ふるいきおく
古い記憶、懐かしい記憶、辛い記憶、悲しい記憶。
嬉しい記憶。
ふるいきおく
保健室で目が覚めた遠野春義は、何がなんだか、わからなかった。
「何か」を見たところで春義の記憶は途切れていたからだ。
ただ、視界の隅に、確かに夏輝が居て、なんだかとても悲しそうな顔をしていたから、酷く気になって、気になって。
「夏輝…」
名を呟けば、仕切っていたカーテンが乱暴に開かれる。
保健室勤務の美村恵太が顔を覗かせれば、春義の様子を見やり、ほっとしたような息をついた。
「何だ、不良学生、起きたか。休憩所でぶっ倒れたらしいぞ。夜更かしでもしてんのか?」
そうだ、夏輝は?
視線で美村を見れば、途端呆れた顔になった。
「お前なぁ…大丈夫、とか、平気とかが先じゃね?夏輝ちゃんは、何か頬とか色々切っててな、先に帰ったよ。こけたって言ってたけど、どうしたんだか。夏輝ちゃん、運動神経いいのになぁ」
夏輝が怪我をした、そう考えるといてもたっても居られなくなり、身を起こし、帰る、と一言告げれば、本当に美村は肩を落とした。
夜の闇は深い。
夏輝は部屋で1人、電気もつけずに寝台の上に座りこみ、自分の膝を抱えていた。
自分は、誰?
「直江兼続」と言う名前の人が、自分の過去なのだろうか。
懐かしい、そう思える記憶が幾つも断片となって蘇る。
だけど、それは「自分」が体験したことではない。
ただ、一つだけ同じだった。
同じ人が、とても好きだ。
過去の自分の気持ちとは少し違うかもしれない、だけれど、好きだ、と思う。
笹山夏輝は、遠野春義が、好きだ。
直江だった時も、景勝の事が好きだった。
世界で1人の主だと、信じていた。いや、きっと今も。
自分の中の直江という人格は、今も景勝を絶対の主だと思っている。
その気持ちは夏輝に嫌というほど実感できた。
「…アタシは、誰?」
手のひらを伸ばして、薄っすらと月の光が差し込む窓にすかせば、何処か、柔らかい暖かさを感じる。幻触だと感じながらも、それこそが、今の自分だと自覚する。
現実なのだろうか。
そう思っているのだ。
あの成実と名乗った女も、今自分が思い出していることも、何もかも。
大きな気炎を吐く犬、自分の手から現れた弓。
まるで現実感のない出来事は夏樹を酷く不安にさせていた。
そもそも歴史の教科書か、小説でしか見たことのない名前を言われても、現実的にぴんと来ない。
「伊達、政宗…。」
春義は景勝だという。上杉景勝、直江兼続の主君であった男。
自分は直江兼続だと、思いだした。
だが、春義は?
出来れば巻き込みたくない。そう「夏輝」が思う。
春義には平和で、何も知らないまま生きて欲しい。
携帯のバイブレーター音に、夏輝は顔をあげた。
寝台から降りて、机の上に置きっぱなしになっていた携帯を見る。
春義だ。
『夏輝、怪我したみたいだけど、大丈夫?』
短い文に夏輝は涙を浮かべた。
春義を抱き上げようとして、抱き上げることが出来ず、地面に打ち付けてついた傷だ。そう、今生の自分は春義を抱き上げることすら出来ない。背負おうと思ったが、体格差が激しすぎて、仕方なく保健室の美村を呼びにいった。
「…っ春義…」
携帯を胸元に抱きしめれば、そこからかすかに放たれる光が、ただ優しさに思えて。
震える手で「大丈夫」と打ち返す、素っ気無いと、思って、顔文字を入れてみた。
『大丈夫(*`・ω・´)b春義こそ、夜更かししちゃダメだよ。』
返事は直ぐに届いた。
『頬切ったんだろう?ダメじゃん』
あぁ、やっぱり、素っ気無い。
『平気だってば。春義のおせっかい、過保護ー!(*´艸`)』
本当は嬉しいのに、と夏輝は笑う。
『過保護じゃねぇよ、馬鹿。あ、今時間ある?あるんなら窓から覗け』
メールに一瞬手を止めて、夏輝は携帯を寝台に放り投げ、窓を開けた。
眼下に確かに春義の姿が見えて、手にはコンビニの袋を持っていた。






