13 キミの名は○○
俺たちを迎えにきたのは若い女聖騎士だった。この世界に来て初めて会った聖騎士なので、顔はよく知っている。彼女の名はノーシェという。
城へ向かう馬車の中で、俺は少しドキドキしていた。
鈴木結衣の正体がバレたらどうしようかと。
しかしノーシェが彼女を怪しむ様子はなかった。
うん、これなら城に着いてからも問題なさそうだ。
と思っていたが、ノーシェの挙動がおかしい。
鈴木結衣のことを日本人ではない、と怪しんでいるのか?
だとしたらマズい。
いいや、ノーシェがチラチラ見ているのは『俺』だ。
また目が合った。彼女は恥ずかしそうに目をそらすのだった。
フッ、やめてくれよな。俺、妻子持ちなんだぜ。
妻子持ち……。
自分の呟きにブルーになった。
俺には世界で最も虚しい言葉だったのだ。
「あの……」
ノーシェは俺に話があるようだ。
いま落ち込んでるところなんだが。
でもまあ聞いてみるか。
「なんか用?」
できれば手短にお願いしたいものだが。
「あ、いや。なんでもない」
「ふうん。そうか」
「だが、やはり……気になることがあってだな」
はっきりしない女だな。
「だったら言ってみりゃいいじゃん」
「うむ。では言うぞ。聞かせてほしい。ずいぶんと人形に執着している様子だが、何かワケでも?」
いま俺の右膝の上には月輝姫が乗っており、左膝の上には雪綺姫が乗っている。さらには馬車の揺れに倒れ落ちないようにと、両手でしっかり抱えている。
なるほど……。それでこっちをチラチラ見ていたのか。
「ワケなんてない。ただどっちも大切な友人なんだ」
「ゆっ、ゆっ、友人!? 人間ではなくて人形が友人……」
「逆に、俺、いまは人間で友人と呼べる者はいないかもな」
この年齢になると、家族以外の人間関係は会社の中だけになってくる。気づいてみれば友人らしい友人がいなくなっている、なんてよくある話だ。
「しかしだからって、人形を友人などと……。なんだか泣けてきたぞ」
ノーシェが憐れみの眼差しを送ってきた。
「おい、人形が友人だとして、何が悪い!」
いまのは俺の発言ではない。九夏紅斗のものだ。
「別に悪いと言ったつもりは……」
「アンタの価値観なんて知ったこっちゃないが、そんなものを他人に押しつけないでくれないか! 向こうの世界にいた頃は、人形こそ俺の宝であり、俺の友人であり、そして俺の嫁だった」
もちろん俺の発言ではない。九夏紅斗のものだ。
ノーシェが目を丸くする。
「嫁? 嫁と言ったか?」
「言ったが、それがどうした」
彼女は言いにくそうに目をそらした。
「我が国では、その……人形を『嫁』なとど言う者はいない。だから、少々衝撃を受けてしまった。一般的に、人形というものは小さな子供の玩具に過ぎず、主に女児に人気のあるものという認識なので」
九夏紅斗がフッと笑う。
「これだからド素人は! いいか、人形は至高の芸術なんだ。そこには人間にしか理解できない奥深さがある。感動がある。だからこそ、子供に与えるなんてもったいない。俺のいた世界じゃ、大枚をはたいて購入するのは、成人男子が圧倒的に多かったんだ」
「な、なんと。女児ではなく成人男子……」
すると今度は彼女の視線が俺を確認した。
「実物の女子より人形を嫁に選びたいということ、それに賛成なのか?」
一度失敗している俺としては、嫁を持つなんて金輪際お断りだね。
「知るか。けど人形だったら、少なくとも托卵なんてないんだろうな」
「たくらん? 鳥の???」
「なんでもない。忘れてくれ」
馬車はルウェット城の正門を潜っていった。
ここを出発してから、もう十日以上が経っていた。
帰還した俺たちは温かく迎えられた。しかし注意が必要だ。鈴木結衣について、ノーシェは簡単に誤魔化せたものの、他の聖騎士たちにも上手くいくとは限らない。
一人の男が歩いてきた。彼についてはこれまで何度も見かけてきた。アラサーながらも聖騎士きってのイケメンだ。
「ご苦労だった、ノーシェ」
「はっ、これはオーキュネン副団長!」
ノーシェが姿勢を正して敬礼する。
オーキュネンという聖騎士副団長は俺に向いた。
「帰還したというのはキミだったか。【お人形さん遊び】の……乙門颯太」
「どうも」
俺の名前をフルで覚えていたようだ。たぶん、どこで区切って読めばいいのか知らないのだろう。ちなみに、ノーシェは俺の名前を覚えていなかった。さっきの馬車の中で、一応覚えたらしいが。
オーキュネン聖騎士副団長は、次に九夏紅斗に向いた。
「ええとキミは、ヤマモト……」
「ぜんぜん違う。俺の名前は九夏紅斗だ。紅斗でいい」
「失敬。紅斗の特殊技能はなんだっただろうか」
「【風魔法】だ」
続いてオーキュネンは鈴木結衣に向くのだった。
彼が尋ねる前に俺が言う。
「彼女は、森でハーピーに襲われたショックで声が出なくなった。だから俺が話そう。名前は鈴木結衣。結衣と呼ばれている」
「なんと。声も出せなくなるくらいショックを受けたとは。これはお気の毒に。結衣の特殊技能はなんだっただろうか?」
鈴木結衣の特殊技能……? あっ、ミスった。特殊技能の設定をしていなかった。どうして忘れていたのだろう。いますぐここで設定を決めなくては。
「えっと……。彼女の特殊技能は【水魔法】だ」
最も無難な特殊技能だと思う。これなら目立たなくていい。周囲にも【水魔法】は多かったし。
それにしても九夏紅斗はふざけたヤツだ。さっき自分の特殊技能を【風魔法】などと、涼しい顔で嘘つきやがって。本当は【千里眼】だろ。そのおかげで俺も慌てることなく、いま堂々と嘘をつけたんだけどな。
なんにせよ、鈴木結衣については日本人として紛れ込めそうだ。
ところで、俺たちの仮宿であるテントの数が増えていた。日本人やグムル人の転移者が、さらに増加したためらしい。
オーキュネンと話をしていると、聖騎士団長のグルガンもやってきた。
「ここにいたか。無事に帰還できて何よりだ、乙門颯太。さっそくだが話がある」
「俺に話?」
面倒なものじゃなければいいのだが。
「乙門颯太の特殊技能が大きな戦力になることを、多くの者が認めている。そこで我々は乙門颯太を、ここにいる日本人の副リーダーに任命した」
ほら来た。面倒なやつだ。
「そういうの困るんだけど」
「配給される食事が少し豪華になるぞ?」
「いやいや、いまのままでいい」
「風呂には好きな時間に、優先的に入る権利が得られる」
「うっ。いや、結構」
「未成年であっても内緒で酒が飲める」
「俺、副リーダーになります」
昼食後、さっそくリーダー会議に呼ばれた。
副リーダーも参加が必要らしい。
場所は中央棟内とのことだが、風呂以外で建物に入るのは初めてとなる。
聖騎士団長のグルガンについていった。
棟内の会議室に入る。室内で待っていた者が二人いた。
グムル人側のリーダーと副リーダーらしい。
その二人が笑顔を作る。
「日本人の中から選ばれたのは、やっぱりキミだったか! 超有名な【お人形さん遊び】の人だよね。おや? お人形さんが二つに増えているじゃないか。お人形さんを常に大事そうに抱えているのは、もちろん知っていたけど……。相当好きなんだね、お人形さんが」
なんとでも言ってろ。
いま会議室にいるのは四人。グムル人のリーダーと副リーダー、日本人の副リーダーとなった俺、それから聖騎士団長グリガンだ。
つまり日本人リーダーはまだ来ていなかった。
「俺たちのリーダーってどんなヤツなんだ?」
「日本人のリーダーは女性だ。名前はリコと言うそうだ」
グリガンはそう答えて壁時計を見た。
「遅いな。俺が見てこよう」
会議室にグムル人の二人と残された。
ふだんグムル人と会話をすることなんてなかった。
沈黙した状態が続くとイヤなので、話題を振ってみた。
「リコっていう日本人について、何か知ってることとかあったりする?」
「割りと有名人だ。もちろんキミほどではないけど」
グムル人の片方が答えた。もう片方が言い加える。
「とても可愛らしい女の子よ」
「ふうん。俺、城に帰還したばかりってこともあって、情報にまるで疎くてさ」
しばらくしてグリガンが会議室に戻ってきた。
日本人リーダーのリコを連れてきたのだ。
グリガンの背中に隠れていた彼女が、皆に顔を見せる。
俺と目が合った。
えーーーーーーーっ!
嘘だろ!! 彼女がリコ!?
妻の圜子じゃないか。
リコって圜子のことだったのか。
いつ、この世界に来たんだよ!!
だいたいリコってなんだ。偽名使ってるんじゃねえ。
確かに圜子の下二文字はリコだが……。




