15 政府の人
「もう少し詳しく話してもらってもいいかな?」
整骨院に帰り着いて荷物を下ろし終わったあと、「お疲れさまっす」と帰ろうとした光太郎を長森先生が呼び止めた。
「私ですか?」
「うん。さっき樋山くんが言っていた逃げる筋肉について——。」
誰もいなくなった施術室で、長森先生は光太郎にそう言った。
「え‥‥と」
そう突然言われても‥‥。
詳しく話せるほどの内容のある話じゃない。
「みんなのいるところでは言わなかったんだが‥‥」
と言う長森先生の顔は、笑ってはいない。
少し憂いを含んだような表情で、施術室の明かりの加減か目の周りに隈のような陰が見える。
「筋肉が独立した生き物みたいに指を逃げる、という感じかな?」
「あ‥‥そ‥‥そうです。」
通常筋肉は筋膜で覆われて全体の形を維持しており、筋束がまとまりを欠いてバラバラに動くなどということはない。
光太郎があの体育館で感じた指の感じは、今まさに先生が言われたように筋束が生き物のように指を避けて逃げたような感じだった。
「な‥‥何か、私が間違ったやり方をしたんでしょうか?」
光太郎にはその不安がある。
あの生徒は明らかに整骨院の施術に不信感を持ってしまったようだった。宣伝を兼ねていたのに、光太郎のせいで逆効果になってしまったのではないか‥‥。
「ちょっと、私の手のひらを指で押してみてもらえるかな?」
先生はそう言って、光太郎に手のひらを向けた。相変わらず笑顔はない。
光太郎は先生の手のひらに恐る恐る親指を当てて、軽く押してみる。先生は光太郎の何を試そうとしているのだろうか?
人がいない整骨院は妙に静かだった。
「ふむ。なるほど。」
先生は何か一人で納得してから光太郎に訊ねた。
「その変な反応を見せた生徒の名前は覚えているかね?」
「いえ‥‥。名前は聞きませんでしたから。私、何か間違った施術をやったんでしょうか?」
「いや、君が悪いわけじゃないよ樋山くん。ただ君がちょっと特殊な体質らしいというだけだ。まさかうちにいたとはな。」
長森先生はそう言ってようやく笑顔になった。
「明日、時間はあるかな? 整骨院のシフトは休んでいいから、ちょっと一緒に行ってもらいたいところがあるんだが。」
「あ‥‥はい。‥‥特に予定は‥‥」
翌日、光太郎は長森先生と一緒に車に乗った。
向かった先は筑波にある研究機関だった。厚労省の出先機関だという。
オートロックの扉を開けてもらって入ったところでボディーチェックを受けた。研究の秘密を守るにしても、ずいぶん厳重な警備だ。
「ここは‥‥?」
「ああ、不安がらなくていい。厚労省の下部組織で、特殊事案対策室というところだ。別に監禁されたりはせんよ。」
長森先生は冗談めかして笑ってみせたが、むしろその言葉で光太郎はかえって不安になった。
きょろきょろとあたりを見回す。
清潔そうな白っぽい壁の建物の内部はこれといった特徴はなく、何をやっているところかの手がかりは全くなかった。
エレベーターで3階まで上がる。
扉が開くと、そこに30代くらいの女性が待っていた。
「どうも、長森さん。わざわざ来ていただいて。彼がそう?」
「ええ。樋山光太郎くん。こちらは特対室・寄生生物課長の‥‥」
「篠島あかりです。よろしく!」
爽やかな笑顔とともに名刺を差し出した。
「あ‥‥私、名刺持ってきてなくて‥‥」
光太郎はちょっと焦りながら差し出された名刺を両手で受け取る。
白地に淡い色で花と医療用メスがあしらわれた名刺には『厚生労働省特殊事案対策室 寄生生物課長 篠島あかり』と書いてあった。
「長森さん、何にも説明しないで連れて来たの?」
篠島あかりが光太郎の表情を見て、ちょっと責めるように長森に言った。
「いや、周りに聞かれてもなんだから、ここで説明した方がいいと思って。」
「そりゃあ不安だよねぇ。大丈夫。お姉さん獲って喰ったりしないから。」
にっこり笑う。
いや、30代ってお姉さんって年か?




