天布の才
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、天才を信じるかい?
いや、個人を指すばかりとは限らない、才能そのものの存在さ。
たとえ誰に見せるでなくとも、ほぼ感覚で成し遂げてしまうほどの才。もはや自分にとって手足のようなもので、うらやましがられても、複雑な気分になるかもしれない。
そいつを生かす方法にめぐり合い、自分もそれを使うのを望んでいるのだとしたら、それは奇跡であり、幸せなことかもしれない。たとえ早くに命を失ってしまったとしても。
ひょっとしたら、人間以外にもこの才を持ち合わせてしまったものがいるかもしれない。
その身体からは想像できない力。ろくすっぽ知られることなく消えていってしまう力。
そこに居合わせた人間だからこそ、たとえまわりに突拍子もないと評価されようが、自分だけは信じて推すことができる。
数は多くないだろうし、めぐり合える機会も少ない。誰もまだ信じてくれないかもしれない。
それでも、そのようなものに出会いたいから、こーちゃんもネタを探しているのだろう?
そろそろ、私もこの天才に出会った話のネタ、提供させてもらおうかな。
私の住んでいる地域では、積乱雲をよく見かけた。
雲そのものは、春夏秋冬を問わずに現れるものだけど、私の地元ではちょっと注意ごとがある。
下部が細く、上部に行くほど広がっていく、逆三角形の輪郭を持つ積乱雲。
もしそれらを外で見かけたのなら、傘の用意を怠らないようにせよ、と。
単純に、雨が降るからという心配ばかりじゃない。それ以外のものが落ち来る危険性もあるのだと。
親から聞いたものでは、ごくごく小さな鉄や銅らしきものが降ってきたことがあったという。
その積乱雲を見かけたのち、すっかり暗くなった空から降ってきたのが、それだったんだ。
はじめは傘をやたら強く打つものだから、ヒョウみたいなものかと思っていたものの、その色、硬さ、臭い……明らかに金属が持ち得る、それだったのだとか。
降りそのものは強くなく、降ってくるものの数は少なかった。多少、痛い思いをした人はいたものの、家屋などへ被害をもたらすほど強力なものではなく。
自然現象にしては、いささか不自然な点が目立つ、奇妙な天気だったという。
そのほかにも、くだんの積乱雲を見かけたときに、不思議な現象にめぐり合う、という話はいくつかあるのだが、今回は私が体験したケースにしぼらせてもらう。
中学校へ通っていたころのこと。その日の午前中は晴れ渡ってこそいたが、午後になってから、校舎から見る景色の中に積乱雲が確認できるようになった。
例の逆三角形の輪郭を持つ雲。背の高い木々のてっぺんから継ぎ足されるような形で姿を現すそれを見て、私は両親から聞いていた話を思い出していたよ。
折りたたみ傘は、いつでもカバンの中へ入れてある。
聞いた話では、傘を貫くほどの勢いは伴わないとのことだから、もし降られたとしても、落ちてくる向きに気をつければ、さほど恐れるものではないはず。
そう思い、学校終わりまでそれとなく空をうかがっていたのだけど……雲は、動く様子を見せない。
ただ、空を覆って暗くせずに済んだ。雲がいい具合に散っていったためだ……だったら、まだ自然だったかもしれない。
それが、不動なんだ。
最初に私が確かめた、木に継ぎ足されるような位置に生えてから、雲はそこへとどまり続けていた。
天気は西から東へ流れるもの。上空に吹いている強い風によって。
けれどもこの雲は、意に介した様子はない。流れることはおろか、自分の一部を吹き飛ばすことさえ認めない。
木に身体をくっつけていることもあって、枝へがっちりしがみつく生き物のようなたたずまいさえ、感じさせる。
妙なものだな、と学校にいる間、友達といくらか雲を見やっていぶかしがるも、やがて下校の時間に。
軒並み、部活動を控えた友達に対し、私の部は休みの日。家の用事を頼まれていることもあって、さっさと校舎を後にする。
家のある方角からして、積乱雲に向かっていく形となった。小道を歩き、やがてぶつかる横断歩道を渡り、なおも真っすぐあぜ道を進んでも、雲はかなたに見える木々のてっぺんから離れる様子は見せなかった。
ただ、あぜ道を進んで少しすると。
私の前方を、プンと音を立てて横切る羽虫の姿があった。
蚊にしては大きく、ハエにしては足が長い。アシナガバチの色合いにしては、ちょっと全身が黒々としすぎていた。
思わず足を止め、のけぞりぎみになる私。
その怖じ具合をからかうように、足長の羽虫は前方数メートル先を右へ、左へ、何度も行き来して見せている。
最初こそびびったものの、こうも邪魔されるといらつきの方が勝ってきた。
私の持つもので、リーチのある武器といったら、折りたたみ傘だ。
布の部分を撒いたまま、持ち手の部分だけを伸ばした傘でもって、かの虫をどかそうとするが、相手もさるもの。
どうやら左右へかわすのにくわえ、奥にも逃げているらしい。ちょうど傘の届かないギリギリの距離を保ちながらも、動くのをやめなかった。
そして、逃げ出さない。
こうも危害をくわえられそうになったら、その羽根でもって遠くへ飛び去るか、あるいは不意の特攻をかけてきても、おかしくないだろう。
なのに、この虫はつかず離れず。私をからかうような挙動を繰り返している……。
しばらく追っていて、ふと気づいた。
道に影が差している。それどころか空全体が、にわかに暗くなってきているようだったよ。
つい上を見やって気づく。
ずっと追い続ける格好になっていた雲の面積が、にわかに増してきていることを。
もとの逆三角形を大いに崩し、どんどんと空の四方へ身体を広げている。肉眼ではっきりと動きが分かるくらいに早く、しっかりと。
そして、その動きは目の前を飛ぶ虫とつながっているように思えたんだ。
虫が筆の先で、雲が画用紙に垂らされた絵の具。
まだ乾ききらない、あるいはこってりとしたままの固形で、めいっぱい広げられている。その様子にそっくりだったんだ。
そうしてこの上空を雲が覆うが、こつん、こつんと私の身体へぶつかってくるものがある。
10円玉より一回りくらい小さいが、そのやや赤みがかった具合と、鼻を引くつかせる特徴的な臭いは、硬貨のもつそれにそっくりだ。
もう虫に構ってはいられないと、傘を開いて、頭上からの攻め手を防ぐ私。
雨のような落下物は、ほんの1分もたたずにやんだものの、すでにあの足の長い虫の姿はどこにもなくなっていたんだよ。
あの虫に出会ったのは、その一度きり。
でも虫の動きと、雲の広がりの一致ぶりはよく覚えているよ。
多少は空を飛べるとはいえ、ほぼ地上から高空へ影響を与えうる存在。今もまたどこかで、不可解な天気を呼んでいるのだろうか。