医師の判断
二ヶ月前
深夜にドライブを楽しんでいた冬葵と新田は、車道へと飛び出してきた猫を避ける為、急ハンドルを切った事で、ガードレールへと激突してしまった
たまたま近くを走っていたトラックの運転手が、事故に気が付き二人は直ぐに発見される事ができた
中央警察病院へと救急搬送され、手術を執刀したのが名医と有名な、塔沽 二苑だった
二人の手術は無事に終了したものの、娘を危機に晒した新田を、父である隅田が許す筈もなく、病室へと搬送する途中で彼は怒りの感情をぶちまけた
看護師達が止めても静まらず、駆けつけた警備員が隅田を外へと連れ出す
一連の騒ぎを見ていた看護師と医師達は、落ち着くまで冬葵と新田の病室に、人を近づけさせないよう決めた
怒りに任せた隅田が、新田に危害を加える事を恐れたからだ。だが、それが皮肉にも二人に自殺を図るチャンスを、与えてしまう事になってしまった
ほんの少し、看護師が目を離した隙に二人は白石から奪った安楽死の薬を分け飲んだ
二人の心肺がほぼ同時に停止していく音で、看護師が異変に気づき、直ぐに手術室へと運ばれた。なんとか息は吹き返したものの、大脳が完全にその機能を失っている事から、診断は植物状態と下された
そんな中、塔沽だけは経験からか医師としての勘か、何かが引っかかり、二人の様子を再度調べ植物状態に似た仮死状態だと見抜いた
塔沽が適切な処置をし、後は目覚めるのを待つだけだった
塔沽 二苑
『実物も見ず医師でもない人間が、情報だけで植物状態でなく仮死だと、良く見抜いたものだな。まったく面倒くさい奴だ』
電話越しから、今回の事件に深く関わっている一方で、誰の目からも逃れている人物ーー塔沽に対し黎ヰは、不機嫌を隠さずに口を開いた
黎ヰ
「余計な言葉が混じってんのは無視として、あの隅田弦次郎が、医師を疑わない理由を不審に思っただけだ」
病院内で起こった不審な診断に隅田は、裏で誰かが娘を殺害したと思い込んだ。もちろん、それが新田だと疑わなかった事もあるが、だとしても医者や看護師も結託している可能性を、捜査一課長が考えない訳がない
誰だって一番最初に怪しむのは、病院に忍び込んでいたかもしれない不審者ではなく、最初から病院に居た医者や看護師だろう
黎ヰ
「薬が原因で植物状態に陥ったって分かれば、医療関係者を疑って当然だろぉ?なのに、隅田は病院をあまりマークしてなかった。で、気になって担当医師の名前を確認してみたら、指折りの名医塔沽二苑だったて訳だぁ〜」
塔沽 二苑
『何を疑う必要があるのか解せないな。俺からすれば、当然の結果だ』
塔沽が自信満々に自分は天才です。と言っているのが、電話越しからでも分かる。だが、彼の言う通り手術の執刀医師が塔沽だから、隅田は疑いの目を向けなかったのだろう
それだけに、彼の医師としての腕は確かなものだと評価されている。実際に冬葵達が仮死状態だと見抜き、すぐに対処した事を思えば、その事自体に間違いはないのだろう
何となく腹だたしくなった黎ヰは、嫌味で返す
黎ヰ
「自己肯定意識が高くて何より。今回に関しちゃ、その名医って肩書きが邪魔した訳だけど」
塔沽 二苑
『勘違してくれるな。俺はあくまでも興味本位で手を下しただけだ。その後の偽った診断は別の人間によるものだ』
黎ヰ
「だろうなぁ〜。だとしても手術の事を手を下すって、表現してんのどうかと思うぜ」
塔沽を突き動かすのは、いつだって彼の興味を惹く事だけだ。今回も仮死状態と言う事に興味を示したに過ぎない
彼の言葉からでも、その事が伺えるだろう
黎ヰ
「で?具体的に何があった」
塔沽 二苑
『お前からすれば"何が"じゃなく"誰が"が重要な点だろ。あぁ面倒くさい』
気だるげにしながらも塔沽は、黎ヰ相手にはぐらかす方が面倒なので、仕方なく続きを話す
塔沽 二苑
『俺が密かに手をくーー手術していたのを、母親と別の医師が見ていてな。違法だって騒がれても面倒だしな、ありのままを話した』
曳汐からも、隅田の妻に影上が持っていた物について尋ねた時、彼女は「冬葵の物ですが、盗品じゃありません」と言ったらしい
それ以上、曳汐が何を聞こうにも、黙りだったので無理に聞き出さず、曳汐は大人しく帰った。元々盗品の写真について聞く事が目的だったのと、黎ヰならそれだけで見通せると、信頼したからだ
彼女の読み通り、黎ヰはその時点で隅田の妻も、冬葵達に加担していると推理していた
わざわざ、盗品じゃないと言ったのは影上を庇ったからだろう
黎ヰ
「だろうと思った。じゃなきゃ植物状態を偽装するのも難しいだろうからなぁ〜」
それだけでなく、入院していた二人が急に姿を眩まし、車を手配するなんて事、外部の大人からの協力なしには、まず不可能だろう
黎ヰ
「別の医師って言うのは?」
塔沽 二苑
『狭硯秋悟、心療内科の人間だ』
狭硯 秋悟。最近知った名前に、黎ヰは眉をひそめた
黎ヰ
(田文誠吾を診た心理士か。場所も中央警察病院だしな…たまたまか?)
直接対面したり話した事はないが、黎ヰが無理を言った事で、事件の被害者である田文 誠吾を診に来てくれた医師だった
今のところ、色々と関連付けるのは早いと黎ヰは、胸の内に留めておく事にした
塔沽 二苑
『娘の交通事故と夫との問題で精神が疲弊してた母親の所に、通りかかったとかで診てたらしい。帰る前にもう一度、娘を見に行った所を見つかった。とんだ仕事人間だ、頭が下がらない』
一般的には"頭が上がらない"か"頭が下がる"と言うべき所を、あえて下がらないと言っているのは、彼の傲慢とも言える、自尊心のせいだろう
黎ヰ
「興味本位でしか動かないあんたは、地につくまで下げてろ。それか、爪の垢と言わず脳みそぐらいつまんだ方がいんじゃねーの」
いつも飄々としてる黎ヰが、誰かに対し塩対応をする事自体、あまり見られない事なのだが、塔沽とはいつもこんな感じなので、どちらも気にせず話を進める
塔沽 二苑
『狭硯は、状況から二人が自殺したと推理してな。目覚めて、また父親のせいで追い詰められる可能性があるとかで、面倒な事にしばらく言わない方がいいと進言した』
冬葵達の心を守る為の判断だったのだろう。そして、母親もその可能性に同意した
塔沽 二苑
『俺の知った事ではないが、一応俺も心理士の資格がある以上は体裁上、頷くしかなかったからな』
投げやりな言い方だったが、その提案に同意したという事は、心理士としての立場の塔沽も、疑わなかったと言う事だろう
黎ヰ
「その嘘から始まったって言うよりは、一つの切っ掛けに過ぎなかったんだろうなぁ〜」
きっと、診断を偽装していなくても狭硯の言う通り、隅田は家族を追い詰めてしまっていただろう。その証拠に妻ですら医師の入れ知恵があったにしろ、娘の病状を植物状態だと偽ったのだ
このことからも、尋常ではないと想像できてしまう。もし仮死だと素直に言っていたら、もっと大惨事になっていた可能性だって充分に考えられるだろう
何となく呟いた黎ヰの独り言に、塔沽が悪気もなく答える
塔沽 二苑
『知らん』
黎ヰ
「あんたに言ってねーよ」
塔沽 二苑
『知ってる事は話した、尋問は終わりか』
黎ヰ
「横柄な態度で尋問されてるって、よく言えるよなぁ〜。因みに仮死状態を引き起こした薬ってのが、もし一人に集中してたらどうなってた?」
唐突な黎ヰの質問に、塔沽は眉をピクリと動かした
塔沽 二苑
『薬を一人の人間が飲んでいたら、どんな症状になったかと聞いてるのか回りくどい。運が良くて最初の診断通りだ、悪ければそのまま屍と化す』
つまりは植物状態か死かと言う事だ。冬葵と新田は一人分の薬を分けた事で助かった
その事に黎ヰはやっぱりだと納得した
黎ヰ
(廃校舎での劇薬も、アリババは一人分を薄めて紾ちゃんへ微量といえど投与したが、その影響がなかった。薬の成分結果も毒素なんてのはなかった、それどころかほぼ水…)
この事から推測できるのは、廃校舎での劇薬は薄めてしまうとその効果を発揮できないもので、余分な物質を足してしまうと成分自体が変わる、または消えてしまうものだった
おそらく、この事実は使用したアリババも知らないだろう
黎ヰ
(今回も、分けた事で安楽死から仮死へと変化した。だとしたら、薬の出どころは同じか…)
黎ヰは、薬を所持していた白石へ話を聞くべきだと思った時だった、無言の時間に痺れを切らした塔沽が口を開いた
塔沽 二苑
『切るぞ』
黎ヰ
「切る前に一つ、今日俺の知り合いがそっちに診察しに行くから、あんたに診てもらいたい。つーか、もう紹介状渡してるから」
先程も本人が言っていたように、塔沽は医師以外にも、様々な資格を持っており、そのうちの一つが臨床心理士だ
紾は拳銃を撃った事で、思考能力に問題がないかを、医師に診断してもらう必要があった
だから、黎ヰは腕だけは確かな塔沽に診てもらえるよう紹介状を書いたのだった。普段は医師の仕事中心の彼に、心理士として診てもらうには誰かからの紹介なしでは難しいだろう
黎ヰ
「俺から見ても、かなり限界が超えてる状況だぁ……ん?」
ここまで話した黎ヰは、脳裏にある疑問が浮かぶ
黎ヰ
「ちょっと待て、いま何処からかけてんだ?病院な訳ないよな」
常識で考えれば病院内で電話はできない筈だった。かと言って黎ヰと話す為だけに、面倒くさがりの塔沽が、わざわざ場所を移動してくれる訳もない
黎ヰの疑問に対し、塔沽は何食わぬ顔で答えた
塔沽 二苑
『今は一泊二日のコーヒー巡りツアー中だ。まったく俺が何をしているかまで、わざわざ説明しないといけないのか』
黎ヰ
「そーですか」
まさか、ツアーに出掛けているとは思わず黎ヰは、この自分勝手な医師の強すぎるメンタルに関心すら覚えた
黎ヰ
「患者が逃げ出したってのに、よく行けるよなぁ〜マジで」
塔沽 二苑
『難癖をつけられる前に先に言っておくが、仮死の二人は万一の異変も後遺症も無い。俺が診ていた以上起こり得ない。診断書に関しても詐称は行っていないからな、罪に問われる謂れもない。理解したならこれ以上、俺の休暇を邪魔するな』
言いたい事だけ言うと、塔沽はそのまま自分勝手に通話を切った。いつもの事なので、特に気にする事なく黎ヰは呟く
黎ヰ
「名医が言い切ったんなら、信用せざるを得ないよなぁ〜、無性に腹立つけど」
棘のある言葉だが、黎ヰも塔沽の腕だけには信頼を置いている
仕事中の彼の集中力は、はっきり言って人間離れをしている。また興味を持った事柄には、その知識を最大限まで吸収し脳に刻み込む
だからなのか、定期的に仕事をしない日…つまり休暇を積極的に取り、息抜きをしている。今みたいによく分からないツアーに行く事もあれば、急にサボりだす事もある
一見いい加減なように見えるが、塔沽はちゃんと自分でオン、オフをコントロール出来ているのだろう
黎ヰ
「だとしても、もうちょい何か方法があってもバチは当たらねーと思うけどなぁ」
肝心の塔沽が休暇をとっているせいで、紾をすぐに診てもらえないと分かり、どうしたものかと黎ヰは頭を悩ませた
拳銃を撃った判断が正常だったのかどうか、警察官としてもそこが重要になってくる。書類上で問題なしと医師のお墨付きをもらえなければ、最悪謹慎処分になってしまうかもしれない
もちろん紾も、その事を分かっている。だが、黎ヰが懸念するのはそこじゃなかった
黎ヰ
「ちゃんと精神疲労を理解して緩和してくれる人間ならいいが…どの専門でも医師ってのは、多少おかしくないと務まらないからなぁ〜」
中には、適当な診断結果で片付ける者だっている。それなら受けさせる意味がないだろうと、黎ヰは考えていた
時間的にも、そろそろ病院に着いた頃合いだと少しだけ首を傾げた
黎ヰ
「塔沽に固執する必要はないが、一体誰に診てもらってんだぁ?」
なんとなく出てきた黎ヰの疑問に、答える者はいなかった
ーーー ーーー ーーー ーーー
中央警察病院にて
拳銃を撃った事で、医師の受診が必要になった紾は、黎ヰの推薦状を持って中央警察病院へと来た
が、昼の受付時間が終わっており、どうしたものかと困っていた時だった
狭硯 秋悟
「受診されに来た方ですか?今日の受付は終了したと思うんですが、緊急ですか?」
誰もいない精神科の待合室に、一人たたずんでいる紾に、通りかかった医師ーー狭硯が声をかけた
蔡茌 紾
「あっ、いえ…紹介状を書いてもらったんですけど、やっぱり明日にします」
病院に行き慣れていない紾からすれば、この空間に居るだけでもかなり緊張してしまう
思わず踵を返そうとした所を、狭硯が苦笑いで手を伸ばした
狭硯 秋悟
「そう身構えなくても大丈夫ですよ。その紹介状見ても?」
蔡茌 紾
「すみません、なんだか慣れなくて」
眼鏡をかけているからだろうか、優しい顔立ちに紾は安心感を覚えた
狭硯 秋悟
「慣れない方がいいですよ。それだけ健康的である証拠です」
言いながら狭硯は、紾から受け取った紹介状に目を通す。そこには黎ヰの名前で、塔沽に診てもらえるよう書いてあった
狭硯 秋悟
「驚いたな、塔沽先生に心理士として受診しに来る人がいるなんて。資格はあっても、なかなか手が空く人じゃなくて…」
人当たりと要領が良い、塔沽は黎ヰ以外には、面倒くさがりで自分中心な人物だと気付かれていない
なので、狭硯からすればあくまでも塔沽は、仕事熱心で休む暇のない名医だ
狭硯 秋悟
「だけど、困ったな。塔沽先生はしばらく、此処へは戻って来ないんですよ」
蔡茌 紾
「そうなんですか。因みにどれくらい不在なんですか」
狭硯 秋悟
「ちょっと待て下さい」
狭硯は、ポケットから小さな手帳を取り出すと、パラパラとページをめくっていく
狭硯 秋悟
「あった、塔沽先生が次に来られるのは…来月ですね」
蔡茌 紾
「そんなに先なんですか!」
驚く紾に、狭硯は苦笑いを返す
狭硯 秋悟
「なにせ、忙しく飛び回ってる方ですから。勤務日でも来るのは稀なんですよ、来月はここで会議があるので必ず来られますよ」
狭硯の言葉に嘘はなく、確かに塔沽は各地や世界を飛び回ってはいるが、勤務日に来ない理由は彼の適度な休暇のせいでもあるのを、この場の二人は知る由もない
蔡茌 紾
(黎ヰの紹介って時点で、覚悟はしてたけど…そんなに凄い人だとは思ってなかった。受付時間も終わってるし、仕方ない黎ヰに訳を話して、明日別の人に診てもらうか)
少し考え答えを出した紾に、狭硯は「そうだ」とある提案を思いつく
狭硯 秋悟
「差し支えがないなら、私が診ても?例の悪夢の日に居た…警察の方ですよね」
どうやら、狭硯は紾を知っているようだった
蔡茌 紾
「悪夢の日?えっと…??」
何の事を言われているのか分からず、目を点にさせる紾に狭硯は説明する
狭硯 秋悟
「先月、ここで起こった怒涛の日ですよ。警察官が病院を囲んで殺人事件の重要参考人を保護し、数十人の人間の毒物検査に追われた」
そこまで言われ、紾の顔がだんだんと引き攣っていく
蔡茌 紾
(そうだった。それにしても、悪夢の日なんて言われてるのか)
思い返してみても、あの一日は悪夢と呼ぶのが一番しっくりくる気がするなと、紾は思った
狭硯 秋悟
「自己紹介がまだでした、私は心療内科の狭硯です。あの日も田文誠吾君を診てたんですよ。確かあなたも、病院内で慌ただしくしてましたよね」
蔡茌 紾
「あの時は病院内の人達に、ご迷惑をお掛けしてしまい、すみません」
狭硯 秋悟
「私は医師として当たり前の事をしただけですよ。それに、田文君からしても良い結果になりました。順調に回復へ向かってますよ」
蔡茌 紾
「田文君がですか、本当に良かった。ありがとうございます」
彼は、アリババによって同級生殺害犯だと思い込まされた被害者だ。言われも無い罪で、世間からも厳しい目を向けられてしまった
狭硯の言葉で、田文が早く日常に戻れるようにと、紾は願った
狭硯 秋悟
「あなたは優しい人ですね」
蔡茌 紾
「え?」
急に言われ、どう答えようか困る紾に狭硯は笑う
狭硯 秋悟
「心理士としてなら、私も塔沽先生に負けてませんよ。どうぞ」
言いながら狭硯は、スマートに紾を診療室へと案内する
話の流れ的に、断るのも変な気がした紾は、流されるままに狭硯の後をついて行くのだった
〜塔沽 二苑プロフィール〜
性別/男 年齢/38歳 誕生日/11月3日 血液型/AB型
好きな食べ物/生チョコ 嫌いな食べ物/豆類
好きな飲み物/コーヒー お気に入りスポット/気分で変わる
経歴/医師免許の他にも、心理士や解剖医などの資格も持っており、幅広く活躍している。また殆どの外国語も理解している天才肌。
性格/容量が非常に良いので、周りからは持て囃されているが、飽き性で面倒くさがりなのを黎ヰには見抜かれている。やりたい事しかやらないタイプ。黎ヰとは知り合いで、良くも悪くも平等主義者。




