紳士を言いくるめる2
「貴方も知っているでしょうが、我が国の産業基盤は貧弱で脆弱です」
「十分大国だと思いますが」
「お世辞、ありがとうございます」
そう言うと、イギリス大使は変な顔をした。
「例えば、漁船。沖に行く船に、未だ手漕ぎや帆に頼ったものがあります。例えば、車。田舎に行くと、そもそも車を見たことが無い人がいます。例えば、鉄道。必要とされている場所に十分に走ることが出来ていません」
「貴国の産業基盤が弱いことは良く分かりました。それと、培養ディーゼルが我が国にとって利となる理由が繫がらないのですが」
イギリス大使は首をかしげる。私は苦笑して説明を続ける。
「貴国のような、真の大国の国民は理解出来ないでしょうが、我が国で工業化が進まない背景には、機械を動かす電気や燃料がまだまだ高い、という面があるのです」
「……なるほど」
イギリス大使は頷いたものの、納得はしていないようだった。
「市井では、電気が通っていたとしても、『電気代が高いから』と夜間電気をあまり付けない家もあります。エンジンを積んだ漁船でも、燃料を節約するために櫂を積んでいる船も珍しくありません」
「つまり、燃料の高価さが、貴国の市民の生活を圧迫している、と」
「否定はしません。工業化が遅れて貧乏なままだからこそ、燃料代を用意出来ない、とも言えますが」
「工業化が遅れているから貧乏。貧乏だから工業化出来ない。卵が先か鶏が先か、ですね」
「そうですね」
そろそろ、言うか。内心、ひっそりと覚悟を決めて、誰にも言ったことの無い、私の目的を言う。
「私が研究を始めたのは、そんな我が国の現状を変えるためです。貧乏で機械が用意出来ないなら、貧乏でも買える程機械を安くすれば良い。機械を買っても燃料代に困るなら、困らない程安い燃料を用意したら良い」
そして、次の大戦に備える。これはわざわざ言わないけれど。
「そうして貧乏を抜け出すことが出来れば、それまで貧乏で購買層にいなかった人達が市場に加わります」
「回りくどい説明ですが、理解しました。安価な燃料を用意することで、市民に様々な商品を買えるだけの経済力と余裕を持たせる。そうなれば、日本という市場は拡大し、我がイギリスの利益も増える、と」
「我が日本は、どうしても資源を輸入しないといけませんからね。貴国にとっても、損な話ではないでしょう?」
「気の長い話ですがね」
何となく、二人で笑い合う。
「……分かりました。本国には、成長する市場を潰さないよう、伝えておきます」
「ありがとうございます」
ひと段落付いた。ほっと息を吐くと、「ところで」とイギリス大使は切り出す。
「その、培養ディーゼルの技術は、我が国に売れますか?」
商魂たくましいなあ。見習わないと。感心しつつ答える。
「我が国の陸海軍に許可を取る必要がまずあるんですけれど。それ以上に、培養ディーゼルには大きな欠点がありまして」
「それは気になりますね」
微妙に前のめりになったイギリス大使に、苦笑しつつ答える。
「培養ディーゼルの核となる、植物性の細菌なのですが。ディーゼルの生成量が多い株程、増殖速度がゆっくりなのですよ」
「つまり?」
「つまり、現在手持ちの細菌の中で、利益を出せる程ディーゼルを生成するものは、新規で売れる程増えていなくて……」
信州研究所や日本政府の間で、結構な問題となっていることだ。今が冬で、寒い、ということもあって、新潟培養ディーゼル生産所に納品しないといけない量まで、ユーグレナ・オイリーの高ディーゼル生成株が増えてくれないのだ。生産所の建設が遅れていなかったら、大変なことになっていたかもしれない。
「まあ、相手は細菌ですからね。生きているもの相手なら、仕方ないでしょう」
「ええ。なので、陸海軍を説得して頂けたとしても、そこから培養ディーゼル技術を売れるようになるまで、かなり待ってもらうことになるかと」
「分かりました。すぐに購入出来ないことは残念です」
イギリス大使は肩をすくめた。
(言い方的に、諦めてないなあ)
まあ、その方がありがたいのだけれど。