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第一話:死出の旅へ

メリーバッドエンド企画『#二人だけの閉じた世界』参加作品です。

よろしくお願い致します。




 ──『死神卿』。


 この国の者は誰しもあの方の事を、そう呼んだ。曰く、数多くの女の命を喰らい続けて生きているのだと、異形の女ばかりを侍らせて何百年も永らえている魔人なのだと。


 例えそれらが眉唾ものの噂だったとしても、何人もの令嬢があの城に送られ、そこで命を絶っているのは貴族なら皆知っている紛れも無い事実であった。


 しかし私にはどうしても、あの方を死神などと思う事はできなかった。


 今まで数え切れない程の死を与え続けてきたのだとしても、最期にはこの命の灯火があの方の手によって消される事となろうとも。


 それ程までにあの方は、死神と呼ぶには酷く優しく、余りに尊く、そして──凄絶なまでに、美しかった。


 *


 私の前に立つその方は、熱に霞む私の両眼をその宝玉の如き紅の瞳で覗き込み、そして荒れた頬を慈しむように、そっと大きな手で包み込んだ。


 艶やかな夜を織り込んだ漆黒の長い髪、白磁のように整い滑らかな白い肌、影を落とす繊細な睫毛に縁取られた切れ長の眼。そして中性的な美貌を誇るその顔は、私が今までに見たどんな人間よりも、どんな絵画よりも麗しかった。


 私の紗が掛かった視界を通してであっても、この世のものとは思えぬその美しさは寸分も損なわれる事は無い。


 しかしそれ故に、顔の半分近くを覆う仮面の存在は、否が応にも目立つものだった。


 黒の中にちらちらと燐光の如き煌めきの舞う貴石を磨き上げ、金線で細かな文様の細工を施されたその仮面は、白い肌に馴染みながらもその方の美しさの奥に揺らめく影の如き危うさ、退廃的な魅力をより引き立たせているように思えた。


 紅の深淵を湛えた視線に見詰められるだけで、熱に蕩ける私の思考は益々もって溶け出してゆく。頬を包む手がすいと滑り、長く美しい指が私の顎を支え、そして。


 ひび割れ乾いた私の唇に、形良いその方の唇がそっと、重ねられる。それは思っていたよりも柔らかく、しかし驚く程に冷たくて。


 ゆらり、全身の力が抜ける。


 少しの浮遊感を味わう暇も無く、ふわ、と私はしなやかな腕に抱き留められていた。中性的な印象を裏切る確かな強さに抱き上げられ、成されるがままにその方の胸に身を預ける。


 長患いで枯れ果てた私の軽い身体は、それでもまだ生きているのだと、高鳴る鼓動が胸を打った。


 私の纏う漆黒の花嫁衣装は、繊細な刺繍やレースやフリルが施されて幾重にも紗のドレープが優美な曲線を描いている。しかし見た目よりも随分と着心地良く私を包み込みそして、せめて見苦しくない程度には私を花嫁たらんと飾ってくれていた。私はそれに感謝しつつも、しかし安堵出来る程、気後れを払い切れてはいなかった。


 その方との釣り合いの取れなさに恥ずかしさを覚え、少しだけ身じろぎをすると、優しい力が僅かな感情を持って、私の身体をより柔らかに抱き寄せた。


 見上げると、その方は私の視線に応えるかのように、微かに笑う。まろやかに孤を描く唇が少し綻び、深い色味を湛えた右の瞳が緩く細まる。


 私を抱き上げたままゆっくりと歩みを進める靴音が、豪奢な織り模様の施された絨毯に飲まれて柔らかく消える。私は熱で朦朧とした意識のまま、それでもこの幸せをまだ味わいたくて、力無い手でその方の服をそっと、掴んだ。


 薄い笑みを浮かべたままの唇が穏やかに、言葉を紡ぐ。低く深く響く柔らかな声が、鈍い私の鼓膜を揺らす。絹糸の如き滑らかなあの方の髪が、私の頬を撫で、輪郭をなぞるようにさらさらと流れてゆく。


「私はあなたに与えよう。甘美なる死を、魂の安寧を、そして」


 胸に抱かれたまま、再び唇が重ねられた。私は瞳を閉じ、ただその熱と言葉だけにゆらり、身を委ねた。


「──黄金の、夢を」


 *


 私の病は二度と治らぬものだ、と高名な医師に匙を投げられた夜。お父様は急ぎ手紙をしたため、ある貴族の城へと早馬を走らせた。


 さほど大きな領地は持たぬが地方で穏やかな暮らしをしていた伯爵家、その次女として育った私は、十四を過ぎた頃から強い目眩を覚えるようになった。十五を数えるあたりで体調を崩しがちになり、十六で成人を迎えた時にはもう屋敷から出ることすら希となっていた。


 勿論両親は、何人も名のある医師を呼び寄せては娘の病気を治そうとした。しかし所詮は田舎貴族、都から遠いこの地では治療もままならず、爵位なぞ何の役にも立たぬとお父様は私に何度も謝った。私はそんな家族に少しでも心配を掛けまいと、出来るだけ笑顔で振る舞った。


 されどいよいよ病は私の身体を蝕んだ。そしてある日、かねてから来訪を打診していた国一番と名高い医師が、私の病気を診に向かっているとの報せが届く。安堵の表情を浮かべる両親の笑顔に応えながら、しかし私は胸の内の不安を吐き出せずにいた。


 自分の身体のことは、自分が一番良く解っていた。治らないのだと、もう長くはないと。だから、医師に手の施しようが無いと告げられた時も、さして落胆はしなかった。


 ──そして、その日から私の死出の旅の為の支度が始まった。


  *




数話、一万字程度で完結の予定です。

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