わたしさえいなければ、完璧な王太子だそうです。
私の性癖を詰め込みました!
ウィンダリア王国の王太子は、完璧な王太子だと近隣国で有名であった。
賢君が持って生まれるという金の髪に金の瞳を持ち、その色を持つ者たちの伝説と同様に飛び抜けた頭脳と王立騎士団所属の騎士に劣らぬ武勇を持っていた。教会に置かれている神像のような見目麗しい容姿とスタイル。二十五歳にしてすでに落ち着きも備えられており、豊かな大国でもある為、周辺の王族の姫君たちの憧れとして注目されていた。
────と、言われているのがわたしの婚約者ディルニアス・ギア・ウィンダリア様だ。
「婚約者さえいなければ完璧な王太子なのに」と皆が言う。
憐みの目をわたしに向けて。
◇ ◇ ◇
「失礼ですが、ヴァイオレット・オルトニー嬢でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですが」
どなたでしょうか? と少し首を傾げながら相手を見上げる。
今日は南の国のスリダレーン国から来訪されているクシュリナ王女の為のガーデンパーティであり、色鮮やかな薄い衣を何枚も纏うというスリダレーン国の民族衣装を着ているのだから誰であるかは分かるんだけど。事前に読んだ資料では、クシュリナ王女は第四王女の十八歳、赤い髪に左目元の黒子、今回が外遊は初めて。多分、王女本人であろう。
ふむ。わたしよりも六歳年上ですからね。見上げるのは仕方がないのです。きっとわたしも今から背が伸びるはずですから。
「わたくしは、クシュリナ・スリダレーンと申します」
「さようでしたか。わざわざ先にお声がけいただきまして、ありがとうございます」
にっこりと微笑んで見せたけど、相手は顔を引き攣らせた。はい、当て擦りです。
だって本来なら、この国の王太子がわたしを紹介するのよ。王族に連なる者として。そうして向こうが名乗りを上げる、という順序なのに、向こうが先に声をかけてきたと言うことは、わたしを単なる貴族令嬢で王族の自分よりも下だと見ているということ。
ディーは仕事が押してパーティーへの参加が遅れている。その隙にわたしに喧嘩を売りに来たのでしょうか? 買いましょう。ディーが不在の間に片付けなければならない。
『生意気な子ね。こんな子供があの方の婚約者だなんて信じられないわ。全然釣り合わないじゃない』
『その子供相手に大人気ないのでは?』
背後で殺気を発しかけている侍女のジェインを諫めながら、問いかけた。
母国語であれば分からないと思っていたのだろうか? こちらも同じスリダレーン語で話せば、驚いたように目を見開いていた。
『分かるの?』
『近隣国の言葉でしたらね。生まれる前から王太子妃になることが決まっているのですから、このくらいの教育は受けております』
ウィンダリア国の言葉が公用語になっているが、学ぶのは当たり前の事では?
『わたしは十二歳、殿下とは十三歳離れておりますが珍しいほどの歳の差ではないでしょう。歴史を勉強されていらっしゃいます? 身分も公爵家で祖父は王弟ですので王族の血も流れております』
釣り合っていないことはないだろう。
『国内の貴族の家よりも、他国の王女のわたくしの方がこの国の利益になるわ!』
『別途使者たちが関税を下げることについての話し合いで来訪していると伺っていますが?』
向こうが関税を下げて欲しいと言ってきているのだから、こちらの利益ではないと思います。まあ、他の輸出入品の話し合いもあるから一概には言えないけど、そこは黙っておこう。この王女、理解してないみたいだし。眉が吊り上がってしまってますね。
『胸もないし、色気もないじゃない!』
『え? 色気、要ります?』
本気で意味が分からなくて、首を傾げてしまった。
『王太子妃、王妃に色気要ります? お飾りじゃないんですよ? 色気で国が豊かになります? 国を平和に治めることが出来ます?』
『そ、そんなこと言ってたら、飽きて捨てられるんだから!』
『王命で結ばれたパートナーを飽きたからって、捨てることが出来ます? 家と王家の契約だし、政略も絡んでるのに、破棄なんて出来ないですよね?』
そんな愚かな人間なら、統治者としてもやっていける訳がない。いえ、存じておりますけどね。王子様がパーティー会場などで悪事を働いていた婚約者と婚約破棄をして平民とか男爵家の娘と婚約する話が若い女性たちの間で流行っているって。
試しに何冊か読んでみましたが、この王家大丈夫? という感想しかありません。悪事というのも物を隠したとかお茶会に呼ばなかったとか可愛いものですし、偶に毒を盛ったとか殺そうと男に襲わせたとかありますけど、婚約者の令嬢の家格ならいくらでも揉み消せますし、婚約者にそういう行いをさせたというお相手の男の方が糾弾されるものですけどね。
若い方の好みはよく分かりません。いえ、わたしも十二歳ですから若いのですが。
などと考えていましたら。
「ひどいことを言ってくれるね」
背後からディーが、ゆったりと歩きながら近づいてきた。口角だけを少し上げたアルカイックスマイルを浮かべている。目が全然笑っていない。何か怒ってる?
なのに。
「……ディルニアス様!」
クシュリナ王女がわたしの横を通り過ぎて、ディーの方に駆け出して行った。いや、王女としてそのマナーはどうなんでしょう? 国によってマナーは違うとは聞きますけど、王族の前で走っていいの? 王太子に手を伸ばして触れようとしているのは駄目でしょう?
思わず振り返って見ていると、ディーは歩みを止めることなくそのままスッと身体を避けて、クシュリナ王女の足を払って転倒させた。
他国の! 王女を! 転ばせた!
見なかった! わたしは何も見なかった!
クシュリナ王女の足元は、ヒラヒラとした薄絹が何枚も重ねられていて見えにくくはなっているので、見えた人もきっと見えなかったフリをしてくれることでしょう。そう、祈る。
周囲に顔を強張らせている人が多いのは、きっと気のせい。
「ヴィ、ひどいな」
そんなわたしの葛藤には構わず、悲しそうに眉尻を下げる憂いの表情に、顔を強張らせていた人たちが一転、ほぅっと溜息を吐いてディーの表情に見惚れているのが、目の端で見える。色気がなくても顔が良ければ国を治めることは出来るのかもしれない、とわたしは考えを改めました。
「私との婚約は、契約で仕方なくなのかい? もう私に飽きてしまっている? 私は今でも君にこんなに夢中なのに」
土がつくのも構わずにディーは片膝をつき、目線の高さを同じにしてわたしの白金の髪を一房手に取り、そっと毛先に口づけて懇願するように上目遣いでわたしを見る。
きゃああっという声があちらこちらから聞こえてくる。
クシュリナ王女が倒れたままなんだけど大丈夫なのかな。
「ヴィ、そんなのより私を見て」
あ、他国の王女を「そんなの」って言っちゃった。
意地でもわたしと視線を合わせようとするディーは、こうなったらわたしの返事を聞くまでは何度でも同じ問いかけを繰り返す。
はぁっ、と溜息が出た。
「飽きると言うほど、ディーに夢中になったことはないわ」
だから飽きてない、と言ったら、周囲がシーンと静かになった。ディーの背後で従者のライアンの顔が青褪めている。
「そうか。私の事を捨てないでいてくれるならいいよ。私は君を離さないし、離せないからね」
嬉しそうに笑って、わたしの掌にそっと口づける。
ディーは文句がないようなのに、他の人から怒声が飛んできた。
「ちょっと! 黙って聞いてたらあなた何様ですの? ディルニアス様にそんなことまで言わせるなんて!」
「……あなたに私の名前を呼ぶ許可は出していませんが」
ディーはちらりと背後を振り返り、冷ややかな視線を向けるとクシュリナ王女は気まずそうに黙り込んだ。足払いをかけられたことを怒るのではなく、ディーを庇っているのだからそれは少々気の毒なのでは? と思ってしまう。
もしかしたら、王太子殿下が足払いなどする筈がない! と王女の中ではなかったことになっているのかもしれない。そうであることを願います。
「何様、とは? 彼女は私の大事な、大切な、尊い、私の命、いえ世界全ての命にも代えがたい、美しい上に可愛らしさを兼ね備えた奇跡の具現者、しかも賢く慈悲深いという女神の生まれ変わりである私の婚約者です。スリダレーンの王女は、何度も言われても覚えられない底のない壺のような頭なのですか?」
ディーは立ち上がって、わたしの頭を抱きかかえるように(わたしの背が低いので)して、口元だけに微笑みを浮かべてクシュリナ王女と向き合うが目が笑っていない。
だから! 他国の王女!
「で、でも! わたくしの方が、その子供よりも王太子殿下を愛してますわ!」
「……その子供だと? つい先ほど私が言ったことも覚えられない脳の病気なのか?」
「お伺いしますが」
少し声を張り上げたので、ディーの言葉は周囲に聞こえなかったと信じたい。
「王女様は、ディルニアス王太子殿下のどこを愛していらっしゃるのでしょう?」
「どこ、ですって? 全てが素晴らしい方だわ。大国ウィンダリアの王太子を立派に務められて、太陽神のような美しさと、学者にも認められている頭脳、その上騎士にも引けをとらぬ強さを持っていらっしゃる!」
これだからお子様は! と言うように嘲笑を浮かべるのは止めて欲しい。ディーとジェインの二人を抑えるのは大変なんだから。
「では、王太子ではなく、顔にも醜い傷があり、頭脳が衰え、子供にも負けるような弱い男になってしまっても愛せますか?」
「……あ、当たり前でしょう。わたくしは、王太子殿下の為人を愛しているのですから!」
いや、今、少し吃りましたよね? それに、今回の来訪で初対面ですよね? 為人を御存知ないですよね?
「そうですか。では……、ジェイン、ライアン」
「はい、お嬢様」
「はい、ヴァイオレット様」
「お話しして差し上げなさい」
「では、僭越ながら私から」
声を出したライアンに、クシュリナ王女は怪訝そうに視線を遣った。
「あれは、ヴァイオレット様が三歳、殿下が十六歳の時でした。同じ様な年頃の幼い子供たちを集めたお茶会があったのですが、その中の一人、四歳のとある男児がヴァイオレット様の気を惹きたかったのでしょう。髪を掴んで引っ張ったのです。泣いたヴァイオレット様の傍に殿下はすぐに駆け付け、その四歳の男児の髪を……燃やそうとしました。重ねて申し上げますが、殿下は十六歳でした」
実はわたしは余り覚えていないんだけど、それ以来、自分という婚約者が既に居るのだからお茶会など出なくて良い! 他家との交流など不要! というディーと、友達は必要でしょう! というわたしの両親との攻防があったらしい。現在、ディーが許可を出した本当に最小限のお茶会だけ出ることが出来る状態だ。
「生憎と止められてしまったから、火はつけなかったよ。髪はナイフで全部根元から切り落としたけどね」
ディーはどこか悔しそうに付け加えた。因みに、その男児は未だに領地に籠っていて、王都には出てこようとしないらしい。その時、ディーを止めた護衛の騎士は、あの王太子を止めることが出来るとは、と反射神経と技量を認められて、現在は副団長に昇進している。
「それでは、次にわたくしが」
ジェインが一歩前に出た。
「最近のものからですと、王太子殿下は今回のスリダレーン国からの使者や王女の来訪で準備に忙しく、従卒や護衛の監視も厳しく抜けだしてヴァイオレットお嬢さまと会うことが出来ませんでした。二週間……お嬢さまに会えず、抜け殻のようになって使い物にならなくなってしまった王太子殿下を働かせる為に、旦那様は毎日、お嬢さまの脱ぎたての寝間着を王太子殿下に渡す事と引き換えに仕事をして頂いたそうです」
お父様、毎朝わたしの寝間着を涙ぐみながら受け取っていらっしゃったみたいだしね……。
「そう言えば、寝間着は返してくれたの?」
「新しいのを買って送ったよ?」
寝間着って、ちょっと使い始めてくたっとした生地の感じが一番気持ちいいんだけどな。
「他にはどんなに警備を厚くしても夜中にいつの間にか屋敷に忍び込んでお嬢さまの寝顔を」
「嘘よ! 嘘でしょ!」
「まだまだございますが」
「全て真実です」
ジェインとライアンが真顔で頷いた。
周囲の人達も頷いている。自国ではもう知れ渡っているエピソードだ。いえ、今回の寝間着はまだ知れ渡っていなかったかもしれないけど。
婚約者さえいなければ、完璧な王太子。
つまりはそういうことなのだ。
わたしのことにだけ、ディーはおかしくなってしまう。周囲が顔を引き攣らせるほどに、わたしを求め、愛してくれる。
顔を引き攣らせて茫然としているクシュリナ王女に、わたしはにっこりと笑いかけた。
「もう一度お尋ねします。クシュリナ王女は、ディルニアス王太子殿下を愛していらっしゃいますか?」
「…………あ」
クシュリナ王女は一歩後退った。
「まさか、幼児性愛者だなんて……」
「失礼だね。私は成人したヴィとの初夜を指折り数えて待っているのに」
「殿下、それもドン引き発言ですので慎んでください」
ライアンがツッコミを入れている。
ああ、クシュリナ王女、大国の王太子に「幼児性愛者」って言っちゃいましたね。ありがとうございます。もしも、さっきの足払いを訴えられたら、こちらもそれでやり返してなんとかお互い様に持っていけますね。
「あら、お顔の色が悪いですね? どうされました? クシュリナ王女はわたしよりもディルニアス王太子殿下を愛していらっしゃるんですよね?」
「そんな変」
「愛、とか、好きとか、わたしはよく分かりませんが」
その先の言葉は言わせません。ディーは何も気にしないでしょうけど、彼のわたしへの想いをそんな言葉で表すことは許しません。
「水がなくては人は生きていけませんが、わざわざ水を愛しいと言いますか? 水を好きだと言いますか? わたしにとってディルニアス王太子殿下は水と同じです。あなたにわたしの気持ちをとやかく言われる筋合いはありません」
「ああっ! ヴィ! それはつまり、私が居ないと生きていけないということだね? 私にとっても君は水であり、太陽であり、空気だよ! 君が居ないと生きていけないし、生きるつもりもない。ああ、どうして後六年も君と結婚できないんだろう。私が王になったら、法律を変えて今すぐ君と結婚できるようにするのに! 陛下に退位をお願いしに行こうか」
「ディー、わたしはもう子供じゃないので高い高いをするのはやめてください」
抵抗しても無駄なので、頭上に抱え上げられながらディーの顔を見下ろす。嬉しそうに口を開けて破顔しているディーからは、きらきらと光が出ているように眩しい笑顔だ。かっこいいと言われているけど、わたしは可愛らしいと思う。
「ディー、お菓子が食べたいわ」
「了解したよお姫様。お菓子を見に行こうか」
わたしを右腕に乗せるように抱きかかえて歩き出す。ちらりと背後に視線を遣って、ジェインとライアンに小さく頷いた。後は、二人が誰かに伝えて上手くやってくれるだろう。
「ディー、言っておきますけど、スリダレーン国やクシュリナ王女に変な事しちゃ駄目よ」
「変な事? しないよ?」
「そう? 関税を上げるとか、貿易を見直すとかでスリダレーン国に打撃を与えたり、クシュリナ王女を処刑するとか変な所に嫁入りを強要するとかしないわよね?」
念押しをすると、ディーはとても良い笑顔でにっこりと笑って返事をしない。これは、するつもりだったな。
「だってあの王女、ヴィに対してかなり失礼だったよね」
「可愛いものじゃない? わたしに毒を盛ったり攫おうとしたり暗殺者を送り込んだりしてないし」
そういうことをしてきた国も過去にあったのだ。過去形であるように、現在、その国は地図から消えてしまっている。クーデターが起こって国名が変わってしまった。きっと、ディーが裏から手を回したんでしょう。
「髪の毛の先ほども、ヴィを傷つける者は許せない」
「傷ついてないわよ? あの王女、面白い考え方だったわ。特に色気についてもう少し聞いてみたかったわね」
「今でもすごく我慢しているのに、これ以上ヴィに色気をつけられたら困るなあ」
「そういう冗談を言うから、お父様たちがディーを警戒するのよ?」
注意をしたけれども、ディーはにっこりと笑うだけ。あら、本気なのかしら?
わたしさえいなければ完璧な王太子だそうだけど、わたしにとっては優しい婚約者だ。確かに少し困らせられるときはあるけど、それはほんの少しだけ。今だって、わたしをデザートが置かれているテーブルに連れて行き、わたしは見ただけで何も言っていないのに、わたしが興味をもったお菓子を全部お皿に取るように指示してくれた。
そうして、全く当たり前な事としてわたしを椅子に座った自分の上に乗せて、当然な事としてわたしにスプーンもフォークも持たせずに食べさせてくる。わたしは自然な事として口を開けて頬張っていく。
周囲の人達が、憐みの目をもってわたしを見つめる。ジェインが言うには、ディーの愛が重すぎてその愛にがんじがらめになっているわたしが気の毒なのだそうだ。
重いの? この愛情が?
産まれた時からディーの愛情を受けているわたしには、これが重いのかどうか分からない。わたしにとっては、ごく普通な状態。
公の場ではこういうことはしない、と約束していたのに行っているということは、ディーの中ではクシュリナ王女は公の客ではない、となってしまったのだろう。多分、王女の母国の立場などを計算してるんだろうけど、後で大臣に確認をしておこう。
「ディー」
「王太子の婚約者を敬わない頭脳の持ち主と懇談しても、我が国に利益はない」
ああ、やはり拗ねている。
ディーが来るまでに、王女の対処が終わらなかったわたしの落ち度ね。
「ディー、わたしは愛してるだとか好きだとか、そういう安っぽい言葉でわたしの気持ちを表すのは嫌なんだけど、あなたがわたしに飽きたのなら捨てるのではなく殺して欲しいし、万が一あなたから離れようとしたら牢に入れてくれていいわ」
口の中のケーキを飲み込んでからそう伝えて見上げれば、ディーは嬉しそうに笑ってわたしを抱きしめた。
あなたは、「婚約者さえいなければ完璧な王太子」なんだろうけど、わたしだって婚約者さえいなければ、政略結婚もできる普通の貴族令嬢だったと思うわ。
だけどもう、ディーの愛情を知ってしまったのだから、他の人の愛情では満足できないでしょうね。
本当に、お互い様よね。




