紳士を言いくるめる1
《千九百二十八年二月十二日 東京》
「初めまして、**所長」
イギリス大使は、開口一番そう言って右手を差し出してきた。
(油断出来ないなあ)
私が女の子だからと油断してくれる相手ではないようだ。これは手強そうだ。
「よろしく」
差し出された手を握り、柔らかいソファに座る。ワンテンポ遅れてイギリス大使が座ったのを確認してから、用件を尋ねる。
「それで、私に何の用かな?」
「貴女、というよりも、信州研究所に用がありまして」
「ほうほう」
さてどれだ? と内心ワクワクする。
「まずは、貴研究所の開発した金属再結晶化施設なのですが」
「はい」
「それを我が国、いえ、我らイギリス連邦にも売って貰いたい、という声が多くありまして」
「なるほど」
流石紳士の国。私の予想していた中では良い方の手だ。
「我ら連邦の鉱山に、金属再結晶化施設を建設して頂けないでしょうか?」
当然、答えは決まっていた。
「すみませんが、今すぐは無理です」
「それは何故ですか?」
イギリス大使は、特に声を荒げることもなく尋ねてくる。
「まず。現在建設、稼働している金属再結晶化施設は、実証実験の面が強いのです。実際に施設を稼働して問題は出ないか。逆に予想外の良い効果は無いか。そう言ったことを洗い出すために、まだ日本列島の中でしか施設は建設しません」
「まだ、ということは、今後は日本の外に建設する予定がある、と?」
まあ、この程度の言い回し位気付いてくるよね。
「はい。少なくとも、釜石と足尾の施設を一年は稼働させ、情報を集める必要がありますが」
「……なるほど。では、それが終われば、我が連邦に施設を建設出来る、と」
「私個人としては、イギリス連邦だけでなく、フランスやアメリカも狙っているのですが」
わざとらしくため息をついて、すぐには同意出来ない最大の理由を述べる。
「残念なことに、我が研究所の最大の出資者は、我が国の陸海軍なのです」
「……つまり、スポンサーを説得する必要がある、と」
「おっしゃる通りです。なので、我が研究所の開発した技術を使いたい場合は、まず陸海軍を説得してください。その後、十分な信頼性を確保出来ると、私が判断したものは、喜んで販売します」
「なるほど。それで内務省や外務省の方々と話をしてもはぐらかされた訳ですね」
うんうんとイギリス大使は納得していた。
「まあ、そういうことですが、ここから陸海軍を説得して、また私や信州研究所の担当者と話し合う、なんて無駄な手間ですから、他に話があるなら聞きますよ?」
「……では、本国からの警告を伝えましょう」
警告、ということは。培養ディーゼルかな?
「警告?」
思い当たる節が無い、といった風情で首をかしげると、イギリス大使は「はい」と答える。
「培養ディーゼル。確かに素晴らしい技術ですが、我々の市場に参入するつもりなら、やめた方がよろしいですよ?」
「言っている意味が分からないんですが」
彼らの懸念を理解はしている。だけれど、それだけでは話し合いにならないので、すっとぼけてみせた。
「聡明な貴女のことですから、理解はしているでしょう?」
うわあ恐喝だ。何か楽しい。
「何をですか? 化石燃料の生産効率を上げるだけの技術を貴国が恐れる理由は無いと思うのですけれど」
さて、この『言い訳』、理解したかな? イギリス大使の呆けた顔に笑いたくなるのを堪えていると、彼は顔を引き締めて尋ねてきた。
「……どうやら、私が貴国から受け取った資料と、貴女の話す技術は別のもののようです。貴女方の発明した培養ディーゼルについて、説明をして頂いてもよろしいですか?」
「喜んで」
嬉々として説明を始める。
「私達が培養ディーゼル、と呼んでいる技術は、とある植物性の細菌に光合成を行わせ、ディーゼルを得る技術です」
「そこまでは、私の受け取った資料と一致しています」
「なるほど。で、この細菌に光合成を行わせる際、必要となるのは、十分な日光と炭酸ガス、微量の窒素酸化物です」
「……そこも、一致しています」
「で、資料にはわざわざ書きませんでしたが、炭酸ガスは何から得ているでしょうか?」
「それは…………!?!?」
理解したか。日本の大臣より理解力があって助かるよ。
「……現在、市場に出回っている炭酸ガスは、石油由来です」
「付け加えると、研究中の火力発電所の排気から炭酸ガスを取り出す技術も、燃えて炭酸ガスとなっているものの元は石油、石炭、天然ガスのどれかです」
「つまり、培養ディーゼルは、造るのに化石燃料が必須なのですね?」
「はい」
それは、大臣達が、私にわざわざ言いくるめられるまで気付けなかったことだ。木質由来の大型火力発電所でもあれば話は別だけれど、そんなものは『今は』無い以上、炭酸ガス源として化石燃料は必要だ。
つまるところ、培養ディーゼル、というのは、今のままでは、化石燃料を精製、使用する過程で捨てていたもの(炭酸ガス)をディーゼルにする、というだけの技術でしかない。それでも、この時代では革新的なものなのだけれど。
「そして、培養ディーゼルでは、どうあがいても我が国の必要とするディーゼルの量を賄えません。確かに、輸入ディーゼルよりは安いので、市民は石油ディーゼルよりも培養ディーゼルを購入するでしょうが」
「それもよろしくないのですが」
「? 何故ですか? 貴国にとっても利となる話ですが」
イギリス大使は理解出来なかったようだ。
さて、第二ラウンドだ。