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ドロシーは、上掛けだけを纏い、ランタンを手に急いで出かけた。
暗闇を笛の音を頼りに進む。
月明かりとランタンの灯り。
とても心細い状況にありながらも、ドロシーの胸は高揚していた。
街を一望出来るカタルナの丘。
遠くからきた楽団の彼は知らなかったのかもしれない。
その丘が悪魔の住む丘と言われている事を。
しかし、その忌まわしき噂のある丘に佇み、月光を浴びながら横笛を吹く彼は非常に美しかった。
「来てくれたのですね」
奏でていた旋律を止めて彼はドロシーの方へ振り返った。
「貴女に届けば良いと笛を吹くしか能の無い男だと笑ってくれて構いません」
苦笑を浮かべる月の使者の如く美しい青年。
ドロシーは、一歩足を踏み込んだ。
「いいえ、笑いません。貴方を想って胸を痛めるばかりの私をお笑いにならないのなら」
二人は手を取り合った。
男の名は、ウルズといった。
幼い頃に孤児であった所を楽団員の一人に拾われ、育てられたという。
名付け親も楽団員であるそうだ。
ウルズは孤独な男であった。
いつも楽団の一員として皆と寝食を共にしてはいるが、幼き頃に親に口減らしの為に捨てられた記憶が染み付いて離れないと漏らした。
その孤独がもたらす影がウルズの魅力を引き立てているようだった。
彼の孤独を癒したい。
浅はかにもドロシーは婚約者が居ながら、あっさりとウルズに身体を委ねたのだ。
楽団は、一週間程ドロシーの住まう屋敷に滞在し、去って行った。
ウルズは四ヶ月後に再び来る事を約束してドロシーを置いて行った。
ドロシーは、初めての燃え上がるような恋に己を忘れ、溺れた。
ウルズが去ってから次第に引きこもるようになったドロシーを皆が心配した。
勿論カーティスも。
その頃になると、ドロシーはカーティスの来訪を断るようになっていた。
ドロシーの態度に普段は温厚な父でさえ難色を示し窘めもしたが、それすらもドロシーを頑なにさせる要因にしかならなかった。
図らずも、父やカーティスという障害がドロシーの秘密の恋を燃え上がらせる燃料になってしまったのだ。
そうして再びウルズが来ると約束した四ヶ月後、ドロシーは激しい吐き気に苛まれ、妊娠を自覚した。
愚かなドロシーは、愛するウルズとの子を成せた事に喜び、約束の地へと夜更けに向かった。
悪魔の住処———カタルナの丘へ。
その日は月の無い夜であった。
真っ暗な灯りの全く無い道をランタン一つ灯して心細く歩いて行く。
カタルナの丘には先に着ていたウルズが笛を吹いていた。
ドロシーに気がつくと、ウルズは吹くのを止めた。
「会いたかった、愛しい人」
ウルズは繊細な指先でドロシーを誘うように抱いた。
そしてドロシーは愛するウルズの喜ぶ姿を思い浮かべながら、妊娠の事実を告げた。
「妊娠?君が?まさか僕の子だとは言わないだろうな」
ドロシーはショックの余り呆然と立ち尽くした。
ウルズは何を言っているのだろうか。
理解の及ばない状況に、ドロシーは困惑した。
「確かに初めて身体を重ねた時は君は清い身体ではあったが、僕の居ない四ヶ月に何も無かったと信じられると思うかい?」
そんな馬鹿な、と言いたいのに声が喉に張り付いたように出ない。
「君が結婚すれば、カーティス様の夫人になる。今時貴族より金を持った貿易商をパトロンに出来れば好きな作曲業が軌道に乗るかと思ったから手を出したんだ。処女を奪っただけでも冷や汗をかいたというのに、妊娠なんて。計画がご破算だ。君にはがっかりだ」
吐き捨てるようなウルズの物言いに、ドロシーの
腹部が痛みだす。
呻き声を上げるドロシーを見下ろすウルズは醜く顔を歪め嘲笑していた。
絶望感がドロシーを飲み込もうとした時、カーティスが現れた。
驚いたウルズが、その場を逃げようとすると、カーティスが鬼のような形相で睨み付ける。
「カ、カーティス様、どうしてここに?」
狼狽するウルズを留めてカーティスが叫ぶ。
「全部知っていた。忌地といえど、丘の上などで我が妻になろうとするドロシーを弄んでいる貴様をずっと知っていた!愛するドロシーが貴様に汚される様を人払いしながら見ていた俺の気持ちが分かるか!」
ドロシーは衝撃を受けた。
カーティスはそれ程までに深くドロシーを愛していたのかと。
何という事をしてしまったのだろうと、己の罪深さに恐怖した。
カーティスとウルズが揉み合うが、明らかに非力なウルズをカーティスが首を締め上げていた。
カーティスがドロシーなどの為に、ウルズのような下衆な男を殺してしまう。
耐えられずにドロシーは思わず悲鳴を上げた。
「カーティス!!やめてーーーっ!」
ぐったりと力無く横たわったウルズから離れて立ち上がったカーティス。
幽鬼のように音も無く振り返ったカーティスは、一筋の涙を流していた。
「そんなにこの男を愛しているのか。……俺をその一欠片でも愛してくれたなら」
ランタンはいつの間にか倒れていた。
ドロシーは、極度の緊張状態と腹の痛みで気を失った。