いのり
傷ついて欲しくなかった。
主君であったころの景勝は、ずっと傷ついてばかりだったから。
自分が傷つけたことも、たくさんあった。
だから、誰よりも幸せで居てほしかったのに。
「…ほれ、お汁粉」
何でここでお汁粉選択なんだろう。つくづく春義が読めない時がある。
手渡されればソレを握りこみ、夏輝は一つ息をついた。
その吐息は小さく安息の為につく息で。
「…頬。」
不意に触れられた頬に夏輝は耳まで赤くなった。
春義の少し無骨で不器用な手に息を飲む。
「ちょ、ちょっと転んじゃって…その…」
自分でも随分わざとらしい、でも慌てた声だと思う。
何が気恥ずかしいのか、夏輝には自覚出来なかった。
「馬鹿、怪我すんじゃねぇよ。…心配すンだろう。」
横目で春義を伺い見れば、照れくさそうな表情で、それが夏輝の心臓をより早鐘のように打たせる。
こんな、気持ちになっていいのだろうか。
同時に這い上がってきた不安に、心の隅がちくちくと痛む。
細かい傷のような痛みに、夏輝はいまさらながらに思い出した。
春義はあの告白を受けたのだろうか。
「…春義…?」
聞きたい気持ちは、予想以上に胸を占めていた。
だけれど、聞いてもいいのだろうか?
自分が、春義のそんなところまで踏み込んでいいのだろうか?
そちらを向けば、春義の瞳がこちらを見ていた。
真っ直ぐに心の奥底まで射抜くような瞳は、ただ夏輝の心に熱い。
「夏輝…俺、言わなきゃならないことがあるんだ。」
喉の奥が詰まったように、言葉が止まる。
ダメだ、聞きたくない。
「ごめんっ…」
わけも分からずにただ、許しを請うように夏輝は言葉をさえぎる。
「今日は何か凄く疲れちゃって…明日、小テストあるし、もう寝なきゃ」
我ながらどれほど不細工な言い訳だと、夏輝は思う。
だけれどもう、そんな言葉しか思いつかなかった。
春義の顔が正面から見れない。
「ごめん、ありがとう、お汁粉。」
立ち上がれば笑って振り返る。春義の顔が見れない。
「夏輝…ッ」
名を呼ばれれば、咄嗟に振り返った夏輝の目に、春義の顔が飛び込んだ。
何かを言おうとした春義が言葉を止めたのが見えて、思わず足を止める。
「…おやすみ、いい、夢を」
夏輝を見送った春義は小さく息を吐く。
『ごめん』
わかっている、今の自分が否定されたわけではないことを。
自分は夏輝に、今、告白しようとしていた。それを断られた訳ではない。
そう分かっているのに、胸が酷く痛かった。
焼け付くような痛みは、何処か覚えのあるもので。
だが幾ら記憶を掘り下げても、春義にはそれに思い当たる節がなかった。
「…夏輝…。」
名を呼べば胸が痛い。
ただ誰よりも幸せで居てほしい、それだけが願い。
幼い頃から誰よりも近くで夏輝を見ていた。
だからこそ幸せになってほしいと思う。
守りたいと思う。
傍に居たいと思う。
今日切実に、そう思った。
栗栖の言葉に、自分の想いが改めて誘因されたのだろう。
受け入れてもらえるか分からない思いを伝える勇気を、栗栖がくれた気がしたからだ。だが結局のところ自分は踏みこめなかった。
手も繋ぐ事の出来ない己の不甲斐なさに、辟易しながらも、恋愛マスターと名高い美村に聞くことだけはプライドが許さなかった。
次にチャンスが巡ってきた時に、自分果たして、告げられるだろうか。
違うのだ、と改めて思う。
告げるのだ、たとえどんな風にいわれても。
「よし…」
心に一つ決意をした春義は、漸くその場を後にした。
まだまだ登場人物が出揃っていない状態で、こそばゆい話が続いていますが、もうちょっと堪えてください。主に私が堪えられない、そんな次回は「いつも」