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私がキリスト教を嫌いな理由

作者: 楓 海

 読んで戴けたら嬉しいです。(o´▽`o)ノ

 今回は現役の日蓮正宗信徒の私が日蓮正宗とキリスト教を真面目に比較したいと思います。


 キリスト教と言えば、周知の通り大陸と云う大陸に流布する超有名な宗教。


 ですが私は常々、キリスト教ほどいい加減でやたら人の命を軽視している宗教は無いなと思っています。


 キリスト教の神の名前をヤハウェと私は思っていたのですが、実際の名前は現役クリスチャンの方曰く違うのだそうで、でも私はヤハウェの本当の名前を知らないので、ここではヤハウェと呼ばせて戴きます。


 まずはキリスト教の神がとても怠慢であると云う事実。


 釈迦は仏として娑婆世界に生まれ出で人々を幸福にする為に八巻二十八(ほん)のお経を説いています。


 広めたい教えを仏は自分で説いて正しく伝わるように自分自身で教化しています。


 しかしヤハウェは一度も地上に降りて教えを説いた記録が無い。


 なにゆえ自分でやらないのか。


 自分の教えを正しく伝える事に興味が無いのか、人間を愛しているなら自分で教化するのが当たり前と思っている私から見るととても無責任な印象があります。


 もっと不思議なのが聖書。


 日蓮正宗にも御書と云う物が存在しています。


 これは日蓮大聖人が信徒さんに書かれたお手紙を集めた物なのですが、その中には日蓮正宗がいかに正しい宗教なのかと云う事や、信徒さんを励ます言葉などが書かれています。


 釈迦は八巻二十八品の中で釈迦滅後二千年後に釈迦の付属を受けた日蓮大聖人がこの娑婆世界に末法万年人々を倖せにする法を伝え広める上行菩薩として出現すると説いています。


 日蓮正宗では日蓮大聖人は御本仏です。


 つまり御書は仏が書いた書です。


 釈迦は自らの手で八巻二十八品の教えを説き、日蓮大聖人もお手紙でこの法の正しさを伝えています。


 しかし聖書はヤハウェが書いた訳でもキリストが書いた訳でも無い。


 間違いを犯し、迷いもする人間によって書かれています。


 それを安易にどうして神の書とでも言うように崇めているのかよく解らないですね。


 ヤハウェが地上に降りたって教化したと言う記録が無いと云う事は聖書を書いた人々は何を指針に聖書を書いたのでしょう。



 日蓮正宗では日蓮正宗が広宣流布した暁には、災害も無く、四季は穏やかに訪れると言っています。


 つまり正法が流布すれば地上が豊かになると言っているのです。


 しかしキリスト教はこんなにも広がっているのに、安心の無い世の中。


 戦争を起こす輩が居たり、ゲリラ豪雨や台風、地震、感染病に怯える日々。


 その状況ですら、日蓮正宗では説明できますがここでは割愛させて戴きます。



 歴史的に見ても日蓮正宗とキリスト教は対照的です。


 大聖人の大願である日蓮正宗の広宣流布に勤しむだけの歴史の中で、黒歴史はたまに某○○学会の元会長のように金と権力に溺れて本当の信仰を失い、多くの信徒さんを道連れに破門になるような愚か者を排出するくらいです。


 しかしキリスト教は歴史が長いせいか黒歴史はとても華々しいですね。


 魔女狩りや宗教戦争、とあるユーザー様のエッセイで知ったのですがペストが流行ったのは、キリスト教で猫は悪魔の使いと言い出して多くの猫を殺しまくった結果、天敵の居なくなったネズミが繁殖して起こったのだそうですよ。


 皆様ご存知の通り、ペストの媒体はネズミです。


 その歴史もなんだかどろどろとしていて、人間の醜悪さと闇深さが象徴的に現れています。


 神聖な物を拝んでいるのに、醜い心が宿るのは、題目を唱える事によって日々心が浄化されて行く日蓮正宗では信じがたい事です。


 まるで表と裏が在るようです。


 

 日蓮正宗は原因結果の仏法。


 悪い原因には悪い結果、良い原因には良い結果が出るのは当然の事ですが、日蓮正宗で唱える南無妙法蓮華經なんみょうほうれんげきょうは最高の良い原因と言われ、例えば悪い状況の中で、良い原因である南無妙法蓮華經を唱える事によって良い原因を作り、良い結果に変える事ができるのです。


 つまり仏は最高の原因を我々末法の人々に与えて、苦しみや苦難などと闘う術を与えている訳です。


 私たち日蓮正宗の信徒は仏に対して絶対的な確信が在ります。


 題目さえ唱えていれば仏様が必ず助けて下さると信じています。


 勿論、その通りの現証が起こります。


 しかし、キリスト教には絶対と云う言葉はほど遠いイメージが在ります。


 なんの力も与えられず、何か問題があっても、神に試されているだとか、神の試練だのと言って、神の気紛れな奇跡に縋っているのは、私たち日蓮正宗の信徒から見ると、とても不思議な事です。


 

 また、天使が居たり悪魔が居たり華やかなキリスト教ですがノアの方舟のように気に入らないと大水で命ごと洗い流してしまうのは、この現世も人の命も大切にしていないなと、私には映ります。


 命は重いのだと云う常識に対して、ヤハウェは人々に教えを説き諭すのでは無く、ノアとノアが選んだ動物だけを助けて地上に洪水を起こして殺しているのです。


 この行いは人間を平等に愛しているとは、とても思えない。


 このノアの方舟は神のエゴイズムと冷酷さを象徴的に現した話だなと思うのです。


 確かに最終的に死んだ人の総てを生き返らせるのだから、命や現世を大事にする必要が要らないのかもしれませんが、では何の為にこの世が存在しているのか。


 日蓮正宗ではこの娑婆世界で生きる事に意味が在り、現世で倖福になることに意味が在ると言っています。


 信じる者は救われると言うキリスト教、つまり信じる者しか救えないのに対して、日蓮正宗では信じている者の周りの人をも倖福に導きます。


 命と云う命に対して慈悲深い日蓮正宗の教えは極端な話、命を持っている者なら宇宙人ですら救う事ができるのです。


 

 私はキリスト教に対して知らない事が当然在ったり、誤解している部分が在るかもしれませんが、日々の生活の中で人に寄り添う仏に守られている実感が在る私から見るとキリスト教の神はとても冷たく無責任に感じます。


 神の名のもとに戦争や魔女狩りの様に集団殺人が正当化されたりするのは、どう云う事なのでしょう。


 それに対して神は総てを鵜呑みにし、自ら正しく諭す事さえしなかったのは何故なのでしょう。



 天使や悪魔が存在し、ファンタジックで悲劇的な物も似合ってしまうキリスト教。


 小説などの題材には打ってつけだけれども、宗教としては矛盾が多くあやふやで不安定、人間に対してとても無責任でいい加減、総ての人間を救う気が在るのかさえ疑わしいです。


 神の奇跡は気紛れで結局救われない、みたいなイメージを持っているのは私だけでしょうかね。



 読んで戴き有り難うございます❗ヽ( ̄▽ ̄)ノ


 最近亀梨くん主演の「怪物のきこり」を観ました。

 スッゴク面白かったです。

 亀梨くんがめちゃくちゃカッコ良くて、申し分無し❗

 亀梨くんのYouTubeをよく観るのですが、めちゃ可愛いので、「怪物のきこり」の「ぜってぇ殺してやる」とか「愛する人に殺されるなんてロマンティックじゃないか」とかめちゃ素敵すぎるのですが、そんなセリフを言ってる人と同じに見えません。

 それだけ演技が素晴らしいって事なんですね。゜+.゜(´▽`人)゜+.゜

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 私もキリスト教には不信感があります。  聖書の類を読めば何気にそんなシーンが多いですから。無花果の逸話は不条理だし、最後の晩餐は弟子に対し非情だし。  そのせいでしょうか、後の宗教家たちもまた酷い。…
「Oh my god!」 「アッラーフ・アクバル!」 かつては日本でも同じ様に 「南無妙法蓮華経!」や「南無阿弥陀仏!」を叫びながら武士と戦う農民一揆などがありましたが、個人的には嫌いな人なのですが織…
[一言] 同族嫌悪。自分は日寛上人が大嫌いです。 書物にダブスタ明記した人間は信用できません。 法華14品安楽行を守らないアナタたちが嫌いです。 法華一条、衆生皆成仏といいながらハードルやダブスタ を…
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