第四話「御守りと魔導書」
目を覚ますと、俺は祭壇の上だった。
仰向けの俺の頭上にグレンと並ぶもう一人の神、ミルナらしき者の姿が見える。
しかも鎖で繋がれていた。
ここが死後の世界か……?
俺が右腕を動かそうとするとガチャリと鎖に遮られる。
しかも、暑い。
四十度くらいはあるだろう。
この灼熱の部屋でミルナは何をしようと言うのか。
「目を覚ましたのですね。邪悪なる戦士レナ・ボナパルト……。貴方の持っていた十字の御守りが貴方の肉体を留めるに至りました。今貴方の魂はその木片によって保たれています」
ナオミのくれた御守りがそのような役目を果たしたのか。
俺は台に寝そべったまま、部屋の周りを見渡した。
緑色の篝火が至る所に設置してあり、鎖の先には何か呪印のようなものが描かれている。
一体なんのつもりだ。
俺の鋭い眼光に構わず、ミルナは話を続ける。
「ですがこれは一度っきりです。二度目はありません」
頭上に浮かんで話すミルナは本来美人のはずだが、今は顔は薄黒くて分からなかった。
まるで地獄への案内人のような雰囲気すら醸し出す彼女を、喰い殺すかのような眼光で睨みつける。
「俺をこんな目に合わせたピエロは許せねえ」
「ほら見なさい。貴方は既に邪悪に取り憑かれている……。此処は常闇の神殿の一室。アンデッドの蔓延る場所。緑の石板を見つけ出し、マゼラに帰る事は可能です。だがこれだけは覚えていて。その御守りは無くさないように」
言った刹那鎖はズルリと解け、俺は自由になった。
ファントムソードは壁に立てかけてある。
俺を不必要に痛ぶるつもりは無かったらしいが、半日以上寝返りすら打てない状況は拷問に近いとも言える。
此処は常闇の神殿……。
ミルナ島南部に位置する山を越えた先にある場所。
ミルナ島とは当然神ミルナ・シルバーウィンドの名からきており、大陸の西部に浮かぶ孤島だった。
「さて……」
俺は自身の大剣に手を掛ける。
この世界の神の一人ミルナ……。
試しに斬ってみるか?
いやリスクが大きすぎる。
御守りの効果に次は無い。
暫く攻撃を躊躇っているとミルナは意味深な笑みを浮かべながら消えた。
この神殿の何処かに、サルデア城に通ずる緑の石板はあるはずだ。
俺は部屋にあった扉をこじ開け、狭い通路に出る事にした。
十字架の御守りは肌身離さず持っていて助かった。
元カノとは言え別れ際は曖昧、もっと言えば自然消滅だった。
先を急ごう。
この先に危険が潜んでいるようとも、必ずマゼラに帰ってみせる。
それにしても久々のアンデッドの霊気に、背中のファントムソードが光っている。
通路の隅に座っている骸骨も、もしかしたら動くのか……?
その予感は的中した。
骨が剥き出しになった男が口を動かし喋りだす。
「邪悪な気配……ファントムソードの主は儂の主人となり得る……。この出会いは偶然とは思えん」
此処にいる骸骨は皆サタンの部下にあたるはずだ。
奴の武器ファントムソードは、今は俺の手中にある。
悪魔の剣はここに来て真価を発揮するか。
地獄への入り口とも言えるこの神殿で、俺は着物を着た骸骨を睨みつけた。
所詮は元敵の部下。
エルメスのように裏切る事もあり得る。
「一緒に来るか?裏切りは死に値するぜ」
好奇心が勝った。
アンデッドは一度死んだ者だがその命にも、二度目はない。
再度の死は永遠の眠りにつくとされている。
この俺も、十字架による助けに次はないのと同様、アンデッドにも命の尊さといった概念は存在した。
「そうさせてもらおう。儂はその昔、レノン三世に仕える文官だった。それがハモンの部下に襲われ、死んで気がついたら此処にいたのさ。さあ、悪魔の剣『ファントムソード』を俺に翳しておくれ。きっと役に立ってくれよう」
本当に信用出来るのか……?
いや話が本当なら町で政を任せられる。
ここは一か八か連れてくるべきか。
「おっさん名前は?」
「カイン・クロウだ」
「クロウ家か……」
「何か繋がりでも?」
「いやアンガス・クロウの親友だった俺はクロウ家の加護を受けてさ……。背中から翼が生えるんだ」
「フフ……ファントムソードにクロウ家の加護までも……。お前さんは既に立派な怪物だ」
怪物?
この俺が、コカトリスや八咫烏と同類と言うのか?
たちまち不機嫌になったのを察したのか、カインが目線を下に逸らす。
馬鹿言え俺は人間だ。
余計な事を言うなら斬るぞ?
ファントムソードを握ると、剣先から禍々しいオーラが滲み出ているのが分かった。
「儂を斬るのか?好きにすればいい。この歳で命が惜しいとは言わん。だがこれだけは覚えておけ。死んだお前さんが何故身体を取り留めるに至ったのか。愛の力じゃ……。それを蔑ろにして先に進めると思うな」
愛……。
あの黒髪のハーフエルフの齎したもの……。
俺の殺気はたちまち消え去り、カインを立ち上がらせる為に手を差し伸べていた。
グイッと力を入れ引っ張り上げる。
アンデッドを束ねていたサタンに代わる怪物と言うには、レノン家に仕えている事実が矛盾する。
まあ忠誠というよりは、自身の名声のためだが。
俺はこの名を現実世界にまで持っていく。
歴史の教科書に、この戦士の名を太字で刻む。
その為には魔女の存在も悪くはない。
寧ろ望むところだった。
カインやメリアを利用し国力を上げ、やがては東に侵攻する。
その際は軍の先鋒を任せてもらってもいい。
突き当たりの梯子を登り、やがて俺の手が地上に出た。
草の感触。
常闇神殿の庭に出たに違いない。
「アンデッドは陽の光を嫌うのじゃが……」
「心配するな、この世界は昼でも真っ暗だ。それより石板が何処にあるか……」
と身体を庭に押し上げた時、そこで見たものに俺は息を呑んだ。
ライオンと山羊と……蛇?
マンティコアの名を持つ合成獣は文字通り勇者マンティコア・ライデンのアンデッドになった姿だろうが、一人で戦うのは危険すぎる。
相手の体長は三メートルほどだが、コカトリスとは格が違う。
幸いまだ此方には気付いておらず、庭を行ったり来たりしている。
「レナ、こっちだ!」
聞き覚えのある声がした。
忘れるはずもないこの声の主は……ハーフエルフナオミ!
危険を察知してか、助けに現れてくれたのか。
俺はカインを引っ張り上げ、ナオミの元へと駆け出す。
「いつでも面倒見切れると思うなよ、カイン」
「ひぇぇ化け物が」
その時、マンティコアが此方に気づいた。
そして口から何かを吐き出す。
左から徐々に角度を変える橙色の光線。
追いつかれそうになりながらも、俺たちは決死のダイブでナオミのいる石板の元へとたどり着いた。
身体はたちまち消え、特にカインは安堵につくのだった。
助かったのだ。
ナオミとの七年ぶりの再会。
勇者四人は形を変えこのミルナ島に集結する流れとなった訳だが、俺とナオミの関係は特別だった。
「よう……」
俺は彼女のサファイアのような瞳を見て言った。
「マンティコアがサタンの呪いに掛かっていた。ファントムソードを持ってしても改心には至らないか?」
戸惑うナオミは話を逸らした。
確かにその話は大事だが、俺はお前が助けに来てくれた真意を知りたい。
いやこの感じ……昔と変わっていないか。
変貌したのは俺の方だ。
だがこの世界がある限り、俺たちは何度でも吸い寄せられる。
「先程の戦い……ナオミが居なければ石板を瞬時に見つけ出す事はできなかったな。だとしたら怪物マンティコアにやられていたかもしれん」
「気にするな。助けたのは当然の事だ」
目に力を失ったまま口元を緩める。
カインも沈黙を保ったまま此方を見つめる。
「俺は怪物になったと思うか?ミルナは邪悪に染まったと言っていた。そして俺もそう思う」
「分からないけど、それは関係ない。レナはレナ。七年経った今もずっと気持ちは変わらないよ」
そう言ったナオミは赤面しながら石板の部屋から出て行った。
久しぶりの会話に調子も狂うのだろう。
カインが、お前さんには勿体ない娘じゃ、と呟くのが聞こえた。
大きなお世話だ。
それにまだ復縁したわけではない。
王の間に戻ると銀髪のメリアが泣きついてきた。
「良かった〜!二度と会えないかと思って〜。アタシの責任にされるとこよ〜!」
「ハハ……」
責任問題かよ。
だが変わりなさそうで良かった。
兵も徐々に集まり始めたようで、アルフの両脇にはエルフ兵が待機していた。
「ナオミ殿を追いかけなくてよいのか?」
「追いかけてどうするよ。一人にさせてやればいい」
俺はゆっくりだが確実に活気を取り戻すであろう城下町を見下ろした。
カインはそれ以上言ってこず、王への挨拶に向かっていた。
人材も集まりつつある。
だがマンティコアとエルメスは今のところ敵か……。
四人の勇者の実力は、やはりこの島ではトップクラスだった。
そんな中ナオミとは鎖で繋がれたような、切っても切れない何かがある気すらした。
彼女は変わらない。
俺が黒に例えられるなら彼女は白だった。
だが邪悪もうまく利用すれば、正義にも勝る武器になり得る。
「とは言ったものの……やはり会いにいくか」
ナオミは二つ歳上だった。
七年前は俺が幼くて迷惑をかける側だったが今は違う。
ハーフエルフは城の庭で蝶々を手に止まらせていた。
ペットらしき翼の生えた猫も、芝生に背中を擦り付けている。
「ジェイド……二年前に出会ったんだ」
俺がナオミへの興味を失った頃と同じだ。
だが対面するからには状況も変わるだろう。
ニーンと鳴くジェイドは俺が近づくと、身構える姿勢を見せた。
「変わらねーなお前は。どうだ一緒に空でも飛んでみるか?」
「ジェイドの変身は気まぐれなんだ。それに二人は乗れない」
変身?
ああなるほどね。
だが俺の言ってるのはーー。
漆黒の翼を広げた。
びっくりした表情のナオミだが、特に嫌悪感は示さない。
それどころか「一緒に飛びたい」と告げた。
何故駆けつけてくれたのか。
その理由は彼女を白に例える材料として十分成立する。
俺はナオミを優しく抱えて飛び出した。
小さいままのジェイドが遅れじと、羽を動かし着いてくる。
城の上空に到達すると、近くにアーク・ドラゴンがいる事が分かった。
此方に気づいたドラゴンは襲ってくるどころか、共に飛行を楽しむ様子である。
七年前の、ドラゴンとは違う。
色や大きさは一緒だが俺のドラゴンは雄だった。
とは言え雌のドラゴンは気性が荒いわけでも無さそうで、俺達はサルデア城から、城下町に差し掛かった。
ドラゴンを見て集いだした民が思わず顔を上げる。
「レノン家再興はこれからだ」
呟く。
それにしてもジェイドとドラゴンは仲が良さそうだった。
大中小三つの塊は町を越え、東の砂地に差し掛かる。
このまま行けばナオミの故郷グレンソールだが、飛ぶのにも限界はある。
無邪気に鳥になったみたい!とは言わなかったナオミだが、それでも俺に身を委ねて信頼しているのに変わりはない。
ある意味最高のフライトだ。
「お前の御守りのお陰で助かったよ!」
本当の事を言った。
ナオミの作った木片の魔法。
それはどんな白魔法よりも強力な力を秘めていたのだ。
愛の力。
カインはそう言っていた。
「そろそろ飛ぶの疲れたか?」
ナオミには全てお見通しだった。
砂地に降り立ち、身繕いをする。
ドラゴンとジェイドとは知らぬ間に逸れてしまった。
時刻は夕方過ぎになり、西の森の中と大して変わらぬ暗さとなっていた。
「こんな所に神殿が」
地下の神殿への入り口を見つけ出した。
常闇の神殿とは対照的な光の雰囲気を醸し出すそれは、一見の価値があるかもしれない。
「行ってみよう」
「本当に大丈夫?」
先頭を行く俺に、ナオミが渋々着いてくる。
「無鉄砲なところだけ変わってないかも……」
そんな事言われた矢先だった。
獅子の銅像。
マンティコアとの関連性を促すそれは両脇に添えてあった。
奥には女神を写し出した絵画があり、神秘的な空間と言えた。
ナオミも暫く佇んでいたが、
「もう何もないよ。帰ろうレナ」
と五分もしないうちに回れ右している。
「あ、ああ……」
とそれに従おうとした瞬間だった。
「マチナサイ……」
確かに声がした。
だがナオミには聞こえないのかどんどん彼女は階段を登っていく。
振り返ると絵画の真下に一冊の光る本があるのが分かった。
声も、其処から聞こえてくるように感じる。
魔導書ーー。
表紙にはそう書かれてあった。
俺はナオミに遅れじと慌てて本を持ち帰り、元来た階段を駆け上がって行った。
この本との出会いが俺に何を齎すのか。
それよりも無理して城へ飛んで帰る事を懸念していた俺だったが、これを後に運命的出会いと定義するとは知る由も無かった。