打開策
院内発砲事件まで…9時間
その日、警視庁・少年課は珍しくピリピリした空気感に包まれていた
そんな事など知らず、昨日の隅田の事が頭から離れない皐月は、肩を落としながら出勤する
いつもの様に自分のデスクへと座り、仕事に取り掛かる彼の目の前には、地域の学校と連携し犯罪を未然に防ぐ為の活動報告書があった
皐月が昨日、あの場所で見回りをしていたのも、この活動の担当地域だったからで、青年達を見つけたのも、本当にたまたまだった。なのに捜査一課は、話も聞かずに青年達を逮捕してしまった…
重要参考人とは言っていたが、一体何のだろうか…本当にそうなのか怪しかった。…ふと、嫌な噂が彼の頭をよぎった
皐月 周
(証拠を捏造して、少年犯罪を撲滅していってるなんて…馬鹿馬鹿しい)
事件の再発防止の為に動く少年課と、事件の有無を判断し動く捜査一課との、関係性は密生なもので、常にいざこざが絶えないのが日常だ
そんな中、隅田は一課にしては珍しく、少年課を尊重し、考えてくれていた。捜査一課長ともなれば暇な日など無い筈なのに、どんな些細な事案でも、協力を惜しまないでくれた
なのに…隅田は、娘が巻き込まれた事件をきっかけに、人が変わりいつしか少年犯罪を恨む様になってしまう
間近で見ていた皐月は、彼の変化に直ぐに気づいていた
皐月 周
「でも…それでも…話せば分かってくれるかもしれない」
いつの間にか独り言を呟いていた皐月に、隣の席の同僚が、ヒソヒソ声で話しかける
弘田
「少年課と一課、大変な事になってるぞ」
皐月 周
「え?」
弘田
「おま、この張り詰めた空気に、よく気づかないでいられたな」
半ば呆れつつ、弘田は持っていたボールペンで、電話をしている部長を指し示した
弘田
「何でも昨日、急に横槍入れられた挙句、説明も殆ど無し。今その事について揉めてるってさ」
その話には、皐月も心当たりがあった
皐月 周
「それって、昨日の交番所から、少年課へ送られて来た窃盗犯の子の?」
皐月は知らないが、曳汐と紾が遭遇した窃盗犯は、あの後すぐに警視庁の少年課へと送られていたのだ
弘田
「そうそれ。事情聴取の途中で割って入って、直ぐに引き取ったらしいぜ」
最近になって、少年犯罪が劇的に増え、その殆どを隅田率いる捜査一課が逮捕していた。少年課として見れば、中には未然に防げたかもしれない案件もあり…だからこそ皐月は、地域の学校と手を取り合い、見回りを強化していたのだ
弘田
「最近、一課との仲も険悪だったし、いつもの事で済ませられるかと思ったけど、今回は相手が悪かったよなー。何でも一課が逮捕したのが、施設育ちの高校生なんだって」
何も知らない弘田は、まるで他人事のように気怠げに話を続けた
弘田
「部長、そう言うの弱いじゃん。偏見に敏感つーか、恵まれない子達を支援する派だし、この間の不当逮捕に、例の噂…一課長の娘さんの事もあるから、信用してないんだろなー」
皐月の顔は、だんだんと青ざめていく
少年課・部長
「話にならん!」
ガチャン
電話越しで怒鳴り声を上げた部長は、怒りのままに受話器を切った
弘田
「あちゃー、多分相手は一課長だぜ。あの様子じゃ少年課の意見は、総無視されたな。聞くところによると、取り調べもいやにスムーズで、昼前には鑑別所に送致だってさ。こりゃ噂もいよいよ信憑性が増すよな」
皐月 周
「送致って、いくら何でも早すぎるんじゃ!」
驚いて声が大きくなった皐月は、部屋の中にいた全員の注目を浴びてしまう
弘田
「お、おい、落ち着けって…」
慌てて弘田が宥めようとするが、部長がギラリと皐月を睨んだ
少年課・部長
「皐月。ちょっと話がある」
皐月 周
「は、はい」
圧を感じながらも、皐月は部長の元へと行く。顔に青筋を浮かべ、今にでも怒鳴りそうな部長は、ゆっくりと彼に問いかけた
少年課・部長
「昨晩、異常調査部の連中と一緒に、一課と揉めたと言うのは…君だな」
皐月 周
「…はい」
嘘をつくわけにもいかず、ゆっくりとうなづいた
少年課・部長
「で?今度は一体何を言ったんだ。また、勝手に一課に喧嘩売って…自分のやってる事が分かっているのか、えぇ?」
皐月 周
「えっと、僭越ながら話が見えないのですが…」
何の事について叱られているのかが分からず、皐月は顔を歪める
少年課・部長
「……はぁ。もういい、私も隅田のやり方にはうんざりしていた所だ。君はさっさと取調室へと行きなさい」
皐月 周
「あの、どうして取調室に?」
話が掴めない皐月は呆然と立ち尽くしている。そんな彼を見て、部長は目を丸くさせる
少年課・部
「君は本当に何も知らないのか?」
皐月 周
「は、はぁ」
少年課・部長
「ついさっき異常調査部の黎ヰが、一課が逮捕した重要参考人のうち一人を、暴行罪で取り調べているそうだ」
皐月 周
「?!それは、本当なんですか!」
驚いた皐月は、さっきよりも大声をあげ部長を見る。今度は部長が皐月の言葉にうなづき、手元にあった湯呑みを見つめた
少年課・部長
「それに少年課も関わっているんじゃないかと、今の今まで小言をくらっていた所だ。確かに、前の事件では依頼をした仲ではあるが、私としても異常調査部とは関わりを持ちたくない。君も分かったらあんまり関わるな、いいな」
そう言った部長は、さっきまで目の前に居た筈の皐月が、既に居ない事に気がつき、ポカンと口を開けた
弘田
「皐月なら、走って行きましたよー」
弘田の呑気な声に、部長は暫く頭を抱えたのだった
ーーー ーーー ーーー ーーー
自分の上司の話を無視し、皐月が向かった先は取調室だった。とは言っても、何処の取調室なのかと悩む中、ふと廊下に捜査一課の人達と対峙するように立っている、異常調査部の面々を発見すると、直ぐに近寄った
「良い加減にしろ、俺達の邪魔をしてタダで済むと思うなよ!」
そんな捨て台詞を吐きながら、捜査一課の面々は踵を返し、皐月の方に向かって歩く。一人が対向して歩いてくる皐月に気がつくと、舌を鳴らした
「やっぱり少年課が絡んでんのか。いいか、何歳だろうと犯罪は犯罪だ、罪の重さだとかは裁判で決める。俺達は黒でも白でも犯罪者を逮捕するだけだ」
半ば八つ当たりな言葉に、皐月はこの場に隅田が居ない事に気がついた。その事を聞こうかと口を開きかけるが、一課の面々が歩く方が早かった
皐月 周
「皆さん!一体何が…」
皐月は、曳汐と黎ヰを発見すると、駆け寄り声を掛けた
曳汐 煇羽
「皐月さん、おはようございます」
皐月 周
「え、は、はい…おはようございます」
反射的に挨拶を返す皐月を見て、黎ヰはククッと笑う
黎ヰ
「皐月はこの状況について、知りたいんじゃないかぁ?」
皐月 周
「そ、そうです!」
曳汐 煇羽
「とは言われましても、私もあんまり把握してないんですよね」
黎ヰ
「まとめて説明する為に待ってたからなぁ、取り敢えず紾ちゃん呼んで来る」
先に取調室に居た紾を呼びに、黎ヰも中へと入る
しんっと、静まりかえった取調室の中は、太々しく椅子に座っている穢佇と、その目の前に座っている紾…部屋の隅に、深く帽子を被り佇む記録係…
その様子を見るに、穢佇は一言も口を開かず、困り果てた紾が何を言おうかと、頭を悩ませているのだろう
黎ヰ
「助っ人が来たぜ」
蔡茌 紾
「助っ人?」
曳汐同様、あまり状況を理解出来ていない紾は、黎ヰに連れられるままに取調室を出た
ドアを閉める直前に黎ヰは、チラリと穢佇を見たが、彼は話す事は何もないと言う様に目を閉じていた
ガチャンと、冷たくドアが閉められる音がすると、穢佇は目を開き面倒くさそうに顔を歪めた
穢佇
(隅田の奴ドジりやがって、クソが…てか、何なんだよあいつら、暴行罪って雨野の勘違いかと思ったのに…マジでサツだったとか、笑えないんだけど)
穢佇は今のうちに、頭の中を整理しようと昨日に起こった事を思い出す
先ず、窃盗犯として影上が捕まった。なんでそんな事をしたのかは、意味不明だけど影上が隅田との関係を吐く前に、隅田は別件で身柄を抑えた
そして後は、予め隅田と予定していた通り、残りの連中を呼び集め、居場所を知らせて隅田に逮捕されるよう、お膳立てをした
なのに、少年課だかなんだか知らない、平和ボケしてそうな警察が隅田よりも先に俺達を見つけた。落ち着いて対処すれば、何事もなくやり過ごせたのに、ビビった雨野と西川が逃げ出したせいで、余計に怪しまれ追いかけられる羽目になった
隅田によって、逮捕されると怯えていた馬鹿二人を、置いていけば必ず余計な事を言うのは目に見えてた
穢佇
(それでも、三人いれば振り切れた…なのに…)
第三者が現れて、直ぐに捕まった。雨野達は、警察だって思い込んでたけど…まさか、マジで警察でした。とか笑えない
まぁ、だからこそ今こうして取り調べされてるんだけど…
穢佇
(どんだけ、居ればいんだよ。警察って暇人の集まりかよ)
苛立った穢佇は、奥歯をきつく噛み締めた
隅田は、連行される前に、暴行罪は建前だと言う事と、取り調べされるのは自分だけだと教えてくれた。これは不幸中の幸いだった。馬鹿二人は利用されてただけの駒…
本当の事も知らなければ、利用されている事にすら気づいてない、だからこそ自分の身可愛さに、直ぐに口を割る危険もあったけど、俺様だけならその心配はない
穢佇
(要は、俺様がタイムリミットまで黙秘すれば勝ち)
言うなれば、これは耐久戦。むしろ警察がいかに無力かを、教えてやる良い機会かもしれない
ー
ーー
ーーー
皐月 周
「つまり、貴方の言葉を真に受けるなら、隅田さんは青年達と何らかの繋がりがあり、それを隠蔽する為に、逮捕したと…そう言う事ですか」
黎ヰからされた突拍子のない話に、皐月は信じられないと顔をしかめた
蔡茌 紾
「…何か証拠は?」
黎ヰ
「言動。一つ一つを繋げて推理すると、それが一番しっくりくるんだよなぁ」
皐月 周
「……」
黎ヰが見るに、昨日の青年達と隅田のやり取りは、不自然な点だらけだった
蔡茌 紾
「つまり、証拠はないのか…」
曳汐 煇羽
「だからこそ、芥さんへの暴行として連行したんですよね。隅田さんとの関係を問い詰める為に」
黎ヰ
「それが唯一の、打開策だったからなぁ」
一課に横槍を入れる方法があるとすれば、穢佇が芥にぶつかった事を、逆手に取るくらいしかなかった。黎ヰは、そのやり方で正々堂々と捜査一課を敵に回したのだった
黎ヰ
「ま、あくまで俺の勘でしかない。だからこそ、隅田と関係がありそうな皐月に、意見を聞いときたい」
皐月は、自分の中にある迷いを口に出す
皐月 周
「……隅田さんの娘さんは、ある事がきっかけで今も植物状態です。その事があってから、一課の少年犯罪検挙率は、不自然なまでに上がっているのも事実です。だとしても、噂のように証拠を捏造しているなんて事はありません!それは、僕が保証します」
曳汐 煇羽
「ですが、廃校舎の一件では無実の人間を追い詰めてます。そう言う一面もあるのでは?だからこそ、皐月さんは蔡茌さんに再調査を依頼したんですよね」
痛いところを突かれた皐月は、押し黙ってしまう。不覚にもそれが肯定となった
黎ヰ
「廃校舎ねぇ〜。確かに誰もが被害者の田文誠吾を、犯人だと信じて疑わなかった状況で、皐月だけは違うと信じた。その事を踏まえれば、隅田も噂通りじゃないって、意見も信憑性は増すんだがなぁ〜」
これは黎ヰの本音でもあり、隅田が噂のように、証拠捏造など汚い真似をする様には思えなかった
「我々は我々の正義で動いている」そうはっきりと言った、隅田の目に一切の嘘や偽りはなかった。とは言え、全くの"白"とも言い難い
黎ヰ
「何にしろ、穢佇との関係が鍵になる筈だ」
暫く何かを考えていた皐月は、意を決したかのようにうなづいた
皐月 周
「…分かりました。私に彼と話しをさせて下さい」
ここで、異常調査部に手を貸すと言う事は、尊敬する隅田に楯突く事を意味し、下手をすれば少年課全体を、巻き込んでしまう可能性もあったが、皐月はそれでも、噂の真実を確かめたいと思った
黎ヰ
「取り調べに関しちゃ、そっちの方が百戦錬磨だろ?むしろ、お願いしたいくらいだ」
皐月 周
「ありがとうございます」
黎ヰは皐月に、持っていた穢佇に関しての資料を渡した。それを受け取ると、取調室へのドアノブに手を掛ける
蔡茌 紾
「俺も一緒に行っても?」
皐月の表情があまりにも、強張っていたので心配になった紾は、ついそんな事を言っていた
皐月 周
「…蔡茌さん…」
ふと、肩の力が抜けた気がして、皐月は自分がとんでもなく緊張していたのだと気づく
蔡茌 紾
「さっきの取り調べでも、何も聞き出せなかったし、完全に足手まといなんだけど…」
皐月 周
「いえ、心強いです」
冷静さを取り戻そうと、皐月はゆっくりと深呼吸をする
皐月 周
「隅田さんとの関係性と彼自身の目的。最低でもこの二つを、彼からは聞き出さなければ」
曳汐 煇羽
「もし、本当に隅田一課長と、何らかの取引きがあるとすれば、それなりの理由があるかと」
曳汐の言う通り、取引きがあるのならお互いに、それに見合ったメリットが存在する。それが何かを暴かない限り、穢佇は決して口を割る事はないだろう
皐月と紾は、目的を再確認すると穢佇の待つ、取調室へと足を踏み入れた
その背中を見ながら、黎ヰは記憶の中で少し時間を遡らせる
警察の情報網は、一課によって隠されていた。正しくは異常調査部の出入りは禁止だと、情報管理室の前に人が配置されており、門前払いをくらった。そこまですると言う事は、調べられると困る情報があるという事…
それを知る為に黎ヰは、情報屋の葩永 夏氷を頼り、隅田を初めとする捜査一課全員と、穢佇、雨野、西川、そして念の為、窃盗犯の影上4名の素性を調べてもらった
その際、穢佇達の情報については、最初に素性を知っていた影上から調べ、通っている学校と児童施設から辿って、穢佇達との繋がりを、見つける事ができた
学校だけなら偶然の可能性もあるが、児童施設まで一緒となると、おそらく彼らはグループなのだと見当づく。そして、隅田との接点も黎ヰは、大体の予想をつけていた
黎ヰ
(お互いの利益があるとすれば、夏氷に調べてもらった、二人の身の回りで起こってる共通点だろうなぁ)
皐月が言った通り、2ヶ月前から隅田率いる捜査一課の少年犯罪検挙率は、一気に跳ね上がっている。そして、何故か穢佇の周りの少年達が逮捕されている
そこから考えるに、穢佇は不良達の犯行現場を、わざと隅田に発見させ、逮捕…そんな所か…
黎ヰ
(だとしても、自分を犠牲にする理由が分からないんだよなぁ)
そこを探る為に、あえて紾と皐月に、穢佇に関する情報を入れなかった
黎ヰ
(ただの取り調べなら情報で責めればいいが、あの穢佇って奴は、何も喋らない)
情報によって目的が分かったとしても、あくまでも推理に過ぎない…確たる証拠がない。仮に隅田との繋がりを穢佇が吐いた所で、子供一人の証言じゃ、揉み消そうとすれば簡単にできてしまう
穢佇以外は、隅田によって、鑑別所に送致されてしまった
穢佇も48時間経てば、直ぐに送致されてしまう
黎ヰ
(タイムリミットが分かっているなら、黙りに徹するのが常識だしなぁ〜)
それを打開するには、穢佇に自分が警察よりも、有利に立っていると思わせるのが手っ取り早いだろう。自分が主導権を握っているとなれば、警戒心が解けて口を滑らせる
そうするには、何も知らない上に舐められそうな人間に、対応させる…つまり、情報を知らない皐月や紾が適していた
黎ヰ
(隅田と手を組み、自分を犠牲にしてまで成し遂げたい事…それが分からない限り、この事件は解けないだろうなぁ〜)
マジックミラー越しに、黎ヰはこれから行われる取り調べに、神経を集中させた