その頃のエルサレム
一九一七年のバルフォア宣言にて、イギリスからの後押しを受け、パレスチナに移民をしていたユダヤ人達は、一九二九年四月二十日の『ドバイ演説』から始まった『楽園運動』に困惑していた。
『地上に楽園を』
そのスローガンの下、中東の人達が民族、宗教に宗派を越えて、中東の発展へと融和、協力し始めていたからだ。実際、一九二九年七月十六日には、トルコとイランではクルド人自治区が出来ていたことからも、それだけ『融和』に躍起になっていたことが分かる。
この楽園運動の影響は、当然ユダヤ人達にも及んでいた。水面下ではあるが、パレスチナの一部に、ユダヤ人自治区が将来的に造られる動きが出ていたのだ。
この動きは、何故かユダヤ人の間に漏れ。
そしてユダヤ社会を分断した。
「自治区といえど、安住の地が出来るなら、それで良い」
中東に古くから住んでいたユダヤ人や、諸外国に生活基盤のあるユダヤ人達はそう思った。ただ自治区が出来る上に、アラブ人等の協力も得られるのだ。それ以上は求め過ぎと言えた。
「自治区では足りない! もっと権限と領土を!」
バルフォア宣言以後にパレスチナに移住した多くは、そう思った。二千年も、ユダヤ人は流浪の民だったのだ。自治区程度では、その恨みは果たせないと、彼らは考えたのだ。
その思想の違いが、惨劇を生む。
《一九二九年八月十五日 イギリス委任統治領パレスチナ エルサレム》
「壁は我々のものだ!」
ユダヤ教の断食の儀式である、ティシュアー・ベ=アーブの最中に、大イスラエル主義の青年運動組織であるベタルのメンバー百十三名が、突然『嘆きの壁』に集まり、そう叫んでシオニスト運動の旗を掲げた。
唖然とする多くのユダヤ人とアラブ人を尻目に、ベタルのメンバーはシオニズムの讃美歌を歌う。
「おい何やってるんだ!?」
そんな中、唖然としていたユダヤ人の男が、突然訳の分からないことをやりだしたベタルのメンバーを窘めようとした。
「そんなことをしなくとも、壁は我々のものになる。落ち着きなさい」
『壁は我々のものになる』。エルサレムが自由都市になるのは、公然の秘密となっていた、ユダヤ人自治区の話から明らかになっていたことだ。そして自由都市になったエルサレムでは、嘆きの壁であろうとどこであろうと、自由に祈りを捧げることが出来る予定だった。
しかし、ベタルのメンバーはその発言に激昂し、窘めた男をぶん殴った。
「日和りやがって! この裏切り者が!」
「何が自治区だ! 我らの『約束の地』はそんなに狭くない!」
「『楽園』? そんなもの知るか!」
その発言に、アラブ人が激昂する。その直前。
「ふざけたことを抜かすな!?」
唖然としていたユダヤ人達が、激怒した。
「足るを知れ!」
「この地に暮らすアラブ人はどうなるんだ!?」
「『地上に楽園を』!」
そう反論されたベタルのメンバーは頭に血が登り。
「裏切り者は死ね!」
同胞の筈のユダヤ人達に、隠し持っていた拳銃を向け、発砲した。
血と悲鳴が上がる中、人の多さに逃げることも出来なかったユダヤ人を守るように、アラブ人達が盾となり、何人かは持っている短剣で切りかかった。
この動きに、統治者たるイギリスは大いに慌てることになる。
ベタルは、イギリス政府から秘密裏に支援を受けていたのだ。発砲に使われた拳銃も、その支援の一環として配られたものだ。
当然イギリスは、『壁は我々のものだ!』という抗議行動を取ることも知らされていた。イギリスは、ベタルをコントロール出来ていると思っていた。
だが、現実は違った。
ベタルは、護身に使う筈だった拳銃で同胞のユダヤ人を殺した。そして、殺されるユダヤ人を守ったのは、敵対していた筈のアラブ人だった。『分断して統治せよ』というイギリスの植民地支配の基本方針が、機能不全を起こしていることは明らかで、ベタルをコントロール出来ていないことも明白だった。
おまけに、今回は自分が支援した側がテロルを行ったのだ。死んだユダヤ人の中には、イギリス本国の国籍のものもいた。
ここでイギリスは、中東の統治政策を転換する羽目になる。
『嘆きの壁の惨劇を忘れるな!』
そのスローガンの下、ベタルを始めとする、過激なシオニズム運動を展開していたユダヤ人達の弾圧を始めたのだ。この動きは、中東諸国とその民衆からの支持を集めることになったが、代償も大きかった。
「我々はイギリスに捨てられた!」
アメリカ在住の、一部のシオニズム過激派が盛んにロビー活動をし、中東での巻き返しを図ったのだ。とはいえ、アメリカも冷静であり、「内政干渉だ」としてその意見を取り合わなかった。取り合って得られる利益が無かった、とも言える。
しかし、多くのアメリカ人はシオニズム過激派のプロパガンダを信じ込んでしまい、アメリカとイギリスの関係は悪化する。ついでに、同じく中東に委任統治領を持つフランスとアメリカとの関係もとばっちりで悪化した。
この時の判断を、当時のアメリカ人の多くが『正義』だと認識していた。
しかし、アメリカ人は忘れていた。
正義は食わせてくれなければ、独りよがりな正義はむしろ悪だ、ということを。
『嘆きの壁事件』。史実とかなり変わった形になりました。
クルド人自治区。
各所から突っ込まれそうですが、この時代の地図を見ると、丁度クルド人のいる辺り、って、ソビエト連邦の隣なんですよね。
つまりクルド人自治区は対ソビエトの盾にされてるという。
綺麗事だけではなかった、という、本編で明らかになりそうにない裏話です。