第三話「ナオミブラストの帰還」
ところ変わって深き森ーー。
ナオミ・ブラストは土の感触を確かめていた。
旅人である彼女はレナの元恋人である。
真っ直ぐ伸びた黒髪、サファイアのような瞳、突き出た耳、そして背中の双剣。
二十八歳のハーフエルフは土に残った痕跡を見ただけで何が起きたのかを瞬時に把握するに至っていた。
超人たる能力を発揮するのは嘗て戦士と呼ばれた所以か。
行われていたのは戦士とコカトリスの戦闘。
戦士は剣技「炎帝」を使いこなし、勝利している。
大剣か。
それもかなり慣れてるな。
それだけでナオミはある希望を見出した。
そして落ちてある木片にこびり付いた邪気を見出した時、それは確信に変わった。
「七年ぶりだ」
ニヤリと笑い、パッパっと手の土を払う。
機械化したこの右腕も、まだ役に立つ。
あの男と一緒なら、魔女への抵抗の第一歩を踏み出せるからだ。
「ニーン」
翼の生えた猫ジェイドが、訳ありの様子の自分を気にしているようだった。
ジェイドと出会ったのは二年前で、あのレナ・ボナパルトの代わりに愛でる対象となっていた。
体長は普通の猫と変わらず、翼がある為飛べるのだが、変身能力を有している。
変身後は体長二メートルに達し、炎も吐くのだが、変身は彼がピンチの時しか訪れない現象だった。
毛は白く、人懐っこい性格である。
城へ向かおう。
同じエルフ族の仲間から神秘の秘薬を貰い、生身の身体を手にしたナオミ・ブラストは元恋人に会う決心をした。
いつも優しかったレナが、時折り見せた鬼のような殺気。
それは彼特有のもので、それを表に出すのも特別悪い事とは思わなかった。
コカトリス程の怪物に勝つには己を邪悪に染めようとも仕方がない部分がある。
最悪死が待ち受けているからだ。
お互い変わったかな。
深き森を見渡しながらため息をつく。
照れ臭いという感情はない。
だが会って一言目が思いつかない。
まあ自然と、言葉も出てくるか。
目を閉じ、風に耳を澄ます。
木々の囁きに埋もれて聞こえにくかったが、町からは確かに人の騒いだ気配があった。
此処コカトリスの巣から見えるサルデア城。古びていても尚、この島の中心たる威厳を醸し出している。
ナオミは大陸から北のエルフの集落に逃れ、そこから食べ物を求めて森へ南下した。
鹿は昨日喰らったが、町の者に提供するほどの肉量ではない。
ナオミは人助けを生業にしている。
それは邪気とは対照的な白を連想させる行いだった。
だが勇者ナオミと呼ばれるのは、ハモンという邪悪に敗れた事が相まって違和感があり好きでは無かった。
自身の双剣は今も尚いざという時の為に研ぎ澄ましているが、残念ながら一人では魔女相手になす術はない。
体を擦り寄せてくる、ジェイドを撫でた。
変身すれば彼に乗って城まで移動できる。
だがジェイドがどうするかは気まぐれだった。
(行くか……)
ナオミは断崖絶壁を下り出した。
無理矢理ジェイドは変身させない。
それよりも自身の足で城へ赴く事に意味がある、と考えるようにしていた。
森は、静まりかえっている。
それは覇者コカトリス無き後だから当然なのだが、不気味である事に変わりはない。
ぬかるみに若干足を取られながらも、羽をばたつかせるジェイドと共に先を進む。
朝だというのにただでさえ暗い太陽は木々に遮られ、匂いが無ければ、町を見失うほどの暗さだった。
やはりコカトリスを引きずった跡がある……。
暗いながらもそれを見出したナオミは歩を早めた。
この先に……あのレナが……!
ナオミは町に到着した。
「ニーン」
ジェイドがナオミの頭の上に乗る。
飛ぶのに少し疲れたようだ。
城へと一歩また一歩と近づいていく。
自分の気迫で酒場か宿屋の主人が戸を開けて見に来るのが分かった。
レナの気配はそこには無い。
一流にもなると気配でそこに強者が居るかを予測出来る。
ナオミも例外ではない。
サルデア城。
ひび割れてはいても、流石にこの島の中枢だった。
門を開けた先に待っていたのは銀髪の女と気弱な青年だった。
「あれ?確かにこの城に気配を感じたんだけどなぁ……」
と頭の後ろを掻く。
青年は突然の来客に慌てていた。
「あーん、アタシのせいで勇者二人が死んじゃったかもしれない。この国の誤算だわ。どうしよう」
銀髪の女性の『勇者』という言葉を聞き逃さなかった。
しかも二人……?
ナオミの胸は高鳴る。
「その内の一人はレナだな?もう一人は誰だ?マンティコアか?」
「エルメス……」
嫌な予感がした。
マンティコアなら願ったり叶ったりだが、ナオミは同じ勇者の肩書きを持つエルメスを心から信用してはいなかったのである。
「グスン……」
女性は泣いている。
一人危険を察知して逃げ帰ったからか。
そうなる事は初めから予測済みだったはずだ。
自分を責めるな、と言おうとしたナオミの顔をまじまじと見るにつれて、女の表情は驚きに変わっていった。
「まさか……、勇者ナオミ・ブラスト!」
「そうだ。だがそれよりも玉座に座る青年はエルフの血を含んでいるようだが?」
先程も言った通り、勇者と呼ばれるのは好きじゃない。
そして新国王は何者なのか。
「僕の名はアルフレドと言います。そして彼女はメリア。勇者ナオミさん、レノン家復興に力を貸してくれませんか?」
レノン家の末裔がエルフの血を引いているとな……。
ナオミは心の中で苦笑した。
ロキ・レノンことレノン一世は、奴隷制を推奨した男である。
だが笑っている場合ではない。
レナが恐らくピンチである。
「詳しく話を聞こう。士官するかはそれからだ」
メリアはベソをかきながら事を説明し出した。
「この城の地下にワープ出来る石板があってぇ……北のエルフの集落に皆んなで行ったら二人が帰ってこないんです……」
「心配するなメリア。あの二人は簡単に死にはしない」
と言ってみたものの……内心レナが心配だった。
それにしてもメリアは幼い。
覚悟あってレノン家に仕えてはいるようだが、この世は残酷だという事を彼女は理解しきれていない。
ナオミはエルメスのあの不敵な笑みを思い浮かべた。
思い出す度に背筋がゾクっとする。
「私はエルフの者たちと親交が深い。そしてアルフ、国王自ら集落に赴けば捕らえられたレナたちを解放してもらえる可能性も高まる」
「僕が……役に立つんですか?」
「ああ……レノン家の末裔がエルフの子孫でもある事を知れば態度を変えるだろう」
アルフは喜んで着いてくる……。
それにしてもこの女性は何者なのか。
見たところ大した魔力は有していない……だとすると……ドラゴンの使い手!
ナオミは唇を噛んだ。
この若い女がアーク・ドラゴンとの契約を……。
契約者に現れる右手のアザのような印を見る限りでは間違いない。
「メリア、後でゆっくり話そう。私は基本男嫌いだが、女には甘い」
ハンカチを持つメリアも、流石に泣き止んでいた頃だった。
彼女の銀髪は強力な魔術を連想させる。
本当に魔女に対抗できるかもしれないーー。
僅かな、ほんの僅かな希望が、ナオミの心の奥底で燃え上がった。
だとしたら何としてでも勇者二人を救出しなければ。
特にレナは元恋人である。
「石板の在処まで案内してもらおう」
「こっちです」
木製のエレベーターを降りながら、ナオミはこの世界の行く末を思い描いていた。
メリアのドラゴンとレナ、自分、エルメス……。
後はそれに従う兵が必要だった。
「こんな所に……」
隠し階段を経た先に現れた空間に、四つの石板はあった。
さてこれからである。
メリアは来ていない。
アルフと二人で青の石板に触れ、エルフ達を説得する事になる。
マゼラの町は薄汚れていたが、どこか町の者は活気付き始めていた。
この若き国王の存在がそれを可能にさせるのか。
「行こう」
ナオミとアルフは石板に触れ、島の北端へと移動した。
たどり着いたエルフの集落は、ナオミにとっては一度来た土地で、弓矢を向けられるような事は無いはずだった。
育ちは島の東端の港町グレンソールだが、ここに暮らすエルフ達は勇者ナオミに優しいのだ。
エルフ族の誇りに思ってる者すらいるだろう。
そんな中、レノン家の血を引くアルフの存在は異質だった。
この島に存在した奴隷問題を解決し得る全く新しい存在である。
「皆、聞いてくれ。此処に二人の勇者が来たと思う。それは我々の仲間だ。解放してくれ」
エルフの長老に言った。
だがその答えは聞くに耐えない内容だった。
「道化師の女は消え、金髪の戦士は矢で射殺した。神秘の秘薬を盗み出したからのう……」
「そんな……」
アルフが膝をつく。
だがナオミはそれが信じられなかった。
あのレナが、そう簡単に死ぬはずない。
聞けば死体は消えたようだった。
南でアンデッドになったのか。
信じられないような事態を、ナオミは呑み込もうとしている。
「で、そこの青年は誰ですじゃ?」
「エルフの血を引いた、レノン家の末裔だ」
「まさか」
「いや嘘じゃない。本人に聞いてみろ」
ナオミの喋り口調が男勝りなのは昔からだ。
アルフはモジモジしながらレノン家再興を計画中です、と言った。
「王がエルフの血を引いているとな。これは吉報じゃ。我々の集落から使えそうな若者を登用下され」
長老がそう言ったかと思うと、五十人ばかりの若者が集まった。
これをナオミが訓練すれば戦力になる。
ーーだけど。
レナが死んだんだぞ。
そんな冷静に兵なんか率いられるか?
自分の右腕は機械化しても、心までは機械にはならなかった。
七年前の思い出が、嫌でも蘇ってくる。
昔の記憶ーー。
レナと一緒に現実世界のサッカーを観に行った。
そしてゴールの花火が打ち上がると共にキス……。
忘れられない夜だった。
彼への消えかけていた情熱は再燃しかけている。
例え邪気を帯びようとも世界に一人のレナだった。
その彼が、エルメスの裏切りにより命を落とすなんて。
彼女が逃げなければ、少なくともエルフ達は射殺していない。
せいぜい牢屋に入れられるぐらいだ。
(あの女ァ……)
ナオミは再び唇を噛んだ。
人狼の毛皮で出来た黒い鎧が風に靡く。
勇者レナはそんな悪い奴じゃない。
武器や防具が例え邪悪でも彼は根は優しい人なんだ……。
それがエルフ達には伝わらなかったとでも言うのか。
いや今のレナはもう……。
不意に涙目になっている自分に気づいた。
昔のレナはもう戻ってこないの?
いやこのままでいい。
どんなレナでもいいから彼を返して……!
「……我々エルフ兵五十人は貴方の軍に属します。どうぞ我らをマゼラの城へ……」
アルフは国王でありながら頭を下げている。
それも長老達にとっては好印象といったところか。
木造の家々から集結したエルフ軍を引き連れ、石板の元へと歩む。
だがナオミの心はどんよりしていた。
サルデア城。
五十人のエルフはそれぞれ配置についた。
町の治安が良くなれば、人も集まりやすくなるだろう。
だがそれよりもーー。
あのエルメスが許せない。
そしてレナと二度と会えないなど、素直に頷けるはずもなかった。
「何とかならないのか」
ナオミは城に戻っても落ち着きを取り戻せなかった。
町に占い師がいる可能性は低い。
だがそれに賭けてみるか。
昔はクロウ家の凄腕占い師がレノン三世に仕えていたものだ。
居ないと分かってハッキリした。
レナは今でも自分にとって大切な存在。
十字架の御守り……今でも持っててくれてるかな?
城のバルコニーから町全体を見渡す。
後方で心配そうにアルフが見つめている。
「レナが心配なの?やっぱり同じ勇者だけあって大切な仲間だったのね」
竜使いのメリアだった。
今はまだ魔力含有量は少ない金の卵だが、この国にとってかけがえの無い存在である事に変わりはない。
「元恋人だ……。忘れられるはずないよ」
話していると居ても立っても居られず、一人町へ出る事にした。
頭の上で寝ていたジェイドが、ニーンと飛び立つ。
何にせよ、自分はアルフレド・レノンへの士官を決めている。
だが今は心が落ち着かないのだった。
先日オープンしたばかりらしいアイテムショップ。
品揃えは悪かったが、一目置ける存在のアイテムが一つあった。
千里眼の薬ーー。
飲んだ者は一分の間、千里先まで見通す力を手に入れる。
銀貨七枚と高額だったが、ナオミは惜しむ事なくその薬を買って手に入れた。
さてーー。
レナ・ボナパルトは南でアンデッドになっているのか。
もしそうなら緑の石板に触れて助けに行く事が出来る。
だが南の常闇の神殿は危険度で言うとこの島の中ではダントツか。
勇者としての力量が試される時かもしれない。
昼間なのに空はどんより暗く、烏が舞っている。
ナオミは薬をゴクリと飲み込んだ。
そして焦点を南に集中する。
そこで目にしたものにナオミは絶句した。
「何を見たんだ!?」
店の者が慌て出す。
ナオミは再び城の方へと歩き出す。
そのスピードは今朝の倍と言っても過言ではなかった。