かいこう
「春義と喧嘩でもしたんか?夏輝」
小谷の言葉に夏輝は顔を上げた。
握っていたペンを落としそうになり、それから笑う。
「何か変な顔でもしてたかなぁ、アタシ。」
長い黒髪をかき上げながら、夏輝は小谷の相も変らぬ勘のよさに感心した。
小谷は夏輝と同じ生徒会役員である。
ただし役職としては小谷の方が、上。
夏輝は会計で、小谷は副会長だ。
性別も女と男だが、2人の仲は良かった。
少なくとも、同じクラスの昼ごはんを一緒に食べる程度の女子よりは仲が良いと自負できる。何処か中性的で、男性と言うよりは柔らかい物腰が警戒心を抱かせないためかもしれないが、夏輝は小谷のことが好きだ。
「夏輝ってさ、何かぐじぐじしてると、髪、すっげー弄るの。」
「…ぐじぐじっていうな。アタシだって…」
あたしだって、何だろう、と夏輝は思う。
春義は、栗栖の言葉にどう答えたのだろう。
お似合いの2人だとは思う。
だけど、だけどあたしだって。
あたしだって、何をしたいのだろう。幼馴染の春義に何をして欲しいのだろう。
あたしのほうが春義にはお似合い?
とんでもない思考が過り、夏輝は思わず言葉に詰まった。
何を考えているんだろう、と思うものの、頬が思わず紅潮して、居心地の悪い表情で小谷を見る。
「…夏輝ってさぁ、ほんっとに、素直だよな」
そういわれると反論するすべもなかった。
「アレ、が、春義君ですか?」
聞きなれた声に葉宮は振り返らずに、あぁ、と小さく答えた。
屋上のフェンスに背を預けた長身の男は、その柔らかい髪をかきあげる。
いつの間にそこに立ったか、夕日を受けながら微笑む様子はまるで一枚の絵のようで。茶けた羽織と、和装の姿は学校には不釣合いで、場違いだが、それすらも馴染ませるような独特の色合いは、ある意味特筆すべきことかもしれない。
屋上から見下ろす位置に存在する、生徒会室近くの休憩所で、別段焦る様子もなくまるで忠犬のように、夏輝の帰りを待つ春義を、葉宮は眺めていた。
「試してみても、いいんじゃないですか?」
声は静かだが良く通り、葉宮の耳をくすぐる。
その言葉に振り返り、葉宮はその端整な表情に厳しい色合いを載せた。
「…もう少し、様子を見るべきだ。」
声には何処か緊張が含まれ、重い声色に変わり、普段からきつい印象が更に重みを増す。
「貴方は彼らに少し甘すぎます。使い物にならなければ、困るのは貴方なんですよ?」
柔らかい表情とは裏腹に、吐き出される言葉は辛辣そのもので。
「…真貴…、承知せんぞ」
相手が何をしようとしているのか、葉宮には大体の想像がついた。
随分長い付き合いのうちで、この男の特性は理解しているつもりだが、読めぬところはまだまだ、山ほどある。
「…承知も何も、僕が何もしなくったって、何れ時は、訪れます。早かろうが、遅かろうが。」
笑う姿は柔和そのものなのに、何処か狂気させ含んだように感じる相手の言葉に、しかし葉宮は言葉を止めざる得なかった。
それが事実であるがゆえに。
夕暮れと言うよりは既に夕闇。
思ったより生徒会の仕事が長引き、既に6時を回った校内は人影も疎らで、クラブの帰りであろう、ジャージ姿の生徒達が僅かに視界に入る。
「随分遅くなっちゃったな…春義…待ってる、かな。」
声は小さい。自分の自信のなさをあらわしているかのようで、夏輝は思わず眉を顰める。同時に春義にいつも「眉を寄せるな」と叱られる事を思い出して、慌てて眉根を自分の指先で押し伸ばす。
同時に暗闇の迫った自動販売機だけが設置され、おざなりな椅子が置かれている、生徒からは余り評判のよくない休憩所に居る春義の姿を発見した。
ただいつもと違う様子に夏輝は足を止める。
呆然に近い表情で何かを見上げる春義に、夏輝は視線を動かした。
何か居る、春義の前に何か。
立ち尽くした春義の前に居たそれは、生き物ではなかった。
それが何か、夏輝はわからなかった。
大きな犬のような形をした、それは、でも、犬ではなかった。
口から吐いているアレは、気炎か。
真っ白な犬の形をしているそれは、口から立ち上る気炎を吐いている。
「春義っつ!」
叫べば、春義が身を強張らせ、それを見上げる。
それ、が春義を見た。
咄嗟に足が出た。自分でも一体何が起きているのか、そんな簡単なことを把握する前に足が出て、春義の前に、飛び出る。
どんなことがあっても、この人を、私は守る。