永遠の処女
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はじめて、というのはやはり特別な響きがあると思わないかい、つぶらやくん?
処女作、処女航海……はじめてのものを印象付けるワードとして「処女」が使われるあたりからも、その強さが感じられる。
一度踏み込んだことは、二度と踏み込まなかった段階には戻れない。踏み込む怖さ、踏み込んだ優越感などは、時を巻き戻すすべを会得しない限り克服しがたいものだろうな。
実際、踏み込まれないことで保たれる力、というのも長い歴史の中だと大切にされてきたケースがある。
僕の地元にも、以前に伝わる禁断の空間の話があってね。耳に入れてみないかい?
地元にある霊山のひとつに、かつて「永遠の処女」と名付けられた空間があったと伝わっている。そこはなんぴとも立ち入ることを許されなかったとか。
岩壁に囲まれた洞窟の奥……とかなら、まだ管理も楽だったかもしれないが、あいにくと中腹の一角にかの「永遠の処女」は存在した。
三重の石壁で囲まれており、警備につく者や保全業務につく者も、ごく一部の者をのぞいて一番外側の壁のみの管理や修繕を任されていた。
それより内側へ入った者も、2枚目、3枚目の壁の手入れを行ったということ以外、話してはならない決まりとなっていたそうで、もし漏らした者がいた場合は、聞いた者ともども罰せられたとのことだ。
その「勇気ある命知らず」たちによって、もたらされたわずかな情報によると、内は壁と空気が明らかに違うとのことだった。
一番外側の壁は、雪でつくる「かまくら」のように壁から屋根まできっちり作りこまれて、家屋の一種とみられるほど。そこから厳重に仕切られた内側へ踏み込むと、とたんに息苦しさが増すらしい。
自分では大きく呼吸をしているはずなのだが、満足に空気を取り入れられている感じがしない。そして、わずかな明かりによって照らされる二枚目の壁は、一番外側の石とは異なる金属でできていたとか。
その金属がなにかも不明。情報をもたらした者が金属の種類にうといことがほとんどだったのかもしれないが、少なくとも金、銀、銅、鉄といった有名どころのものではない、とのこと。
いつだか、踏み入ったものが帯びていた剣の鞘――鉄でできた、実用性あるもの――があやまって触れたとき、寺社の釣り鐘を思わせる長鳴りが、あの空間にいたものの聴覚を麻痺させんとする勢いで響き続けたのだとか。
そこから、さらに奥。三枚目の壁については、さらに情報が少なく具体的なことが分からない。
ただ確実なのは、踏み入った者は口をそろえ「永遠の処女とはその名の通り。ときが来るまで、永遠にあのようであるべきだ」と語ったとのことだ。
文字に記されることも許されず、少しでも詳しく伝えんとした者の口は閉ざされ、戦や自然の猛威にさらされるたびに、数えきれない命が、かの空間の処女を守るために散っていった。
いまとなってはその空間は残っていないが……起きたことだけは伝わっている。
いつだかかの地に、太陽の上らない日が訪れたのだという。
曇り空によるものなどではない。立ち込めたのはひたすらの闇だが、夜が長いわけでもなく。灯した火はその姿を見せず、いかなる玉もその輝きを放つことはない。
存在は確かにあるのに、色と光だけがない。そのような、奇妙な時間が訪れたのだとか。
そして気が付いたときには、自分のそばにあったその存在も消えていく。
道具も、家屋も、隣の相手も。
唯一、手探りで悟ることができていた気配さえもが奪われ、声も届かなくなっていく。
どのような反応もなく、誰もが世界に自分一人しか残らないのではないか……という想像が膨らみはじめたとき。
不思議な音が、とうとつにあたりへ響き渡った。
それは「永遠の処女」の第二の壁を知る者になら分かる、あの鉄の鞘と壁とが触れあったときに紡がれた音であったのだと。
そして色を奪われて久しい空間に、一筋の光がはるか高みより落ちてきた。
光は虹を思わせるあらゆる色に満ちており、人によって五色とも七色ともそれ以上とも語られた。
その光が差すのは、あの「永遠の処女」のある山の中腹あたり。おそらくは地上に降り立ち、動きの止まった光の柱の中を、誰かがゆっくり降りてくる。
その姿は語られる人によって異なるが、誰もが同じ人を語ったという。
あれは、自分の母親であると。
ただし、自分の知るいかなる母親の姿よりも若い、少女の姿であったのだと。
少女の姿はぐんぐんと下がり、やがて先行した光の柱の最下部へとたどり着いたとき。
万民の目をくらませる、まばゆい光が世界を走り、次に目を開けた時には奇妙な暗闇などみじんもない、いつも通りの昼間が目の前に広がっていたらしい。
そしてあの厳重な守りを保っていた「永遠の処女」の壁も、その奥も、忽然と姿を消してしまっていたのだとか。
思うに、皆が見たのはまだ誰もその身に受け入れたことのないころの、自分の母親だったのだろう。
その身に、あらゆるものを宿せる可能性を帯びたころ。それこそ色も、世界も取り込めるほどの。
そしていつか訪れるかの時のため純潔を守り続け、この地に新しい色を、新しい世界を生み出すことで、取り戻させたのではないかとね。