プロローグ
俺の名前はレナ・ボナパルト。
金髪の二十六歳だが七年ぶりにゲートが開かれ、想像世界に舞い戻ったらしい。
ゲート?
想像世界?
まあ無理もない。
ゲートは魔法が作り出した紫色の鎖付きの如何にも、ファンタジーを連想させる代物だったし、
着いた先の想像世界はそれを納得させる剣と魔法が支配する場所だったから。
とは言え七年間で想像世界も様変わりした。
灰色だった空が黒く濁っている。
まるで昼間が無くなったかのように。
当然昼にも関わらず篝火はあちらこちらで見受けられたし、植物も元気がない。
町の近くにあった森も静けさを保った不気味さを醸し出している。
食べ物に困るのも至極当然で、俺は昨日からパン一つ口にしていない。
こんなところに呼び出されていい迷惑だぜホント。
何故かゲートから呼び出されたのは俺だけだった。
海辺を歩いていた刹那、パックリである。
突如姿を現したゲートは何故か俺だけをターゲットにしていた。
一体誰が、何の為に?
真相を探るべく、俺は想像世界の町を散策している。
持ち物は
元カノに貰った木製の御守り
ライオンの鬣で作った首飾り
だけである。
御守りは十字に形取られた手作りの物で、捨てる気にはならなかった。
鬣の主は嘗ての仲間であり、勇者の一人でもあるマンティコアのもので、何処か魔力の高まりを感じさせる所があった。
服装はパーカー姿で、防具など身に付けていない。
敵に遭遇すれば一巻の終わりだった。
「これからどうするかなぁ……」
俺はどんより暗い空を仰いだ。
俺の記憶が正しければここはミルナ島という島のマゼラという町で、元々はサルデアという国が支配していた場所だった。
今のマゼラは通行人一人すら見えず、物乞いが陰でうずくまっているのが見えたっきりである。
「城に行ってみるか」
こう見えても俺は元剣士。
武器でも手に入れば獣を殺し、肉を手に入れる事は可能だ。
それにしてももし巡り会えたら久々の武器とのご対面になるな。
現実世界ではプロとしてサッカーばかりしていた。
運動には自信がある。
あの魔王とまで呼ばれたハモンも身体能力は凄まじかったが、生身の人間なら自分の右に出る者は先ずいなかった。
バク宙ならお手の物だ。
マゼラの歩道を歩くと微かに人の気配がした。
道沿いに木造の建物。
中には確実に人が住んでやがるな。
ドアを開けてみた。
中は八畳ほどの広さで、どうやら酒場が運営されているようだった。
「よう兄ちゃんいらっしゃい」
店主は四十くらいの髭の男だった。
酒場か……。
俺は取り敢えず席に着いた。
無一文だが、情報はこういう場所にこそ集まる。
薄暗いランタンの灯り。
背もたれのない丸い椅子。
まあこの世界の酒場はこんなもんだろう。
「俺は金は無いんだが……」
と話を切り出す。
「昨日から何も食べてない。せめて食料を手に入れる方法を教えてほしい」
俺は向こうではサッカー選手で、髪は金髪ドレッドだった。
試合中ではカチューシャをしており、目立ちたがり屋のサッカー選手の典型か。
「フム……」
と店主は何か考えるような仕草をしていたが、やがて
「西の森には僅かだが鹿もいる。どこの誰だか知らんが腕っ節は良さそうだしな。どうだサルデア城に潜り込み武器でも手にいれてみては?」
やはりそうか。
考えていた事と同じだ。
俺が「そうしよう」と席を跡にしようとしたその時だった。
「アンタ……異世界人だな?」
「そうだ」
俺は正直に言った。
ここで異世界人がどういう扱いを受けているかは知らない。
七年も経てば秩序も変わるだろう。
すると店主は俺の目を見て言った。
「勇者レナに似ている……。言い伝えでは彼は金髪だったはず。そしてその物怖じしない目。間違いない勇者様だ」
「ハモンには一歩及ばなかったが」
「関係ない。勇者様、一杯奢らせてくれ」
店主は奥から特上の酒を持ってきて、グラスに注いだ。
悪い気はしない。
だが酒は苦手だった。
「貴方の所持していた悪魔の剣『ファントムソード』は恐らく今でもサルデア城の宝物庫に眠っています。ありがたや勇者様が来られた」
そばに居たもう一人の客も、握手して下さいと手を握ってくる。
勇者か……。昔は戦士なんて呼ばれ方もした。
「この世界は東の大陸の魔女に支配されています。どうか魔女を倒し、世界に平安を齎して下さい」
なるほど……魔女か。
一昔前の俺なら承諾しただろう。
だが俺は自分の為にしか戦わない事にしていた。
他人の為に生きても馬鹿を見るだけだ。
そう考えるようになったのはいつ頃からか。
今カノと付き合うようになってからか。
現実世界の住人である彼女からは、俺にどう生きるべきかを学んだ。
俺はポケットに入れてある、元カノの手作りの十字の御守りに手をやった。
女の名はナオミブラスト……蒼い眼と長く真っ直ぐ伸びた黒髪は七年経った今でもはっきり覚えている。
「ゆ、勇者様、まさか引き受けて下さらんのか……」
どうやら昔の俺のイメージのままらしい。
「人は変わるものだ。取り敢えず護身のために『ファントムソード』は手に入れておいていいだろう」
俺は更に何か言いたそうな店主に背を向け、木造の店を跡にした。
これから二メートルの大剣「ファントムソード」を手にする為に城へ向かう。
外観は古びた城だが、流石に強敵の根城とはなっていないだろう。
今、マゼラは闇の中にいる。
いや店主の言った通り、世界中が暗黒に支配されているのかもしれない。
知ったことか。
俺は腹が減っているんだ、先ずはそれからだろう。
城の門を開いた。
蜘蛛の巣が張っている城の中は誰も住んでいないようだった。
宝物庫は中央にある祭壇の、地下に眠っているはずだ。
王の間。
所々ひび割れており、中はどんより薄暗かった。
「武器を取りにきたのね?レナボナパルト」
何処からか女の声がした。
姿は見えない。
幽霊だろうか。
「まさか私の事忘れたって?勇者エルメス、ずっと寂しかったんだからぁ……」
と鍵が宙に浮いているのが目に止まった。
どうやら幽霊の姿の道化師が、鍵を持って目の前にいるようだ。
「久しぶりだなエルメス。だが幽霊の姿では戦う事も出来ないだろう」
「御察しの通り〜。私は幽霊になって色々旅した。魔女の正体も、その居場所も……知ってる」
「興味がないな」
「あらそんなの言うと思わなかった。世界を救わなくていいの?レナちゃん」
「俺は自分の為に戦う」
俺は宝物庫の鍵を受け取った。
声だけ聞こえるエルメスと共に、宝物庫への木製のエレベーターを下る。
ズシン。
着いた先にファントムソードはあった。
禍々しい魔力は相変わらずだ。
そしてその隣に……。
「暗黒の鎧。ハモンの部下だったロキが着ていたものよ。合うんじゃない?」
俺は漆黒の鎧に腕を通した。
「あら何も言わないの?七年間でここまで変わると思わなかった」
「お互い様だ」
俺は腕の鎧の結び目を歯でキュッと結んだ。
それにしても宝物庫に金貨は一枚もなかった。
この禍々しい武器と鎧も副作用があるから誰も取らずにここにあるに違いない。
「悪魔への第一歩よ。ああ昔のレナちゃん可愛かった〜」
「フン」
俺は背丈を超えるファントムソードを背中に背負った。
これで準備万全だ。
鎧、特に兜は西洋のものに似ていた。
大剣は攻守に渡って活躍する優れ物だ。
黒の戦士。
後に俺はこう呼ばれる事になる。
「油断ならぬ者」ーー。
七年前と対照的な色を帯びた名だが、気に入らない訳では無い。
これから起きる冒険の数々を、共にしていく装備である。
宝物庫を出た。
さて……これからどうするか。
取り敢えずエルメスが鍵を持っていて助かった。
暗黒の鎧も闇の力を帯びているにしろ、性能は中々なものと見える。
「森に行けばいいんじゃない?その大剣なら相手は鹿じゃなくて怪物になるでしょうけど……」
「コカトリスか」
「あら知ってたの?」
「噂で聞いた事があった。いいだろう、コカトリスを倒しに行く」
西の森の生態系の頂点に君臨する、鳥と蛇の合成獣。
早くも暗黒の鎧が役に立ちそうだ。
俺は名声が欲しい。
そして肉が。
「私は此処に残るわ。死なないでね、レナちゃん」
「ああ」
魔法の使えないエルメスなど、ただのうるさい女だった。
城を跡にし、俺は森の方角へと歩き出す。
昔の記憶。
この森の上空を、竜に跨って飛んだものだ。
竜に認められた者のみが許されるその行為は、勇者レナ・ボナパルトを語る上で外せないものだった。
とは言え今の俺は例え悪党になろうが人生を全うしたい心意義だった。
勇者と呼ばれなくなってもいい。
地面はフニャリと柔らかく、森は霧に包まれシーンとしていた。
霧の中からいきなりコカトリスが現れるのか。
奴も俺を見たら襲いかかってくるだろう。
想像するに、餌とされる鹿すらこの森には少ない。
つまり腹を空かしているという事だ。
この俺のようにな。
ギャアアァ
木の上から烏が飛び立つのが聞こえた。
大剣に手をかけ構える。
この感じ……奴はもう此方に気付いている。
ゴクリと唾を呑んだ刹那、後ろを振り向くと奴はいた。
霧からその姿を現した四メートルの怪物は、一見鳥というよりは竜に似ていた。
灰色の羽毛を纏っており、クチバシや鉤爪は鋭い。
ギィヤァア!!
先程の烏のものとは比較にならない声の大きさで接近してくる。
俺はファントムソードで対応しようとしたが、弾かれ、後方に吹き飛ばされた。
暗黒の鎧はやはり丈夫で、軽症で済んだが、奴の勢いは止まらない。
鉤爪で押しつぶそうとしてくるのを転がって交わし、立ち上がる。
その時、ライオンの鬣の首飾りが光った。
湧き出す赤い炎の力。
俺の左手はみるみるうちに燃え上がった。
これは下級炎属性魔法「フレア」に分類される。
本来魔法を得意としない俺が使えたのは、鬣の主が魔導剣士だったからに他ならない。
俺は左手を振りかざした。
燃え盛る炎の玉。
フワフワと宙を舞い、やがて対象に直撃した。
コカトリスが再び咆哮を上げる。
耳を塞ぎたくなるような音だ。
だが怯んではいられない。
俺は大剣で縦に斬撃を入れた。
弱点である炎属性を喰らい無防備となっていた敵への痛恨の一撃。
俺は確かな手応えを感じていた。
俺は黒の鎧の戦士。
闇の力の使い手だ。
確かなダメージを負ったコカトリスは翼をはためかせ、何処かへ飛び立とうとしていた。
逃すかとばかりに追跡を開始する。
巣の場所が七年前と変わってないなら……あの山だ。
方向からしても間違いなかった。
そして今度は今の俺の最大火力の剣技「炎帝」で焼き鳥にしてやる。
獲物を狙う俺の目は怪物よりも恐ろしいに違いない。
駆け出した。
体力には自信がある。
そしてファントムソードや暗黒の鎧には気分を高揚させる何かがあった。
コカトリス級を狩れるかどうかで一流剣士かどうかが決まる。
数多の怪物が生息するこの世界だが、名を上げるにはもってこいだった。
巣。
俺を見たコカトリスが狼狽えるように声を上げる。
「悪いな。俺は腹が減ってんだ」
翼をはためかせ、風を発生させる相手に、俺はファントムソードで防ぎながら言った。
(闇の力……開放する!)
闇属性下級魔法「シャドーボム」(闇の力を帯びた黒い球体)を左から繰り出しぶつける。
風対闇のぶつかり合いは引き分けに終わり、双方の力は突風と共に弾け飛んだ。
俺はすぐさま次のモーションへと移行する。
サッカー仕込みのスタミナだった。
「炎帝」ーー。
地面に剣を突き刺す形で放たれるそれは、地面からの炎の噴射を可能にする。
この山の上でも、答えは同じ事だった。
「炎属性剣技、『炎帝』!」
文字通り焼き鳥にする威力を誇るそれは、下から湧き上がった。
ギィヤァア!
咆哮も虚しく、四メートルのコカトリスはそこで崩れ落ちた。
勝ったのだ。
七年ぶりの戦闘だったが、既に勘を取り戻しつつある。
日が落ちるまでに町に帰らねば。
俺は巨大焼き鳥を引きずって持って帰る事にした。
どうせ町の奴らも腹を空かしてんだろう。
流石に俺一人じゃこれは食いきれねえ。
恩を売っておいても悪くないはずだ。
待ちきれず、少しばかり斬って食べた。
味付けが必要だ。
俺はペッと吐き出し、店主に塩を振ってもらおうと考えた。
さて持って帰って宴会だ。
あの酒場の店主なら喜んで皆に酒を振る舞うだろう。
何故ならタダで肉が食えるからだ。
俺はジリジリと死体を引きずりながら森を抜け、やがて町の篝火が我々を照らす中、広場に着いた。
店主やその客、物乞いはこぞって宴会に参加した。
店主がもう一人、知り合いを連れてきて、五人での食事となった。
「こんな美味い肉久しぶりです」
涙ながらに訴えながら皆、口々に頬張る。
酒場の店主が塩で味付けしたのでさっきの数倍美味しく感じた。
口の周りが油でベタベタになった頃、幽霊のエルメスの声がした。
「美味しそうな肉ね。ま、私は幽霊だからお腹空かないんだけど」
「………………」
俺は夢中で貪り食った。
丸一日ぶりの食事だ。
「酒を皆んなに」
俺の指示で店主が酒を配り出した。
早くも勇者らしい事をした事になる。
「やっぱり変わってないじゃん」
「そうかな」
俺が姿の見えないエルメスに話しかけるのを皆不思議そうにしていたが、それよりも腹ごしらえが優先されるようだった。
酒も、肉に合う。
日は沈み、完全に夜になった。
元いた世界とは違い、星々が輝いているのが見て取れる。
「ナオミちゃんとは会ってないの?」
ナオミは元カノの名だった。
想像世界の住人だった彼女とは七年間会っていない。
だが幽霊という形なら会えるのか。
確かではないが、非現実的でもなさそうだった。
「今はまだ良いかな……時が来たら探してみようと思う」
ナオミへの想い。
それは二年ほど前から徐々に薄れ始めていた。
だが俺の人生において何処か掛け替えのない役割を果たすであろう人物だという事に変わりはない。
それにしても魔女か。
大陸にも足を運んだ事はあるが、そこでは闇の国家が存在するに違いない。
戦争となれば俺も力添えさせられるのを免れるとは思えなかった。
勇者の肩書きがあるからだ。
店主たちの笑い声が聞こえた。
ま、正義も悪も紙一重でしょ。
嫌いな酒を何とか飲み干し、俺は宿屋で眠りについた。