いくみち
「伊達はお前の事の気に入っているようでな。お前が目覚めれば楽しい事になるだろうと豪快に粉をかけにきたわけで。」
「…迷惑です。」
古い記憶を手繰れば、確かに彼の事は覚えていた。
伊達成実の方は生憎、記憶になかったが、伊達政宗と言えば、何かと構ってきていたような気がする。
しかし、それ以上は定かではない。
やんわり、ふんわり、それ以上の記憶は、しっかりとは浮かび上がらなかった。
「…あんまり覚えてないんですけど。」
言葉を返せば、さらに葉宮は豪快に笑った。
余りにも笑いすぎて、思わず座っていた椅子ごとひっくり返るところで。
こんな風に笑う葉宮は初めてみたが、此れが「前の自分」の影響という奴なのだろうか?それとも、元々こういう人が、生徒の前では大きな猫をかぶっていただけなのか。夏輝はほんの少し考えて、それを放棄した。
せんないことだ。
「はっつ、はーっつ、お前、結構酷いな。あんなにご執心の奴を覚えてないってぇ?!」
大きな声で、ゲラゲラと笑う葉宮を見ながら、夏輝は思わず渋い表情をする。
酷いと言われても、憶えていないものは仕方ない。
「…例えば「わたし」、例えば、「オマエ」。その全てに意味のないものはない」
笑いながら、目に涙を浮かべながらも葉宮の指先は夏輝へと滑る。
何処か艶めいたそれは、目の前で止まり、ほんの少し額にふれて、引かれ、葉宮の赤い唇へとすべり戻った。
葉宮は笑っている表情を引き締まれば、両の手を大袈裟に広げ、夏輝を見て、首を傾げ、台詞の先を無言を言葉に代えて問いただす。
「あらゆるものに、そこにある理由が存在する。他愛もない、理由であれ。オマエが春義の傍に居るように。」
言葉の意味を一瞬理解できず、夏輝は何処か間の抜けた顔で相手の顔を見て、それから一気に耳まで赤くなり、思わずそのまま立ち上がり激しく抗議した。
「いやっつ、そ、それは幼馴染で、あ、アイツがいっつも頼りないっ、からっ」
「いやいや、それは良いんだよ。別に訳は聞いちゃ、ネェから。」
からかうような表情に、漸く夏輝は自分が遊ばれているのだと気がつけば、椅子に乱暴なぐらい勢いよく腰を下ろした。
怒っていても仕方ない、逆上しても仕方ない。
手玉に取られているのは、まだまだ自分が「子供」なせいだ。
精一杯己に言い聞かせて矜持を保つ夏輝を葉宮がちらりと見て、笑った。
しかも薄く。全部見通しているよ、とでも言うように。
一気に顔に血が上り、再び椅子から立ち上がりかけた夏輝に突然の声がふって沸いた。
「おい、葉宮、話終わった?」
扉が開かれれば、そこにいたのは保険医の美村恵太の姿があり、思わずぎょっとする。
春義とは結構仲が良かった、と記憶しているが夏輝自体は、余り喋った事もない相手で。思わず、今の話を聞かれたのではないか椅子から少し腰を浮かせれば、こちらを見た美村は懐かしい表情で破顔した。
「久しぶりだな、直江。」
その声に瞬間瞬き、理解する。
これが、「わかる」という事か。
相手が誰か、一瞬にして理解して、それから納得する。
「…慶次…?前田慶次郎か?」
驚きと、それに続いて懐かしい相手への喜びに、夏輝は頬を緩めた。
嘗て、同胞として景勝に仕え、そして、生涯の友であった、男に再び出会えたのだから。
「説明はしたのかよ?何か、ほれ、長ったらしくてややこーしぃ。」
「おう、まぁ、簡単にだがな。…つーか、オマエがしろよ、俺より、直江とは親しいだろうが。」
めんどくせぇ、とこともなげに言う美村は、懐かしい男の姿を直ぐに連想させる。
別段性別が変わるわけでもないのだなぁ、と改めて思ってから、変な取り合わせだなぁ、と思考がずれていく。
織田信長と、前田慶次郎と、直江兼続。
「…こん中だと先生が一番メジャーですよね。」
「…そういう問題でもなかろうよ。ともかく、気をつけろよ、夏輝」
帰って良いぞ。といいながら片手を揺らす葉宮の継いだ言葉に夏輝は眉を潜めた。葉宮と美村、どちらの顔も決して冗談を言っているようには見えなかった、が冗談であってほしい、言葉。それを耳に聞き届ければ思わず息を飲んで、夏輝は小さく頷くのが精一杯だった。
「オマエはもう、秘物を争う戦いに巻き込まれてしまった。そして参戦したとみなされている。…一人でも競争者を追い落としたいと思うものは、たくさん居る。気をつけろ。」
不吉な言葉に、夏輝は思わず立ち尽くす。
「気をつけすぎても、悪い事はない。」