神などいない ―前世編ー(4-3)
誰だ? と思ったが、答えはすぐに分かった。
「王よ!」
「我等の王よ!」
周囲の兵士たちから歓声が上がる。
「怪物を傷つけることが出来るのは、神である我のこの武器のみ!」
傍に居た者が抱えていた長い槍を王は受け取り、馬上で槍を掲げると、歓声がさらに大きくなった。
「うむ。では、豊穣の儀式を始めよう!」
王は上機嫌に、馬から降りた。町ではまず見かけない程にたっぷりと脂肪を纏った大きな身体は、馬から降りるのにもかなり時間を要していた。再度、傍に居た者から槍を受け取った王は、ゆっくりと金色の目の生き物に向かって歩き出した。
かなり長い槍である。大人の男の身長三人分はあるだろうか。普通に考えれば、戦いに用いるような槍の長さではない。
「やあぁっっ!」
王は金色の目の生き物のかなり手前で立ち止まり、槍を振り下ろす、というよりも槍を持ち上げたことによってバランスを崩したように、槍が倒れていった。
「縺�縺!」
いつも話す声とは違う、地の底から湧き出るような低く、暗い声が響き渡った。それと同時に、傷つけられた身体から金色に輝く乳白色の液体が飛び散った。
その液体に、少年は嫌と言うほど見覚えがあった。
「王よ、お疲れ様でございました」
「うむ。我は疲れた故、続きの栄誉はお前たちに与えよう」
「ありがたき幸せでございます」
そう言って、王は用意されていた椅子に座った。
兵士たちは、嬉々として貸し与えられた槍を使って、金色の目の生き物を切りつけ、刺し、抉って肉片を飛び散らせ、────笑っていた。
見ているだけでもよく分かった。王とは違い、兵士たちには技術がある。身体から吹き出される乳白色の液体の量も格段に違っていた。
「おお! さすがは神である我の兵士たちである。心強いぞ」
王は笑いながら、飲み物を飲み、果物を口にし、その凄惨な光景を眺めていた。
「…………っ!」
少年はもう、声を出す事も出来なかった。ぐっと強く手を握りしめながら、決して視線を逸らすことなくその光景を見つめ続けた。見る事しか出来なかった。
どの位経ったのか。
金色の目の生き物の身体から溢れ、流れ出た乳白色の液体が地面に吸い込まれて辺りが光り輝いて来た頃。
「儀式は終わりだ。帰るぞ」
そう言って、王や兵士たちは戻って行った。
「あ……っ」
ようやく、四大精霊たちから解放されて駆け寄ろうとしたが、「だめ」と止められた。
「まだ、おわっていない」
何が、と問い返す前に、淡く光っていた地面が強く輝き、空へと昇って行った。
少年も、金色の目の生き物も、空を見上げて光を見送った。
「説明してっ!」
少年は叫んだ。
でも、何から訊けば良いのか分からなかった。
「豊穣の儀式って言うのは、聞いたことがあったけど! あの乳白色の液体ってあなたの血ってこと? 血を大地に吸わせて空へと昇らせて、力を世界に巡らせてるってこと? そう言えば、僕の具合が悪い時や怪我をした時にあの乳白色の液体を飲むと、怪我の治りが早かったし、身体がぽかぽかして元気になったけど、あれもあなたの血だったってこと? どうしてそんなことしたの!」
見る事しか出来ない間に、自分の気を逸らせる為に必死で考えていたことを、取り敢えずはぶつけてみた。
「き、きもちわるかった、かもしれないけど」
「そういうことを、言っているんじゃないし、気持ち悪くなんてない!」
ああ、違う。怒鳴りたいんじゃないのに。
身体中からまだ乳白色の液体を流しながらも、おろおろとこちらを気遣ってくる姿に、少年はどうしても怒りを抑えることが出来なかった。
「僕のことはどうでも良いでしょうが! 早く、あなたの乳白色の液体を止めてよ!」
「これは、とまらない、の。あのやりで、さされると、なおせない」
困惑したような言葉に、少年は益々腹が立った。
「どうしてあなたがこんな目に合わなければならないの! どうして、あなたが怪物なんて呼ばれて、あんな奴らに笑いながら刺されなければならないの!」
周囲には、切り落とされた蛇の頭も幾つか転がっていた。いつも自分に向かってシャーシャー音を立てながら威嚇してきた怖い存在であったが、蛇たちは蛇たちなりに金色の目の生き物を守ろうとしていたのだろうか、と気が付き、殺されていることを不憫に思った。
「怪物なのはあいつらの方だ! 笑いながら、無抵抗な者を弄れるなんて! あなたは、僕を助けてくれた、優しく慈悲深い人だ! 誰も僕を気にかけてくれなかった! あなただけだ! あなただけが唯一僕を可哀想だと、当たり前だと助けてくれた!」
自分の唯一大切な存在を、あいつらは笑いながら切り刻んでいた!
「あの男は神なんかじゃない! はっきりと分かった! あなただけが、僕を憐み、慈悲を与えてくれた唯一絶対な存在だ! 僕にとって、神はあなただ!」
あの王を神と思うとか、教会に教えられた見たこともない存在を神として祈るとかは馬鹿馬鹿しかった。だけど、目の前の存在の為なら、幸福であって欲しいと祈れるし、傷つかないで欲しいと大切に思えた。
「……わたしを、かみと、よんで、くれる、の?」
ありがとう、と呟きながら、目の前の金色の目の生き物の全身が強く輝き、少年は眩しくて目を瞑った。
そうして、暫く経った後。
「ごめんなさいね、もう目を開けても大丈夫よ」
言われてゆっくりと目を開けると、いつもと変わらぬ金色の目の生き物のが目の前に居た。
「さっきの光は何だったの? 大丈夫なの?」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
先ほどからの淀みのない話し方に、少年は何となく違和感を覚えた。
「これで、ほとんど話せるわ。あなたが、わたしを神だと認めてくれたから」
「……どういうこと?」
「あなたが言った通りなの」
落ちていた蛇の頭は消え、首を失っていた蛇は元通りに頭をつけて、何事もなかったように蠢き始めた。
「わたしは、再生と不死の神なの」
少年は何と言って良いか分からなかった。自分にとっての神だとは思ったし言ったが、再生と不死の神と言われると、とても立派な神様に思えてどう反応すれば良いのか分からなかった。
「わたしは、呪いをかけられているの。この醜い姿にされて、この地から逃げ出せないように腰から下の蛇の部分は地中と繋がっていて、人間に反抗出来ないように両手を地に埋められているの」
「呪いって、誰が何の為に……?」
「わたしのお父様」
雄弁に語れるようになってはいるが、表情は相変わらず無表情のまま、少年を見下ろしていた。
「昔々の話になるの。神々は人の王と契約を交わし、地上に暮らしていたらしいの。だけど、色々と手狭になってきたので天に帰ろうとしたら、人の王が契約を持ち出して天に帰ることを阻んだの。だから代わりにわたしを創り出し、地上の豊穣と王の不死を新たな契約として前の契約は破棄し、神々は天に帰って行った」
え? それって生贄じゃないの? 神様酷くない? とも思ったが、一番気になったのは王のことだった。
「王って死なないの?」
初めて聞いた! と驚いたのだが。
「不死だけど、不老じゃないから老衰で死んでるわよ」
「うわあ、詐欺みたい……」
当時の王はさぞかし腹が立っただろうな、と少年は想像した。でも、暗殺や戦争では殺されないということなら、それだけでも確かに神懸かり的ではあるから、王は神であると言って信じる者は出てくるだろう。
「長い間、『怪物』と呼ばれ、信じられたわたしは『神』としての権能を失ってしまったの。地上では『神』は信者がいなければ、何の力も持てない存在だから」
「じゃあ、その権能って言うのが戻ったの?」
「信者があなた一人だから、戻ったとは言えないんだけど」
ぽうっと、少年の身体が淡く輝いた。
「あなたに加護をあげるわ。無いよりマシな程度だけれども」
どこか嬉しそうな声に、少年は心からお礼を言った。権能が僅かに戻ってすぐに自分に加護を与えてくれる、というのが嬉しかった。
「だけど、あの豊穣の儀式って何? 神様たちは、あんな惨い契約をしていったの?」
「最初は違ったのよ。居るだけで契約になっていたの。だけど、皮肉なことにわたしを『怪物』だと人間が思うようになったから、契約が履行されなくなったのね。それで、再生の力があるわたしの血を無理矢理大地に染み込ませるようになっていったのが、儀式になってしまったみたい」
「契約違反にならないの?」
「結果的に豊穣を与えることになるから、契約違反にはならないわね」
「それって結果論じゃないの?」
あの王の祖先が、考えて行ったとは思えなかった。
「そうね。そのうち、身を持ち崩すでしょうね」
そう断言する声は、可愛らしい声なのに、神様なんだなと納得するような威厳があった。
それから、少年は毎朝毎晩祈ることにした。たった一人の信者でも、毎日祈っていれば少しは力が戻るのではないかと考えたからだ。「何だかくすぐったいわね」と彼女は喜んでいた。
「教会の祈りは力にならないの?」
「あの人たちは、大精霊を神だと思っているだけだもの。在りもしない空想の神に祈っているだけだから、わたしには何の力にもならないわ」
やはり役立たずの集団だったのか、と少年は納得した。
切りつけられて乳白色の液体を流していた箇所は、翌日には鱗が生えていた。傷は塞がることはないので、鱗を生やして血止めをするらしい。身体中の鱗が傷であったのかと、少年は愕然とした。
彼女は、長きに渡ってあんな風に笑いながら弄られていたのかと、胸が痛くなった。大きさから考えても、彼女が本気を出せば兵士たちなど簡単に吹き飛ばすことが出来るのに、何故、彼女の優しさが分からず、自分たちの方が強いと思えるのだろうと不思議だった。
少年に出来ることは何もない。
ただ、少年は敬虔な信者のように毎日彼女の為に祈りを捧げた。
そんな日々が続いた中。
「ねえ、見て!」
目の前に、少女が立っていた。
「は? え?」
少年は、少女の背後の彼女を見上げ、また少女に視線を移した。
「あなたが毎日祈ってくれたから、少し力が溜まったの! それで、土の大精霊にお願いして、土人形を作ってみたのよ。どう?」
ずいっと顔を近づけられた。
歳の頃は、十八歳になった少年よりも幾らか下の幼い少女に見えた。金色の髪に紫水晶の瞳。
「目は拘ったの! あなたと同じ色の石を探してきたわ」
「え? 僕、こんな瞳の色なんだ?」
鏡で自分の顔を見たことがないので、少年は初めて自分の瞳の色を知った。
「顔もあなたに似せて作ったの」
「へー。こんな顔をしているのか」
少年は、少女の顔を覗き込んだ。
「どう?」
「うん、可愛いよ」
「嫌だ。あなたの顔を真似ているのに、自分の顔を褒めてどうするの」
じゃあどう言えと言うんだ、と理不尽に感じたが、彼女の機嫌が良いので少年は黙っていた。
「あのね、町に行きたいの! 一緒に、町に行きたいの!」
突然だな、と思いながらも、少年に断る選択肢はなかった。いつもは一人で町に行くのに、二人で行けるということに浮かれる自分がいた。
「町は人が多いから、手を繋いでいこう」
何の気なく手を差し出してから、気が付いた。長く、十年ほど一緒に居るが、自分が彼女に触れたことがない事に気が付いた。ようやく触れることが出来るのかと胸が高鳴ったのだが。
「駄目よ。触れられると崩れちゃう」
彼女はあっさりと断った。
「崩れるってどういうこと?」
「言葉の通りよ。そんなに力がないから、固めていられないの」
「町は人が多いのに大丈夫なの?」
「大丈夫よ。周囲を四大精霊たちに囲んでもらうから、人間は無意識に避けてくれるようになっているの」
「え? こいつらも一緒に行くの?」
「見えないから大丈夫!」
結局、全員で町に行くという少年が予想もしていなかった事態となった。
「なあに? 一緒に出掛けるのは嫌なの?」
「え? そうじゃなくて、一人だけ留守番させているようで申し訳ないなって」
彼女本体のことを示せば、少し固まったように動きを止めた後、少女はゆっくりと首を振った。
「大丈夫よ。この目で見たことも、耳で聞いたことも全てわたしに繋がっているから。一人ぼっちじゃない、一緒に居るのよ」
この人形であるという少女も、やはり表情はなかった。なのに、感情に溢れた可愛い声が出て来るものだから、本当に彼女と一緒にいるんだなと少年は思うことができた。
「分かった。じゃあ、何処を見ようか」
「いつもあなたが行くお店に行きたいわ」
知り合いに話しかけられても面倒なので、少し離れた所からいつも行く店を指し示したが、それでも彼女は満足したようだった。換金屋や食料や衣料、雑貨の店や武器の店。そうして、偶に食べに寄る食堂の前に行けば、人だかりが出来ていた。
「あれは、なあに?」
「あれは、結婚式をしているみたいだな」
新婦らしき女性は、白い衣装を着ていた。新郎らしき男性は、普通の服装だったが、恐らく、汚れのない、綻びのない衣服を選んだのだろう。四年前に豊穣の儀式を行っているのに、世間では既に生活は苦しかった。一年だけ豊穣であっても、翌年にはすぐに土地は痩せて、作物の実りも悪かった。
次の豊穣の儀式まで後六年。だが、六年も持つのだろうかという程に、人々の生活は年々悪くなっていたが、少年はどうでも良かった。寧ろ、後六年後の豊穣の儀式をどうすれば無くすことが出来るだろうかとずっと考えていた。




