かいな
「春義が思い出さないのは、結構だ。だが、狙われるのは、アイツも同様だからな?」
続いた言葉を抱きしめて、夏輝は休憩所へと急いだ。
随分と春義を待たせてしまっただろう、きっと律儀な彼の事だから、待ち尽くしているに違いない。夕闇の迫る渡り廊下を足早に歩く。
遠くに見えた春義の姿に、夏輝は漸く一息を吐いて、口元が上がった。
どれだけ、今まで重かったであろう、肩の荷が一瞬でも下りたようで、足取りも自然軽くなる。気持ちが楽になれば、これほど違うのだと、心の底から思う。
「それで、春義クンは、どう思うの?」
だからその声を聞いたときは、心臓が飛び跳ねるかと思った。
栗栖の声だ。
甘い、何処か柔らかい雰囲気の声は聞き間違えることなどない。
「…どうって。」
「だから、好きか、って事よ。」
あぁ、アタシはどうして、
こんな風な時にばっかり、出くわすのだろう。
「…はっきりして、って。」
耳を塞いでも聞こえてくる声に、夏輝は目も一緒に閉じた。
それで全部が見えなくなるなら。
それでも何もかもがわからなくなるなら。
あー!全部全部、感じなくなればいいのに。
小さな頃から、いつも手を引いてくれた貴方。
その前も、俺の手を引いてくれた貴方。
過去の記憶と今の記憶がごっちゃになる。
朝、手を引いて歩いてくれた貴方の背中を思い出すのも、ただ胸が痛い。
わかっていた、いつかこんな日が来ることを。
忘れていただけだ。いや、忘れようとしていただけ。
過去も未来も永劫に、貴方と結ばれることなんて、ないって事を。
見なかった、私は何も見なかった。
「あれ…夏輝ちゃん?」
栗栖の声に夏輝は漸く顔を上げる。
貴方の腕に、抱かれてたい。
これ程そう思った事はなかった。
「夏輝…」
春義の声が遠い。幼い頃からずっと一緒に居たはずなのに、春義の事が全くわからなくて。
心の中に抱えた思いを全部ぶちまけてしまえば、どれ程楽だろうと思った事も確かにあった。だが、それが叶わなくても、傍に居ることが出来れば、それだけで幸せだと思っていた。
なのに、この胸を突いて奥から這い出てくる想いは、多分、もう堪えきれない。
「おい、夏輝?」
言ってしまう、寂しいから。
今、春義に抱きしめられたら言ってしまう。
全部吐き出して抱きしめて、って。
言わないでおけるのなら、言わないでおけるほうがいいのに。
古い記憶を思い出して、バカみたいな戦いに巻き込まれるぐらいなら、黙っていた方がいいのに。
貴方が好きだなんて、抱え込んだまま消えてしまえば、いいのに。
「夏輝お姉さま。」
それを打ち壊したのは一つの、声。
後ろから、何処か柔らかい布のように、抱きしめ包まれる。
「やだなぁ、春義。夏輝お姉さまを苛めないでよ。」
夏輝はその声に、動作に、仕草に覚えがあった。
長い黒髪が夏輝を覆いかぶさるように後ろから、振って来る。
「苛めてなんか…」
「苛めてるじゃないか、ほーら、若いお二人さんはそっちで睦みあいしてたら?夏輝お姉さまは僕と戯れるから。ね?お姉さま。」