前からあらゆる策を弄して婚約者になったとは? ライアンは意味が分からなかった。
「そうです。そういう方なのです」
どこか諦観したように頷きながら答えるジェフリーに、ライアンは「そういう方なんですか」と頷くしか出来なかった。深くは考えないようにした。
「そのうち殿下の為人を理解できますよ」
微笑みながらジェフリーに言われて、ライアンはこのままここで働いて良いのだろうか、と少し不安を感じたが気がつかないフリをした。
学園を卒業してからは、ライアンはディルニアス王太子殿下に付き従った。そうして、この方は本当に天才なのだと舌を巻いた。いくつか任されている公務というのも、形だけのものではなく、王族としての判断が必要なものが既に含まれている。まだ十六歳でありながら、的確な判断を下し、指示を出す。しかも自分だけの判断ではなく、身分関係なく優秀だと思う者に声をかけ、意見を募り耳を貸す。
この方に気持ち良く仕事をしていただきたい、とライアンは心から想い、仕事に励んだ。見ていて気付いたことに、ディルニアス王太子殿下は平民に関係することは、必ず周囲の意見を、特に平民で徴用した部下の意見を取り入れた。しかし、平民は関係のない、かつ、簡単な(殿下にとっては)事案に関しては、自分一人でさっさと判断をくだして事案を回しているのだが、そういう簡単な事案に関しては、何故独断で終わらせるのか、我々に相談しないのか、という貴族達がいた。
「空は青いんだと訊きもしていないのに得意気に囀るくせに、では何故空は青いのかと訊ねたら途端に口を噤むような奴らに何を相談すれば良いと言うんだ?」
そう言って、ディルニアス王太子殿下は鼻で笑うだけだった。自分は反感を買いやすいと言っていた意味はこういうことか、とライアンは納得した。そして、自分で意識したことはなかったのだが、反感を買わないように(全ては無理だが)ある程度の根回しをすることが、割と自分は得意なのだなと気が付いた。
これは多分、このお菓子を弟妹の二人だけにあげたら他が煩いぞ、だから隠そうとか、他の物を用意しようといった、弟妹の面倒をみていた経験から身についているらしかった。自分でも気が付いていなかった能力である。
そんな或る日の事。
「今度、婚約者の家でお茶会があってね。君にも紹介したいから、一緒に来てくれるかい」
「それは光栄です」
喜んで、と返事をしてから、婚約者の御令嬢は三歳だなと気が付いた。三歳の子供に挨拶は必要なのだろうか?
「手は多い方がいいからね。助かるよ」
お茶会で手が多い方がいいとは? 裏方を手伝うのかなと、その時ライアンは特に不審には思わなかった。
しかし。
「え? 殿下、お茶会に招待されていないんですか?」
馬車の中で驚きの事実を言われた。
じゃあ、何で忙しい仕事の合間を縫って来たんだ? という尤もなライアンの疑問である。
「大丈夫。王家の紋章のある馬車に乗って来たし、私はこの国の王太子だし、ヴィの婚約者だ。家には入れてもらえる筈だ。多分」
「いや、多分って何ですか?」
「入れて貰えなかったら、家の前で不敬者! って騒ぎ倒せばよい」
「いや、駄々っ子じゃないんですから!」
王太子殿下に対してだが、ライアンは突っ込まずにはいられなかった。
「今日は、ヴィと年頃の近い子供たちを集めてのお茶会を開くらしいんだ。ヴィに友達を作る為らしいんだけど、私がいるんだから友達なんて要らないだろう?」
「いや、友達はいた方が良いと思いますよ?」
正論の筈だ、とライアンは恐る恐ると言い返した。
「だから、屋敷内に入ったら私たちはこっそりとお茶会が開催されている庭に散開して、ヴィに近づく男どもを蹴散らすのが目的だ」
「いや、相手は子供ですよね?」
十六歳となり、身長も伸びて身体にも筋肉が付き始めたディルニアス王太子殿下は、少年と青年の狭間の期間のしなやかな若木のような色気がある、と国中、いや近隣国からも注目を集めているのに、本気で嫉妬して阻もうとしている。
相手の家が中に入れないでくれたら良いのだが、と祈っていたのだが、馬車はすんなりと招き入れられた。
「以前、騒いだからな」
学習したようだ、と王太子殿下は満足気だが、既に「不敬者」と騒いだことがあったのか、とライアンは頭を抱えた。
ライアンは混乱していた。完璧な、天才だと思っていた王太子殿下の初めて見る言動に混乱していた。
だから、馬車を降りてから、王太子殿下に言われるがままに従ってしまった。
「こっちからヴィの匂いがする」
匂い? 匂いって何? と思ったが、もうライアンには突っ込む気力もない。王太子殿下の護衛騎士と並んで、途方に暮れながら後をついて隠れるように庭を歩いた。
「やーっっ!」
小さな子供らしい、甲高い声が聞こえた。殿下と護衛騎士が駆けだすのに二呼吸ほど遅れて、ライアンも駆けだした。
「ヴァイオレット様!」
ライアンが駆けつけた時には、侍女が名前を呼びながら幼女に手を伸ばしていた。真っ直ぐな白金の髪を幼い栗色の髪の男児が掴んでいる。幼女──ヴァイオレット嬢は紫水晶色の瞳を涙で潤ませていた。こんな場面でも、人形のように綺麗な子だな、とライアンは思った。
そこまでは、まあ、子供の諍いとしてよくある光景だろう。小さな男の子が小さな女の子の髪を引っ張った。それは、分かる。
けれども。
「殿下! 落ち着いてください! ライアン手伝え!」
護衛騎士が、王太子殿下を羽交い絞めにしていた。本来なら、護衛する筈の王太子殿下を。そして、殿下の左手からは頭よりも大きい赤い炎が轟轟と燃え出していた。
「……放せ。こいつを、燃やす。大丈夫だ、髪を燃やすだけだ」
「髪だけ燃やすなんて出来るんですか!」
「知らん」
冷笑を浮かべている王太子を見て、これは本気だと慌てて腰を抜かして気絶しかけている男児を抱え、ヴァイオレット令嬢を抱えている侍女と一緒にライアンはその場を後に駆け出した。
白銀に菫色の瞳の公爵夫人は顔を青褪めさせたが、すぐにライアンから男児を預かり、他の侍女に指示を出していた。
ライアンが急いで王太子殿下の元に戻った時には、護衛騎士を投げ飛ばして走り出すところだった。
「ライアン! 止めろ!」
無理を言うな! と叫ぶ暇もなく、王太子殿下の迫力にライアンは思わず避けたのだが、完全に避け切ることが出来なかった。結果的に、王太子殿下に足払いをした格好となり、王太子殿下はその場に派手に顔から転んだ。倒れていた護衛騎士が跳ねるように起き上り、王太子殿下の上に乗りあがって押さえ込んでいる。
王太子殿下の扱い、これで良いのか……?
ライアンはもう、何も考えられなかった。
「やあ、まいったね! 足払いなんて初めてされたよ。あれは不意打ちに良いね。機会があれば、私も使わせてもらうよ」
公爵邸の中に招き入れられ手当てを受けたディルニアス王太子殿下は、ケロリとした表情でそう言った。さすがによく手入れがされている公爵家の庭、小石などもなく擦り傷は出来なかったが、顔を強打していたので鼻血を出した王太子殿下の手当てをした。と言っても冷たく冷やした布を当てて、血が止まるまで寝かせただけである。
美形は、鼻血を出しても美しいのだな、とライアンは初めて知った。
王太子殿下を足払いした自分はどんな処罰を受けるのかと覚悟をしていたが、そう言ったことも込みでの従者の仕事なんだそうだ。
「護衛騎士もだけどね。いざという時に私を止めるのも君の仕事だ」
そんなことは先に言って欲しい。というか、「完璧な王太子」がこんな人物だとは思わなかった、とライアンは疲れ果てて溜息を吐いた。
「私の補助とはそういうことさ。あと、私の手から火が出ていたのは内緒だよ。これは破ったら、私でも庇うことは出来ないからね」
分かりました、とライアンは頷いた。言われてみればそちらも気になるのだが、それよりも子供相手に本気で殺そうと(本人は髪を燃やすだけだと言っているがそれもどうかと思う)した方が衝撃だった。
「私は精霊憑きなんだよ」
「精霊……って、お伽噺の?」
「まあ、一般的にはそう言われているが、精霊が憑いている人間はごくまれに存在する。そうした人物は、手品のような不思議な力を使うことが出来るんだけど、悪用されないように絶対に秘密になっているんだよ」
手品? あの大きな炎が? とライアンが眉を寄せると、ディルニアス王太子殿下は鼻の上に当てている布を両手で押さえたまま、上目遣いにライアンを見上げた。
「私についているのは大精霊だからね。所謂お伽噺の魔法のような力を使うことが出来るんだ」
そこまで規格外なんですか、とライアンはもういっそ呆れた。
「ヴィの事になると、ちょっと冷静になれなくてね。そう言うわけで、今後ともよろしくね」
ちらりと護衛騎士を見ると、大きく頷かれた。彼は、何度もこういう目に遭っているらしい。ライアンは「はい」と小さく頷いた。気が重かったが、今は冷静なようだし、気を付けていれば大丈夫なのかな、着火させないように気をつけねば、と自分に言い聞かせた。
そういう事は、最初に言って欲しかったと思ったが、「完璧な王太子」がこうなるなんて見ていなければ信じられなかっただろう。
そう思ったのだが。
数日後、夜中に王太子殿下は一人で抜け出して婚約者の髪を掴んで泣かせた男児の家に忍び込み、眠りが深くなる香を焚いて男児の髪を根元から切り落として、枕元にナイフを刺して帰って来たらしい。
男児に手を出さないように言い聞かせないと、と恐る恐るあの時の話題を出せば余りにもあっさりと承諾するので、逆におかしいと問い詰めたら白状した。
「大丈夫、証拠は残してないから」
にこやかに話す王太子殿下に、ライアンは倒れそうになった。
「だけど、ライアンも私に詳しくなってきたねえ。やはり私の見込みに間違いはなかったね」
王太子殿下は上機嫌で、ライアンの肩を叩いた。
◇ ◇ ◇
ライアンは時々考える。
あの時、王太子殿下からの申し出を受けなければ……。
「ぎゃああああっ! た、助けてぇぇぇっ!」
野太い叫び声に、今まさに王太子殿下の執務室に入ろうとしていたライアンも、扉の前に立っていた護衛騎士二人も慌てて部屋の中に飛び込んだ。
目の前には、成年男性を組み伏せて、首筋に顔を埋め込んでいるディルニアス王太子殿下だった。
え……、殿下そういう趣味だったの?
思わずその場に硬直した護衛騎士二人とライアンに、組み伏せられていた男は手を伸ばす。
「た、助けて! こいつを退かしてくれ……!」
「あれ、オルトニー公爵じゃないですか?」
ディルニアス王太子殿下の婚約者、ヴァイオレット・オルトニー嬢の父親だ。王太子殿下の従兄にあたる。
「………………ヴィの、匂いがする」
「するわけないだろ! 俺だって昨日から家に帰ってないのに!」
「殿下! とりあえずは起きましょう! その人はヴァイオレット嬢のお父様ですよ! 全然似てないでしょう!」
護衛騎士二人とライアンの三人がかりで引きはがそうとするが、決して離れようとしない。
確かに、スリダレーン国から来る王女や使者を迎える準備や会議の資料作りで忙しく、ここ二週間は王太子殿下は婚約者と会う時間がなかった。しかし二週間でこうなるのか? 公爵は黒髪に琥珀色の瞳、ヴァイオレット嬢は白金髪に紫水晶の瞳と全く違うし、令嬢は完全に母親似である。
「…………匂いが、する。遺伝子が半分」
虚ろな瞳で遺伝子の匂いを嗅ぎ分ける王太子殿下に、皆背筋が冷たくなった。
これは、不味い。ここが限界なのか。今後は間違えないようにしなければ、とライアンは慌てた。
「わ、分かりました。何とかしましょう。時間を作ります。訪問は難しいので、ヴァイオレット嬢に城に来てもらってお茶の時間でも」
「…………いつ、会える?」
「え、えーと、スケジュールを見てみないと」
そのまま更にオルトニー公爵の首筋の匂いを無言で嗅ぐ王太子殿下。叫ぶオルトニー公爵。
「……分かった! 持ってくるから! ヴィオラの匂いがついた服か何か明日持ってくるから!」
「……明日?」
「今! 今から帰って取ってくる!」
「わ、私もスケジュールを調整しますので、ご一緒します!」
ライアンとオルトニー公爵は、二人で部屋を飛び出した。「逃げた!」という視線の圧を背後の護衛騎士から感じるが知った事ではない。
オルトニー公爵は元騎士で、現在は警務大臣を担っているのに、あっさりと押し倒されているのだ。恐るべき馬鹿力。
「……娘を売るなんて。ごめんよヴィオラ、情けない父を許しておくれ……」
馬車の中でさめざめと泣く公爵を、ライアンはどう慰めて良いのか分からなかった。
本当に。
もしも時間が巻き戻るのなら、王太子殿下からの誘いを絶対に断れと自分に告げるのに、とライアンもちょっぴり涙ぐんだ。