神などいない ―前世編ー(4-4)
暴力的シーンあります。苦手な方はご注意ください。前世のお話なので無理に読まなくても大丈夫です! 再度言わせていただきました。
「結婚式! 知っているわ! じゃあ、あの二人は恋をして結ばれたのね! 大恋愛というやつかしら?」
何処からそういう知識が? 殆ど一緒に生活している自分だって、結婚式や恋なんてよく知らないのにと少年は驚いた。
「ふふん。わたしは、あの場所に閉じ込められていたって、人の声や話はよく聞こえるのよ」
何故だか、得意気な声だった。
「素敵よね。ずっと、死ぬまで一緒に暮らす誓いを立てるのでしょう?」
羨ましそうな声に、少年は面白くないと感じた。
「僕だって、あなたと一緒に死ぬまで暮らすけど?」
「……そうなの?」
「そうだよ!」
疑われたようで、少年は傷ついた。自分は他の生き方など、考えたことはなかったのに。ずっと、ずっと、彼女の傍で暮らすつもりだったのに。
「そっか……。それは」
彼女の紫水晶の目がきらりと光ったような気がした。単なる鉱石の筈だ。涙が出る訳がない。だけど、少年は思わず手を伸ばした。
その途端に。
どさりと、目の前の少女の姿は消え、土の塊が足元に落ちていった。
触れては、いなかった。触れる前に、土となって崩れ落ちた。四大精霊もいなくなり、周囲が少年の足元の大量の土を不思議そうに見ていた。
訳が分からなかった。一瞬、今までの出来事は、彼女と出会ってからの出来事は、全て夢であったのかとさえ思い、足元から崩れ落ちるような感覚を覚えた。
だが、少年の手の中には、紫水晶の鉱石が二つ在った。
────夢ではない。
二つの紫水晶を握りしめて、少年は走り出した。
毎日狩りで走り回り、風の大精霊に鍛えられていた少年は、普通の人間よりもかなり速く駆けることが出来た。いつものように道なき道を駆け上がると、王や兵士たちが彼女を包囲していた。
煌びやかな白馬に白い鎧、手に武器を持った数多の兵士たち。
「やめろっ!」
少年は、叫びながら駆け出した。
駆け出さずにはいられなかった。
「こいつ! 何処から!」
気が付いた兵士たちが、少年に襲い掛かってくる。少年が持っていたのは、小ぶりのナイフだけだった。武器を躱しながら、何人かはナイフを喉に突き立てて無力化することは出来た。
だが、多勢に無勢だった。
「繧�縺ヲ縺!」
彼女が身を屈めてこちらに来ようとしていた所を、誰かが投げた槍が彼女の目に突き刺さっていた。地面が揺れる程に、彼女は痛みに悶え苦しんでいた。
「なっ────!」
完全に気を取られてしまった少年は、矢が肩を貫き、ふらついた所を背後から槍が、前から剣が、少年の身体を貫いた。
「よ、よし、これくらいで良いだろう。帰るぞ!」
倒れた少年の耳に、そんな声が聞こえた。馬の鳴き声や人のざわめきが去って行き、ずるずると何かが近づいてくる音が聞こえた。
「ああ、どうして、あなたが……」
彼女の声に、無事だったのかと少年は安堵した。
何かを言いたい気もしたが、口がもう上手く動かなかった。身体がとても熱いのに、震えるほどに寒かった。目を開く力もないが、耳だけは音を拾うことができる状態だった。
「ごめんなさい……」
謝る必要はない、と言いたかった。自分は、唯一あなたから優しさを貰えたから、人として生きることが出来たのだと、感謝したかった。
「ごめんなさい。あなたは、少し、人ではなくなるかもしれないけれども……。ああ、お願いよあなた達。この子の傍にずっと居てあげてね」
何かを口の中に押し込まれた。丸い、飴玉のような小さな物を、ぐっと口の中に押し込まれ、それは喉の奥で弾けて身体の奥へと下りていった。
すると、身体の奥底からぽかぽかと温かい何かが湧き出てきて、身体中を巡りだすような感覚になった。寒さはなくなり、熱さもなくなった。
「何を……」
呟きながら目を開けて起き上ると、両手首から先が千切れた状態で、片目に槍が刺さり、片目が空洞になった彼女が地面に倒れ伏していた。
「どうしてっ!」
「ああ、間に合ったのね……」
安堵したように、彼女は弱弱しく息を吐いた。
「どうしてこんなことに……」
「あなたを助けたいと、我を忘れて手を引き出そうとしたら、戒めで手首から先が千切れてしまっただけよ」
「だけ、じゃないでしょう!」
近寄ろうとしても、四大精霊たちに止められた。
「近寄っては、駄目よ。今、死にかけているわたしから流れ出るこの乳白色の液体は、猛毒になっていくから」
「嫌だ! 死なないで!」
「無理を言わないで。王は、契約不履行を起こした。不死の力を持つ私の目を自らが壊した。だから、わたしの役目はもう終わりなの」
いつも蠢いていた蛇たちも、力なく項垂れて大人しかった。
「だから、もう一つの再生の力の目をあなたに飲ませたの。間に合って良かった。最期にあなたの顔が見られないのは残念だけど」
「嫌だ! どうして! だって、まだ名前を付けてくれてないじゃないか! お互いに名前を付けようって約束したじゃないか!」
「ああ、そうね。そうだったわね。時間は沢山あると思っていたんだけど。でもね、わたし、このお役目を果たしたら、お父様に願い事を一つ叶えてもらえる約束をしているの。わたしきっと、人間に生まれ変わるわ」
そうしたら。
「わたしを、見つけてね」
お願い、と呟かれて、少年は何度も頷いた。頷くことしか出来なかった。
だが、目が見えない彼女にこれでは伝わらないと気付き、必死に声を絞り出した。
「……見つける! 絶対に見つけ出す! そうしたら、お互いに呼び名をつけよう! 二人だけの呼び名を! そうして、手を繋いで歩いて町を見よう!」
「……ああ、それは素敵ね。自分の足で歩きたいわ。土を踏みしめて歩きたいの、雨を降らせるのではなく雨に濡れて、風を起こすのではなく風に吹かれて、炎の温度を感じたいわ。それに、恋もしてみたい。結婚式もしたいわね」
「それ、相手は僕だからね」
「ええ、もちろん」
あなたと、生きたい────。
声にならない声を残し、彼女はそのまま塵となって消えた。
パシャリと彼女の目に刺さっていた槍が、黒くなった液体の中に落ちる音がした。
「う……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
名前を呼ぶことも出来なかった。
触れることも出来なかった。
ただ傍に居て、お互いに寄り添って生きただけだった。
喉が裂けんばかりに少年は声を上げ、地に伏して、泣いた。
泣いて。
泣いて。
そのまま蹲って眠り。
夜が明けてまた泣いて。
涙も枯れ、黒い液体も地面から無くなった頃。
少年は、這いながら進み、槍を手に取り、立ち上がった。
「……もっと強くならないと駄目だ。俺をもっと鍛えてくれ」
少年はもう、いなかった。
一人の復讐を誓う男が誕生した。
経緯を調べてみれば何ということはない。余りにも不作続きの為に、豊穣の儀式を早めて行ったようだった。結局、いつものように光が天に昇らなかったことを不審に思い、再び様子を見に来た王たちが、『怪物』が消えていることに首を傾げていたが。
「怪物を倒したからには、来年からは豊作が続くに違いない」
そう声を上げ、意気揚々と戻って行った。
男は襲い掛かりたいのをじっと我慢してその様子を眺めていた。王を殺すだけでは満足出来なかった。この愚劣な王が持っている物を全て、壊してやらなければ気が済まなかった。
だから、男は使えるものは何でも使うつもりだった。
「お久しぶりです。神からの言葉を預かりましたので帰ってまいりました」
そう言って、教会に戻った。十年経っていたが、男が珍しい金色の髪であることと、瞳が紫水晶の瞳であったのに、珍しい金色の瞳に色が変わっているということで、本当に御使い様が神の声を持って戻ってきた、と奇跡の具現者として歓待された。
男は、この時初めて、自分の瞳の色が彼女と同じ色に変わっていることを知った。
「神は唯一です。王は、勝手に神を名乗っている冒涜者にしかすぎません。不死? いいえ、老衰まで待つ必要はありません。神の御使いである俺なら大丈夫です。俺だけが、殺せます」
この役目だけは譲れない、と男は自分だけが王を殺せると主張した。そう言って、教会を煽り、周囲の力のある家の者たちを煽った。半信半疑な者には、大精霊を使って「奇跡」を見せれば、すぐに信用してもらえることが出来た。不満を持っていた者は多く、面白い程に反旗を翻す者は集まってきた。
「御使い様、どうぞ何なりとお申し付けください」
ウィンダリアという貴族の家の嫡男が、嬉々として男の世話を焼きたがった。馬鹿ではなかったので使いやすく、男はそのまま好きにさせていた。
「御使い様、王を倒したらその後はどうされますか?」
そう問われても、男はそんなことは考えたことはなかった。王を倒し、王から全てを奪う事だけ考えて生きているのだから。
だが。
「……結婚式が、あちこちで行われているような、そんな国にしたいな」
ふと、彼女を思い出した。町の食堂で行われている結婚式を、嬉しそうに見ていたことを、生まれ変わったら結婚式をしたいと言っていたことを。
「へえー。結婚したい好きな女性がいるんですか?」
好きな女性、と言われて戸惑った。自分にとって唯一で、他の何よりも大切で、一緒に居たくて、一緒に居るのが当たり前で、彼女が生まれてきたら結婚をする約束をしている。これは、好きという感情なのだろうか?
「生まれてきたらと言うのがよく分かりませんが、それは愛してるという感情のように思いますが?」
怪訝そうな顔で、ウィンダリア家の嫡男は答えてくれた。
「そう、か」
自分は彼女を愛しているのか、と男は初めて自分の感情の名前を知った。
王に反旗を翻す為の勢力を集め、計画を練るのに何年も時間を要した。殺すだけなら直ぐにでも殺せる、という余裕から、王から全てを奪う為だと男は我慢することが出来た。
そうして、ようやく準備が整い、陽動部隊が町外れ、城の前とあちらこちらで騒ぎを起こしている頃、男は少数部隊でいくつかに分かれて、城の中へと侵入した。
頭の中は冷静だったが、気持ちが高ぶっていた。
目を閉じれば、王が、兵士たちが、笑いながら彼女を刺し、切りつけ、抉っていた姿を思い出せてしまう。
やっと、彼女と同じ目に合わせることが出来る────!
男は、獲物を狙う猟犬のように、城の中を走り回った。
やがて。
「────ここに、居たのか」
王は、宝石だらけの玉座に座って震えていた。
「わ、我は神であるぞ! 神に対して不敬であろう!」
駆け出すように男は走り出て剣を抜き、王の顔を切りつけた。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!」
だらだらと血を流しながら叫び声を上げる王を、男は嗤った。
「どうした? お前は神なんだろう? 不死ではなかったのか?」
「な、何故! どうして!」
不死でなくなったと、今まで気が付いていなかったらしい。
「なんだ、気が付いてなかったのか? お前はとっくに不死じゃない。お前自身が神との契約を破棄したのだからな!」
「する訳がなかろう!」
「いいや! お前は、槍で神の目を刺し、不死の契約を破棄したのだ!」
王は眉を顰めた。
「あれは、ただの怪物であろう……?」
男は我慢できず、玉座の肘掛けの上に置いている王の手を、持っていた剣で突き刺した。
「ぐわぁっ!」
「痛いか! ただの剣で貫かれて痛いのか! 神が聞いて呆れるな!」
はっ、と男は嗤ったが、王は睨み上げてきた。
「神は……我だ!」
「はっ、はーはっはっ!」
男は笑わずにはいられなかった。この執着に、いっそ感心してしまった。
「神などいない」
男は、背負っていた槍を手に持って、王の腹に無造作に突き立てた。
「お前が殺した。この槍で、お前が、神を殺した!」
────俺の唯一の神を!
一撃で死なせるつもりはなかった。少なくとも、彼女の苦しみの半分でも味あわせたかった。だが、心臓の方が持たなかったようだ。目をカッと見開き苦し気に呻きながら王は男に手を伸ばしてきた。男が無造作に一つに束ねていた金の髪を掴み、ぶちぶちと引き抜きながら、王は息絶えた。
「俺の髪、燃やして」
王の指に絡んでいた金の髪が、一瞬で消し炭となった。
「髪一本も、こんな男にくれてやるつもりはない。俺の身体は、爪の先まで彼女だけのものなんだから」
男は忌々し気に、王を睨み下ろした。もっと痛い目を見せたかったのに、勝手に死なれたことに腹が立ち、男は舌打ちしながら玉座から王の死体を蹴り落とした。
王を殺しても、男の気持ちは晴れなかった。豊穣の儀式に参加していた兵士たちを殺しても、男の気持ちはすっきりしなかった。あっさりと、手応え無く死なれたことに、苛立ちが増し、虚脱した。
こんな奴らに彼女は好きにされていたのかと、こんな奴らから自分は彼女を守れなかったのかと、自己嫌悪に陥った。
もう、他はどうでも良かった。彼の中には、何も残っていなかった。
だけど。
「わたしを、見つけてね」
彼女との約束だけが、残っていた。
彼女が生まれてきた時に、安心して過ごせる国にしたかった。彼女が飢えないように、凍えない家に住めるように、豊かな国にしたかった。もう二度と彼女が理不尽な暴力にあわないように、平和な国にしたかった。
彼女から貰った目で国を見渡せば、力のある土地の辺りはきらきらと輝いているのが見えた。彼女の血で作られた国を、美しい国にしたかった。
何も残っていない彼にとって、唯一縋りつく目標となった。
なので、周囲から担ぎ上げられるままに初代の王となったが、国内を整えるのに忙しく、国名を考えたり戴冠式を行ったりするような暇はなかった。
夜眠る前に、彼女に手紙を書くように、彼女に教えてもらった神代文字で日記を書くのが習慣になっていた。彼女から教えてもらった字を忘れたくなかったからだが、いつか彼女に読んでもらいたい、と前向きな気持ちにもなれた。
それだけが、男にとっての憩いであった。
「御使い様、戴冠式と国名の発表のことなんですけど」
ウィンダリア家の嫡男に話しかけられて、男は不機嫌に振り向いた。
「しつこいぞ、そんなことはどうでも」
「どうでも良いなら、私が貰っても良いですよね?」
男の胸に、深々とナイフが埋められていた。
「はははは! やったぞ! やってやったぞ! これで、私が王だ!」
後退りながら声を上げる嫡男に、男は笑いかけた。
なんだ、王になりたかったのなら言ってくれればいつでも喜んで譲ったのに。こいつなら狡賢さがあり、外面も良いから良い王になるだろう。
ああ、でも、何よりも。
────終わらせてくれてありがとう。
男は、微笑みを浮かべて死んだ。
■ ■ ■ ■
御使いである王が暗殺された、という知らせは直ぐに国中に行き渡った。
「怪しい影を見かけて部屋に入ったら、王がナイフで刺されて倒れていた。駆け寄った私に、この国をお前に頼む、と言って王はこと切れた」
だから、私が王の遺志を継ごう、と言うウィンダリア家の嫡男を訝しむ者は多かった。
だが、殺害された本人、王が微笑みを浮かべて死んでいたので、王の意思であったのだろうと、皆、国名をウィンダリアとすること、嫡男を次期王とすることに賛同した。
こうして、ウィンダリア国が誕生したのであった────。
ここまでお読みただき、最後までお付き合いくださりありがとうございました! 本当にここまで書いて良いのかなと不安になりつつ楽しく書きました。本当に、ここまで書くとは思いませんでした。頭の中にあるだけで終わると思ってました。どうぞこの後は、1話に戻るなり、何処でもお好きな話に戻って二人の今の幸せを見守ってやってください。蛇足とはなりますが、ディルニアスが何度も転生しているのは、ヴィが与えた再生の力が作用してしまっています。ヴィさんは回復させるだけのつもりでした。きちんと神としての力が戻っていなかったからなのと、本来再生の力は農作物を毎年実らせる為のもので人間向きではなかったからです。後は、ディルニアスが結婚式の時にきちんと大人しかった?のは、結婚式が彼女の夢だったからです。ディルニアスは今生でとにかく彼女に触れられるのが嬉しいのと大事にしたいのでずっと抱っこしていたいという想い故に、彼女が土の上を歩きたいと言ってたことを忘れていたので慌ててお城の中庭に、彼女が裸足でも歩けるような庭を(花畑)作ってます。ダイアナ、敵対視されてます(笑)




