9 助けてくれる者がいた
どうして、こんなところに人間がいるのだろう。
そんな疑問を持ちつつも、人間がいたことにホッとしていた。
彼女に頭をさげる。
「突然すみません。厚かましいお願いですが、少しだけここで休ませてもらえないでしょうか。瘴気を浴びたせいで、体を悪くしてまして」
しかし彼女は首を横に振り、短い一言を返してきた。
「無理なお話」
だよな。見知らぬ他人を小屋には入れたくないだろう。ましてや俺は男だし。
「若いお嬢さんの小屋に入れてもらおうとした俺が馬鹿でした」
「そういうことではない」
「ええと……? では、どういうことでしょう」
彼女は正面を向いた。
なんとしたことか、ガバっと脱衣する。
か細い上半身がむき出しになった。
ちょっ、いきなり!
誘ってるわけじゃないよな?
急いで目を逸らそうとしたが、つい見入ってしまった。
だってさあ、なんだよ。その体は。
彼女の『手』は『手』ではなかった。肩より先は『翼』だった。
コイツ、ハーピーだったのか? しかし俺たちを襲ったハーピーとはかなり違っていた。顔立ち、髪、肌、胸……。翼以外は人間そのものだ。
翼の女は唇を突き出し、俺に黒みがかった息を吹きかけてきた。
うう、う……。何をしやがる。
ひどい頭痛がする。吐き気も。全身が脱力していく。
そうか。この息は瘴気だ。やけに色が黒っぽいのは、森に立ち込んでいたものよりも濃縮されているからだろう。コイツが森の瘴気の犯人だったに間違いない。
小屋の外から音が聞こえた。
ザバッ ザバッ ザバッ ザバッ
窓の景色を確認。大きな鳥が次々と地面に着地している。その鳥には見覚えがあった。俺たちを攻撃した大きな鳥に間違いない。兵士たちがハーピーと呼んでいたヤツらだ。
翼の女が仲間を呼んだのか。
最悪の事態だ。
ただでさえ俺は瘴気で弱っているのに。
死の恐怖を感じた。
殺される。もう逃げられない。
こんなワケのわからない異世界で殺されるのか。
死にたくない。
「お願いだ。助けてくれ」
いま俺にできるのは、こんな命乞いだけだった。
無駄だと理解しているが、それしかできないのだ。
「ええ、そのつもりよ」
え? なんと、俺を見逃してくれるのか。
いいや、違う……。
なぜならその声は、正面の彼女のものではなかったからだ。
俺が持っている人形、すなわち月輝姫の声だった。
月輝姫はたちまち大きくなり、この手から離れた。
人間の姿となった月輝姫が、俺の隣に立つ。
月輝姫が鋭く睨む。
翼の女は笑った。
「まあ、何かと思ったら。あなたが彼を助ける? でも、これほど驚いたのは何十年ぶりかしら」
そしてこっちに向いた。
「あなたにも驚いた。人形を使役できたなんて」
「使役なんてとんでもない。大切な友人だ。ごほっ、ごほっ」
いっそう濃くなった瘴気を吸ったため、途中でむせてしまった。
「人形が友人? あら。これは失礼、瘴気の調節を乱してしまったみたい」
瘴気がおさまった。
翼の女が続けて言う。
「見逃してもいい。だから今すぐ帰りなさい」
心境に変化があったようだが、理由は不明。
外のハーピーも襲ってこないよな?
俺は外へ出ようとするが、その足をいったん止めた。
「聞きたいことがある。森の近くの町や村を襲ったのは何故だ」
調子こいて訊いてしまったが……。
気分を損ねて襲ってこないでくれよ。
「誰が町や村を襲ったと?」
「そりゃ、アンタだろ」
翼の女は頭を振った。
違うのか。てことは……。
「アンタじゃないのなら、外のハーピーにやらせたんだろ」
「ハーピーは森の外には出られない」
嘘には聞こえなかった。
「ならば他にいるアンタの仲間が、襲ったんじゃないのか」
「森の住人が町や村を襲ったところを、直接その目で見た?」
「見たも何も……。俺はこの辺に住んでいるわけじゃないからな」
「見たかどうかを、いま尋ねている」
「見てない」
もしかして、聖騎士団長の話は嘘だったのか。
翼の女ははっきり答えないまま、俺より先に小屋から出た。
こっちに振り返る。その目は、俺たちも外に出ろと言っていた。
とりあえず従うことにする。
月輝姫とともに小屋から出た。
「あなた、異世界人?」
翼の女は異世界人という言葉を知っていた。
そしてきちんと見抜いたようだ。
俺は無言の首肯で返した。
「そう? いっしょに来るといい」
「アンタの仲間の無実を証明できるってことか」
「おそらく」
翼の女とともに行ってみることにした。
いったいどこへ連れていこうというのだろう。
しかし、それはそうと……。
「あのさ、胸、隠してくれないか」
「乳、嫌いだった?」
そんなことはない。むしろ見られてちょっと得した気分だ。
が……。
「目のやり場に困るんだ」
彼女は広げた翼の先を前方に持ってきて、胸部を隠した。
「これでいい?」
「まあ、それでいい」
しばらく歩いた。
どうやら到着したらしい。
そこに見えたのは集落……。
というよりその廃墟だった。
「仲間は皆、ここに眠っている」
もう誰も生きていない、と言いたいようだ。
すなわち死者が町や人を襲えるわけがないってことか。
これが仲間の無実の証明なのだろう。
廃墟集落の中を歩いた。
あるものを拾った。
これは腕輪だ。
いま俺が身につけている翻訳機の魔道具と同じものだ。
まさか……。
「仲間というのは、異世界人だったのか」
翼の女は首肯した。
ならばこの森に住んでいたというのは……?
俺たちに語ってくれた。
数十年前、聖騎士からの協力要請を『拒否』した異世界人がいたという。気丈な彼らは城から出て、この森に辿り着いたらしい。
そしてこの森に数十年間住み続け、最後の一人が二年近く前に死んだそうだ。
彼らにはハーピーのほか、大地人の協力者がいた。近郊の町や村の人々だ。家や小屋を作るのを手伝ってくれたとのこと。
そんな近郊の町や村の人々は、この地方に多く住む少数民族だった。人々はたびたび王国政府に対して独立闘争を繰り返してきた。そんな背景があった。
ということらしいが……。翼で隠した胸部がときどき露わになり、ニつの小さな桜色のせいで、話の半分しか頭に入ってこなかった。
せっかく話してくれたのに、ゴメン。
でも大まかな内容は理解できた。
そして思った。
実は『魔族』って『反政府の少数民族』のことではないのか?
つまり、少数民族の殲滅を森の中まで徹底するために、俺たちが駆り出されたとも考えられる。
真相はわからない。翼の女が嘘を言っているのかもしれないし、単に勘違いしているかもしれない。
「信じる信じないはご自由に」
「俺たちに敵意がないのなら、真偽なんかどうでもいいや」
ただ、真偽よりももっと興味深い疑問があった。
「ところでアンタは異世界人でもなく、ハーピーでもないようだけど?」
翼の女は月輝姫に向いた。
「あなたはわかっているようね?」
月輝姫は答えなかった。
翼の女がふたたび歩き出す。
ついてこいって意味か。
廃墟集落の中央に低い石段があった。
翼の女はそこをのぼり、天辺の台に立った。
「これがわたくしの正体」
台上で翼の女の体は縮んでいった。
先ほどの月輝姫とはちょうど真逆。
すなわち……。
美しい人形へと変貌したのだ。
翼の女の正体は、人形だったことになる。
ただし人形には翼がなく、代わりに手が生えていた。
そして自身について、以下のように語った。
人形は異世界から持ち込まれたもの。すなわち、この廃墟で眠る人々の遺品だった。しかし単なる人形ではなく、人々の崇拝対象だった。異世界人の最後の一人が死ぬと、それがきっかけに大きな変化があった。人形は自ら動けるようになり、体も人間大になった。
……とのことだ。
「話はこれで全部。さあ、お帰りなさい」
柔らかな風に美しい髪をなびかせている。
ふたたび台上の人形は言った。
「それともここで暮らす?」
提案は有り難いが、森に留まるつもりはない。
城に戻れば、同じ転移者の仲間がいるからだ。
それと、元の世界に戻れるという希望も捨てたくなかった。
「いいや、帰るよ」
月輝姫とともに歩き出した。
台上の人形の声が、背中越しに届く。
「話ができて楽しかった。また眠ることにする」
台上の人形に振り返る。
「アンタも俺と来ないか。たぶん、退屈はしないぞ」