うっとりつまらん男
僕は今むしろ青さへ逆行しようとしている。『心地よい時間のあとには必ず重苦しい時間がやってくる』。その経験則を忘れ、今だけは寝転がったまま目の前の青空に吸い込まれるか押しつぶされるか、そんな無時間の切迫だけを頭で味わっていたい。心地いいはずなのに、最も死に近づいているような気さえしてくる瞬間。僕はすでに何度も死を経験している。これは当然錯覚に過ぎないが、経験も思考もし得ないことを錯覚以外でどう知ることができるだろうか。錯覚で得た情報にはいくらでも誤解が含まれるだろう。というかその全てが経験可能・思考可能なことがらで構成される。経験も思考もし得ない死はもはや、世界の外側に置かれているのかもしれない。だが錯覚によっては、そこに世界の外から伸びた影を見つけてしまわないとも限らない。二次元のトカゲが影からその立方体の存在を知るように。たった一つでもいい。科学が明晰に世界を見つめているあいだに、僕はこのぼんやりした目によって死を明らかにしてみせよう。だからこそ今は忘れても構わない。『必ず重苦しい時間がやってくる』。死さえものにしてしまえば、きっと世界のすべてがひっくり返るのだから、そんなことはもはやどうでもよいのだった。僕は今まさに青さへ逆行しようとしている。
……そんな夢を見ていた。僕は夢の中でもいつも何かを考えている。そして夢らしい破綻で、夢らしい飛躍でどこか気持ちのいい場所まで意識を運んで行ってしまう。起きてからしばらくは放心状態のまま閉じた天井をみつめる。そこには青空など広がっていないのだった。
「異端者の出現は英雄の兆し、あるいは名残。」
昼間ナイフを持って近所の学校へ侵入した友人がそんな言い訳を述べていたことを思い出す。
「オレはオレの生活に嫌気が差している。自暴自棄になってる。オレはオレの自暴自棄を確かめたいんだ。」「色んな記事を読んでいると最近のいじめは酷いな。でもそれを読んで近所の学校に乗り込んで、クラスの調子乗ってる奴らを次々ぶん殴って回る、そうやって未然にでも進行中にでもいじめを食い止めようとする大人は一向に出てこない。」「単に自暴自棄になって学校に侵入するオレはいるのに。可笑しいと思わないかこの世界って。」
なんか勝手に憂いていたっけ。少しくらい共感してやるべきだったのかもしれないが、しない方が僕自身のためにはなる。そんな友達だった。友達は笑うとよく言った。
「オレこそがこの世にいる一代社長の証明であるし、ホームレスの証明でもある。」
本当に答えありきの統計に囚われていたんだと思う。そんな一番騙されやすいタイプだからこそ、先んじて自らを騙していたということなのだろうか。すると結局のところ、アイツはかなり賢い奴だったのかもしれない。だが今はそれも確認しようがなかった。アイツはナイフを持って近所の学校に侵入してしまった。
僕は街を歩いていた。本気で歩いていた。これを読んでいる人はこれまでに本気で歩いたことがあるだろうか。本気で歩くというのは、本気で考えすぎて思考が頭では足りなくなった際、自分の踏みしめた一歩一歩をノートにして考えをまとめることを言う。つまり足の動きを仮想メモリとして扱うわけだ。かつて武術の達人はその身体をもってして世界の真理を掴んだという。だが武道どころかスポーツすら疎遠な僕であっても、この程度であれば身体を思考のために活用できてしまう。受験期に英単語を身振り手振りで覚えていたという人もいるかもしれない。そして今回の場合、思考が零れるほどに煮詰まり、ほとんど無意識に足をメモリにしていたから、結果的に僕は街を本気で歩いていたというわけだ。本気になるためには必ず無意識であることが要りようなのだった。
だから本気で歩いていることに気が付いた瞬間、僕の本気は崩れ去った。すると僕はただ街を歩いているだけだった。街は夜に似て輝く昼間だった。
~読者より寄稿~
ゆるゆる日常系アニメはつまらない。そのつまらなさを僕は愛している。つまらない空間は何も語らない。つまらないは語られず示されることによって他の世界の全てを肯定している、ような気がする。僕は直感を信じて、日常系アニメが好きだ。どこかの時点で哲学を置いてきた人間の一人として日常系アニメが好きだ。でも現実には、そんなつまらない日常へと自分から足を踏み入れることを何だか躊躇してしまっている。一体どういうことなんだろう。疑問を浮かべてみてはいるが、そのための答えなどとっくに僕は分かっている。分かっていながら僕はどこへも出かけず、ただ部屋で四六時中ぼおっとしているだけだった。そうしてさえいればいつまでも心地いい気分が続いてくれることを知っていたからだ。だから僕はぼおっとしてさえいれば……。




